19:弟は好きですか
ノエル様は非常に優秀な子どもだった。
要領が良い上に頭も良く、人当たりも良いため誰からも愛される。
四歳にして完璧な行儀作法を身に着け、専門書を読み、流暢な外国語を話す。
ユリウス様が教師の問いに間違えれば横から正答し、ときには教師と一緒になって解説することもあった。
たまったものではなかっただろうが、ユリウス様もノエル様に悪気がないことはわかっていた。
だから笑ってノエル様を褒めた。
調子に乗ったノエル様は勉学にのめり込み、真綿が水を吸うようにあらゆる知識を吸収し、周りの人間から神童として持て囃された。
事あるごとに弟と比較され、ノエル様が兄だったら良かったのにという家庭教師や使用人たちの心無い言葉を受け流し、ユリウス様は耐えた。
耐えて耐えて耐え続けて――三年が経ち、とうとうユリウス様に我慢の限界が訪れる。
ユリウス様は授業中、無邪気に間違いを指摘してきたノエル様を突き飛ばし、涙ながらに罵倒した。
呆気に取られているノエル様を残してユリウス様は屋敷を飛び出し、ラスファルの公園へと向かった。
ユリウス様は猫が好きで、疲れたときはこっそり公園へ行き、そこに棲みついた野良猫たちに癒されていた。
公園のベンチで野良猫を抱え、自己嫌悪で死にそうになっていたユリウス様は一人の魔女に声をかけられる。
黒髪に印象的な銀色の瞳を持つその魔女の名前はドロシー・ユーグレース。
彼女は当時国内に二人しかいなかった『大魔導師』だった。
ドロシーはユリウス様の浮かない表情を見て、猫になることを持ちかけた。
天才の弟と比較されることに疲れ切り、変身魔法が禁止魔法だと知らなかった十歳のユリウス様はその問いに頷いてしまい、猫になった。
後は私の知る通り。
一年後にユリウス様がリュオンの手により人間に戻っても、兄弟の関係はぎくしゃくしたまま。
ユリウス様は弟に負い目を感じ、ノエル様は兄の前では一切笑わなくなった。
「ユリウス様はノエル様をどう思っておられるんですか? 本当はいまでも大好きで、仲直りしたいのではないんですか?」
「…………」
ユリウス様は長いこと黙り込んだまま何も言わなかった。
風が何往復もして、黒猫はやっと口を開いた。
「今朝のあいつの顔を見ただろう。猫になった俺を見下しきった、あの瞳が答えだ。俺があいつをどう思おうと無駄なんだ。嫌いという感情を通り越して、ノエルは俺を軽蔑してる」
「答えになっていません。私が聞いているのはユリウス様の気持ちです」
無礼なのはわかっていた。
侍女の分際で何を偉そうに、と自分でも思う。
でも、私は冷え切った二人の関係をどうにかしたいのだ。
ユリウス様の境遇を自分のそれに重ねているのもある。
優秀すぎる弟に劣等感を覚えた兄――ああ、まるで私とイノーラを見ているようだ。
私はいつだってイノーラと比較され、無能と謗られた。
ブランシュ家は魔女の家系であることに誇りを持っていて、いくら勉強が出来ても魔法が使えない魔女はゴミ扱いだった。
もし泣いていたときにドロシーが現れ、そんなに辛いのなら人間を辞めて猫になるかと聞かれたら。
私はきっと、頷いていた。
「教えてください。ユリウス様はノエル様のことがお嫌いですか」
肯定されたらどうしようと怯えつつ、私は尋ねた。
「……好きに決まってるだろう」
「良かったー!!」
思わず私は素で叫んでいた。
驚いたのか、ユリウス様がこちらを向く。
「それなら後は簡単ですね!! ノエル様のお気持ちを確認するだけですから!!」
私は大喜びして両手を握った。
「簡単って……あいつに俺が好きかどうか聞いたところで、嫌いと即答されて終わるだけだろう。嫌いどころか『死ねばいい』と冷たく言い放ってもおかしくはないぞ」
「ノ、ノエル様はそんなことを言われたりしませんよ」
「どもったじゃないか。あいつなら言いかねないと思ったんだろう。改めて俺に現実を思い知らせてどうするんだ。お前には人を虐めて喜ぶ加虐趣味でもあるのか」
黒猫は紫の瞳を細めた。
「ありませんよそんなの! とにかく私に任せてください! きっとお二人の仲を修復してみせます!」
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