09:彼が笑った理由

「わかったわ」

 私は涙目のユリウス様に可愛らしく――いや、本人は至って真剣なようだから可愛いなんて言ったら失礼か――威嚇されつつ、言われた通りに部屋を出た。


 パタンと扉を閉じた後、呟く。


「……変身魔法を解くのがあんなに大変だとわかっていて、それでもユリウス様を寝かせて差し上げたかったのね」


 苦笑が零れる。

 彼は私をお人好しだと言ったけれど、彼のほうがよっぽどお人好しだと思う。


「うーん」

 座り続けて凝り固まった全身の筋肉をほぐすべく伸びをしてから、私は暇潰しに別館を散歩することにした。


 まずは一階。

 厨房には夕餉の支度中のネクターがいるはずだから、挨拶をしよう。


 ちょっとした探検気分で歩き出した私は、大広間の中央で足を止めた。


 首を傾けて頭上のシャンデリアを見上げる。


 続いて金の手すりがついた階段に近づき、人差し指でつーっと手すりの表面を撫でてみる。


 指には埃一つついていない。


「この屋敷に使用人と呼べる人間はネクター一人だけよね? リュオンは魔女として仕えながら従僕の真似事でもしているのかしら? それとも、定期的に本館から使用人が手伝いに来ている? そうでないと変よね。あそこの壺もシャンデリアもピカピカだもの。四人全員が力を合わせて掃除しないと、とてもこの清潔さは保てないはず」

 しんとした大広間で一人、首を捻っていると。


「おれが『窓を開ければ自動的に小さなゴミや埃がまとめて飛んでいく』という魔法をかけてるからな。掃除の必要がないんだよ、この屋敷も本館も」

 背後からリュオンの声がした。


「そんな便利な魔法があるの!? ブードゥー様の館にいた魔女はそんな魔法使ってなかったわよ!? 私を含めた侍女たちが毎日一生懸命、窓を磨いたり床を掃いたりしてたんだけど!」

 驚きながら振り向くと、リュオンは私の前で足を止めた。


「おれが独自開発した魔法だ。魔法書にも載ってない」

「良かった。もしロドリーでは一般的な魔法だったのだとしたら、ブードゥー様の館にいた魔女は魔力惜しさにサボっていたのかと恨むところだったわ……って、そんなことよりリュオン、ユリウス様はどうしたの? まだ五分も経ってないでしょう? 何か問題でもあったの? もしかして元に戻せなかった?」

 心配になって詰め寄ると、リュオンは急に私の手を掴んで見つめた。


「? 何? 私の手がどうかした?」


「……ふ。ふふ、あははははっ。全く、セラの力はとんでもないな! 出会った瞬間に気づいてはいたが、魔法を使って確信した! レアノールの人間が誰一人、それも十七年も気づかなかったなんて信じられない! こんな魔法を使う魔女なんて国中探してもきっといない! なあセラ、きっと今頃、イノーラは《国守りの魔女》の称号を失って見る影もなく落ちぶれてるよ。確認するまでもない。並の魔女か、下手したらそれ以下になってる」

 リュオンは私の手を離し、愉快そうに笑っている。

 言葉の意味も、彼の興奮ぶりも、私には全く理解不能だ。


「どうしてそんなことが言えるの? 本当にどうしたのリュオン。もしかしてユリウス様の魔法が解けなくて、ショックで少々おかしくなってしまったんじゃ……」

「大丈夫。おれはいたって正気だ。ユーリの魔法も無事解けたよ。いつもより遥かに早く。セラのおかげでな」

 リュオンは笑んだまま私の頭を撫でた。


「……ねえ、わかるように説明して欲しいのだけれど……」

「後で説明するよ。ユーリも落ち着いたみたいだから、先に挨拶を済ませよう」

「??」

 なんでリュオンが上機嫌なのかさっぱりわからないまま、私はサロンへと引き返す彼の背中を追った。

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