第1話
「儂が一番乗りじゃあ!」
本丸で敵方の旗を振られれば、それはもう落城が成った証となる。「そうはさせるか」と
あちらこちらで火の手が上がり、口を開けば熱気が喉を焼け付かせるようだった。飛び散る火の粉が、苦労して蓄えた髭を燃やしそうな勢いだ。
――
敵方である
――
四方を山に囲まれた
幸か不幸か、今の八神城には城主がいなかった。城主である
そこから導き出される答えに、十兵衛は奥歯を強く噛み締める。
内通者がいたのだ。殿不在を二見家に告げ、内側より門を開け放ち、射かける火矢と時を同じくして家屋に火を放つ裏切り者が。
「
仲間内から上がった声に、はっと振り向く。耳障りな木の爆ぜる音と共に、燃え盛る櫓がこちらに向かって倒れかかっていた。立っていた十兵衛はまだしも、身をかがめ
茜色に染まる空に、炎が上がる。口内に滲む血の味が果たして自分のものなのか、味方か敵のものなのか判別も出来ない。
櫓の倒壊で出来た突破口を、二見家が見逃すはずもなかった。視線の先で仲間の死体を
味方が己のみとなってもその命尽きる最期まで敵を討つべし。そう考え、いざ、と走りかけた途端大声で名を呼ばれた。
「十兵衛、来い!」
聞きなれた声を目だけで追えば、大柄な体躯を持つ幼馴染の
「城は落ちた」
「……何を、言って……」
門を閉めた先で、まだ二の丸で戦っている仲間がいる。燃え盛る火を消そうと、躍起になって水や土を被せている者達がいる。自分も彼らもまだ戦う意志は消えていない。どうしてそんな事を言うのだと怒髪天を衝く勢いで口を開きかけた十兵衛に、忠之進は諭すように告げた。
「末子とはいえ、俺達は己が家の名を冠する者だ。故にこそ、示さねばならぬものがある」
「忠之進……」
「身命を賭して最期まで戦い抜くのが誉れと、俺も分かっている。だがな十兵衛。討ち死にすることだけが殿への義ではない」
そう言う忠之進の手に握られた物を目にした十兵衛は、深く嘆息し打刀を収めた。
喧噪が遠い。
庭木の松の向こうに上がる炎を横目に、板張りの廊下を十兵衛は進む。
道すがら、忠之進にならう形で
「姫様
「おう、
忠之進の言葉に、「そうか」と短く返事をした。
護衛についていった上の兄達を除けば、ここに残った
二人は扉の内側に入り込みしっかりと閉め、幅の狭い急勾配の階段を下りながら光もない真っ暗闇の道を黙々と進んだ。
その内、ぽつんと淡い光が見えた。
「
「来たか十兵衛」
「忠之進も無事で良かった」と気安く笑った
本来ここは逃げ場を失った姫君達を隠す用途で作られた部屋であり、小さな身体の者であれば通れる外に続く道も備え付けられていた。
だが、ここに集った
畳張りの座敷に上がり、
まだ御殿には広く火の手が回っていない。もし焼け落ちたとて、山の中腹にまで掘り進められているこの隠し部屋には届かない。
だからこそ守れる。だからこそ
己と家の潔白を、その死にざまと共に。
鞘を取り払い抜身となった刃を、各々がじっくりと眺める。
「見つけるなら、誰だと思う」
意地の悪い笑みを浮かべながら問うた照康に、桃成は「二見の者だろ」と現実に則した意見を述べた。「もしかしたら殿達かもしれん」と語る忠之進に、「難攻不落のこの城をもう一度攻め落とすって?」と清親は呆れたように肩を竦める。
「出来るさ」
清親の言葉に被せるように、十兵衛は不敵に笑った。
「俺はともかく、【
着物の合わせを引っ張り、露わにした腹へ懐刀を向ける。
末子であるが故に、十兵衛は己の命の使い方をこれまでの人生でいやというほど心得てきた。
照康達とは違い、特例の側仕えとして唯一
常であれば苦しまぬよう介錯があるものの、今この場にいる全員が一様に介錯すら求めぬ切腹を望んだため、打刀を持つ者は一人もいない。
「共に死ぬるを選択できる、良い仲間を持てて幸せであった!」
誰よりも一番槍を好んだ忠之進が、一番手を切った。「ずるいぞ!」と、まるで先んじてかけっこを始めたのを
それを微笑みながら見つめて、十兵衛は目を
「死ぬるその時まで秀治の懐刀として勤めよ」という、大殿と若殿両名から願い授けられた命よりも大切な宝。「願われた通りに、最期までお側に在りたかった」と、もはや今となっては叶わぬ夢を胸に秘め、一呼吸の後、十兵衛は寸分の迷いなく腹に刀身を突きたてた――
――はずであった。
「
低く、穏やかな男の声が耳元で
はっと目を見開くと、自身の姿すら見えないような漆黒の闇が辺りに広がっていた。
先ほどまで仲間といた一室とはあまりにもかけ離れたその風景に、ひどく動揺する。同時に腹に突き立てようとしていた懐刀が、腕ごと捕らえられていることにもそこで気が付いた。
人の手だ。手袋のようなものをはめているのか、滑らかな素材で出来たそれが肌越しに伝わる。
「何故、自ら死を選ぶ」
何も答えないことに業を煮やしたのか、再び同じ問いが男の声で紡がれた。
もしや自分はもう死んでいて冥土で死に方について閻魔大王に問われているのかと、十兵衛はおよそ
その様子に腹を立てたのか、男は溜息を吐くように空気を揺らすとあっという間に捕えていた腕から懐刀を抜き取った。それを奪われては困ると慌てて両手を伸ばしたが、光も通らない漆黒の闇の中では空を切るばかりだ。
その中で、男の声だけが確かだった。
「無視とはいい度胸だ。死んでないのだから口ぐらい利けるだろうに」
「……死んで、いない? 俺は、冥土で裁かれるために問われているのでは……」
「ああ、そうか。お前の世界ではそういう概念があったな」
「しばし待て」と言うと、男が手を合わせるような音を鳴らした。ぱん、と軽快な音が鳴るやいなや、見る間に漆黒の闇が集約していく。
そうして露わになった光景に、十兵衛は息を呑んだ。
仲間達と円を組むように座っていたはずの畳は姿を消し、砂利のまじる土の上に十兵衛は一人座っていた。
周囲は木々が生い茂り、正面にはひと泳ぎできそうな程広大な湖が広がっている。湖面にはうっすらと蒸気霧がけぶり、明け方らしく夜の
そんな夜と朝の境に、青白い髪を逆立てた紅の目を持つ黒衣の男が腕を組んだ姿で浮いていた。
「死神、魔神、死者の王、冥王……。お前のような存在は皆そうした
「死の
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