君は宮本武蔵を見たか(現代の宮本武蔵たち PartⅡ)V.2.1

@MasatoHiraguri

第1話 はじめに

 2023年1月31日に熊本の霊巌洞を訪れ、参観者は私以外誰もいない祠(ほこら)のなかで約2時間佇(たたず)んでいた日以来、「おれの真実を書け」と武蔵に急(せ)かされているような気がしてならない。

  「宮本武蔵の真実」と言って、こんな私の「妄想」なのです。

  

  ○  宮本武蔵は求道者として、面白おかしくない人生をヒーヒーいいながら生きていたわけではない。

  死を悟った武蔵が、かの「五輪書」を書いた霊巌洞で死のうと再度そこへ籠もった(1645年・春)時でさえ、けっこうルンルン気分であった。武蔵兵法の原点である天理(大自然)の元で死ねるなんて最高、という気持ちであったに違いない。武蔵はそこで、かの松尾芭蕉の最後の如く「夢は枯れ野を駆けめぐる」をやろうと思っていたのかもしれません(芭蕉の方が後ですが)。

  

  しかし、そんな所へ一人で居ることが江戸に知れると、現代の警視総監に相当する柳生宗矩から「反逆者たちを集めて幕府に謀反の恐れあり」なんて風評を起てられぬやもしれぬ、という熊本藩の重臣たちからの苦情(依頼)で、やむなく熊本城近くの自宅へ戻り、結局、そこで最後を終えた。

  武蔵の「求道」とは、あくまで人生を楽しむことであり、「楽あれば苦あり」「苦しみあってこその愉快さ・爽快さ」という「Give & Take」「苦楽バランスの取れた人生」を追求したにすぎない。私たち大学日本拳法人ならば、防具を着用した殴り合い・投げ合いという気の狂わんばかりの苦しい練習後、面を外した時の、あの爽快感・開放感を知っているはずだ。

  武蔵はそれと同じ「苦と楽」を求めたのであり、霊巌洞で飢えと寒さと孤独感のなかでこの世を去ることこそが「次への布石」だった。「弟子たちに見守られて静かにこの世を去る」なんてステレオタイプの死は、武蔵にとっては最も嫌(いや)であったはずだが、藩に対する義理から、最後に一芝居打って幕を下ろした。歌舞伎の「勧進帳」で白紙の勧進帳を読んだ弁慶の心境であったのでしょう。

  


  ○  そんな武蔵の書いた「五輪書」を「剣の奥義書」なんて位置づけにしてしまう(型にはめてしまう)のは、「本を読んだ」と言いながらその表紙しか見ていないのと同じで、もったいないこと。

  そこに書かれている、武蔵兵法のアーキテクチャーから、彼のフィロソフィー(「知を愛する」の意・哲学)を読み取ることで、魚屋のおっちゃんや八百屋のおばちゃんも「宮本武蔵になれる」のですから。


2023年2月28日

V.1.1

2023年3月12日

V.2.1

平栗雅人

  

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