ep.2『おうち時間ツーリズム』⑤



その一週間後、僕は魔法を使うのにふさわしいタイミングを待っていた。


 朝起きてからの日課をなるべくいつも通りこなし、仕事をし、夜を待った。

 仕掛ける勝負所は夕食のあと、二人で過ごす小休止をはさんでからの、奥さんがお風呂に入っている時間だ。

 その間なら、僕は一人で、奥さんに気づかれないよう準備ができる。

 いつも通り、先に奥さんがバスルームに向かうのを見送って、僕は即座に行動を開始した。


 二人の寝室に通販で届いたプロジェクターを設置する。

 ベッドの陰に、なるべく目立たないように。


 そして、僕は慌ただしく着替えをした。

 あらかじめ用意しておいた、僕の持っている中で一番いいスーツとネクタイを身につける。

 鏡の前で髪もかっちりと整えて、僕は「よし」と気合いを入れた。


 あとはノリで何とかする、それが僕の魔法だ――リビングに戻って照明を少しだけ暗くする。

 そうして準備万端整えた僕は、奥さんがお風呂から上がってくるのを待ちかまえた。



 湯上がりの香りをさせて、パジャマに着替えた奥さんがリビングに入ってくる。

 

 照明が落ちて、ぼんやりとだけ明るいリビングの様子に不思議そうにしている奥さんに向かって、僕は姿勢を正して進み出る。


「ようこそお越しくださいました、七つ星ツーリストへ」


 奥さんはスーツ姿の僕をまじまじと見つめて、


「なんのごっこ遊び?」

「本日お客さまをご案内させていただきます、ツアーコンダクターでございます」


 奥さんの真顔での質問に、僕はうやうやしい態度を押し通す。


「本日はお客さまを、冬のカナダ、イエローナイフの夜空を鑑賞するツアーにご案内いたします」


 そう言って会釈をしてみせる僕を、奥さんは値踏みするように見つめていた。

 が、すぐにその口角が持ち上がり、にんまりと僕に向かって笑ってみせる。


 これはどうやらいい感じらしい。

 好感触を得て、僕の顔も自然とゆるんでしまった。


 僕は右手で寝室に向かうドアを示し、左手を奥さんに向かって差し出した。


「このドアの向こうが目的地、カナダのイエローナイフです。

暗いですので、足元にお気をつけください」


 僕の差し出した手の中に、奥さんの手が滑り込んでくる。

 お風呂で温まった手を取って、僕は寝室のドアを開けた。



「……どうぞ横になって、夜空を見上げてみてください。

間もなく冬の星座が昇ってきます」


 灯りを消した寝室の中、キャンプ用のランタン一つがベッドの足元に灯っている。

 奥さんはツアコンの案内に従って、ベッドに仰向けになると真っ暗な天井を見上げた。

 僕はそのすぐ隣り、床のクッションに腰を下ろす。

 ランタンの明かりを頼りに、僕はプロジェクターのスイッチを入れた。


「まずはギリシア神話に登場する狩人オリオン。

冬の星座の中でも特徴的な星の並びをした、特に有名なものの一つです」


 プロジェクター――家庭用プラネタリウムが動き出すと、天井に藍色の夜空、砂粒のような星々が瞬く中に、真ん中に三つの星が並んだ鼓のような形の星座が浮かぶ。

 小型の家庭用ながら、なかなか本物らしい星空に見える。

 オリオンを見上げる奥さんの口から、驚いたような溜息がもれるのが聞こえて、僕はちょっと得意になった。


「オリオンの肩に輝く星から線を延ばしてみたところにあるのが、全天で最も明るい星シリウス。

そのシリウスを含む星で構成される星座が、おおいぬ座です」


 天井の星空が傾いて、前足を上げ、おすわりをしているような形のおおいぬ座が現れた。


「このおおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウス、そしてこいぬ座のプロキオン、三つの一等星を結んでできあがる大きな三角形が、冬の大三角と呼ばれるものです」


 僕が指を差してみせる星座を、奥さんは熱心に見つめてくれている。

 解説も含めて、ぶっつけ本番にしては上出来なのではなかろうか。

 僕は会心の笑みを浮かべたくなるのを何とか引っ込める。


 これで満足するのはまだ早い。

 僕の魔法はまだこれからだ。


 僕は彼女にわからないように、プラネタリウムのスイッチを操作した。

 夜空から星の灯りが少しずつ消えていく。

 暗くなった空をきょとんと見上げている奥さんに、僕は静かにささやいた。


「ご覧ください。夜空に自然の作る魔法が現れます」


 僕の声を合図にしたかのように、真っ暗な空の中で、鮮やかな緑色の光が揺らめく。

 緑の光は空を渡る帯のように広がって、ゆらりゆらりと波打って見えた。

 

 北の夜空を彩る光のカーテン――オーロラの出現である。


「……きれい……」


 奥さんはぼうっとつぶやくと、天井のオーロラを見つめた。

 まるで魔法にかかったような眼差しをしている横顔をこっそり見つめて、僕は今度は満足の笑みを浮かべた。


 これはもう作戦成功と言ってよさそうだ。

 どうやら僕にも、魔法を使うことができたらしい。

 奥さんの表情に満足して、安心して、僕も即席のオーロラを見上げてみる。

 本物には及ばないかもしれないが、なかなかどうして、これだって――。


「――きれいだね」

「うん、きれいだ」


 どちらからともなくそう言って、僕と奥さんはふっと顔を見合わせて笑った。


「私、オーロラって初めて見た。

緑色してるんだね。なんとなく、虹色のイメージがあったけど」

「普通、見えるオーロラは緑が多いらしいよ。あとは紫かピンク、赤とか」

「赤いオーロラってあるんだ」

「日本で見られるオーロラは赤いらしいね。北海道とか新潟とかで」

「へえぇ、赤はちょっと怖いかも。

緑のが見たかったら、やっぱり海外行くしかない?」

「そうだねぇ……よく観測できるとこなら、カナダ、ノルウェー、フィンランドとか」

「ふうん……行ってみたいねぇ」

「いつか行こうね」


 僕が言うのに、奥さんはベッドの上で寝返りを打った。腹ばいになって頬杖をついて、瞳にオーロラの緑を映して輝かせながら笑う。


「本物のオーロラを見に?」

「そう。

そのときはパジャマじゃなくて、しっかりした防寒具用意してないと凍えるからね」

「私ねぇ、テント張ってキャンプしながらがいい。

たき火で作った、あつーいココア飲みながら夜更かしするの」

「マシュマロ焼いたりして」

「そう!」

「いいね、それ。

いつか行こう、ほんとに」

「楽しみにしてる、そんな魔法が見られるの」


 そう言って、奥さんはにっこりと笑った。

 つられて僕も笑ってみせながら、内心はさあ大変なことになったと思っていた。


 次の僕の目標は、どうやら「奥さんをカナダに連れて行って本物のオーロラを見せる」魔法を習得することになったらしい。


 まあ、いいさ。

 奥さんの夢見るような笑顔を横目に見ながら思う。


 このかわいい魔女さんは、今までもこれからも僕にたくさんの魔法を見せてくれることだろう。

 そのお返しに、僕もカナダ旅行ぐらい、魔法で何とかできるようにならなければね。


 まずは明日になったら、予算を調べて貯金の計画を立てねば。


 だが、ひとまず今夜のところは、記念すべき僕の初めての魔法を、もうしばらく奥さんと一緒に堪能していよう。

 そう思いながら、僕はベッドの縁に体をもたれさせて、天井のオーロラをただ眺めた。






               了

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