30:忍び寄る足音

    ◆   ◆   ◆


 ユリウスたちと一緒に赴いた本館のサロンでは伯爵と伯爵夫人が座っていた。


 二人ともきちんと身なりを整えていて、茶色のドレスを着た伯爵夫人は顔に薄化粧を施している。


 シャンデリアが吊り下がったサロンでは大きな花瓶に色とりどりの花が活けられていて、鼻孔をふわりと花の香りがくすぐった。


 茶色と金の二色で構成された壁紙と調和する品の良い調度。

 壁に飾られているのは風景画と歌劇の一場面を模した絵。


 大きな窓からは雲が浮かぶ青空と美しく手入れされた庭が見えた。


「二人とも、おはよう」

「おはようございます、父上、母上」


 ユリウスたちが両親と挨拶を交わし、続いておれも挨拶した。

 既に人払いを済ませているらしく、広々としたサロンには伯爵夫妻の姿しかない。


「二人とも座りなさい。リュオンはその後ろよ」

「はい」

 指示通りにユリウスとノエルが向かいの長椅子に着席し、おれは長椅子の後ろに立つ。


 斜め後ろから見るユリウスの顔には緊張の色があった。

 朝から、それも三人ともが呼び出されるとなるとただ事ではない。


「父上。何があったのですか?」

 落ち着き払った様子でノエルが尋ねた。


 こういうとき、ノエルはとても頼りになる。

 彼は十六歳と思えないほど肝が据わっていて、驚くほど頭が回った。


「王都の港で働く知り合いから《伝言珠》を通して連絡があった」


 バートラム様は知人や友人がとても多い。

 人脈の価値を理解している彼は常日頃から有事に備えて根回しを怠らず、色んな人間に恩を売り、同時に色んな人間の弱みを掌握していた。


 国王でさえバートラム様には一目置いている。

 バートラム様の助けがなければ、おれが国王に直談判することは不可能だっただろう。


「今朝早く、セラと良く似た少女が恋人らしき青年と共に人目を避けるようにして入港したらしい。珍しいピンクローズの波打つ髪に銀の《魔力環》が浮かんだ青い目、顎の下にある黒子。全ての特徴がイノーラと一致する」


 おれは無言で手を握った。

 八年前、蔑むような目でおれを見たセラの双子の妹が、セラを追いかけて来たのか。


「ふくよかな体型の青年は茶髪碧眼で、鷲鼻に丸顔。こちらはイノーラと結婚したというレアノールの第三王子の特徴と一致するな。入港にあたって彼女たちが書類にサインした名前は『リディー』と『ジョシュア』だそうだ。リディーとはセラが飼っていた猫の名前だ。ここまでくれば間違いはない。イノーラとクロード王子だ」


「……新婚旅行でロドリーに来たわけではないでしょうね。目的はセラの確保でしょうか?」

 予想の範疇だったらしく、ノエルは顔色一つ変えない。


「恐らく。セラの価値に気づいたレアノール国王の密命を受けて護衛役のクロード王子を伴い、セラを連れ戻しに来たのだろう。こちらにはリュオンが命懸けで入手した国王直筆の信書があるが、セラに聞いた性格を鑑みると、イノーラが素直に引き下がるとは思えない。イノーラとクロード王子以外にも荒事担当の精鋭部隊が送り込まれていると考えるべきだろうな」

 バートラム様は淡々と言った。


「現在二人は王都にいるようだが、セラが目的ならばいずれはラスファルに来るだろう。全兵士に通達してイノーラとクロード王子の入門を禁じ、追い返すことも可能だが、まずはお前たちの意見を聞きたい。イノーラの要求に応じてセラを引き渡すという選択肢は――」


「ないです」「ありません」

 ユリウスとノエルの声が重なった。


 おれは言うまでもないので黙っていたが、二人が即座に否定したのは嬉しかった。


 想い人がおれの友人たちからも愛されている――その事実はこんなにも胸を温かくするものらしい。


 特に、セラはレアノールでは誰からも愛されていなかったようだから、感慨もひとしおだった。


「まあ、あなたったら。大事な娘を引き渡すなんてあり得ませんわ。恐ろしいことを言わないでくださいな」

 スザンヌ様は夫に軽く肘鉄を喰らわせた。


 スザンヌ様は素直で可愛いセラを非常に気に入っている。

「息子はもちろん欲しかったけれど、本当は娘も欲しかったのよ」とはスザンヌ様の談。


 庭でお茶会を開くこともあるし、街に出かけることもある。

 この前はセラにドレスを着せて仮面舞踏会に連れて行こうとしたため、おれが全力で止めた。


 セラの力がバレたら危険なのは事実だが、それより先に『セラに変な虫がついたら困る』と思ったのは否めない。


「娘目当てにわざわざレアノールからお越しくださったというなら、こちらは手厚く歓迎するだけのこと……ええ、手厚く、ね」


 スザンヌ様は右手に持っていた水鳥の羽根の扇子を開いて口元を隠した。


「穏やかな話し合いで解決できれば何よりですが、お相手が実力行使に訴えるならば心臓に刃を差し込んで終わりです。ふふ……思い出しますわ、戦場であなたと熱く刃を交わし合った懐かしいあの頃。わたくし、《血染めのスザンヌ》と呼ばれたあの頃に戻ってもよろしいのですわよね? 娘を守るのは母親の役目ですわよね? 得物は何がいいかしら。あなたの妻となった後も武器の手入れは欠かしておりませんのよ。剣、首切り鎌、ナイフ、ハンマー、斧、メイス――あらあら、どれにしましょう?」

 

 まるで舞踏会に向けてお気に入りのドレスを選ぶように、いそいそと隠し武器庫に向かおうとしたスザンヌ様の腕を素早くバートラム様が掴んで引き戻した。


「スザンヌ。君は屋敷で待機しろ。戦場に出ることは許さん。これは命令だ」

「ええっ、どうしてですの? さすがにあの頃のように一個師団を返り討ちにはできないかもしれませんが、完全武装であっても中隊くらいは単独撃破できる自信が――」


「だから待機を命じているんだ。君は戦闘になると理性を失うだろう。相手はレアノールの第三王子と妃だぞ? 殺してしまっては戦争になる」


「……死体ごと消してしまえば行方不明で片付けられる……」

 ぼそっと、スザンヌ様は物騒なことを呟いた。


「スザンヌ。相手はセラの双子の妹だ。母親を自認するなら、セラの気持ちを考えなさい」

「…………はぁい……」

 諭されたスザンヌ様は渋々座り直し、拗ねたようにそっぽ向いた。

 可愛い娘が狙われているのですから仕方ないでしょう。扇子越しに、言い訳じみた言葉をぼそぼそ呟く声が聞こえる。


「スザンヌの言ったことは気にするな。とにかく三人とも、いつイノーラが姿を現しても良いよう覚悟を決めておけ。場合によっては戦闘になることもな」


「「「はい」」」


 三人の声が唱和した後で、バートラム様はひたとおれを見つめた。


「言うまでもないとは思うが、もしイノーラの手勢に大魔導師級の魔女がいた場合、セラが捕まった時点でこちらの敗北は確定だ」

「はい。心得ています」


 バートラム様に口の堅い魔女――先代様に仕えていたという優しそうな老婆だった――を屋敷に呼んでもらって実験した結果、セラの魔法の対象となるのは一人だけということがわかった。


 セラは自分の意思で対象を選ぶことはできず、自動的に、セラに近い場所にいる魔女の魔力が増幅される。


 でも、最も優先されるのは『セラに近い場所にいる魔女』ではなく『セラに触れた魔女』。


 先に誰かがセラに触った場合、次に触った魔女は対象外だ。


 セラを捕まえた魔女がイノーラなら全力を出せば渡り合えるだろう。


 だが、イノーラの手勢におれに匹敵する『大魔導師』級の魔女がいて、セラがその魔女の魔力を跳ね上げたなら、セラの奪還は不可能だ。


 使叶うかもしれないが、セラは怒り狂うだろう。あるいは泣き喚くかもしれない。


 だから、いまおれがすべきことは余計なことを考えず、セラを全力で守ること。

 そしてそれはおれの望むことでもあった。

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