第一話『マーライオンはシンガポールの名所だが実際に行った事がある奴はあんまりいない』1

暖かな、雨がちの日であった。

ニューヨーク市内に生えかかったいくつものビル群は、吹き付ける雨足がレースのカーテンでもひいたようにぼんやりした印象を与えていたかと思うと、突然からりと差し込んだ日差しが、まるでニスでも塗ったかのように剥き出しの鉄骨を遠景に浮かび上がらせた。

雲間から注ぐ斜陽は、雨に冷えた街にぬくもりを与えていた。



「――マイク! おいマイク! しっかりしろって!」


市内のとある建設現場の一角で、マイクと呼ばれたその少年もまた、全身にぬくもりを感じていた。

しかし、それは雲間から差し込んだ日の光によってではなく――


「うぎゃぁぁぁぁああああッ!! 死ぬっしぬぅぅぅぅぅぅぅぅおッぼぼぼぼぼぼぼッ……!!」


目の前にいる別の少年の腹部から噴き出す鮮血によってだった。


「うるせー! 男なら我慢しろソニー!」

「いやむりでずぼぼぼぼぼぶほぉッ……!」


口からデカめの血の塊を噴出した少年――ソニーは、見ると下半身が冷え固まったコンクリートに埋まっており、その腹の上ではマイクが必死で押さえつけるチェンソーが、彼の肉体組織その他諸々を撒き散らしながら踊り狂っていた。

そしてソニーの背後には、彼よりいくつか歳上に見えるノースリーブ姿の女性が、特大のジェンダーバイアスを喚きながら全力で彼の上半身に組み付いている。


「おらァマイク! もっと腰入れろ腰ぃッ!!」


女性からの激が、マイクの遠退きかけた意識を目の前の惨事に引き戻す。


「はひぃ!! やってますローズさぁん!!」


もはや半泣きの情けない声でマイクは叫ぶ。ローズと呼ばれた女はその両腕に一層力を込め、彼女の胸元で文字通り血反吐を噴いてる少年に怒鳴った。


「オィィ! ソニーてめぇその傷治す能力ちょっとは止められねぇのかよ!」

「ぐぇッべろぼぼぼぼぼぼぼぼっ!!」


よく見るとソニーの腹部は、チェンソーの細かな刃に切り付けられては、僅かな隙間を縫ってなんと瞬時に再生していた。その修復の勢いに弾かれた刃が跳ね上がってはまた落ちてを繰り返していたために、ソニーの肉体は人間バイブレーションの如く小刻みに振動していた。


「あべッあばばばばばばばばごぶげぼばほッ!!」


マイクはこのままではいけないと思った。当然思った。ソニーはもう先程から白目を剥いてブルンブルンしているだけである。ローズは鬼の形相で返り血を浴びまくってるのでマジで顔が怖い。そして視界の端で捉えた日差しの傾きを見るに、タイムリミットまでの時間が殆ど残されていないことを察した。こんな場面を誰かに見られでもしたら――


「このままじゃ、お前らの能力が誰かに見られちまうなッ……!」

「ぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……」


キメ顔で言い放つローズに、いや違うだろとマイクは思った。いやそれもあるけどそうじゃないだろと思った。

確かによく見ればソニーの腹は刻まれた傍から再生しているが、今誰かが彼らを目撃したとしてそんな冷静に観察できるわけがない。なにせ下半身コンクリ詰め腹チェンソーである。アル・カポネが青ざめて通報するレベルのバイオレンス処刑風景である。他組織の縄張りシマに隣接したこのエリアで、もしその辺の見張り番に発見されようものなら、自陣近くで繰り広げられる異常事態にガラの悪いお兄さん達が大挙して押し寄せかねない。

けれどもそんなことを説明する暇もなく、マイクは手元でのたうち回るチェンソーを必死で押さえつけていた。


「おい! なんか顔色悪いぞマイク!?」

「ゲブぼはッはぶぼぼぼぼぼぼぼ」


しかし噴出する大量の返り血により、チェンソーの持ち手はヌルヌルグチョグチョなので思うように力が入らない。そして手に伝わる不快な感触に意識を向けるうち――


「お、おえぇぇ〜……」

「ギャー! なにしてるだァー!」


ついにマイクのダムが決壊した。

思わずローズの口からもカリフォルニア訛りが飛び出るがそれもお構いなしに、キラキラと輝くマイクのゲロがマーライオンした。

口内に行ったこともないシンガポールの微風を感じながら、マイクは遠く思いを馳せた。そう、この地獄みたいな状況に至ったその経緯に――


「(ああ……一体どうしてこんな事に……)」

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