26:あなたに逢いたくて

 私の部屋は二階の南側にあり、リュオンの部屋は二階の北側にある。


 私の部屋の窓からはラスファルの整然とした美しい街並みが。


 対してリュオンの部屋の窓から見えるのは、遠く連なる山の稜線と、街の北側に広がるラスファルの兵士たちの訓練場だった。


 ロドリー王国の各貴族は国内にそれぞれ領地を持っており、国王から政治と防衛を任されている。


 己の領地を守る兵士の育成は領主の重要な仕事の一つだ。


 二十年前、隣国バレスタとの間に起きた戦で国内外にその武名を轟かせたバートラム様とスザンヌ様は――バレスタからロドリーに嫁がれたスザンヌ様はバレスタでも指折りの武人だったそうだ――たまに訓練場に赴いて兵士たちの訓練状況を視察し、場合によっては自ら剣を振って指導することもあるという。


 国軍近衛隊長のノエル様は実家に戻って来てからというもの、頻繁に兵士たちの鍛錬を行っている。


 そのおかげなのか、ラスファルの兵士は勇猛果敢、戦においては常勝無敗。


 街を覆う結界を張っているリュオンが「おれはいなくてもいいんじゃないかと思う」と零すのも納得だ。


 この街は『大魔導師』がいなくなっても充分にやっていける。


 事実、リュオンが結界を張らないまま今日で一週間が経っても、街の治安は問題なく維持されていた。


 人間の言葉など通用しない凶暴な魔獣も本能で避けているのか、この街が魔獣に襲われたのはもう三年も前のことらしい。


「…………」

 横一列に並び、離れた的に矢を射る訓練をしている兵士たちを遠目に見ていた私は、開け放った窓の外から室内へと視線を引き戻した。


 椅子に座る私の前には寝台があり、額に濡れた布を乗せたリュオンが横たわっている。


 リュオンは眠っていて意識がない。

 少し前まで魘されていたけれど、いまは静かだ。


 彼の顔に滲む汗を白い綿布で拭った後、私は彼の身体にかけられた掛布をめくりあげて左腕の様子を確かめた。


 昨日ほどではないが包帯に血が滲んでいるのを見て、サイドテーブルの上の救急箱を開ける。


 包帯を取り外し、怪我を目の当たりにすると涙が出そうだ。

 歯を食いしばって泣くのを堪え、小さく切った長方形の綿布に回復薬ポーションを含ませ、傷に優しく数回押し当てる。


 軟膏を塗って、早く治るように祈りながら包帯を巻き、彼の左腕を寝台に戻そうとしたとき――


「……セラ?」

 掠れた声が聞こえ、リュオンの左手の指先が微かに動いた。


 はっとして顔を向ければ、リュオンがぼんやりした眼差しでこちらを見ていた。

 熱のせいで頬は赤く、瞳が潤んでいる。


「ごめんなさい、起こしてしまったわね。でもちょうどいいわ、喉は乾いてない? 水を飲む?」

「……飲む」


 私は水差しを取り上げてコップに水を注いだ。


 それから、中腰になってリュオンの上体を持ち上げ、彼が身を起こす手伝いをする。


 自力で上体を支えていられないほど弱った彼を見ていると、また涙が込み上げてきた。


「はい」

 痛くないようクッションを挟んでから彼の背中をベッドの縁に預けさせ、水の入ったコップを手渡す。


 補助が必要かと見ていてハラハラしたけれど、無事彼は一人で水を飲んだ。


「お代わりは?」

「いや、要らない。ありがとう」

「いいえ……」

 お礼を言われるほどのことは何もしていない。


 何度お礼を言っても足りないのは私のほうだと思いながら、空になったコップを受け取ってサイドテーブルに置く。


「……なんて顔してるんだ」

 リュオンは苦笑し、身体を捻って右手で私の頬に触れた。


 私に近い左手はとても動かせる状態ではない。

 少しでも動かせば激痛が走ることくらい容易に想像ができた。


「だって……私のせいでこんな……ごめんなさい」

 私の身の安全と引き換えに、彼は酷い怪我と熱で苦しむことになってしまった。


「おれは勝手に行動して勝手に怪我をしただけだ。セラが気に病むことはない」


 宝石よりも綺麗な青い瞳でまっすぐに私を見つめ、彼は撫でるように私の髪を指で梳いた。


「……そうね。気にしないようにするわ」


 目元を拭って頷く。

 議論はしたくない。

 彼は腹部にも傷を負っている。喋る度に痛むはずだった。


「リンゴがあるのだけれど、すりおろしたら食べられそうかしら?」

「食べる」

「わかったわ。少し待ってて」

 私は椅子に座って果物ナイフを手に取り、リンゴの皮を剥き始めた。


 二人きりの部屋に沈黙が訪れ、吹き込んだ風に茶色のカーテンの端が揺れる。


「あのさ、セラ。前から聞きたかったんだけど。なんで逃亡先にロドリーを選んだんだ?」

 リュオンが話しかけてきた。


 リンゴを剥く手が止まりそうになり、意識して再び手を動かす。


「どうしてそんなことを聞くの?」

「いや、レアノールから逃げたいなら、隣のウルガルド帝国に逃げ込んだほうが良かったんじゃないかと思って。敵国に逃げてしまえば追われることもないだろ?」


「……それは、そうなのだけれど……全てを捨てて逃げると決めたとき、頭に浮かんだのはウルガルドではなくロドリーだったのよ」


 一度だけ家族旅行で訪れた国。

 私の手を握って笑った男の子がいた国。


「その……リュオンに会えるかなと思って……」


 リュオンはどんな顔をしているのか。

 とても確かめる勇気は出ず、私は皮を剥き終えたリンゴを金属製のおろし器ですりおろすことに集中した。

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