6
ワイン貯蔵庫で、シュテファンとカタリンの遺体が発見された。言うまでもなく、かたわらに人狼の毛皮も落ちていた。
カタリンは先の二名と同じように、はらわたを貪り食われていた。一方、シュテファンは首をもぎとられていただけで、食われた形跡はない。人狼は男に食指が動かないようだ。その場にいたから巻き添えで殺されただけだろう。
「どどど、どうして――」
「いったいどういうことだ!」
おびえるファルカシュの言葉をさえぎって、シャーンドルの怒声が広間にとどろいた。
「エルジ、カギの管理はキミにまかせたはずだ。それなのになぜ、あそこでカタリンが死んでいたのだ? 答えろッ」
「申し訳、申し訳ございません……」
二人は半裸で折り重なっており、もろもろの痕跡から何をしていたかは明白だった。
「いつからだ? いつからふたりは」
「……三ヶ月ほど前からです。先に恋慕の情をいだいたのはシュテファンさんからだったそうですが、それを察した奥様のほうから誘惑を……。実を言えば、奥様と私はシュテファンさんが人狼でないと確信しておりました。なぜならおふたりは昨夜だけでなく、おとといも三日前も」
「もういいだまれ!」
シャーンドルは絶句してうなだれた。一気に十歳は年を取ったように見える。
「……旦那様、お気持ちはわかりますが……今はほかに、考えるべきことがあります」
「わかっている……」
シュテファンは人狼ではなかった。ということは残りはシャーンドル、トデラシ、ファルカシュの三人だ。このなかに人狼がまぎれている。それを突き止めなければ、今夜も誰かが殺されるだろう。
しかし、頼みの綱だった銀はアテにならなかった。いったいどうやって見分ければよいのか。
「……トデラシさん、あなたじゃありませんか?」
「おいおいドロッチャ先生、とんだ言いがかりだぜ。いったい何を根拠に俺が人狼だと?」
「昨日、銀のスプーンでシュテファンさんに発疹が出たとき、明らかにまわりを煽っていましたよね。彼を身代わりにするためだったのでは?」
「べつに煽ったつもりなんかねえよ。本気でそう思ったから、ああ言っただけだ。あの状況で疑わないほうが、どだいムリな話だろ」
「そこです。そもそも、なぜシュテファンさんは銀であんなことになったんでしょう? 実際には人狼ではなかったのに。おそらく彼は何らかの特異体質で、それを知った何者かがスプーンを細工したと考えるのが自然です。彼を陥れるために。そして厨房を管理しているあなたなら、それが可能でした」
「いやいや、厨房にカギなんてかかってねえんだ。食事時以外は基本的に無人だし、その気になれば誰だって忍び込める。だいたいそれを言ったら、銀を使おうって言い出したヤツが一番怪しいだろ」
「あれは確かエルジさんでしたよ。ねえ?」
「え、ええ」
「彼女は間違いなく女性です。人狼ではありません」
「人狼じゃなくても、共犯者ってことはありえるぜ。自分だけ助かるために協力してるとしたら」
「それこそ言いがかりでしょう」
「いや、というか、さっきからどういうつもりなんだ? 俺が人狼じゃないってことは、アンタが一番わかっ――」そこでトデラシはなぜか口ごもった。
「……そういえば、女子供だけでも避難させようという提案を、真っ先に反対していたな」シャーンドルはトデラシに詰め寄り、ピストルの銃口を突きつけた。「おまえがカタリンを殺したのか? どうなんだ?」
「おやめください旦那様! 短気を、短気を起こしては!」
「だまっていろエルジ! よけいな口を挟むな!」
シャーンドルは制止しようとするエルジを突き飛ばし、ピストルのグリップでトデラシの頭を殴りつけて昏倒させた。ファルカシュは顔を青くしてふるえ、ドロッチャはわずかにほほ笑んだ。
「ファルカシュ、ワイン貯蔵庫に放り込んでおけ」
「は、はいぃ」
「……クソ、あのアバズレめ」
ワイン貯蔵庫の暗闇で目覚めたトデラシは、立ち込める死臭で事態を察した。
トデラシは人狼ではない。なぜなら彼にはアリバイがある。昨夜も一晩中、ドロッチャを彼女の自室で強姦していたのだから。にもかかわらず、その彼女に疑われたので困惑した。何なら全部暴露して無実を証明しようと思ったが、知られれば間違いなくトデラシが糾弾される。その一瞬の迷いがアダになってこのザマだ。
とはいえ、悪いことばかりではない。本物の人狼が野放しである以上、きっと今夜も誰かが殺されるだろう。そしてそうなれば、トデラシが人狼でないことは誰の目にも明らかだ。また、ここに一人で閉じ込められていれば、人狼に襲われる心配もない。シュテファンの二の舞になる気はないのだ。
となると、残る問題はひとつだけだ。
「……寒い」
ワイン貯蔵庫は室温が低く保たれている。シュテファンはカタリンで暖を取っていたから問題にならなかっただろうが、今の季節に長時間過ごすのは少々厳しいものがある。この地下室は壁も扉も分厚く、叫んだところで地上階には聞こえない。毛布か何か持って来てもらうのはむずかしそうだ。
そういえば、今は何時ごろだろうか。空腹の具合からして、おそらくとっくに夜更けかと思われる。朝昼の食事は運んでもらえなかったようだ。この分だと夕食も期待できないだろう。あと二日で人狼狩りが来るはずだから、最悪でも餓死はしないだろうが。
と、そのとき、扉の錠が解かれる音がした。そして、きしみながらゆっくりと開いていく。隙間からロウソクの明かりがもれる。
トデラシは期待に胸をふくらませつつ、警戒して身構えた。あるいはシャーンドルの気が変わって、今夜じゅうに人狼を始末しようと考えたかもしれない。だとすれば銃を撃たせる前に、こちらが先手を打つ必要がある。それなりにケンカの自信はあるものの、勝てるかはイチかバチかだ。
けれども現れたのは、思いもよらぬ人物だった。
「イロナお嬢様」
「やっぱり、思ったとおりだわ。寒かったでしょう。そんなにふるえてかわいそうに」
そう言ってほほえむイロナの笑みが、トデラシには天使に見えた。
「どうしてここに? カギはどうやって」
「ドロッチャ先生に借りたのよ。エルジに替わって、彼女がここのカギを管理しているの」
エルジは軽率な行動でカタリンを死なせてしまったし、かと言ってあの状態のシャーンドルに返却すれば暴走しかねない。ドロッチャが預かるのは妥当な落としどころだろう。
「温かいスープを持って来てあげたわ。代わりにドロッチャ先生が作ったのよ。あなたの料理と比べると正直、味はいまいちだけれど」
「おお、ありがたい」
トデラシはスープがなくなるのを惜しみながら、ゆっくり飲んだ。身体がじんわりと温まって、凝り固まっていた身体と心がほぐれていく。
「お父さまもひどいことするわね。トデラシが人狼なわけないのに」
「おれが無実だって信じてくれるんですかい?」
「違うの?」
「いやぁ、もちろん違います。ところでお嬢様方にはまだ、人狼の件は隠されたままで?」
「ええ。あなたも病気で寝込んでいることになっているわ。お母さまなんか、わたしが寝ているあいだに空き部屋へ移ったっていうのよ? サンダもクララもいないのに、どうやって部屋を準備したっていうのかしらね」
母親が亡くなったと知りながら気丈にふるまう少女の姿に、トデラシはおのれを恥じた。一方的に気づかわれるばかりで、何も返すことができない。いやそれどころか、さらなる要求をしようとしている。
「お嬢様、こんなによくしてもらって申し訳ないんですがね……毛布か何か持って来てもらえると助かるんですが……」
「あら、ごめんなさい。わたしったら気がまわらなくって。でも、悪いけどそれはちょっとむずかしいわ。あんまり行ったり来たりしていると、お父さまにバレちゃうかもしれないし」
「そうですよね……。いや、いいんです。ムリ言ってすいません」
「だけど、代わりにいい方法があるわ」
「そりゃどんな?」
「毛布代わりに、人狼の毛皮を使えばいいのよ。この部屋に置かれているのでしょ? きっとあたたかいわ」
確かに、それは盲点だった。たとえ一枚では足りなくても、ここには三枚もある。重ねればじゅうぶん暖を取れるだろう。返り血や獣臭さは気になるが、背に腹は代えられない。
「あとはそうね、ワインを飲めばあたたまるんじゃないかしら。こんな目に遭わされているのだし、一本くらいならバチは当たらないわ」
「ありがとうございます。さっそく試してみますわ」
「それじゃあ、わたしはそろそろ戻るわね。朝までの辛抱よ。がんばって」
そして扉が閉ざされ、地下室はふたたび暗闇に包まれた。
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