事件が本当に人狼のしわざならば、凶行を重ねていない理由は何なのか。ほかに候補として挙げられるのは、人狼の正体が流れ者という可能性だ。通り魔的にラダを殺して、翌朝には旅立ったとすれば、一応のつじつまは合う。

 ただし、この行動がリスクを避けるためとは考えにくい。確かによそ者は疑われやすく、集団にまぎれ込む人狼のメリットを生かしにくい。その点、一人仕留めるごとに河岸を変えたほうが安全ではある。しかし人狼は狡猾だが理性的ではないので、そういった慎重さとは無縁だ。連中が正体を見抜かれる一番の原因は、殺しすぎて自分以外の容疑者を減らしてしまうせいなのだ。一晩で獲物を皆殺しにしないのも、単に胃袋が小さいから。連中の目的意識は明確であり、本末転倒な行動を取ることはない。たとえ正体がバレたとしても、いざとなったら本性を現して暴れればいい。

 おそらく人狼がこの村から去ったのは、村での犯行が陽動だからではないか。例えば一人の流れ者ではなく、集団の一員だとすれば合点がいく。具体的にはロマのキャラバンだ。トランシルヴァニアにおいてはツィガーニやツィゴイネルなどと呼ばれ、長きにわたって迫害されている放浪の民。この地の底辺であるルーマニア人から、干ばつの責任を押しつけられるほど弱い立場だ。もし滞在地の近くにある村で人狼騒ぎが起きたと知れば、彼らは一刻も早く移動するだろう。よもや本当に人狼が紛れているとも気づかず、キャラバンは孤立無援の状況に陥ってしまう。人狼からしてみれば、よそ者として村を襲うより効率的だし、邪魔な人狼狩りは村のほうへおびき出されてくれる。

 その見立て通りなら、キャラバンはすでに全滅してる可能性が大きい。そして一人になった人狼は、よそ者が目立たない大都市を目指すと思われる。むろん、途中立ち寄った村を襲いながら。急がなければ被害がどんどん増えてしまう。

「……いけない。また悪いクセが」

 イロナはそこで思考を断ち切った。頭で考えすぎるな、と師から何度も叱られたのだが、どうにも直らない。

 事件の前後でロマのキャラバンが村の近くにいたら、とっくにその話題が出ているはずだ。村人も領主も、ロマを警戒していないわけがないのだから。いや、これも憶測の域を出ていない。ロマについてはあらためて確認すればいい。それもラダの遺体を調べて、本当に人狼のしわざかハッキリさせてからの話だが。

 フェレンツの証言が信用できるとはかぎらない。作業を中止させるための虚言なら遅すぎるし、フェレンツが犯人ならまぬけだ。だが嘘ではなかったとしても、単に見間違えたとも考えられる。過去には、しゃがんでいた姿を狼と間違われ、誤解を解こうと立ち上がったら、人間に変身したから人狼だとさらに勘違いされた例もある。フェレンツがそこまでまぬけでなくとも、真犯人が人狼の毛皮で変装していたらどうか。やはり一度疑念が生じた以上、確認するに越したことはない。

 ただしそのためには、ひとつ解決すべき問題がある。

「なぜ棺桶を開くのに、俺がいなくならなければならんのだ。せっかく苦労して掘り起こしたのだぞ」

「ですから、この一週間で遺体はとっくに腐敗していますよ。ラダの変わり果てた姿を見たくはないでしょう」

「それでも俺は、最後に一目ラダと会いたいのだ。葬式には出そびれたからな。何ならくちづけしてみてもいい。狂女フアナのように」

「あなたはそれで満足でしょうが、ラダの気持ちはどうなりますか。彼女も乙女です。愛したひとの記憶には、美しいままで留めてもらいたいはずです」

「知ったような口を利くな神父。貴様にラダの何がわかる」

「私はこの村の神父ですよ。ラダが何度私に告解したと?」

「貴様ァ」

 掘り起こされた棺桶の前で、フェレンツとヨーシュカ神父が押し問答している。さて、どうやってフェレンツを納得させるべきか。あまり悠長にしていると、自力でこちらの意図に気づいてしまうかもしれない。何しろ自分が尿を飲まされたばかりなのだから。

 いや、この期に及んでまだ考えすぎている。もっとシンプルに、短絡的になるべきだ。

 イロナは深呼吸して、フェレンツのそばに歩み寄り、「先に謝っておきますね。ごめんなさい」

「ハァ? 何を――うぐゥっ!」

 イロナの拳がフェレンツの脇腹にえぐり込んだ。フェレンツは悶絶してよだれをこぼし、ひざから地面に崩れ落ちる。その間、神父は目を白黒させてただ見ていた。

「しばらくまともに立てないと思いますが、一応動けないように取り押さえておいてください」

 そう神父に言い捨て、イロナはシャベルを手に取ると、棺桶の隙間にねじ込んだ。釘が打ちつけられたフタを力ずくでこじ開ける。

 フタをどける瞬間、ひどい腐臭にそなえてイロナは鼻をつまんだ。けれども臭って来たのは、予想外のものだった。不快なのは同じだが、まったく別種の臭い――尿と糞便の臭い。

 しかし真におどろかされたのは、鼻よりも目だ。

 ラダの遺体は、すでに白い骨だけとなっていた。腐肉とウジ虫のの代わり、排泄物にまみれている。

 そしてそれらを寝床に、小さな赤子がおだやかな寝息を立てていた。汚物で薄汚れた赤子が、天使のようにやすらかな寝顔で眠っている。

 松明の灯りで目を覚ましたのか、赤子はゆっくりとまぶたを開いた。

 その視線がイロナの姿をとらえると、赤子は薄ら笑いを浮かべた。

 悪魔じみたおぞましい笑みで、イロナをジッと見つめて。

「ひぃッ――」

 イロナの様子がおかしいことに気づいたのか、神父とフェレンツも棺桶を覗き込んだ。

「な、なぜこんなところに赤子が」

「おい……まさかそいつは、俺の息子なのか……?」

 フェレンツの言葉で、イロナはようやく気づいた。赤子の股間に生えたモノが、小さくてかわいらしくも、雄々しく屹立しているのを。

「――ふたりとも離れて! この赤子が人狼ですッ!」そう告げつつ、イロナもまた棺桶のそばから飛びのいた。

 赤子が笑みを深くしたかと思うと、次の瞬間、口が裂けて顎が広がり、鋭い牙が飛び出した。耳が尖り、両手足の爪が長く伸びる。全身の肉が見る見るうちに膨張してイロナの背丈を追い越し、皮膚は太い体毛で覆われていく。

「グルルルルルルァアララアァァアアガァァアアアア――ッ!」

 そうして赤子は、あっという間に、二足歩行の狼じみたバケモノへと変貌を遂げた。

「ああ……わたしとしたことが、こんな単純な答えを見落としていたなんて……シスター・エーディトにバレたら殺される……」

 人狼になる条件で判明しているのは、男だけがなるという点だ。神父だろうと枢機卿だろうと例外はない。

 すなわち、たとえ胎児であろうと、それが男なら、人狼になりえるということだ。

 おそらく真相はこうだろう――事件の夜、ラダの子宮にいた胎児が、満月の影響で人狼として覚醒、変身して母体の腹を突き破った。その時点でラダは即死しただろう。さらに人狼はラダのハラワタを貪り、満腹になったら毛皮を脱ぎ捨て、人間の姿へ戻った。そして、からっぽになった母親の腹へ潜り込んで眠ったのだ。人狼は単に寝心地のいい寝床を選んだだけだろう。しかしその何気ない行為が、事件を一見複雑な様相へ変えた。

 翌朝、発見された遺体は即座に埋葬されてしまった。疫病を怖れたヨーシュカ神父の判断が、べつの意味で功を奏したと言える。もし通常の作法に則って遺体を清めようとしていたら、あるいは火葬しようとしていたら、目覚めた人狼の手で村人たちは皆殺しだったに違いない。

 その後、棺桶のなかで目を覚ました人狼は困惑したことだろう。土深く埋められてしまっては、たとえ人狼の怪力をもってしても脱出は叶わない。棺桶のフタをひっくり返せば、必死の爪痕が残されているはずだ。それでしかたなく、残った遺体を食らうことで飢えをしのぐしかなかった。血肉が完全に消失した骨と、よく消化された排泄物がそれを証明している。

 このまま放置しておけば、人狼は遠からず餓死していた。ゆいいつのエサを食い尽くしてしまったのだから。ようするにイロナがやったことは、ただの藪蛇だ。

 あらためて考えてみると、なぜ胎児が人狼である可能性に思い至らなかったのか。あらゆる状況がそれを示唆していたというのに。報告書の内容をどうやってごまかすべきか、イロナは今から頭が痛かった。

 とはいえ、過ぎたことを言ってもしかたがない。こうなってしまった以上、やることはひとつだ。人狼を退治する。

 先ほどイロナに殴られて歩けないフェレンツに、神父が肩を貸して逃げる。人狼のおそろしさに腰が抜けたらしく、あまりにも遅々とした足取りだが、ひとまず問題ない。人狼にとって男など眼中にないのだ。そんなものより、目の前の女を食らわずにはいられない。それが毒餌とも知らずに。

「さあ、かかって来なさい。おまえの相手はわたしです」

 神父がこちらを振り返り、悲痛な叫びを上げる。「ム、ムチャだ。あんな怪物相手にどうしようというのです。もしや、その身を捧げて道連れにするおつもりか。いけません」

 棺桶から出た人狼が、舌をだらりと垂らしてヨダレをこぼしながら、一心不乱にイロナへと迫る。「グララアガア!」

 北欧神話において、軍神テュールは右腕を犠牲に悪狼フェンリルを縛りつけた。創設直後の聖フーベルトゥス女子修道会も、それと似たようなやり方で人狼を退治していたという。けれども、人間の手足は合わせて四本しかない。それでは一人当たり最大五体しか人狼を殺せない。

 ならば、どうするか。

「心配ご無用。銀そのものとなったわたしの肉体は、人狼に対して全身是凶器」

 ギリシャ神話において、アマゾネスは銀の武器しか使わなかったという。ならばイロナは、さしずめ現代のアマゾネスだ。

 イロナは右半身に構え、足を肩幅より若干広く、左足のカカトを上げた。尼僧服のスリットから、美脚が付け根付近まであらわになる。脇を締めて左拳をほお骨のあたりに、右拳は敵に最短距離で届く位置で掲げる。

 それから、人狼が突っ込んできたタイミングに合わせてこちらも踏み込み、無防備な右ひざにサイドキックを当てた。骨が鈍い音を立てて、関節と逆方向に曲がる。

「グワアッ!」前足をつぶされて体勢が崩れる人狼。しかしその程度ではひるむこともなく、右腕を振りかぶって鋭い爪でイロナを引き裂こうとする。

 だがイロナはその攻撃を、サイドキックを放って不安定になっていた体勢を利用し、右斜め前に踏み込んでかわした。それと同時にガラ空きの脇腹めがけ、レバーブローをねじ込む。さらにその反動を用い、左ストレートをみぞおちにたたき込んだ。目にもとまらぬ連撃。

「――今のは、もしやマーシャルアーツ!」

「知っているのかヨーシュカ神父」

「かのマルコ・ポーロはアジアを巡る旅路で、素手で効率的に人体を破壊する技術の数々と出会いました。それらの技術体系は、のちに東方見聞録の別冊としてまとめられ、マルコの戦技Marcial Artsと呼ばれるようになったのです。あるいは中国語から借用し、カンフーとも呼ばれています」

 聖フーベルトゥス女子修道会で制式採用されているマーシャルアーツの特徴として、ボクシングやフェンシングなど西洋の身体運用も組み合わせられている。これは人狼の爪と怪力による一撃を危険視し、可能なかぎり間合いを遠くするための工夫だ。人狼を道連れにするのではなく、人狼を殺して生き延びるための技術。

 一方でマーシャルアーツの伝統的な技法が、攻撃の要として重視されている。それが浸透勁だ。

 ただ普通に相手を殴った場合、そのダメージはまず皮膚が受け止め、余った衝撃が皮下脂肪、筋肉でさらに減衰され、最終的に骨や内臓へ伝わる。

 しかし浸透勁の場合、それらを無視して直接衝撃を与えることができる。例えば二枚重ねた板を殴り、うしろ側の一枚だけを割ることも可能だ。つまり、的確に内臓を破裂させられる。むろん、先ほどフェレンツを殴った際は手加減した。

 イロナが普通に人狼を殴っても、分厚い毛皮に阻まれてダメージを与えることはできない。けれどもこの浸透勁により、銀の毒が内側へ直接伝わる。

 その結果、どうなるか。

「グルッ、グルルルラララア――グワアーッ!」

 もだえ苦しむ人狼の肉体が、泡のように膨れ上がったかと思うと、次の瞬間――粉々に爆散して血の雨を降らせた。

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