第1話

「儂が一番乗りじゃあ!」

 土塁どるいを我先にと駆け上がった足軽あしがるが叫ぶ。背に負った旗を振ろうとした矢先、笑みを浮かべた髭面ひげづらの首が宙を舞った。

 本丸で敵方の旗を振られれば、それはもう落城が成った証となる。「そうはさせるか」と打刀うちがたなを振るい、足軽の首を容易に落としてみせた総髪の侍――八剣やつるぎ十兵衛じゅうべえは、息も整わないまま守りの薄い場所へと救援に走った。

 あちらこちらで火の手が上がり、口を開けば熱気が喉を焼け付かせるようだった。飛び散る火の粉が、苦労して蓄えた髭を燃やしそうな勢いだ。

 ――山城やまじろだぞ。

 敵方である二見ふたみ家の雑兵を何人も斬り飛ばしながら、十兵衛は顔を歪ませる。

 ――八神やがみ城は山城だぞ! 何故ここで火計かけいが成るんだ!

 四方を山に囲まれた八神やがみの城は天然の要塞であった。攻めるにかたく守りにやすいこの城は、他国にも難攻不落と名高い。山颪やまおろしの風は強く、下から見上げれば壁のようにも見える土塁や射線をも防ぐ逆茂木さかもぎは、防衛のために念入りに施されていた。山の大半を占める落葉樹の森林とて、火矢を打ち込んだ所でそう簡単には燃え移らない。兵糧ひょうろう攻めならまだしも山城攻略で火計の策をろうするなど、十兵衛の常識では考えられないことだった。

 幸か不幸か、今の八神城には城主がいなかった。城主である八神元秀やがみもとひでが、息子の秀治ひではると共に国衆くにしゅうの動きを抑えるために戦に出ていたのだ。ただ、大きく兵を割かれていたとはいえ城も守れぬような兵数では無く、その点においても手抜かりはなかった。

 そこから導き出される答えに、十兵衛は奥歯を強く噛み締める。

 内通者がいたのだ。殿不在を二見家に告げ、内側より門を開け放ち、射かける火矢と時を同じくして家屋に火を放つ裏切り者が。

やぐらが倒れるぞー! 逃げろー!」

 仲間内から上がった声に、はっと振り向く。耳障りな木の爆ぜる音と共に、燃え盛る櫓がこちらに向かって倒れかかっていた。立っていた十兵衛はまだしも、身をかがめ矢狭間やざまより矢を射かけていた者達がすぐに動けるはずもない。飛び出す形で大地を転がり避けた十兵衛の目の前で、倒壊した櫓に身を潰された仲間達が炎に身を巻かれて絶叫していた。

 茜色に染まる空に、炎が上がる。口内に滲む血の味が果たして自分のものなのか、味方か敵のものなのか判別も出来ない。

 櫓の倒壊で出来た突破口を、二見家が見逃すはずもなかった。視線の先で仲間の死体を足蹴あしげに塀を乗り越えやってきた足軽達に、十兵衛は怒りで身を震わせ打刀を構える。

 味方が己のみとなってもその命尽きる最期まで敵を討つべし。そう考え、いざ、と走りかけた途端大声で名を呼ばれた。

「十兵衛、来い!」

 聞きなれた声を目だけで追えば、大柄な体躯を持つ幼馴染の加地かじ忠之進ちゅうのしんが立っていた。眼前の状況が見えないのかと戸惑う十兵衛に、忠之進がもう一度「来い」と険しい顔で告げる。

「城は落ちた」

「……何を、言って……」

 門を閉めた先で、まだ二の丸で戦っている仲間がいる。燃え盛る火を消そうと、躍起になって水や土を被せている者達がいる。自分も彼らもまだ戦う意志は消えていない。どうしてそんな事を言うのだと怒髪天を衝く勢いで口を開きかけた十兵衛に、忠之進は諭すように告げた。

「末子とはいえ、俺達は己が家の名を冠する者だ。故にこそ、示さねばならぬものがある」

「忠之進……」

「身命を賭して最期まで戦い抜くのが誉れと、俺も分かっている。だがな十兵衛。討ち死にすることだけが殿への義ではない」

 そう言う忠之進の手に握られた物を目にした十兵衛は、深く嘆息し打刀を収めた。



 喧噪が遠い。

 庭木の松の向こうに上がる炎を横目に、板張りの廊下を十兵衛は進む。

 道すがら、忠之進にならう形で当世具足とうせいぐそくを脱ぎ捨て庭へと放った。

「姫様がたはお逃げになったのか」

「おう、七之助しちのすけ達が連れていったわ」

 忠之進の言葉に、「そうか」と短く返事をした。

 護衛についていった上の兄達を除けば、ここに残った八剣やつるぎ家の者は、五久いつひさ六太ろくた七之助しちのすけ――そして十兵衛の四人である。年の近しい兄達は賢く、策を弄した連携も巧い手練れだ。きっとうまく逃がしてくれるだろうと信じて祈った。

 表御殿おもてごてん奥御殿おくごてんを繋ぐ廊下の途中に、この城を深く知る者しか見つけられない隠し扉があった。部屋と部屋の境にあるようなただの板壁の下に、爪がほんの少し入るかどうかといった隙間があるのだ。そこに刀の先を入れて起こせば、浮き上がった隠し扉の向こうにじめじめと暗く細い道が現れる。

 二人は扉の内側に入り込みしっかりと閉め、幅の狭い急勾配の階段を下りながら光もない真っ暗闇の道を黙々と進んだ。

 その内、ぽつんと淡い光が見えた。蠟燭ろうそく程度の灯りと共に、蔓草の絡む小さな小窓から西日が差し込む。真新しい藺草いぐさの香る畳張りのこじんまりとした部屋に、見慣れた顔が並んでいた。

照康てるやす桃成とうせい清親きよちか……」

「来たか十兵衛」

「忠之進も無事で良かった」と気安く笑った長田ながた照康てるやすに、忠之進は「なんの」と頬を緩めた。

 本来ここは逃げ場を失った姫君達を隠す用途で作られた部屋であり、小さな身体の者であれば通れる外に続く道も備え付けられていた。

 だが、ここに集った西山にしやま桃成とうせいなだ清親きよちかも、命惜しさから逃げるために集まったわけではない。三人とも当世具足を脱ぎ捨ててきた十兵衛と同様、防具は臑当すねあて籠手こてのみを残した簡易な姿である。そしてその片手には、忠之進が十兵衛に見せたものと同じく、懐刀ふところがたなが握られていた。

 畳張りの座敷に上がり、膝行いざって照康達の隣に並び座った十兵衛は、彼らにならう形で懐刀を取り出す。

 まだ御殿には広く火の手が回っていない。もし焼け落ちたとて、山の中腹にまで掘り進められているこの隠し部屋には届かない。

 だからこそ守れる。だからこそのこせるのだ。


 己と家の潔白を、その死にざまと共に。


 鞘を取り払い抜身となった刃を、各々がじっくりと眺める。八神元秀やがみもとひで――大殿から賜った無二の宝は、手入れをする時以外早々お目に係れない曇り一つ無い美しい刀身であった。

「見つけるなら、誰だと思う」

 意地の悪い笑みを浮かべながら問うた照康に、桃成は「二見の者だろ」と現実に則した意見を述べた。「もしかしたら殿達かもしれん」と語る忠之進に、「難攻不落のこの城をもう一度攻め落とすって?」と清親は呆れたように肩を竦める。

「出来るさ」

 清親の言葉に被せるように、十兵衛は不敵に笑った。

「俺はともかく、【八剣やつるぎの鬼神】の血を色濃く引く兄上達が残ってる。俺はそう、信じてる」

 着物の合わせを引っ張り、露わにした腹へ懐刀を向ける。

 末子であるが故に、十兵衛は己の命の使い方をこれまでの人生でいやというほど心得てきた。二心にしんがないことを己の死にざまで家ごと証明出来るのならば、切腹に一切忌避はない。

 照康達とは違い、特例の側仕えとして唯一秀治ひではるから賜った懐刀を手にしていた十兵衛は、覚悟を決めて揃った友の顔を見た。幼少より見知った顔だ。いくらか老けた立派な髭面の有様に、「お互い年を取ったものだ」と齢二十二の身で一番年下である十兵衛は彼らが聞けば小突かれそうなことを考えた。

 常であれば苦しまぬよう介錯があるものの、今この場にいる全員が一様に介錯すら求めぬ切腹を望んだため、打刀を持つ者は一人もいない。

「共に死ぬるを選択できる、良い仲間を持てて幸せであった!」

 誰よりも一番槍を好んだ忠之進が、一番手を切った。「ずるいぞ!」と、まるで先んじてかけっこを始めたのをとがめるわらわのような明るい声があがり、次々と藺草の香る緑の畳に鮮血がほとばしる。

 それを微笑みながら見つめて、十兵衛は目をつむった。

「死ぬるその時まで秀治の懐刀として勤めよ」という、大殿と若殿両名から願い授けられた命よりも大切な宝。「願われた通りに、最期までお側に在りたかった」と、もはや今となっては叶わぬ夢を胸に秘め、一呼吸の後、十兵衛は寸分の迷いなく腹に刀身を突きたてた――



――はずであった。



何故なにゆえみずから死を選ぶ」



 低く、穏やかな男の声が耳元でささやく。

 はっと目を見開くと、自身の姿すら見えないような漆黒の闇が辺りに広がっていた。

 先ほどまで仲間といた一室とはあまりにもかけ離れたその風景に、ひどく動揺する。同時に腹に突き立てようとしていた懐刀が、腕ごと捕らえられていることにもそこで気が付いた。

 人の手だ。手袋のようなものをはめているのか、滑らかな素材で出来たそれが肌越しに伝わる。

「何故、自ら死を選ぶ」

 何も答えないことに業を煮やしたのか、再び同じ問いが男の声で紡がれた。

 もしや自分はもう死んでいて冥土で死に方について閻魔大王に問われているのかと、十兵衛はおよそ荒唐無稽こうとうむけいな推論を立てた。

 その様子に腹を立てたのか、男は溜息を吐くように空気を揺らすとあっという間に捕えていた腕から懐刀を抜き取った。それを奪われては困ると慌てて両手を伸ばしたが、光も通らない漆黒の闇の中では空を切るばかりだ。

 その中で、男の声だけが確かだった。

「無視とはいい度胸だ。死んでないのだから口ぐらい利けるだろうに」

「……死んで、いない? 俺は、冥土で裁かれるために問われているのでは……」

「ああ、そうか。お前の世界ではそういう概念があったな」

「しばし待て」と言うと、男が手を合わせるような音を鳴らした。ぱん、と軽快な音が鳴るやいなや、見る間に漆黒の闇が集約していく。


 そうして露わになった光景に、十兵衛は息を呑んだ。


 仲間達と円を組むように座っていたはずの畳は姿を消し、砂利のまじる土の上に十兵衛は一人座っていた。

 周囲は木々が生い茂り、正面にはひと泳ぎできそうな程広大な湖が広がっている。湖面にはうっすらと蒸気霧がけぶり、明け方らしく夜の紺青こんじょう色と曙の東雲しののめ色が空の上で混ざり合う。

 そんな夜と朝の境に、青白い髪を逆立てた紅の目を持つ黒衣の男が腕を組んだ姿で浮いていた。

「死神、魔神、死者の王、冥王……。お前のような存在は皆そうしたで私を呼ぶが、正しくはこう称する」


「死のりつを司る者だ。――故に問おう。何故、自ら死を選ぶのか、と」

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