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「墓をあばく前にもう一人だけ、人狼かどうか確かめてほしい人物がいます。ラダのお腹の子の父親です」
「そういえば、彼女の夫についてはのちほど説明すると言っていましたね。忘れるところでした」
「彼の名はサポヤイ・フェレンツ。この村をふくむ付近一帯を治める領主の息子です。バサラブさんにはラダとの仲を反対されていましたが」
「ああ、身分違いということですか」
サポヤイ家と言えば、かつてはハンガリー国王とトランシルヴァニア公を排出したこともある名門貴族だ。その後はバートリ家に政争で敗れて没落したが、今でも高貴な家柄であることに違いはない。村娘と結婚など論外だろう。
「いえ。何と言いますか、フェレンツ様はあまり評判のよくない男でして……。従者とともにたびたび村へやって来ては、作物を荒らしたり、家畜をいじめたり、夜中に大声で騒いだり。次期領主の自覚などカケラもない男ですよ。まあ、そんな男に引っかかるラダもラダですが」
「それで、なぜそのフェレンツが人狼だと?」
「実を言うとあの夜、私は目撃したのです。バサラブさんのお宅から走り去る、フェレンツ様の姿を」
「……は?」
「ラダの部屋の窓が開いていたのも、おそらく彼を迎え入れたからではないで――」
「どうしてそれを先に言わないっ!」
イロナは神父に詰め寄った。そんなあからさまに怪しい人物、真っ先に調べるべきところだ。目撃証言と現場の状況も符合しており、調べない理由がない。
「いや、だって、ふたりは愛し合っていたんですよ」
「……彼はとんでもないろくでなしなんですよね?」
「それとこれとは話が別です。ふたりの愛は本物でした。実際、ラダと恋仲になってからのフェレンツ様は、多少丸くなっていましたし。やはり愛は偉大ですね」
イロナはあきれ返って声も出なかった。この神父はよほどのお人好しか、それともただのバカか、いや、どちらでも似たようなものか。
「……まあ父親を疑った以上、夫も疑わなければ筋が通りませんよね。残念な話ですが。実はふたりから、ひそかに結婚させてほしいと頼まれたこともありまして。さすがにかどが立つのでことわりましたが」
「ちなみに、サポヤイ・フェレンツを目撃したことを、ほかの誰かに話しましたか?」
「いいえ、誰にも。村人たちはもともと、フェレンツ様に反感をいだいていますから、そんなことを知らせようものなら、村人総出で領主の屋敷を襲撃しかねませんよ。そうなったら最後、反乱として鎮圧されるのがオチです」
「まあそうでしょうね」
「ところで、あなたは大丈夫なのですか? もしフェレンツ様が人狼だった場合、貴族殺しとなってしまいますが。何らかの咎を受けることになるのでは」
「そこはご心配なく。われらが修道会には、あのハプスブルク家がうしろ盾についていますから。神聖ローマ帝国のハプスブルク家ですよ。名門サポヤイ家と言っても没落して久しいですし、しょせん田舎の小領主程度は問題になりませんよ」
「……まあ、あなたがそうおっしゃるなら」
「では、さっそくサポヤイ・フェレンツに引き合わせていただけますか。神聖ローマ皇帝の威光があるとはいえ、相手は世間知らずの田舎貴族ですからね。よそ者がいきなり訪ねても、門前払いされるかもしれません」
「もちろん私はかまいませんが、少しは休まれなくて平気ですか? ヘルマンシュタットからの移動でおつかれでしょう。なんだかんだで、到着してからずっと働きづめですし」
「お気づかいはありがたいですが、悠長にしている時間はありません。今夜じゅうにカタをつけたいですから」
本来なら、人狼は毎晩のように人を襲うものだ。今回は例外だが、その理由がわからない以上油断すべきではない。本当に人狼が関与しているかどうか、出来るだけ早く確定させておきたい。
「でしたら、手早く夕食だけでも済ませておきませんか。空腹ではいざというとき、力が出ないでしょう」
「……それもそうですね」
イロナは頭陀袋からポガーチャを取り出した。小麦粉にラードを練り込み焼いたもので、保存が利く。ヘルマンシュタットからの道中もずっとこれを食べていた。
「いけません。ちゃんと栄養を取らなくては」神父はすばやくポガーチャを取り上げた。
「あ、わたしのポガーチャ」
「そこまで悲しそうな顔をしなくても。ちゃんとあとで返しますよ。昨晩作ったグヤーシュの残りがあります。こう見えて料理は得意でして」
グヤーシュは牛肉、タマネギ、ジャガイモ、パプリカ粉、ラードなどを煮込んだ家庭料理だ。ポガーチャとの相性も悪くない。イロナは思わず生唾を飲む。
「温めればすぐ食べられますから、そこで座ってお待ちを――」
そのとき、どこか遠くから怒鳴り声が聞こえてきた。耳を澄ませてみれば、何やら騒がしい気配がする。
「もめごとでしょうかね。……すみません、ちょっと見てまいります。食事は少々遅れてもかまいませんか」
「わたしも行きます」とイロナはイスから立ち上がり、「ひょっとしたら、人狼に関わることかもしれませんし」
人狼の出現から日ごとに犠牲者が増えるほど、疑心暗鬼のせいでもめごとが増えるようになる。この村では、まだ一人しか殺されていないおかげで落ち着いていたが、何がきっかけで村人たちの不安が燃え出すかわからない。
声を頼りに、ふたりは現場へ駆けつけた。ほかの村人たちも騒ぎを聞きつけたのか、すでに野次馬が集まって来ている。
見ればバサラブが顔を真っ赤にして、身なりがいい青年の行く手をさえぎるように、たちふさがっていた。
「シスター、彼がサポヤイ・フェレンツです」
「なるほど、アレが」
貴族らしく見目の整った容姿だ。体格にも恵まれており、鎧を身にまとって馬にまたがった姿は、戦場でよく映えるだろう。
その手には、一輪の花が握られている。よく見ればそれは、季節外れのイヌバラだ。
ヨーシュカ神父はふたりのあいだに割って入った。「おふたりとも落ち着いてください! いったい何ごとですか!」
「俺はべつに何もしていない」とフェレンツは肩をすくめ、「ラダの墓参りに行こうとしたら、そいつに通せんぼされたのだ」
「当たり前だ! キサマがうちの娘の墓に近づくなんざ、あの子の親父として許さねえぞ」
「俺はただ、ラダが好きだった花を供えたいだけだ。見つけるのに苦労したのだぞ。それくらいさせてくれてもいいじゃないか。ラダだってきっとよろこぶ」
「だったらその花だけ置いていけ。ここは絶対通さねえ」
「やれやれ、しかたあるまい。――ベチャーロシュ」
「へい坊っちゃん」
「坊っちゃんはやめろと言っているだろう。若と呼べ」
「へい若様」
フェレンツの声に応じて、彼の背後に控えていた従者が進み出た。フェレンツも体格がいいほうだが、従者は頭二つ分も大きく、横幅も広い。まるで岩のようだ。
彼はバサラブに近づくと、その身体を軽々抱え上げて、どこかへ運び去ってしまった。「クソ、放せ! 放せェ――」
「フェレンツ様! 手荒なマネはおやめください!」
「安心しろ神父。墓参りの邪魔されたくないだけだ。ベチャーロシュもちゃんとわかっている。どこかそのへんの木にでも縛りつけておくだろう」そのまま墓地のほうへ歩き去ろうとしたフェレンツだったが、イロナの姿を見咎めて立ち止まった。「おい、なんだあの真っ青な肌のシスターは? 気持ち悪いな」
「なんということを。彼女は聖フーベルトゥス女子修道会のシスター・イロナです。ラダ殺しの人狼を退治するために、ヘルマンシュタットから駆けつけてくれたのですよ」
「そんなことは言われるまでもない。俺を誰だと思っているのだ。次期領主だぞ? 領地のことは隅から隅まで、ちゃんと把握しているとも。だいたい、救援を要請したことを伝えてくれたのは神父、おまえじゃないか」
「私が伝えたのは、お父上のジェルジ様にです。盗み聞きしていらっしゃったのですか?」
「人聞きが悪い。そこは、あとで父上から聞かされたと思うところだろう。……まあ、盗み聞きしたのだが」
フェレンツはゆっくりとイロナのほうへ歩み寄ってきた。実に堂々とした足取りで、どこか王者の気風を感じさせる。世が世なら血筋的にも、トランシルヴァニア公くらいにはなれたかもしれない。
ヨーシュカ神父の出した条件で、この男が人狼かどうか確かめなければならない。身長差が頭ひとつ分あり、背伸びしても不意打ちで唇を奪うのはむずかしそうだ。貴族なので安易に頭を下げるような動きはしてくれないだろうが、ものは試しだ。
イロナは屈むよう頼もうとしたが、フェレンツが機先を制すように、「おい貴様、本当に人狼狩りか?」
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