「おぉん、おん、おん」

 あえぎ声と嗅ぎなれた体臭にイロナが目を覚ますと、彼女の身体をまたいで、バートンとエヴァが交わっていた。例のごとくベッドに拘束されているらしい。

「起きたかイロナ。少し待て。もう終わる」

「んほぉおおおおおおおお!」

 嬌声とともにエヴァが激しくけいれんし、失神してイロナにもたれかかった。それをバートンは、乱暴にベッドからどかして床へ転がす。

「おまえの脱走を防いだご褒美がほしいと、エヴァが言うのでな。次は自分の番だと期待したか?」

「誰がっ」

 するとバートンはイロナのあごをつかみ、「この顔はそう言っておらんぞ」

 右を向かされると、姿見が置いてあった。そこには卑しい笑みを浮かべた、物欲しげな女が映っていた。

「違う、アレはわたしじゃない。あんなのはわたしじゃ――あっ!」

 バートンの丸々とした指で股ぐらに触れられると、水音とともに濡れた感触が伝わってきた。意識してみれば、さらにどんどんあふれてきているのがわかる。

「ほしいか? ほしいだろう。素直におねだり出来たら、望み通りにしてやる。脱走の件も許してやろう」

「――っ、結構です! わたしはそんなこと、望んでませんから!」

 イロナは強い意志力を発揮して、どうにか拒絶の言葉を口にすることができた。

 ずる賢く立ちまわるなら、ここはひとまず従順なフリをすべきだろう。今は雌伏して、また次のチャンスを待てばいい。

 けれども、予感があった。ここで拒まなければ、それはもはやフリではなくなる。二度とバートンに逆らえなくなる。ただご褒美欲しさで尻尾を振る、雌犬に成り下がってしまう。

「そうか。しかしそれだと、脱走のおしおきが必要になるぞ」

「この状況がそうではないと?」

「おや、望まないから拒否したのではなかったのか?」

「も、もちろんそうですが」

「だったら、ちゃんと罰を受けてもらわんとな。――コンラッド!」

 バートンに呼びつけられて現れたのは、抜歯屋のコンラッドだ。見世物小屋で順番待ちの客に、いつも抜歯を披露している。虫歯の人間が金を払って抜いてもらうのだ。日常的に必要とされているし、他人が痛がるさまを見てよろこぶ者は多い。

 だが、なぜ抜歯屋がこの場に呼ばれたのか。イロナはとてつもなく嫌な予感がした。

「私はなイロナ、前々から気になっていたんだ。おまえのサキュバス芸には、改善の余地があるのではないかと。サキュバスという、精液から栄養を摂取する生物が実在するとして、今のおまえが本物らしくない点はどこだと思う?」

「わかりません」

「わかりませんじゃない。その賢い頭でよく考えろ」

「……男に淫夢を見せられないところでしょうか」

「違う。おまえが私の夢に出てきていないと思うか? それはもう何度も現れてくれているぞ。公演にはまったく関係ないがな。ほら、もっとよく考えるんだ。私は最初に何と言った?」

「サキュバスは、精液から栄養を摂取する生物?」

「そうだ。だから?」

「……すみません。やはりわかりません」

「しかたがない。答え合わせといこう。いいか? サキュバスは精液だけを摂取する。精液は飲み物だから、噛む必要はない。ということは、だ――歯が生えているのは、不自然ではないか?」

「は?」

「歯だよ。歯」

 イロナはおのれの耳を疑った。聞き違いだと思いたかった。

 ということは、ということはつまり――

「おまえの歯を全部抜いてしまえば、より本物のサキュバスらしくなると思わないか?」

「ひっ――」

 バートンはイロナのあごをつかんで固定し、頭を動けなくした。鼻をつまんで口を開けさせ、そのまま閉じられないようコンラッドが手際よく器具を装着する。

 口のなかにペンチが差し込まれる。いきなり上の前歯が挟まれた。下にゆっくりと力がこめられて――

「はっへ! はっへふははい!」イロナは涙目で訴えた。

「……外してやれ」

 バートンの指示で、コンラッドはすぐさま前歯からペンチを離し、開口器を取り外した。

「待ってください……お願いです……謝りますから……」

「何をだ?」

「……脱走しようとして、申し訳ありませんでした……。だからおしおきは……抜歯だけは勘弁してください……」

 歯をひとつ残らず奪われることの恐怖に、さすがのイロナも耐えられなかった。人狼と戦う上で、手足の一本や二本失う覚悟はしていた。しかし歯はダメだ。一本一本引き抜かれる痛みもさることながら、その取り返しのつかなさがおそろしかった。

 いや、それは単なる言い訳に過ぎない。ただ、口実がほしかっただけだ。その心の弱さを、バートンに見透かされていた。

「おいおいイロナ、何か思い違いをしていないか? 私は謝れと言った覚えはないぞ。さて、何をすればいいのだったかな?」

「……ほしい、です……」

「何だって? 声が小さくて聞こえん」

「座長のお情けが、ほしいです……。抱いて、くださいっ!」

 ――ああ、言ってしまった。

 せっかくなけなしの理性で取りつくろったというのに、結局認めてしまった。屈してしまった。

 一時しのぎの方便ではない。従順なフリをしようとしているわけではない。イロナはもう自分を偽れない。本気でバートンに抱かれたいと思っている。ふたたびあの快楽を味わいたいと願っている。その欲求にあらがえない。あらがいたくない。いけないことだとわかっているのに、どうしようもなく惹かれてしまう。

 思えば、ラリーを誘惑したときの演技こそが真実だった。べつにあそこまでしなくても、ほかにいくらでもやりかたはあっただろうに。本当はずっと、あんなふうに自分をさらけ出したかったのだ。

 何たるぶざま。何たる恥さらし。シスター・エーディトに顔向けできない。心のなかで何度も謝罪する――ごめんなさいごめんなさい。心が弱くてごめんなさい。淫乱でごめんなさい。

「よしよし、素直におねだりできてえらいぞ」

 バートンの大きく膨れた手が、イロナの頭をやさしくなでる。ほめられたのがうれしくて、イロナはうっとりした。

「あまり焦らすのもかわいそうだからな。望みどおりくれてやろう。これなら前戯もいるまい」

 イロナは股を開き、バートンを受け入れた。滑るようにすんなり奥まで突き抜ける。それだけでイロナは絶頂してしまった。あまりの気持ちよさで、頭がまっしろになる。

 バートンが腰を動かし始めると、かつてないほどの快感がイロナを襲った。いつもと同じはずなのに、何もかもが違っている。

「にゃにこりぇ、しゅごぉい」

「いつもより感じているようだな。なぜだと思う? それはな、おまえ自身が気持ちよくなろうと努めているからだ」

 それはおかしい。バートンの巨体で圧迫され、自分で腰を動かすどころか、身じろぎ一つできていないのに。

 するとバートンは心を読んでいるかのように、「何も不思議ではない。おまえも卑猥な妄想だけで、下着を濡らしたことがあるだろう。恥ずかしがらなくてもいい。誰もが経験していることだ。人間は想像だけで快感を得られる生き物なのだ。だから自分は感じていないと思うより、感じていると思っていたほうが、快感はその分倍増するのだ。おまえは以前まで、表面的には従順なフリをしながら、内心では私に抵抗していた。こんなことではけっして屈しないと。身体は奪われても、心までは奪わせないと。それが快感を鈍らせてしまっていたわけだ。しかし、今はもう違うだろう?」

 確かにそのとおりだ。今のイロナはバートンを拒絶していない。身も心も開いて受け入れている。ひょっとすると、愛していると言っても過言ではないかもしれない。好きな相手とするのは、そうでない相手とよりも、はるかに感じると聞いたことがある。

「よけいなことは考えず、ただ快感に身をゆだねなさい。ただ頭で思っているだけではなく、口にも出してみるといい。より強く思い込むことができる」

「いい。きもちいい」言われたとおり口にしてみると、本当に快感が高まった。「きもちいい! きもちいいのぉお! きもちよすぎておかしくなっちゃう! あたまばかになっちゃうぅ!」

 シスター・エーディトが言っていたのは、もしかしたらこういうことだったのかもしれない。何も考えず、ただ感じるままに振る舞えばいいのだ。

「しゅき、しゅきぃ」

「そうかそうか。私も好きだぞイロナ。だから心ゆくまで気持ちよくさせてやる」

 好きだと言われただけで、イロナはうれしくて涙があふれてきた。幸せだ。今自分はとても幸せだ。今ならエヴァの気持ちが理解できる。ここはとても居心地がいい。

「もっと! もっとぉ!」

 その夜、バートンの寝所から嬌声が途絶えることはなかった。

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