ボクの彼女は、歩く死人より怖い

大橋東紀

第1話 ボクの彼女は、歩く死人より怖い

「だからぁ、オバケが出ると知ってて、あの家を貸したんでしょ?」

「そんな事をおっしゃられても……」


 不動産屋のカウンターで。噛みつかんばかりの勢いで社員に詰め寄るガールフレンドのキャシーを見て、マシューは戸惑っていた。


 ハワイでは、店にクレームを入れる時は、あんなに強気になるのだろうか? 新参者の自分には、よくわからない。


 二年前にマシューは、ハワイ州立大学に進学するため、森と湖の街シアトルから、この南の楽園にやってきた。


 大学生活は順調だった。キャシーという、陽気で可愛い恋人も出来たし。少し気が強いのが玉にキズなんだけど……。


 だがハワイは観光地だけに家賃が高い。

 両親から仕送りを減らしたいという相談を受け、マシューは家賃の安い物件への引っ越しを検討して、不動産屋を回るうちに。


 その家を、見つけてしまったのだ。


 古いその物件は、観光客用のコンドミニアムとして建築されたが、今は普通の住宅として貸し出しているという。


 ハワイ島、第二の港湾都市でありながら、リゾート地でもあるヒロ地区にあり、大学のキャンパスにも通学圏内だった。

 建物は少し古かったが、中は広く、立地もいいのに家賃は安かった。


 一緒に内見に行ったキャシーともども、そこが気に入ったマシューは、即決で契約し、すぐ引っ越しをしたのだ。


「ビーチが近い上に、窓からマウナケア山も見られるなんて、素敵じゃない?」


 まだ荷物が片付かない新居で。引っ越しを手伝いに来てくれたキャシーも、ご機嫌だった。


「虹の滝が近いじゃない。今度見に行こうよ」


 などと二人は浮かれていたのだ。


 すべては順調だった。

 そう、ひと月前の、あの夜までは。


 大学のレポートに悪戦苦闘し、なんとか夜中の二時過ぎに終わらせたマシューが。

ベッドに潜り込みウトウトしていると、遠くから太鼓の音が聞こえて来た。

 なんだよ、こんな時間に観光客向けの余興でもやってるのか?

 夢うつつで、そんな事を考えながら、寝返りを打って腹ばいになった瞬間。


「いたたたたっ、痛い、痛い!」


 突然マシューは、何人もの人間に、背中に乗られた様な激痛を感じた。

 見えない足が、何本もマシューに乗り、背中を踏みつける。


 それと同時に、部屋がボゥッと明るくなった。まるで松明の灯の様に、ユラユラ揺れる光に、部屋が照らされている。


 太鼓を叩く音と、何語だかわからない声が部屋に響き渡った。しかも何十人もの声が重なっている。その間にも、背中を踏まれる激痛に苦しめられたマシューは、逃れるべく体を回転させ、ベッドから床へと転げ落ちた。


 どすん、と床に落ちたマシューは、這いつくばったまま顔を上げて、目の前に光景に驚いた。


 「影の行進」……。それがマシューの第一印象だった。


 ゆらゆらと揺れる、陽炎の様に。

 姿のハッキリしない人影が、その手にボウッと光る何かを持ち。

 訳の分からない言葉をボソボソと呟きながら、何十人も部屋の中を歩いているのだ。


 その「影の群れ」は、東側の壁をすり抜ける様に現れ、マシューが寝ていたベッドの上を通過し、その向こうにある西側の壁に消えていた。そう、亡霊の群れが、マシューの部屋を横断していたのだ。


 床に這いつくばったまま、歯をガタガタ鳴らして「影の行進」を見つめていたマシューだったが。 

 やがて「影の行進」は途切れ、部屋は元の静寂に包まれた。


 翌日、キャシーにその事を報告すると。最初は信じていなかった彼女も、マシューの背中に残った、何者かに踏まれた様な痣を見て、顔色を変えた。


「それ、事故物件を押し付けられたんだよ!」


 かくして、マシューとキャシーは……主にキャシーがだが……例のコンドミニアムを紹介した不動産屋に殴り込んだのだ。


「とにかく、この二十一世紀に、オバケなんか出る訳ないでしょう」


 不動産屋がそう言った時。第三者の声が室内に響き渡った。


「ナイト・マーチャーズ」


 それを聞き、不動産屋の顔色が変わった。


 マシューが、声のした方を見ると。

 通りに面した入り口に。

 小さくて顔がシワくちゃの、ハワイ人……いわゆるロコの老婆が立っていた。


 ナイト・マーチャーズって何?

 マシューとキャシーが訪ねる前に。不動産屋が、ロコの老婆に駆け寄った。


「困るよ、おばあちゃん! 変な事を言わないで、ね?」


 そう言いながら不動産屋が何かを……それは、折り畳んだ紙幣に見えた……老婆に渡すのを、キャシーは見逃さなかった。


 ぷい、と背を向け歩き去る老婆を見て、キャシーはマシューの手を掴んだ。


「追うよ」

「え、でも」

「いいから!」


 マシューの手を引き、不動産屋を出ると。キャシーは通りを歩いて行く老婆を追いかけた。


「待って、お婆ちゃん。さっき言ったナイト・マーチャーズって何?」


 立ち止まった老婆は、芝居がかった調子で首をかしげた。


「あー、そんな事、言ったかねぇ」


 キャシーがポケットから出した五ドル紙幣を老婆に握らせる。


「さっきの人は、百ドルくれたんだがねぇ」

「嘘おっしゃい。いいとこ十ドルでしょ。じゃぁ、もう十ドルあげる」


 合計十五ドルを受け取った老婆は「しっかりした子だねぇ」と呟くと、歩きながら、ボソボソと語りだした。


 ナイト・マーチャーズ。それは毎月、新月の夜中に出現する〝死者の行進〟。


 太古の昔、戦いに敗れて死んでいった戦士たちの霊が海から出て来て、〝ヘイアウ〟と呼ばれる聖地に向かって行進していくという。


「この辺りの〝ヘイアウ〟は……。マウナケア山じゃな」


 老婆の言葉に、マシューはギョッとした。


 ナイト・マーチャーズがヒロの海から出て来て、マウケアナ山を目指すとすれば……。その途中に、僕の家がある。

 同じ事をキャシーも気づいたのだろう。


「なるほど。あの不動産屋、オバケの通り道にある家を、安く押し付けたのね」


 老婆は話を続けた。


「ナイト・マーチャーズは松明を照らし、太鼓を叩きながら〝ヘイアウ〟まで行進する。生きた人間がその姿を見ると、命を取られ、死者の行列に混ざる事になる」

「でも、おかしいわ。マシューはナイト・マーチャーズを見たのに、こうして無事でいるじゃない」

「ナイト・マーチャーズに出逢って生き残る道はふたつ。一つは、ナイト・マーチャーズの中に親戚がいた場合。その親戚の霊が、リーダーの霊に命乞いをして目撃者の命を守ってくれる」


 キョトンとして、マシューは言った。


「え? 僕、シアトルの出身なんで、ハワイに親戚はいませんけど……」

「それともう一つ。地面に伏せていれば、ナイト・マーチャーズには見えない。お主はベッドに寝ていたので、奴らに見つからなかったのだろう」


 確かにベッドにうつ伏せに寝ていたし、床に転げ落ちた後も立ち上がらず、ずっと伏せていた。

 もし、あの時に立ち上がっていたら……。今になってマシューはゾッとした。


「白人がナイト・マーチャーズを見られるなんて……。そして、見た後に生き残れたなんて、なかなかないぞ。運が良かったと思って、さっさと引っ越すんじゃな」


 そう言うと老婆は、フラフラと歩み去って行った。


「新月の夜に出るナイト・マーチャーズか……。えらい物を見ちゃったなぁ」

「まぁいいんじゃない? 新月はひと月に一度だし。他の夜は安全……」


 そこまで言いかけ、キャシーはハッとすると、スマホを取り出して何やら検索を始めた。


「大変! 今夜は新月だわ。今晩、ナイト・マーチャーズが出るわよ」


 キャシーが付きつけたスマホの画面を見て、マシューも愕然とした。

 そう言えば、前にナイト・マーチャーズを見たのは、一か月前だったっけ。


「どうしよう、今夜はどこかに泊めてもらおうか」

「駄目よ。ここで逃げたら、ずっとナイト・マーチャーズに怯えて暮らす事になるわ」


 マシューは驚いて、キャシーの顔を見た。一体、何をする気なんだろう。



「これだけ揃えれば、何とかなるでしょ」


 とっぷりと夜も暮れた頃。マシューの部屋に、知り合いを駆けずり回って集めた聖具やお守りを積み上げ、キャシーは満足げに言った。


 聖書や十字架は勿論、日系人に借りた数珠や経文、華僑に借りた護符まで。宗教を問わず山盛りだ。


 実家住まいのキャシーは「女友達の家に泊まる」と両親に嘘をついて、「ナイト・マーチャーズ退治」の為にマシューの家に乗り込んできたのだ。


「凄いけどさ。肝心のハワイのものが無くない?」

「えっ?ハワイの先住民族の宗教って何なのかしら?」


 スマホで検索し始めるキャシーを見て、マシューは意を決して言った。


「キャシー。君を危険な目に合わせる訳には行かない。今日は帰ってくれ」

「な、何を言いだすのよ」


 いつもの気弱な態度ではなく。キャシーの目を見て、マシューは凛とした態度で言った。

「大好きな君を、危険な目を合わせるのは耐えられない。それならいっそ、僕が死んだ方が……」

「バカな事、言わないでよ!」


 キャシーが叫んだので、マシューはたじろいだ。

「死ぬなんて言わないでよ!大好きな私は危険な目に合わせたくないですって? そんなの、そんなの……。私だって同じよ!あなたに、もしもの事があったら、私は、私は……」


 そう言うとキャシーは、涙を湛えた目で、マシューを見た。

「キャシー……」


 いつも元気いっぱいの恋人の、いじらしい言葉に、マシューは胸を打たれた。

 見つめ合っていた二人は、どちらからともなく、手を取り合い。

 互いの体を抱き寄せ。

 初めての、キスをした。


「大好きだよ、キャシー」

「私もよ、マシュー」


 そのままマシューは、キャシーの体をベッドの上に横たえる。


「あん、駄目よマシュー。ナイト・マーチャーズが来ちゃう」

「来たら、見せつけてやればいいさ……」


 こうしてその夜。愛し合う二人は、初めて結ばれたのだ。



「おや、あんた達、生きてたのかい」


 翌朝。自分を探して大通りに来たマシューとキャシーを見て、ロコの老婆はニカッと笑った。


「ちょっと、昨日の晩、ナイト・マーチャーズが来なかったんだけど。お婆ちゃんの言った事、本当なの?」

「来なかったという事は。あんたも、この坊やの家に夜中までいたんだね。お楽しみかい?」


 老婆の言葉に、キャシーは真っ赤になった。


「そ、そんなの関係ないでしょ!」

「関係ありじゃよ」


 老婆が続けた言葉に、マシューとキャシーは驚愕した。


「ナイト・マーチャーズは死の行進。奴らは生命の輝きを恐れる。新しい命を作り出す行為……。すなわち男と女のアレをしていると、恐れて近寄ってこず、進路を変えるのさ」

「じゃぁ、昨日ナイト・マーチャーズが来なかったのは、僕とキャシーがセ……」


 言いかけたマシューの口を、キャシーが慌てて塞いだ。


「まぁ、命拾いして良かったね」


 そう言うと老婆は、高笑いしながら去って行った。


 残されたマシューとキャシーは、暫くポカンとしていたが。


「そうか!これからは新月の夜は、キャシーを呼んでセ……」

「それより、早く引っ越しなさいよ!」


 キャシーがマシューの頬を引っぱたく音が、ハワイの空に響き渡った。

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