プロローグ『血の日曜日』3

更に時を同じくして、ニューヨーク市のはずれ。

年季の入った二階建てのコテージ。

コテージの周囲は背の低い木立に囲まれ、時折梢が風に揺れる音と、屋内から低い閑談の声が聞こえてくるのみである。


「Vine a la ciudad pero es extrañamente tranquila.(都会って聞いて来てみたが、不気味なくらい静かだな)」


メキシコ生まれのミゲルは、期待していたものとはかけ離れた現状に嘆息した。


「Dijeron que estos son los 5 grandes cárteles, pero parece que no tienen dinero.(五大ファミリーつったって落ち目となりゃ金がねぇのさ)」


同じくメキシコから来たマヌエルの脳天気な声が響く。唇の隙間から時折覗く金歯が、やけに下品な印象を与える男だった。


「A pesar de que nuestros ejecutivos están aquí, nos alojamos en una casa tan vieja. Escucha, fui al baño y la puerta no se abría.(うちの幹部が出向いてるってのにこんなおんぼろコテージなんぞに泊めやがって。聞いてくれよ、便所に行ったらドアが開かねぇんだ)」

「¿Alguien estaba dentro?(誰か入ってたのか?)」

「No, la puerta simplemente estaba mal fijada. La pateé y salió completamente.(ちげぇよ建付けが悪いんだ。蹴ったらドアごと外れやがった)」


まるで緊張感のないメキシコ人二人が見張る扉の奥、二階の広間では今宵ある商談が行われていた。

商談の当事者のうち一方は五大ファミリーの一角、ルッケーゼファミリー。そしてもう一方はメキシコシティを拠点とする麻薬カルテル、カルテル・デル・ゴルフォ。そのそれぞれ幹部職を占める男たちだった。


「Hablar del baño me hizo sentir la necesidad de ir.(便所の話なんてするから俺まで催してきた)」

「No hay problema, ve detrás de esos arbustos.(悪いことは言わねぇ、そこの草むらでして来い)」


マヌエルの提案にミゲルは辺りを見回した。

周囲にはルッケーゼ側の人員を含めて数名、コテージを取り囲むように見張りが配置されていた。

けれどもそのいずれもが、ただそれぞれの職務を時と共に消化するだけのものと捉えているようだった。

中には銃を傍に置き夜風に船を漕ぐ者もいた。


ミゲルはマヌエルの提案を存外魅力的なものだと感じ、肩から小銃を下ろし地面に置くと、目の前の木々を物色し始めた。


その時――


――丁度目の前にあったひとつの茂みが、不自然に揺れた気がした。


「¡Ey, espera!(おい今――)」


ミゲルの言葉は『パスンッ』という間抜けな音に遮られた。間もなく『ドサッ』という荷物の詰まった鞄を地面に落としたような音が背後から聞こえた。

恐る恐る振り返る。

先程まで雑話を交わしていた同胞が、額に赤黒い穴を開けてそこに倒れていた。


「――!」


殆ど反射という様子で、ミゲルは傍らの小銃に手を伸ばした。


「ほう、武器を手に取るかメクシカネツ」


ミゲルは指先を銃床に触れたところで動きを止めた。後頭部に銃口の感触を覚えたからであった。


「賭けはお前の勝ちだなイワノフ」


嗄れた、しかし在りし日の妖艶を想像させる女性の声が響いた。

声は目の前の憐れなメキシコ人の走馬灯に割り込むごとく続けた。


「Estás vivo y deshonrado porque soltaste esa arma. Morirás con honor porque la tocaste.(お前が今無様にも生き残っているのはその銃を手放したからだ。お前が今名誉にも死ぬのはその銃に手を伸ばしたからだ)」


そのロシア訛りのスペイン語が、憐れなミゲル・サンチェス・フェルナンデスの人生を締めくくった。

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