7
イロナは生まれ変わった。男の精をむさぼる、淫乱なサキュバスとなった。
これは彼女にとって三度目の人生だ。一度目は貴族の令嬢として、それなりに満ち足りた日々を送っていたが、わけもわからぬ間に突然奪われた。二度目は生きるために人狼狩りの修道女となり、流されるまま死と隣り合わせの日々を過ごした。それが三度目にして、ようやくみずからの意思で選び取ることができたのだ。誰に何と言われようと、イロナ自身はそう信じている。
過去と決別するため、イロナはマーシャルアーツの鍛錬をいっさい辞めた。囚われの身になってからも檻の中で続けていたが、もはやその必要ない。イロナはもう人狼狩りではないのだから。運動は美しい体型を維持できる必要最低限に留め、過剰な筋肉を落として脂肪を増やし、より男好きのする円熟した肉づきを目指した。すると結果は如実に表れ、乳房がひとまわり大きくなった。やはり身体を酷使していたのだ。
サキュバスのイロナはすべての観客を魅了し、一座の評判を大いに高めた。そのみだらな精神が、立ち居振る舞いににじみ出ているのだろう。うわさを聞きつけて、わざわざ近隣の町からも見物客が来るほどだ。なかには少なくない金額を支払い、イロナを自宅へ出張させる金持ちもいた。以前なら、脱走を警戒してありえなかったことだ。今や囚われのサキュバスという舞台上の演出を除き、イロナの手足は枷をハメられていない。そんなものは必要なくなったからだ。
時期を同じくして、一座の顔ぶれも変わった。まず巨人のダスティンが心臓発作で亡くなった。もともと心臓が弱かったらしい。そして彼とちょうど入れ替わるように、牛女のメアリーが加わった。彼女は自分の頭より大きな乳房と、親指よりも太くて長い乳首を持ち、妊娠出産後でもないのに母乳が出る特殊体質だ。
イロナが公演で飲まされるミルクは、ときどきメアリーの母乳が使われるようになった。直接乳首に吸いつくこともあれば、瓶に搾乳してから飲んだり、勢いよく飛ばした母乳を離れた位置で口に受け止めたりもした。特に最後のは、失敗を繰り返して全身母乳まみれなった姿が、大いに観客の興奮を誘った。
メアリーをより牛らしく見せるため、尻に焼き印を押そうという話が持ち上がった。その際、イロナはシスター・ユディカから聞いた話を思い出した。ものの本によると、魔術師が人型の魔物を隷属させるとき、へその下あたり――マーシャルアーツで言う臍下丹田に
興行が順調な一方、バートンとの蜜月も濃密さを増していた。彼はますますイロナとばかり寝るようになった。以前は見世物たちをとっかえひっかえしていたが、今ではサキュバスの虜だ。たとえほかの女を抱くときも、イロナはかならず同衾した。ふたりは毎晩毎晩獣のように交わった。夜だけではなく、暇さえあれば日の高いうちから、さらには公演の合間を縫って。イロナの身体にバートンの体臭が染みついて、落ちなくなるほどに。
やがて、イロナの妊娠が発覚した。
あれだけ見境なく盛っていれば当然だろう。むろん一座の稼ぎ頭として、公演に穴を空けるわけにはいかない。すぐに堕胎手術が施された。誰の子かわからないし、妊娠中は満足にバートンと交われなくなる。それだけは絶対に嫌だった。
施術は抜歯屋のコンラッドが担当した。彼は堕胎屋でもある。一座の女に対してはもちろん、滞在先の住民にもよく頼まれる。世間体が大事な人々にとっては、流れ者にやらせたほうが好都合なのだ。
術後、イロナは得も言われぬ喪失感と、神の教えに逆らった罪悪感に襲われた。その一方で、ただ快楽のため何もかも犠牲にする背徳感で酔いしれた。堕ちるところまで堕ちてしまった。気づけばイロナは、自分の歯を全部抜いてくれとコンラッドに頼んでいた。アヘンのおかげで痛みをまったく感じなかった。
ただし、この二つの手術でアヘンを使いすぎた結果、イロナの中毒が思いのほか進行してしまった。再度の堕胎手術は身体に負担がかかりすぎる。そのため、今後は月経周期で安全日を確認しつつ、口淫と肛門性交を併用することになった。イロナとしては、無心で快楽に没頭できなくなるのは嫌だったが、すぐに杞憂だとわかった。新たな快感はイロナを夢中にさせたからだ。
バートンが期待していた以上に、歯がないサキュバスは観客に好評だった。その不気味さと淫猥さが受け、ついには雑誌社の取材が来るまでに至った。ゴシップ記事しか載っていない低俗な雑誌だが、全米に販路を有している。そこにイロナの特集が写真付きで掲載されるのだ。これまでとは比較にならないほど大勢の目に、おのれのぶざまな痴態がさらされることになる。それを思うと、イロナは背筋がぞくぞくした。
雑誌が発売されると、反響は予想以上だった。サキュバスのイロナの名は全米各地に轟いた。雑誌社宛てにファンレターの山が届き、ある程度の数がまとまったところでイロナのもとへ転送された。イロナはそれらを、時間があるときに少しずつ読み進めていった。
そのなかに、見覚えのある筆跡の宛名を見つけておどろいた。差出人はシスター・エーディトだった。イロナは逡巡しつつも封筒を開封し、中身に目を通した。
親愛なるシスター・イロナへ
改革派の情報網に、おまえの載っているゴシップ誌が引っかかった。ずっと音信不通だったので心配していたが、ひとまず生きていてくれてよかった。けれども、正直困惑している。
この事態を利用し、保守派は改革派を追い落とした。修道女たちの支持を得るため、大量に取り寄せた雑誌を各修道院にばら撒いてまで。今や修道会の誰もがおまえを侮蔑し、アメリカ進出計画も凍結された。
おまえは、快楽に溺れて堕落した愚か者の烙印を押されてしまった。保守派はあの雑誌を各修道院の書庫に収蔵させ、おまえの愚行を永久に語り継ぐつもりのようだ。ヘルマンシュタットのシスター・ユディカは必死に抵抗していると聞くが、このままでは押し切られてしまうだろう。
だが、私はおまえのことを信じている。きっと何か事情があるのだろう。悪党の卑劣な罠にハメられて、そんな恥辱に身をやつしているに違いない。だからどうか、見放されたと絶望しないでくれ。コリンダもおまえの無事を祈っている。あの子もおまえの記事を読んで、相当なショックを受けてしまった。ところでおまえがヘルマンシュタットを発った後、コリンダは私がアーヘンへ連れ帰ったのだ。彼女にはマーシャルアーツの才能がある。いずれは優秀な人狼狩りになってくれるだろう。
話を戻そう。すぐにでもおまえを助けに行きたいが、アメリカ進出計画が凍結された今、上にいくら打診してもその許可が下りない。私にも修練長としての立場がある。それに、今の状態のコリンダを放っておくのは不安だ。
しかし、もしおまえが助けを求めているのなら、たとえ修道会の意向に逆らってでも駆けつけるつもりだ。囚われの身ではむずかしいことと思うが、何とかして返事を出してくれ。どうか私に助けを求めてくれ。そうしてくれさえすれば、かならずお前を救い出す。神に誓って。
シスター・エーディトより
エーディトからの手紙を読み終えたとき、イロナは羞恥心で身もだえした。まさかおのれの痴態が、修道会全体に広まってしまうとは。いよいよ取り返しがつかなくなった。
けれども、そのことに対して後悔はない。皆に蔑まれているという事実が、むしろ得も言われぬ陶酔感と優越感をもたらした。
ふいに、幼いころ泥だらけになって遊んだ記憶がよみがえった。あのときは母にこっぴどく叱られた。母は基本的にやさしかったが、はしたないまねをしたときだけは烈火のごとく怒り狂うのだ。イロナとしては服を汚さないよう、あらかじめ裸になっていたことをほめられると思ったのに。どんなにはしたなさを咎められても、イロナは納得できなかった。泥んこ遊びはとても楽しいのだ。はしたないというだけでやらないのはもったいない。泥にまみれなければわからないこともある。
イロナは返事を送ることにした。バートンにねだると、彼は快く紙とペンを用意してくれた。イロナが裏切ることはないと信じてくれているのだ。その信頼に応えるため、イロナは書き終えたら見せることにした――ドイツ語で書いてしまったので、結局読ませられなかったが。
公演後から夜までの時間を使って、すばやく手紙を書き上げた。一夜たりともバートンとの情事を削るつもりはない。
親愛なるシスター・エーディトへ
このたびはご心配をおかけして申し訳ありません。ですがご安心ください。助けに来ていただく必要はありません。わたしは今、とても幸せです。
あなたに助けられたあの日から、わたしは望まぬ生き方をしいられてきました。わたしは人狼狩りになんてなりたくありませんでした。ただ死にたくなかっただけなのに、こんな不気味な青い肌にさせられました。死の恐怖を遠ざけるために、みずからを鍛え上げるしかなかった。つらかった。あなたを恨んでいなかったかと言えば、嘘になるでしょう。
ですが、そんなことはもうどうでもよいのです。わたしは運命にめぐり会いました。本当の自分を見つけられました。今は自分の望むとおりに生きることが出来ています。それもこれもすべて、ご主人様のおかげです。
わたしのご主人様であられるジョン・バートンは、くだらない価値観と義務感に囚われていたわたしを、解放してくださいました。あわれなわたしに、人狼狩りとして命をすり減らす以外の生き方を示されました。この不気味な青い肌を、彼もふくめ魅力的に感じてくれる人々がいると教えてくださったのです。
ご主人様はとてもすばらしいお方です。わたしにいつもよくしてくださいます。わたしの身体を気づかい、痛くないようそれはていねいな愛撫をなさいます。ご主人様のものはとても大きいのです。太くて長いのです。わたしの腕くらいはあります。しかし最近では前戯もあまり必要ではなくなりました。わたしがご主人様のかぐわしい体臭を嗅いだだけでしとどに濡れてしまうのと、何度も交わったためご主人様の形に広げられてしまったからです。わたしはもうご主人様でしか満足できない身体になってしまいました。ご主人様と深くつながり、ねっとりとした汗まみれの身体で包み込まれるように抱きすくめられ、唇を重ねてにちゃにちゃした唾液まみれの舌を絡めていると、ああ、わたしはこのためだけに生きている、ほかには何もいらないと思えます。
ご主人様のためなら、彼に愛してもらうためなら、わたしは何でもするつもりです。マーシャルアーツの鍛錬をやめて、抱き心地がよくなるように太りました。身体に焼き印を入れましたし、歯も全部抜きました。堕胎もしました。誤解がないように言っておきますが、懺悔ではありません。罪悪感こそありますが、これほどまでに堕落したことを、わたしは誇らしく思っているのですから。かの堕天使ルシフェルのように。
わたしのことを想うなら、どうか祝福してください。それが無理でしたら、せめて邪魔をしないでください。もしもこの幸せが崩れてしまったら、わたしはどうなるかわかりません。わたしのことは死んだものと思っていただいて結構です。この手紙にわたしが抜いた歯を同封いたしますので、何でしたら遺体の代わりに埋葬していただきたく存じます。
もう二度と会うこともないでしょう。どうかお元気で。
サキュバスのイロナより
追伸
コリンダにはかわいそうなことをしました。彼女にマーシャルアーツの才能があるとのことですが、どうか無理強いはなさらないでください。彼女は人狼のいない女子修道院に逃げ込みたかっただけです。わたしと同じように、命懸けで人狼と戦いたくなどないのです。彼女を修道会に放り込んだ身として、少なからず責任を感じています。亡くなった彼女の姉も、そんなことは望んでいないはずです。
そこで提案なのですが、コリンダをこちらへ寄越していただけないでしょうか。ご主人様にかわいがってもらえば、彼女の男性恐怖症も治まることと思います。ご主人様に抱きしめていただくと、心が温かくなって安心できるのです。すでに聖銀水で肌の色が青くなっているのでしたら、すぐにでもご主人様のお役に立つことができます。ぜひご一考ください。
もしコリンダがこちらへ来るときは、雑誌の編集部を訪れるようにしてください。一座はあちこち転々としているので、現在地を教えてくれるはずです。
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