第7話
「お前がいるから死があるのか」
遺体の埋葬を手伝うと申し出たものの「後は我々が」と気遣い遠慮された十兵衛は、彼らの邪魔をしないよう村の隅に移動していた。木に
「……存外あっさり答えてくれるんだな」
「何? 問うたのはお前だろうが」
「そうだが、こういう……なんというか、神の領域の話というのは秘されて当然だと思っていたんだ」
森羅万象の全てなど知りえない。矮小な人の身で在ることを、十兵衛はよく理解していた。どれだけ高度な文明を築き立派な建物を建てようと、嵐や地震や火山、自然災害の全てがあっけなく何もかも奪っていく。どうあがいても敵わぬものはあるのだと、日本に生まれた十兵衛は痛いほど理解していたのだ。
卑下するわけではないが、わきまえてはいる。そんな風に思っていた十兵衛は、「別に隠しはしないが」とあっけらかんと言うハーデスに目を丸くした。
「そうなのか?」
「そうだとも。聞かれれば答える」
「…………」
「そもそも秘して何になる」
胡坐をかいた膝に肘を置いたハーデスが、頬杖をついて鼻を鳴らす。
「秘して、ばれる。そこで知る真実がお前達の常識を覆したとして、私達に何が生じるわけでもない」
「格が違いすぎて俺達が害するにも至らないと?」
「あのな。律の管理者だからといって別に私達はお前達を愚かな
信じがたい言葉であったので思わずじと目で見た十兵衛だったが、「心外だ」と肩を竦めたハーデスに片眉を上げた。
「律は変わらん。これまでも、これからも。この
「見送る……」
「視点を変える。それだけで全てが
なんとも酷く薄情なことを言われたような気がして、十兵衛は唇をへの字に曲げた。
「先の質問に戻るが、私が在るから死が在るという考えは間違っていない。私は私自身が【死の律】であり、律を管理する管理者でもある。はじまりの命がそう定めた。だが、死が先だったか生が先だったかをはっきり明言するのは難しいので、『そうとも言える』と言ったわけだ」
「まぁ……なんとなく、分かった」
「何よりだ」
にっと口角を上げるハーデスに、十兵衛は不思議そうに目を瞬いた。
神をも星をも超える超越者であり、【死】自身でもあるハーデスがまるで人間のように振る舞うのがどうもしっくりこなかった。御仏のように慈悲深いわけでもなく、神のように傍若無人――は一部当てはまるが、どちらかといえば人間寄りだ。
「お前には心があるのか」と、ともすれば失礼にも当たる言葉が口から飛び出る。そんな十兵衛の問いにも、ハーデスは真摯に答えた。
「どうだろうな。私の内にあるものがお前の理解の範疇にある『心』に当たるのかは分からん。ただ、死という、生命において最も感情が大きく出る瞬間を長きに渡って見てきたため、近しい感受性を得ている可能性は大いにある」
「それにしたって、人間のように思える」
「それはそういう風に引っ張られるよう、諸々揃えたかたちを取っているからだ。マーレは地球に似通っているから、なおの事そう見えるのだろう」
「よくこうして人に変じているのか?」
その問いには、ハーデスは首を横に振ることで否定した。
「人に限らん。様々な種族に変じる。そもそも私が変じるのは、次元や宙域ごとに配されている部下と円滑な対話をするためだ」
そこまで聞いた時、はた、と十兵衛は気が付くことがあり、思わずハーデスの横顔を見つめた。
「……今のお前のその姿は、こちらの星に則したものなのか?」
「まぁ、そうだな。多少いじってはいるが」
「何故俺の所に則した姿じゃないんだ?」
「…………」
十兵衛は、ハーデスが人である自分と話すためにこの姿を取ったのだと思っていた。「自ら死を選ぶ者の心」を知りたいと思うハーデスが、まさしく死を選ばんとする自分に問うために変じたと考えたのだ。だが、それなら何故この星に則した姿を取り、次元を跨ぐ必要があったのだろう。
それまでするすると問いに答えていたハーデスが、ここに来てだんまりを決め込んだ。それに眉を
「お前には遠慮というものがない」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ」
威嚇するように睨みつける十兵衛に、ハーデスが仕方なさげに溜息を吐く。
「こちらの部下と、対話をしていたからだ」
「は?」
「この星の担当官と話していた。その矢先に聞きたいことが出来て目の届く全域を眺めていた所、問いの相手としてお
十兵衛の右手が、勢いよく伸ばされる。胸倉を掴まれることを避けもせずに受け入れたハーデスは、十兵衛の憎悪の籠った瞳をじっと見つめた。
「お誂え向きとは言ってくれる。全てを賭けた切腹の覚悟を踏みにじった、貴様らしい言い分だ」
「事実を述べただけだ。比較的高度な知性を持ち、神の存在のおかげで破格の者に対する対話も易い。何より、お前はハイリオーレの耀きが一際違った」
「はい……なんだって?」
「思われている、ということだ。――だから気になった」
「そこまで思われているお前が、どうして自ら死を選ぶのか、と」
「十兵衛さん」
遠くから駆け寄るようにしてスイがやってきた。問いただしたいと思う所は多々あれど、今するべきではないと判じた十兵衛がハーデスの胸倉から手を放し、スイに面向かう。
「何かありましたか」
「ライラさんという方が、十兵衛さんをお呼びです」
「ライラ?」
聞き覚えのない名前に目を瞬く十兵衛に、スイが静かに頷く。
「カルド村に残る、魔物に変じた最後の被害者です」
「……!」
「ご同行、願えますか」
スイの後ろに付き従い、カルド村の中を通っていく。
日本の家屋とはまた違う、丸太作りの素朴な木の家が建ち並び、軒先には色とりどりの花が植えられた鉢があちこちに置かれていた。牧歌的な風景こそが日常としてあった村なのだろうと十兵衛は思う。魔物の襲撃によって破壊された家屋の片付けや血痕を洗い流す人々を眺めながら、ふと目の前を歩くスイに目をやった。
思えば、急に遭遇した彼女と共同戦線を張ったとはいえ、大した話もしていない。
「スイ殿はカルド村出身の方なのですか?」と胸中に湧いた疑問をそのまま口にすれば、スイは目を瞬かせて振り向いた。
「リンドブルムです。ルナマリア神殿所属の高位神官と申したような気が……」
「あっ、えーっと……」
藪蛇だったと十兵衛は口ごもる。ルナマリア神殿とは聞いていたが、それがどこにあるかなど十兵衛は知らない。冷や汗をかく十兵衛に対し、スイが「十兵衛さんはどちらのご出身なんですか?」と聞きかけた所をハーデスの問いが遮った。
「リンドブルムからよくここまで来たな。三十万ミールは離れているではないか」
「
「こちらから救援要請を受けて参じた、ということでしょうか?」
馬より早いものが在るのかと驚きつつ十兵衛が問う。その言葉に頷いたスイは少し思案げに目を伏せ、声をひそめて答えた。
「救援要請に対し、リンドブルムでは討伐隊の編成が進められていたんです」
「えっ……」
絶句する十兵衛に、スイが「結果は、御存じの通りです」と苦しげに述べる。
「私は、神官長の決定に
「スイ殿……」
声を震わせ立ち止まったスイを、十兵衛は慮る心持ちで見つめる。
「ですが、現場に来た私は結局神官長と同様に助けられないと判じ、人を生かす奇跡を命を奪うことに使いました。……カルド村の方々に直接絶望を与えるよりも、『助ける事が出来たかもしれないのに』と憎む先を与えて差し上げた方が良かったのではないかと、私は……」
「スイ殿」
スイの両肩を掴み振り向かせた十兵衛が、少し身を屈めて彼女と視線を合わせる。潤んだ空色の瞳を真っ直ぐに見据えて、十兵衛は真摯な声色で告げた。
「曖昧な希望ほど、残酷なものはありません。貴女は意志を貫いてかの者の思いに確かに報いた。何より、憎むべきは非道な虫を撒いた者でしょう」
「十兵衛さん……」
「
力強い肯定の言葉だった。スイはぐっと唇を噛み締め、潤んだ瞳に滲む涙が零れないように必死に耐える。やがて落ち着いたのか気丈にも笑ってみせると、ハーデスの方を振り返って「えっと、そちらの……」と口ごもった。
「私か? ハーデスだ」
「ハーデスさんでしたか。……あの、十兵衛さん。どうぞハーデスさんと同じようにお話頂ければと」
「ん?」
きょとんと目を丸くする十兵衛に、「口調ですよ」とスイは微笑む。
「確かに私は高位神官でありますが、それ以前に貴方と同じくカルド村を救いにきた戦友です。気安く思って頂けたら嬉しいです」
神に仕える者と聞いて、尼僧に対する姿勢と同じく丁寧な対応を心がけていた十兵衛に対するお願いだった。スイの意図する所に気が付いた十兵衛は、「承知した、スイ殿」と微笑む。
「だが、ハーデスと同じは無理だ。あの不遜さは真似出来ん」
「誰が不遜だ」
「どう見ても不遜だ」
憎々しげに睨みつける十兵衛とむっと眉根を寄せるハーデス。二人に挟まれたスイは、きょろきょろと両者に目をやり困ったように笑うのだった。
ライラが待つのは村に建ち並ぶ家と同様、ごく一般的な一軒家の中だった。
草鞋を脱ごうとする十兵衛を「土足のままでいいですよ」と不思議そうにしながらもスイが止め、案内をするために待っていたアイルークと合流する。
「ご足労をかけてすまない。……その、君の剣の腕を聞いて、ライラが君に命を絶って貰いたいと……」
スイに呼ばれた時から、十兵衛はそうだろうなとはうすうす感じていた。
彼女であっても魔物の命を奪える。にも拘わらず自分が呼ばれたということはつまり、そういうことなのだ。
「こんな頼みづらいことを、またも君に……」
「いや。人には役目というものがある。アレンから聞いたが、アイルーク殿や村の者達は彼らの思いを汲んで拘束していたのだろう?」
重々しく頷いたアイルークの肩を、十兵衛が優しく叩く。
「よくぞ俺にまで繋げてくれた。これより先は侍である俺の役目。どうか、後は任せてくれ」
ライラは寝室にいると教わり、アイルークから鍵を受け取った十兵衛がスイと共に二階に上がる。ハーデスも着いてきたため、正確には三人だ。「外で待っていろ」と告げたものの無視したハーデスに溜息を吐きつつ、十兵衛は覚悟を決めて鍵を開け、扉をひらいた。
五畳ほどの広さの部屋に、大きな寝台が一つ置かれていた。窓には木の板が交差するように打ち付けられ、内側から外に出られないよう厳重に封じられている。
日光もさほど入らず、蠟燭の灯りも無い薄暗い部屋の中、寝台と棚の間に身を縮ませて蹲っていた何かが、ゆっくりと顔を上げた。
「……あぁ。来てくれたのね」
穏やかな、優しい女性の声だった。暗闇の中で光る金色の目と、十兵衛の黒々とした目が合う。
獣に変じた姿は小柄ではあるが他の魔物達とほぼ変わらない。だが、額の角は小さく、
思わず隣に立つスイを見つめ、彼女が首を横に振ったことに奥歯を噛み締める。
「診察は、すでに。その上で貴方をお呼びした次第です」
ライラに歩み寄ると、アレンの言った通り、彼女は容易には逃げられないように拘束されていた。後ろ手に縛られ、閉じるような形で拘束された足首から伸びた
「……何故、俺に?」
己の死に方について、スイの奇跡ではなく十兵衛を選んだライラの気持ちが知りたくて、言葉を選びながら問いかける。ライラはスイを申し訳なさそうに見て「ごめんなさいね」と謝罪し、「神官様の奇跡を信じてないわけじゃないのよ」と続けて告げた。
「死にざまが大事だと思ったの」
「死にざま……」
身につまされる思いにかられ、思わず言葉を失う。
「神官様がいてくださるなら、死んだ後に導きの祈りを捧げて貰えるとは分かってるの。でも、魔物と化した魂を女神様が受け入れてくれるか心配で。万が一アンデッドに変わってしまった時、首を落として貰えてた方が安心かなって」
「アンデッド……?」
それまで口を噤んでいたハーデスが、ライラの話にあった単語を一つ確認するように口にした。
「えぇ。だってそうでしょう? 魔物は魔石に変じて消えるけど、人から魔物になった者は亜人と同じく死体が残る。満足に祈りも捧げられないせいで、輪廻転生の輪から外れてアンデッドになるなんて、戦場では当たり前の光景だと聞くから」
「聞き捨てならんな。輪廻転生の輪から外れるだと?」
「ま、まってください。あの、」
「ハーデス、お前はもう外に出てろ」
ライラに詰め寄りかけたハーデスを十兵衛が止め、スイもおろおろと外套を引いて行かせないように努める。そんな彼らを剣呑な表情を浮かべつつも受け入れ、ハーデスは質問の矛先をスイへと変えた。
「お前の祈りが変えるのか」
「へっ?」
「女神が魂を受け入れるかどうかと話していただろう。どうなんだ」
「ハーデス……」
こいつは本当に遠慮も配慮もまったく足らんなと、苛立ちを覚えながら十兵衛が強く腕を掴む。だが、その前にスイが戸惑いつつも口を開いた。
「私達神官の祈りは、迷える魂を導きます。確かにライラさんの仰る通り、人も亜人も、人から変じた魔物も、そのまま遺体を放っておけばおよそ一ヶ月程でアンデッドに変わります」
「アンデッドはお前達の祈りが無いとそのまま魂を保持し続けるのか」
「そう……です。身も朽ち果てればレイスとなり、神官の奇跡や祈りを受けない限りは永遠に彷徨って」
「――っ!」
突然、ハーデスの様子が変わった。殺気とも思えるような気迫を放ち、十兵衛が掴んだ手を振り払い猛然と足取りも荒く外に出ていく。それを目を丸くして見送った十兵衛は、気を取り直したようにライラに面向かった。
「すまない、気にしないでくれ。ライラ殿の望みは必ず叶えると誓おう」
「……ありがとう。では、すぐにでも」
十兵衛の言葉に、ライラが嬉しそうに目を細める。彼女の強い意志に、スイも十兵衛も黙して頷いた。
「誰かを傷つける前に、この生を終わらせてしまいたいの」
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