5
翌朝、クララの遺体が自室で発見された。
殺され方と現場の状況は、サンダとほぼ同じと言っていい。疑いようもなく人狼のしわざだ。
「どういうことですか。人狼が暴れるのは満月の夜だけじゃなかったんですか」
あわれなほどおびえるファルカシュに対して、昨日と違って誰もなだめようとはしなかった。彼ほどではないにせよ、ほかの者たちもみな同様に動揺していた。
「われわれの認識が間違っていたということだな……人狼は満月で狂っているのではないわけか……」
「なんてことなの。人狼狩りが到着するまで、あと三日はかかるのでしたよね? この時季は嵐が多いですから、もっと遅れる可能性もあるわ。それまでどうやって身を守れば……」
「旦那様、この際ですから、女性と子供だけ村に避難させてはいかがでしょう」
「いえ旦那様、それはやめといたほうが無難ですぜ。人狼を村に招きかねないって、追い返されるのがオチだ」
「こうなったら、人狼が誰か突き止めるしかありません。それでどこかに閉じ込めておくんです」
「……確かに、このまま手をこまねいていては、一人ずつ殺されていくのを待つばかりだ。いたしかたあるまい。しかし、どうやって人狼を特定する?」
「銀を使いましょう。人狼は銀が弱点だったはず」
エルジが調理場へ向かい、銀のスプーンを一本持ってきた。こういう雑用は本来なら、下級メイドであるサンダかクララにやらせるべきだが、あいにく二人はもういない。
「……ずいぶん黒ずんでいるな」
「も、申し訳ございません。昨夜はうっかりしておりまして」
「気にするな。このような状況では無理もない」
実際どうすれば人狼を見分けられるかわからないが、ひとまずスプーンを男たちのほおに押しつけてみることにした。それで反応が見られなければ、次はスプーンを舌で舐めさせてみたり、フォークかナイフで肌を傷つけてみたりするつもりだった。
けれども、あれこれ試すまでもなく、結果は如実に表れた。
「シュテファン、おまえだったのか」
「えっ? ……なっ、なんで」
銀のスプーンで触れられたシュテファンのほおに、突如として真っ赤な発疹が発生していた。かなりかゆいらしく、すでに指でかいてしまっている。
「そんなバカな――違っ、違います。誤解です旦那様。誤解なんです。これはそういうのではなくて、銀で出るはずが――」
「やっぱりな。おかしいと思ってたんだ。銀食器の磨き忘れ、ホントはわざとじゃねえんだろ? 人狼になったせいで、銀に触れなくなっちまったわけだ」
「いや、それは本当にただのうっかりで――」
「シュテファン、頼むから抵抗しないでくれ」
そう言って、シャーンドルは懐からピストルを抜いた。クララの死を知らされた時点で用意していたのだろう。
「安心しなさい。今すぐ処刑するようなことはしない。すまないが、人狼狩りが着くまでワイン貯蔵庫に閉じ込めさせてもらう。あそこの分厚い扉なら、さすがに人狼の腕力でも壊せないだろうからな。カギを渡してくれ」
「……旦那様、私は人狼ではありません」
「往生際が悪いぞ」
「わかっています。この状況で私が何を言ってもムダでしょう。抵抗するつもりはありません。私の無実は人狼狩りが証明してくれるはずですから、おとなしく待たせていただきます。しかし、それまで絶対に処刑されないという保証がほしいのです」
「保証?」
「ご命令どおり、貯蔵庫のカギはお渡しいたします。ただし、管理を旦那様ではなくエルジさんに」
「……いいだろう」
そうしてシュテファンは、ワイン貯蔵庫へと連行された。万が一抵抗された場合に備え、トデラシとファルカシュの二人がかりで。
「おや、大丈夫かいカタリン? ずいぶんひどい顔色だが」
「……ええ、平気よ。ちょっとびっくりしただけ……人狼が紛れていると、わかってはいたつもりだけれど……」
「だがこれでひとまず安心だ。今夜は落ち着いて眠れるさ。何なら、こっちの寝室へ戻って来るかい?」
「それはまだ保留にしておきましょう。イロナが不安がっているし、夜はそばにいてあげたいの」
「人狼の件は子供たちに伏せたままのはずだが?」
「そのことじゃないわ。ヤーノシュと寝室を分けたでしょう? まだ一人で寝るのに慣れていないのよ」
「ああ、そういえばそうだったね」
実際、イロナが気落ちしている様子なのは間違いない。昨日は食欲がないと言って、食事にほとんど手をつけなかった。朝食にいたっては自分で目玉焼きを希望したはずなのに。
「しかしイロナがそんな状態で、ヤーノシュのほうは大丈夫なのかい?」
「ええ。やっぱり男の子ですもの」
「今度はクララとシュテファンも風邪で寝込んでしまいました。どうもサンダからうつったようです。なので三人の部屋には、絶対近づかないようにしてくださいね」
「はーい」
エルジの忠告に、イロナとヤーノシュは声をそろえて返事した。もちろん、そんな嘘でごまかせないことは言うまでもない。表面上は聞き分けのよいふたりを、マリチカが複雑な表情で眺めている。
「それと三人が抜けた穴埋めで、マリチカには屋敷の業務を手伝ってもらいます。遊び相手を取り上げて申し訳ありませんが、どうかご了承ください」
「えー。だったらわたしたちも」「いっしょに手伝う」
「お気持ちはありがたいですが、使用人の仕事を取らないでくださいませ。おふたりのお仕事はお勉強です。そうですよね、ドロッチャ先生。……先生?」
「えっ?」
「大丈夫ですか? ひょっとして体調がすぐれないとか?」
「いえ、平気、平気です。ご心配なく。ちょっと寝不足なだけですから」
「そうですか。では、頼みましたよ」
「……何をです?」
「イロナお嬢様とヤーノシュ坊っちゃまのお勉強です」エルジはドロッチャの耳元に唇を寄せ、「本当に大丈夫ですか? クララの遺体を地下へ運び終えるまで、ちゃんと遠ざけておいてくださいね」
「も、もちろんです。まかせてください。さあおふたりとも、まずはラテン語から始めましょうか」
「ヤだ」「遊びたい」
「ダメです。昨日もおとといもあまりできなかったでしょう。今日こそはしっかりやってもらいますからね」
「ケガが痛くてペン持てない」
イロナはわざとらしく右手の指を抱えて主張した。おとといコマのナイフで切ってしまった部分だ。
「そのくらいべつに平気でしょう――ってコラ!」
ドロッチャの制止を振り切り、双子は脱兎のごとく駆け出した。
サンダの遺体と人狼の毛皮に引き続き、クララの遺体と二枚目の毛皮もワイン貯蔵庫に保管されることとなった。そのため庫内の悪臭はよりひどくなっている。
だが、そんな場所で監禁されるハメになった不運を、シュテファンは嘆いていなかった。むしろ運がよかったとさえ思っている。それは人狼と見なされた時点で即処刑されなかったから、ではない。
「シュテファン!」
出入り口の扉を開けて、カタリンが入って来た。エルジからカギを借りて来たのだ。シュテファンも当然こうなることは見越していた。だから夜が待ち遠しくてしかたなかった。
胸に飛び込んで来たカタリンを、シュテファンは強く抱きしめる。
「ごめんなさい。わたくしが本当のことを告げていたら」
「いいんだ。冤罪ということは人狼狩りが証明してくれる。こんなことで私たちの関係を知られるべきじゃない」
昨晩も、その前の晩も、シュテファンはカタリンと逢い引きしていた。この屋敷の男で、彼だけが確実に人狼ではないのだ。
「それにしても、今朝のはいったいどういうことだったの?」
カタリンは気づかわしげに、シュテファンのほおを撫でる。銀のスプーンが触れて発疹が出た部分を。まだ跡が残っているものの、一応治まっている。
「まだ教えていなかったね。私は昔から錫に触れると、なぜかあのように肌がかぶれてしまうんだ。だから食事の際は、自分専用の木の食器を使っている」
「錫? でもあのスプーンは間違いなく銀だったわよね」
「ああ、だからおかしいんだ。可能性があるとすれば、スプーンを錫の皿にでも強くこすりつけたのかもしれない。それで表面に付着していた錫に反応したんだろう」
「つまり、誰かがあなたを陥れたってこと?」
「そうなるね」
「でも、いったい誰が……錫で肌がかぶれること、ほかに誰が知っているの?」
「誰にも話していないよ。普通じゃないし、気味悪がられるだけだからね。あえて木の食器を使っていることは、まかないを一緒に食べる以上使用人はみな知っているが、理由については単に好みとしか言っていない」
「となると、怪しいのはファルカシュかトデラシ? ……いえ、きっとトデラシね。あなたが人狼ってことになったとき、明らかに煽っていたし。そういえば、女と子供を避難させようってあなたが提案したときも、彼は強く反対していたわね。獲物がいなくならないようにしたかったのではないかしら」
「そうとはかぎらない。単に自分の身の安全を確保したかっただけかもしれないよ。人狼は女子供を優先して狙うそうだからね。囮がいるうちは安心だ」
とはいえ、シュテファンとしては人狼がトデラシであってほしかった。少なくともほか二名に比べれば、処刑するとき良心が傷まない相手だ。
「とにかく油断は禁物だよ。三人の誰が人狼であってもおかしくないんだ。用心するに越したことはない」
シュテファンはあえて口に出さなかった――本物の人狼が野放しになっている以上、今夜も犠牲者が出るかもしれないことを。そしてそうなれば、自身の冤罪が晴れるだろうことも。
誰かに死んでほしいわけではないが、誰かが殺されてくれればありがたい。相反する気持ちを胸に秘めながら、シュテファンはカタリンを強く抱きしめる。この地下室は肌寒い。熱がなければ耐えられない。
「ああ、カタリン。愛しているよ」
「わたくしもよシュテファン。もっと愛して。わたくしだけを見て」
さて、この地下室は貯蔵庫という性質上、内側から施錠する構造にはなっていない。つまりカタリンがカギを開けて入って来た時点で、誰でも出入り自由な状態だ。
重い扉が蝶番をきしませながら、ゆっくりと開く。しかし室内のふたりは、情事に夢中で気づかない。
ひたひた、ひたひた。わずかな足音が徐々に近づいてくる。靴を脱いで裸足なのだ。愛し合うふたりはまだ気づかない。
そうして、ロウソクの薄明かりに人影が浮かび上がっても、ふたりは第三者の存在に気づいていなかった。
「――お母さま、見ぃつけた」
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