7
気がつくと、イロナはベッドで横になっていた。
「目が覚めましたか。気分は?」ヨーシュカ神父が心配そうに尋ねてくる。どうやら教会まで運んで、介抱してくれたようだ。
「面目ありません。ですが、もう大丈夫です」
おそらく冷たい水を浴びたことで、抑え込んでいた疲労が一気に爆発してしまったのだろう。結果的に休めたおかげで、今はむしろ気分がいい。
「わたしはどのくらい眠っていたのですか?」
「ほんの半時ほどです。お腹が空いていますよね。先ほどは食べ損ねましたし。今、食事をお持ちします」
「いえ、それよりラ遺体の確認を急ぎましょう」
窓の外はすっかり暗くなっている。人狼が動き出すにはまだ早いにしても、急ぐに越したことはない。
「なぜそこまで」神父は気づかわしげな顔で、「そんなにも人狼が憎いのですか? みずからを犠牲にしてでも復讐したいと?」
「べつにそういうわけでは……これがわたしに与えられた役目で」
「ヤーノシュ」
イロナはとっさにごまかそうとしたが、声がかすれて出なかった。手は無意識に、脇腹の古傷を押さえている。
「失礼。寝言でその名を何度もくり返していらしたので。月並みなことを言うようですが、人狼を手当たりしだい殺したところで、彼が生き返るわけではありませんよ」
その的外れな指摘に、イロナは平静を取り戻した。べつにヤーノシュは死んでいない。死んでいないから問題なのだが。
「私ごときの言葉で心変わりするくらいなら、最初から復讐に身をやつしてなどいないでしょう。ですが、せめて食事は摂ってください。焦らなくとも、その程度の時間はありますよ。実を言うと、先行して棺桶を掘り起こしてもらっていますので」
「おや、童貞のくせに気が利くではありませんか」
「童貞はよけいです」
「村人に作業を手伝わせているのですか? よく協力してくれるひとがいましたね」
「いえ。村人ではなく、フェレンツ様です」
「彼が?」
「ええ。先ほどはやりすぎたと反省しておられまして。あのかたも本心では、ラダを殺した人狼が許せないだけなのですよ。埋め合わせに何か手伝いたいとおっしゃるので、それならと。もれなくベチャーロシュもついてくるので、作業はかなりはかどるはずです」
イロナは頭をかかえた。
「大丈夫ですか。やはりまだ体調が」
「……彼が事件の夜に、現場近くで目撃された件は?」
「えっ?」
「人狼でないことは確認できましたが、そもそも犯人が人狼でなければ、依然容疑は晴れていませんよ」
むしろその場合、フェレンツは最有力候補と言っても過言ではない。痴情のもつれという動機があるし、人狼の毛皮の入手する上で貴族の身分と財力は大いに役立つ。手伝いを申し出たことについても、こちらの動向を探るためか、もしくは証拠隠滅が狙いの可能性もある。
あまりにもうかつと言わざるをえない。しかもその理由が反省していたからとは、お人好しにもほどがある。
「あー、いや……その……こう見えて、ひとを見る目には自信がありまして……」
イロナは舌打ちした。「これだから童貞は」
「童貞に何か恨みでもあるのですか」
「童貞に恨みのない女などいませんよ」
「そんなバカな」
手早く食事を済ませてから、ふたりは村はずれにある墓地へとやって来た。
ラダの名が刻まれた墓標の前で、フェレンツがせっせと穴を掘っていた。思ったより作業が進んでいないようだ。まだ深さが腰あたりにしか達していない。
「遅かったな。神父、おまえもさっさと手伝え」フェレンツはもう一本のシャベルを投げてよこした。
「自分のシャベルがあります」神父は周囲を見まわし、「ベチャーロシュはどうしたのですか?」
「……アイツなら、ロレダナとお愉しみ中だ」
「そうですか……」神父はイロナに耳打ちし、「ロレダナというのは、あのとき水を汲んで来た娘です」
「ああ……」イロナは憐れみの目でフェレンツを見た。
「勘違いするなよ。水汲みから戻って来たふたりがイイ雰囲気になっていたから、俺が気を利かせてやったのだ」
「しかし、ベチャーロシュの腕力をアテにしていたのですが……ちなみにシスター、体調のほうはもう大丈夫ですよね」
「世のなかには二種類の人間がいます――穴を掘る者と、掘られる者です。日付が変わるまでには終わらせてくださいね」
イロナは一本余ったシャベルを地面に深く突き刺し、それを背もたれにして座り込んだ。人狼が出ないか村を見まわりたいところではあるが、まだ時間が早い。真に危険なのは人々が寝静まってからだ。今はそれより、フェレンツが不審な行動をしないか監視すべきだろう。控えめに言ってヨーシュカ神父はあまりアテにならない。
男ふたりがせっせと穴を掘る。人手が二倍になったことで、作業効率は断然よくなった。穴が見る見る深くなっていき、掘り出した土の山もどんどん積み上がっていく。
「ところで、よくこんなことに協力してくれる気になりましたね。あなたが愛した女性の墓なのに」
「愛した女、か」フェレンツは遠い目をして、「……どうなのだろうな。正直、自分でもよくわからない。俺は本当にラダを愛していたのかどうか」
フェレンツにどんな思惑があるのか探りを入れるつもりが、意外な反応にイロナは戸惑った。ハムレットやマクベスほどではないにせよ、本気で苦悩しているように見える。
「そんなふうに悩むということは、少なくとも彼女を愛したいのでしょう?」神父は慰めるように言った。「なら、愛しているも同然です。愛の証明など、それでじゅうぶんではないかと」
「だが、俺はラダを見捨てた。ラダのハラワタを貪る人狼におびえて、一目散に逃げ出したのだ。助けようなどとは夢にも思わなかった。あんなバケモノに敵うわけがない、むしろ自分の存在が気づかれなくてよかったと、心底安堵したよ。そうして屋敷へ逃げ帰って、部屋の隅でガタガタふるえていた。昼過ぎになってようやく様子を見に行けば、ラダはとっくに埋葬されている始末だ。最後に彼女を一目見ることさえ――」
「ちょっと待ってください」イロナはフェレンツの言葉をさえぎり、「今、何とおっしゃいました?」
「だから、俺が彼女を本気で愛していたのなら、あんな醜態を演じることもなかったはずで」
「人狼を見たのですかッ」
「ああ。それがどうかしたのか?」
どうやら神父も聞いていなかったようで、イロナが目配せすると必死の形相で首を横に振った。
フェレンツがだまっていたのは理解できる。ラダを見殺しにした事実を恥じたのだろう。とはいえ、神父から墓荒らしの件を聞いた時点で明かしてほしかった。徒労に終わるのはわかり切っていただろうに。
「……そういえば、今やっている作業について、ヨーシュカ神父からどんな説明を?」
「人狼が誰か特定するのに必要だと聞いているが」
イロナがにらむと、神父はすばやく目をそらした。
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