第2話

 しかつめらしい表情を浮かべる色白の顔に、血を思わせる鮮やかなくれないの目。

 青白い髪の毛は逆立ちながらも首元を緩く流れる程には長さがあり、襟の立った黒衣の装いに幾何学模様きかがくもようの描かれた金色の頸垂帯けいすいたいを肩から下げた男の姿に、十兵衛は目をみはった。上背のある彫りの深い顔立ちも含め、見たことのない装いだったからだ。

 男のことを、自分のような存在――つまり人間達は、死神や魔神、死者の王や冥王と呼ぶという。男は自称「死の律を司る者」と言っていたが、それはつまり死を操れる人智を超越した神と同義なのではと気づき、思わず居住まいを正した。

 懐刀を取られたままなのは気になったが、己が身をわきまえ地に両手をつき深く叩頭する。神に出会うなど生まれて初めてのことだったので、果たしてこれが正しい敬意の表し方なのか分からず、けれども自身の最上を持ってその姿勢を示し続けた。

 が、どうやら男にとっては不満だったらしい。深く嘆息し「頭を上げろ」と居丈高いたけだかに言う。三拍ほど間を置いて頭をあげた十兵衛に、男は宙に浮いたまま器用に足を組んでみせた。

「お前のそれは、日本の神に対するものだろう」

「申し訳ございません。私の知り得る範囲でしか礼を尽くすことが出来ず……」

「違う。そもそも私は神ではないと言っているんだ」

 きょとんと十兵衛は目を瞬かせる。男は「まずはそこから説明する必要があるか」と独り言ちると、視線を合わせやすいよう高度を下げて十兵衛の目の前まで降りてきた。

「お前は日本における丹波たんば国の侍だ。そうだな?」

 こくりと頷く十兵衛に、男は続けて「そして日本は、惑星――あー……、これより諸々同じ漢字圏からお前の言語に即した呼び方を持ってくるが、地球ちきゅうという星の中にある」と述べる。

「ほし、ですか? あの夜空にある?」

「そうだ。ああいう星々の中の一つが、お前の住む星みたいなものだ」

「は!?」

 思わずあんぐりと口を開けた。十兵衛の知る範囲の世界は、隣の大国【みん】や昨今新たな宗教を持ち込んできた南蛮ぐらいのものである。海を越えた所に言語の違う人々の住む国があると知ってはいたが、それが空に輝く星単位となると最早理解が追いつかない。なにより、星と言えば丸いものだと十兵衛は思っていたのだが、まさか自分が住まう所もそうなのか? と混乱の極みにおちいった。

「で、その星は太陽系に属し、銀河系に属し……以降は省略するが、それらを内包する宇宙があり、さらにそれをわける次元が」

「ま、まってください。今、貴方が何者かという話をしておられるのですよね!?」

 話がずれてないかと脂汗をかく十兵衛に、男は事も無げに「そうだ」と頷く。

「で、あるから、そういった次元の全てにおいて正しく【死の律】が働いているかを管理する律の管理者が、私というわけだ」

「そ、その律の管理者とは、人間と同じ姿なのですか」

「いや、違う」

 どう見ても人間だがと目を白黒させる十兵衛に対し、男は逆立ちうねった青白い髪を面白そうに指で摘まんでみせた。

「そもそも私は、種族も性別も何もない不定形の存在だ。だが、このように場に即したをとる事も出来る。今こうして顕現けんげんさせているのは、数多あまたの次元をまたぐ私の中の一部というわけだな」

 言いながら、髪を摘まんでいる男の手が獣のような様相に変わり、瞬時に蔦に変わったかと思えば魚のヒレに変わる。そうして色々な様相に変じた末に元の人の手に戻ったのを目の当たりにして、十兵衛は驚愕に目を瞠った。

「……つまり、神と違うと仰られるのは、その、」

「存在としての次元も格も違うからだ。分かりづらいなら、神をも含む万物の死を司る【なんかすごい奴】とでも思っておけばいい」

「なんか、すごい奴……」

 それまで高尚な話をしていたにも関わらず、男の総まとめがあまりにもうさんくさくて十兵衛はがっくりと肩を落とした。

 話を整理すると、男は十兵衛の知る神よりも星よりも格上の尊き存在で、万物の死を司るなんかすごい奴だという。「だからあんな質問をしたのか?」と、十兵衛は男が最初に自分に向かって言い放った言葉を思い出し、思わず唇を引き結んだ。

 死を司るから、気になるのだろうか。自ら死を選ぶ者の心が。己の意思で死を選ぶ理由が。黙考する内に、男の方も黙っていたらしい。いつの間にか宙に浮くことをやめて大地に仁王立ちしていた男は、いまだ正座をする形で座り込んでいた十兵衛に「立て」と命じた。

「私の正体が分かった所で、質問に答えてもらおう。お前は何故自ら死を選んだ」

「貴方が与える命数に背いたから腹を立てている、というわけですか」

「そうではない。確かに生きとし生けるものに定められた命数はあるが、自らの手で運命を変えるか自死を選ぶ事で容易に変わる。その点に関して、通常私がいちいち干渉することはない」

「だが、貴方は確かにさえぎった」

 男の片眉が、ぴくりと跳ね上がる。

「私は――いや、俺は死なねばならなかった。あの時あの場で死ぬことが、あがないも込めた責務だったからだ。お前のせいで、志を同じくして果てた仲間に顔向けも出来ない!」

「……腹を立てていたのはお前の方だった、というわけか」

「当然だ!」

 怒気もあらわに吼えた十兵衛に、上背のある男は冷たく見下ろしながら口角を歪めた。

 日本で敬う神でないなら、否、敬うのも腹立たしい相手に敬意を払う必要すらないと、それまでの姿勢を変えて十兵衛は憎悪の目で睨みつける。

「死が贖いか。分からんな。それは生きて果たせるものではないのか」

「何……?」

 あまりのことに、十兵衛の頭に血が上る。忠之進達の死が無駄だとでも抜かすなら、絶対に斬ると言わんばかりに打刀の柄に手を置いた。

「お前には目も耳も口もある。他者と意思疎通ができる音も言葉もある。何故言葉を尽くさない。何故挽回の機会を求めない。何故許しを請う事すらも諦める」

「そんなことをせずとも、あの場での死がすべてを伝えてくれる!」

むくろが語るのは、お前が生を終えたことだけだ」

「違う!」

 今度こそ怒りに任せて抜刀した十兵衛に、男は少しも動じた風を見せず険しい表情で睨んだ。

「死にざまで伝わるものもあるんだ! 侍ではないお前には分からないだけだ!」

「だからそれを説明しろと私は言っているんだ。何故自ら死を選ぶ!」

「すでに言った通りだ馬鹿たれが!」

 苛立たしげに叫ぶと、十兵衛は構えた打刀を自分へと向け、もう一度着物の合わせを引っ張り腹を露わにする。その突飛な行動に慌てたのは男の方だった。

「おい、お前な!」

「質問には答えた。俺は死ぬ! 殿に賜った懐刀でないのは口惜しいが、忠之進達にこれ以上遅れはとれん。お前、死体は必ずあの場に送れよ!」

「こいつ……! まだ私が理解出来ていないと言っているだろうが!」

 言うや否や、男が十兵衛に向かって両手を翳した。瞬間、男の左手には十兵衛が持っていたはずの打刀が掴まれ、右手に金色の光が宿る。

「なっ……!」

「【その生に、よき結びを!】」

 男の声に合わせて発生した幾何学模様の施された黄金の光の輪が、十兵衛を囲った。

 輪は瞬時に十兵衛を縛り付けるように円を縮めたが、痛みも熱も何もなくすぐに消滅する。

「俺に、何をしたんだ」

 呆然とした様子で目を瞬かせる十兵衛に、男は意地悪く口角を上げた。

「お前はこれより、現状定められている命数まで死ねん」

「はぁ!?」

「死の律の私が命じたからな。毒に侵されずやまいにもかからず、腹を切ろうが何をしようが絶対に命は尽きん。言わば寿命のある不死だ」

「っ!」

「付き合って貰おうか。自ら死を選ぶ者の心を、私が理解するその日まで!」

 男の言葉を、最後まで十兵衛が聞くことはなかった。「その前にお前が死ねー!」と、勢いよく殴りかかったからだ。

 だが、その渾身の一撃の結果に驚いたのは男ではなく十兵衛の方だった。

 顔面を吹っ飛ばす勢いで振りかぶった拳は、振り抜いた瞬間爆発でも起きたかのような風を纏い、轟音と共に男の背後にあった湖を波立たせる。

 拳から空気砲のように放たれた衝撃波は湖を割り、対岸にあった森の木々を一直線に薙ぎ倒した。

「……なっ……」

「あー……」

「な、なん、なにがっ……!」

「言い忘れていたが」

 十兵衛の一撃を身軽にかわした男が、いつの間にか手にしていた鞘に打刀を収め、土埃つちぼこりを払いながらしれっと言う。

「ここは地球ではなく、一つ下の次元にある惑星マーレだ。高次元領域に生きるお前のが発動することを、努々ゆめゆめ忘れるなよ」


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