9
翌朝、食堂に集まったのはシャーンドル、イロナ、ヤーノシュの三人だけだった。
「……ふたりとも、少し待っていなさい。私はほかの者たちを起こしてくるから」
「先に何か食べてていい? てきとーに厨房から探してくる」
「ダメだ。ここでおとなしくしていなさい」
「えー、おなかすいた。イロナもそう思うでしょ?」
「わたしはべつに」
「このうらぎりものぉ」
「……いいかい、ふたりとも。私が出たら、出入り口の内鍵を閉めるんだ。私が戻ってくるまで、誰が来ても開けてはいけないよ」
シャーンドルは可能なかぎり平静さを装いながら、食堂をあとにした。双子を不安にさせないように。だがそれ以上に、自分自身を落ち着かせるために。まずはとにかく事実を確認すべきだ。
シャーンドルがワイン貯蔵庫までやって来ると、扉はちゃんと施錠されていた。ひとまず安堵で胸をなで下ろす。
しかしそうなると、どうしてほかの四人は起きてこないのか。まさか四人そろって朝寝坊とは考えにくいが、ありえないとも言い切れない。とりあえずエルジを起こして、あとは彼女にまかせるとしよう。
だが、その見通しが甘かったことを、シャーンドルはすぐに思い知らされた。
「……なんだ、この臭いは? 小便か? いや、それだけじゃない……これは……」
エルジの部屋は扉が力ずくで破られ、彼女は無惨な死体となっていた。そしてそのそばには、人狼の毛皮があった。
例のごとくハラワタが貪り食われているが、頸動脈に深い切創があり、右手にはテーブルナイフが握られていた。おそらく人狼に襲われる寸前に、みずから命を絶ったのだろう。その表情は、筆舌に尽くしがたい恐怖で引きつっている。
シャーンドルは困惑したまま、今度はドロッチャの部屋へ。こちらもひどい血の臭いで、もはや入る前から事態を察した。カギのかかっていない扉を開けると、やはり同じような死体が転がっていた。しかも一人ではない。ドロッチャとマリチカが二人並んで食い殺されている。
「なんということだ……おお、なんということだ……」
これらが人狼のしわざなのは、疑いようもない。けれどもトデラシは昨晩、ワイン貯蔵庫に囚われていた。つまりトデラシは人狼ではなかったということだ。
認めよう。昨日の自分は冷静さを欠いていた。あらためて考えてみれば、トデラシを人狼と断じるに足る根拠があったとは言えない。にもかかわらず、怒りにまかせて濡れ衣を着せてしまった。これではシャーンドルが三人を殺したようなものだ。悔やんでも悔やみ切れない。
「おのれ、よくも……許さない……許さないぞ……ファルカシュ!」
今度は間違えない。あの臆病な従者が人狼だ。本気でおびえているように見えたが、すべて演技だったわけだ。まんまとだまされてしまった。
昨晩にかぎって三人同時に襲ったのは、消去法で確実に正体がバレるからだろう。とすると、すでに逃亡した可能性が大きい。だが逃がすつもりはない。妻と使用人たちの仇は討たせてもらう。明日には人狼狩りが到着するはずだが、それを悠長に待ってはいられない。今すぐ追いかけて殺してやる。そうしなければおのれの気が済まない。
とはいえ、バケモノ相手に一人で勝てると思うほど、うぬぼれてはいない。これまでの犯行はすべて夜だが、だからと言って日中も変身できないとはかぎらない。ここは恥を忍んで、トデラシにも協力を頼むべきだ。どのツラ下げてとなじられるに違いないが、頭を下げてでも許しを請うしかない。
ドロッチャの死体からカギを回収したシャーンドルは、大急ぎで地下へと舞い戻った。
扉を開錠すると、とたんに酒臭さが鼻を突いた。どうやら勝手にワインを飲んだらしい。むろんこの状況で責めるつもりはないが。
そして床に視線を向けると、「うわ、人狼ッ!」
予想外のことに気が動転し、シャーンドルは反射的にピストルを発砲してしまった。銃弾は毛皮に命中するも、貫通できずに転がった。
「うぐっ! ――痛ッ、てえええ!」毛皮の下からトデラシが姿を現し、ピストルを構えたシャーンドルと目が合った。
「――う、うおおおおおっ!」トデラシは死に物狂いで飛びかかって来た。不意を突かれたシャーンドルは床に押し倒され、ピストルを取り落とす。
「やっぱり俺のこと殺す気だったんだな! 毛皮がなかったら危なかったぜ!」
「――まっ、待て! 誤解――」
シャーンドルは弁解しようとしたが、馬乗りで一方的に殴られ、口を開く余裕もない。それどころか、このままでは殴り殺されてしまう。危機感を覚えた彼は、そばに転がっていた空き瓶をとっさにつかみ取り、トデラシの頭部をしたたかに殴打した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
血を流して覆いかぶさってくる身体の下から脱け出し、シャーンドルは態勢を立て直した。ふたたび襲いかかってくるのを警戒するが、トデラシは一向に起き上がる気配がない。ぴくりとも動かなくなった。
「おい、トデラシ? ……冗談だろう?」
試しに足で腹を踏みつけたり、蹴飛ばしたりしてみたが、まったく反応がない。よく確認してみれば頭蓋骨が大きく陥没しており、明らかに死んでいた。そんなつもりではなかったのに、あまりにもあっけない。
「……しかたない……ああ、そうだとも……やらなければやられていた……」
シャーンドルは落としたピストルを拾い、貯蔵庫をあとにした。こんなところでグズグズしている場合ではない。トデラシのことは残念だが、今はそれよりファルカシュを、人狼を仕留めることが先決だ。悩むのはそのあとでいい。
そしてシャーンドルは、ファルカシュを追跡するために向かった馬小屋で、ファルカシュの他殺体を発見した。
「なんだこれは……いったい何がどうなっているのだ……」
わけがわからない。自殺ならまだしも、なぜここで彼が殺されているのか。彼こそが本物の人狼ではなかったのか。
これで人狼の候補は一人もいなくなってしまった。困惑したまま、とりあえず双子の待つ食堂へ戻るしかなかった。いいかげん、二人にも人狼のことを話すべきかもしれない。
「お父さま遅い。待ちくたびれたわ」
「もうおなかペコペコだよ」
ヤーノシュの姿を見た瞬間、シャーンドルはあまりにも単純な見落としに思い至った。
「……そうか……おまえか。おまえだったんだな……」
「お父さま?」
「動くな人狼!」シャーンドルはヤーノシュの眉間に、銃口を突きつけた。
ヤーノシュはおびえた様子で、「やめてよ。何を言っているのお父さま? ボクが人狼って、そんなわけないじゃない」
「ほら、さっそくボロが出たぞ。おまえたちには人狼のことを伏せていたはずだ。なのにどうして話が通じている?」
「いや、だってそれは」
「今さらとぼけてもムダだ。シュテファンもトデラシも、ファルカシュも死んだ。残っている男は、私とおまえしかいない」
なぜ気づかなかったのか。今となっては信じがたいほどの浅はかさだ。単に子供というだけで、無意識に候補から除外してしまっていた。実際には何の根拠もありはしないのに。
シャーンドルはイロナの手をつかんで引き寄せ、おのれの背にかばう。せめてこの子だけでも守ってみせる。たとえおのれの命に代えても。
「逃げなさいイロナ。村の教会に保護を求めるんだ。ここは私が食い止め――」
「ちがうの! イロナはわたし!」ヤーノシュはそう告げるや、はいていたズボンを下ろした。
「……何、だとっ」
シャーンドルはおそるおそる、背後を振り返る。
すると、イロナの格好をしたヤーノシュが、まぬけな父親をあざ笑っていた。
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