第2話 君は宮本武蔵を見たか V.1.1
柳生利厳は 「武蔵の剣さばきは武蔵のみが可能な技で、他の誰も、武蔵同様に優れた剣使いをすることは不可能である。」と言ったそうですが、実際には、誰でも武蔵になれる。
武蔵の書いた「五輪書」は剣の奥義書といわれていますが、そこに書かれた武蔵の剣法とは、剣技のことだけでなく、もっと広く長く深く、人生(生涯)に渉る戦いに勝つ為の兵法のことなのです。
ですから、私たち「剣の素人」に宮本武蔵の剣術は真似できないかもしれませんが、宮本武蔵の生き方に自身をオーバーラップさせることは、誰にでもできるのです。
もちろん、60数度の真剣勝負に全勝したからこその「宮本武蔵」であって、(私のような)人生負けばかりの人間がその生き方だけを真似しても、「武蔵」にはなれません。
しかし、相撲で名高い双葉山でさえ、69連勝で終わったのですから、人間生まれてから死ぬまで勝ちっぱなしという人はまずいないでしょう。
私が現在、大学日本拳法という世界で楽しまさせて戴いていることとは、「五輪書」に吐露された武蔵のフィロソフィー(哲学)にかなり近い生き方を、その断片ではありますが、いろいろな大学日本拳法人のなかに見ることができる、という点にあります。
大学日本拳法においては、試合や昇段級審査で勝った負けたということも大切でしょうが、なんと言っても大学は小中高でもないし専門学校でもない、人格形成の完成・人間性が熟す最大のステップです。
青臭いガキの戯言(ざれごと)でもなく、社会人の空々しい空言・虚言でもない。そのストレートで真摯なブログや写真、試合・練習映像といった様々な情報のなかに、青春の匂いがプンプンしながらも「こんな見方・感じ方・理知的な考え方があるのか」と感心させられる(私が負けるということ)、そこに新鮮な喜びを感じるのです。
某大学のある女性選手は、試合(の映像)で、絵に描いたような素晴らしい連続攻撃を見せてくれましたし、同じ大学の女性選手は、カメラで切り取った(合宿の)写真で、その精神の成熟度を教えてくれました。2年間なり3年間の日本拳法の錬磨がそのまま一枚の写真に凝縮された、というわけです。
また、ブログの文章やブログのなかに練習風景の映像を組み込んだりと言った様々な工夫や意思から見える、彼や彼女たちのストレートで理知的、且つリベラルで豊かな感性というものも、400年前の武蔵の「五輪書」を彷彿とさせてくれると同時に、現代・現在・現時点における、彼らの問題解決能力の高さ・鋭さ・豊かさに感心させられることも多く、もはや老齢という問題しかない私とはいえ、(来世の為の問題解決の為の)大いなる参考になります。
因みに、(昔の)不良の世界では、切った張ったのケンカが強い奴もいますが、その学校の番長(親分)になるような者というのは、むしろ人格・風格が求められる。ケンカが強い実力派というのは裏番(裏の番長)になるのです。ルート246を走りまくり、最後は必ず渋谷のハチ公前を暴走していたチーム(暴走族)のリーダーは、度胸と根性をベースにした問題解決能力の高さで、100名の暴れん坊をコントロールしていました。
試合で強い人もいれば、4年間の鍛錬でその精神がよく練られた人もいる。
みな同じ「宮本武蔵」なのです。
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