ep.1『第五の馬 あるいはカウントダウン10』③



今朝のニュースで、世界の終わりまでの時間は二十三秒と表示された。


 砂時計の砂が逆に吸い上げられ、わずかに生まれた余裕の中で、世界が何となくほっと息をついているような気がした。

 テレビでは、昨夜のサッカーの試合結果を読み上げているアナウンサーの声が、いつもより浮ついているようにも聞こえる。


「時間が延びたのね。パパががんばってくれたおかげね」


 今日の朝ごはんは、蜂蜜のかかったフレンチトースト。

 お皿を並べるママの様子も、心なしか楽しそうだ。

 甘い匂いがテーブルの上に広がって、僕まで何だかうきうきしてくる。


「このままカウントダウンが延びていったら、パパもきっとゆっくり休めるでしょうね」

「うん、ずっと働きっぱなしだった分、まとめてお休みもらわないとね」


 一緒に朝食の席に着きながら、僕はママに向かって言ってみる。

 すると、ママはにんまりと笑ってみせて、


「大型長期休暇ね、もちろんボーナスもつけてもらって。

パパが休暇をもらえたら、何したい?」

「旅行に行きたいな。

パパがお休みもらえるようになったら、きっとどこにでも旅行できるようになってるでしょう?」


 三人で旅行に行けたのはいつが最後だっただろう? 

 僕が七才か、八才の誕生日のとき、一泊二日でキャンプに行ったのが最後なんじゃないだろうか。

 夏の山の中、川で釣りをして、植物採集をして、バーベキューをして、夜には天体観測をして、パパに星の名前をたくさん教えてもらいながらUFOを探した。


 ママがテーブルに頬杖をついて、うっとりと目を細めながら言う。


「そうね、きっと世界中、戦争も病気もなくなってるでしょうね。

誰がどこに行くのも自由で、面倒な規則も手続きもいらなくなって。

国内でも海外でも、船でも飛行機でも使い放題で」

「そしたら僕ねぇ、山登りがしたい。

空に一番近いところまで登って、地上の世界を見渡してみたい」


 世界中を見渡せるくらい高い山といえばどこだろう。

 どこまでも見えるように双眼鏡を持っていかないと。

 あと、山は寒いから防寒具と、保存のきく食料と、怪我をしたときのための救急キット。

 そうだ、いつだったかのクリスマスプレゼントでもらった、キャンプ用の万能ナイフも忘れないようにしないと。

 それを家で一番大きいリュックサックにつめて。


 僕のそんなわくわくする想像を、けれどママの消極的な声がさえぎった。


「うーん……ママは遠慮しておく。

二人について行ける自信がないわ」

「そしたら、僕とパパでてっぺんを目指すよ」

「冒険家親子ね。チャレンジ精神が旺盛なのはいいことだと思うわ」

「馬にも乗ってみたいなぁ。

乗馬ってすごくおもしろいらしいよ」

「それならママにもできそう?

乗馬はダイエットにいいっていうのは、誰かに聞いたことあるから興味あるわ」


 マグカップを持ち上げながらママは笑った。

 パパとママと三人で、乗馬服に身を包んで草原で馬を走らせる様子を想像してみたら楽しくなった。

 僕はゆるんだ口に大きく切ったフレンチトーストを押し込む。


 ふと、視界の端、テレビの画面で何かが動いて、僕はもごもごと口を動かしながら首を傾けた。

 天気予報のお姉さんが今日の天気をお知らせしている上に、「速報」の文字が流れてくる。


 何だろう、と身を乗り出そうとしたところに、今度は控え目なベルの音が鳴り響いた。

 僕とママが同時に振り向いた先で、電話が着信を知らせるサインを光らせながら鳴っている。


 ママが立っていって、受話器を取り上げた。

 二言三言、電話口で応答しているママの声が、不意に低くなった。

 何を話しているのか聞き取れない声で、じっと受話器に向かっているママを見つめながら、僕はゆっくりと口の中のものを飲み込む。


「パパから?」


 長くはなかった電話を切って、テーブルに戻ってきたママに僕は尋ねる。


「ええ、そう」

「パパ、なんて?」

「え? ……予定通り、月末に一度帰ってくるって」


 そう言うママは、なぜかぼんやりした様子で、口調も表情も頼りなかった。


「それだけ?」

「え?」

「パパからの電話」

「ええ……ママとあなたが、今ちゃんと家にいるかって言ってたみたい」


 変な言い方に、僕は今飲み込んだばかりのフレンチトーストが、おなかの中で石になってしまったような、嫌な感じを覚えた。

 パパは当然知っている。平日でも休日でも、僕らは毎日、同じ時間に朝ごはんを食べる。

 朝ごはんの時間に、家にいるのは当たり前なのに。


 何だろう。

 何の電話だったんだろう。

 本当にパパからの電話だったんだろうか?


 思わずじっとママの顔を見つめてしまった。

 僕のその目つきに、ママははっと表情を引き締めて、


「ほら、早く朝ごはん食べちゃってちょうだい。

また慌てて支度する羽目になるわよ」


 言われて、僕は聞きたいことをホットミルクと一緒に流し込んで、ごちそうさまを言った。


 不意の出来事のせいで、頭の中から「速報」のことはすっかり抜け落ちてしまっていた。


 僕はいつも通りに学校へ行って、何事もなく授業を受けて過ごした。




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