25:初めての命令

「すみませんすみませんノエル様っ――ああっ!! もう終わってる!!」

 有能なノエル様は洗濯作業を終わらせてしまっていた。


 昨日とは一転して今日は快晴。

 きっちり絞られた洗濯物が夏の陽光に晒されている。


 どんな魔法を使ったのか、ぴんと伸びた衣類には皺ひとつない。

 本当に、ノエル様は何をやらせても完璧だった。


「あ。おはようセラ」

 ちょうど干し終えて屋敷に戻ろうとしていたところだったらしく、ノエル様は空の洗濯籠を両手に持っていた。


 ノエル様の傍にはいまだ猫の姿のままのユリウス様がいて、私を見ると少しだけ後退した。

 私が屋敷に来たときは思いっきり後退していたのに。進歩だ。


「おはようございます、ノエル様。ユリウス様。この度は本当に申し訳ございません……主人に洗濯をさせるなど侍女失格です……」

 私はノエル様の手から洗濯籠を取り上げて項垂れた。


「いいよ。たまには家事をするのも悪くない。それより、セラが寝坊するなんて珍しいね。何かあったの?」


 歩き出したノエル様は不思議そうな顔をした。

 表情筋が死んでいた昨日までとはまるで別人だ。嬉しい変化だった。


「その……少し考えごとを……」

 私はノエル様と並んで歩きながら曖昧に言葉を濁した。

 まさかリュオンのことばかり考えて眠れなかったとは言えない。


「もしかして伯爵家の養女になったことを後悔してる?」

「いえいえ、そんな、まさか!!」

 私は大急ぎで否定した。


「私を受け入れて庇護してくださった伯爵家の皆さまには何度お礼を言っても足りません。マルグリットたちも養女となったことを祝福してくれましたし、ここにいる人たちは本当に温かくて、優しくて、大好きです。最高の職場を紹介してくれたリュオンには頭が上がりませんよ」


「そのリュオンだが。いまは怪我のせいで熱を出して寝込んでいるぞ」

 ノエル様の隣を四本の足で歩きながらユリウス様が言った。


「……そうみたいですね。ネクターさんに聞きました。心配です」

 首を軽く傾け、リュオンの部屋がある屋敷の一角を見上げる。


「うん。だから、セラはリュオンの看病をしてあげてくれる? セラが傍にいたら回復も早くなると思うんだよね」

 ノエル様は私の手から洗濯物を取り上げた。

 いますぐ行け、ということだろうか。


「どうだろうな。むしろ熱が上がって、回復が遠ざかるのでは?」

 地面に残る小さな水たまりを迂回しつつ、紫の瞳でユリウス様が弟を見上げた。


「まあ、その可能性も否定できないけど。でも、弱ってるときに傍にいて欲しいのはセラでしょう」

 ノエル様はユリウス様を見下ろして笑った。

 兄弟が目を合わせて会話している、ただそれだけのことがとても嬉しい。


「それは確かに。セラお手製のすりおろしリンゴとか、凄く食べたいだろうな。きっとどんな薬よりも強力な効果を発揮するに違いない」

「どういうことです? 私にそんな力はありませんが……」

 妙に確信を持って言う黒猫を見て、私は首を傾げた。


「気にするな。とにかく、リュオンは今回、セラのために怪我をしたんだ。責任をもってリュオンの看病をするように。これは命令だ」


 ユリウス様はぴんと尻尾を立て、赤いスカーフを巻いた首を反らし、澄ましたような顔でそう言った。


 この屋敷で働き始めて半月になるが、初めて命令という言葉を聞いた気がする。


「承知いたしました、ユリウス様」

「うむ。励むように」

「……楽しんでるでしょう、兄さん」

 私が頭を下げる一方で、ノエル様は何故か苦笑していた。

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