ep.2『おうち時間ツーリズム』②
奥さんはいつから魔女だったのだろう。
おつき合いをしていたときには、そんな話は一言もなかった。
結婚するまでは隠していたのか、それとも奥さんになってから魔女の資格を取ったのか。
実は、出会った頃の「平凡な専門学校生」という肩書きは世を忍ぶ仮の姿で、本当は名門魔法学校に通う優秀な魔法使いだったりしたのだろうか。
そうすると、現在平凡な会社員である僕としては、知らずに大変な女性と結婚してしまったことになるのだが、このまま安穏と新婚生活を満喫していていいものだろうか。
大体の場合、本来なら住む世界の違う二人が結婚すると、平和な日常も束の間、さまざまなトラブルに見舞われて波瀾万丈の日々がはじまるというのが、ラブコメの定番だと思うのだ。
娘を魔法の世界に連れ戻すために怖いお義父さんがやって来たり、キモカワイイ魔法生物が襲来したり、奥さんの魔力が暴走して街がパニックになったり――そうなったとき、果たして僕は大事な奥さんを守ってやれるだろうか。
いや、必ず守ってやらねばならない。
世界にたった一人の大事なかわいい奥さんなのだから、体をはって守らねば。
すると、そういう事態に備えて今から体を鍛えておくべきだろうか。
スポーツジムに通うとか、あるいは、ボクシングか空手でも習ってみるか……。
そんな妄想がはかどってしまって、在宅ワークがまるで手につかない。
僕は目の前のパソコンの画面をじっと見据える。
どんなににらみつけても念を送ってみても、画面上のカーソルは一ミリも動かず、企画書が勝手にできあがっていくことはない。
僕は両腕を天井に向かって伸ばして、うなり声のような溜息をついた。
どうにも気が散ってよくない。
集中力が切れてしまった。
ここは思い切って休憩をはさむのがいいのではないか。
それでいいかな、それがいい、うんじゃあそうしよう――一人二役の脳内問答は一瞬で解法を導き出した。
僕は椅子からのっそりと立ち上がると、きびすを返して仕事部屋の扉に手をかける。(ちなみに、現実のお義父さんは、温厚の権化のような顔とキンクマハムスターのような体型のかわいらしいおじさんである)
仕事部屋の扉を開けると、そこは京都だった。
僕は反射的に扉を閉めると、一呼吸置いてからもう一度、おそるおそる開けた扉の陰から、その向こうにあるはずのリビングをのぞいた。
リビングに広がっているのは、やっぱり京都の風景だった。
季節は秋。
真っ赤な紅葉が一面広がる中に、修学旅行で見学した覚えのある清水寺の三重塔が見える。
吹き抜ける涼風も心地よい、錦秋の京都である。
よくよく目をこらして見てみれば、京都の景色はそうだが、それは壁に貼りつけられた写真だった。
どこかの観光サイトから拾ってきたものだろうか、拡大印刷した京都の景色が、リビングの壁中に張り出されているのだった。
不意を突かれて、一瞬、本当に仕事部屋の扉が京都につながってしまったかと思った。
脳内に「私のお気に入り」のメロディが自動再生されてしまったほどだ。
ということは、秋風が吹いているように感じたのも錯覚……かと思うと、これは本当にひんやりした風が頬をなでていってどきりとする。
風の吹いてくる方を見上げてみると、エアコンが静かに仕事をしていた。
手の込んだいたずら、いや、サプライズに僕はしばし棒立ちになった。
「おいでやす~」
怪しげな京都弁の聞こえた方へと顔を向けると、浴衣姿の奥さんが三つ指ついてにっこりと、呆気に取られている僕を見上げている。
「……これは何事」
「ようこそおこしやす。
京都で一番の甘味処・もみじ亭へ、お待ち申し上げておりましてございます」
「甘味処」
「はい、京都で一番の、有名な老舗どす」
「その甘味処の、店員さん」
「看板娘どす」
ツッコミどころが多すぎて追いつかない。
言葉遣いがめちゃくちゃだとか、自分で一番だの有名だの言っちゃってるとか。
そして、この奥さん、ではなく看板娘の浴衣の柄には見覚えがある。
大柄なひまわりで彩られたそれは、僕らがまだつきあい始めたばかりの頃、花火大会へのデートの際に僕がプレゼントしたものに違いない。
大事に着てくれていることはうれしいが、老舗の看板娘の装いとしてはポップすぎる気がする。
どうやら奥さんは新しいごっこ遊び、もとい、魔法を僕に見せてくれているらしかった。
「こちらのお席にどうぞ~」
そう言って、看板娘は用意していたらしい座布団をすすめる。
丁度、休憩しようとしていたところだったし、ここは彼女の魔法にのっかってみようか。
僕はすすめられるままに、座布団に腰を落ち着けた。
「ご注文はお決まりですか」
「えーっと……じゃあ、看板娘さんのおすすめを」
「はぁい、少々お待ちください」
いそいそと立ち上がって看板娘の後ろ姿が、キッチンの方へと消える。
そして一分も経たぬ間に、看板娘はお盆に和菓子とお茶の用意を整えて戻ってきた。
お客を待たせないスピーディーな接客である。
「お待たせいたしました。
当店おすすめ、高級和菓子と宇治抹茶のセットでございます」
お盆の上には、一口おはぎ、水まんじゅう、栗ようかんが並んだ皿がのっていた。
スーパーの和菓子コーナーでよく見るラインナップなのは気のせいだろう。
看板娘は急須で湯飲みにお茶をそそぐと、しずしずと僕に差し出す。
「どうぞ、淹れたての宇治抹茶でございます」
「宇治抹茶ですか」
「はい、宇治の一番茶を使っております」
よくわからんが、なにやらお高そうな感じがする。
「あのぉ、実は僕、あんまり持ち合わせがなくて……おいくらなんでしょう、これ」
「セットで三百円になります」
大変リーズナブルな高級和菓子でよかった。
僕は思いがけず迷い込んだ京都の老舗甘味処で、かわいい看板娘の給仕を受けながらお茶と和菓子に舌鼓を打ち、きちんと三百円払って現実の世界に戻っていった。
風光明媚な景色とおいしいお茶で休憩時間を満喫できたおかげか、現実の仕事は予想以上にはかどってくれたのだった。
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