21:許されたいのは、

 勧められた通りに長椅子の一方へと座ると、ノエル様は対面に座った。

 部屋の主人の性格を表すように、ノエル様の部屋は綺麗に整頓されている。


 調度品も品が良く、窓辺のカーテンは落ち着いたモスグリーン。


 壁一面は本棚になっていて、そこに収められているのは戦術書や兵法書、図鑑、哲学書、外国文学など、実用書から娯楽本まで多岐に渡った。


「さっきも兄さんをどう思っているかなんて、意味がわからないことを聞いてきたね。何? セラは兄さんのさしがねで動いてるわけ?」

 ノエル様は両足を組み、冷淡な目で私を見つめた。


「違います。全ては私の意思です。私はお二人の仲を取り持つお手伝いがしたいのです」

「仲を取り持つなんて不可能だよ。言ったでしょう。ぼくは兄さんが嫌いだって」


「それは嘘です。ノエル様はユリウス様のことがお好きでしょう?」

 私は反論する暇を与えないよう早口でまくし立てた。


「私がここに来たとき、ノエル様はまず最初に『ユリウス様を侮辱したら追い出す』と言われました。本当にユリウス様が嫌いなら開口一番釘を刺すはずがないんです。嫌いな人が侮辱されても気にする人はいません。むしろ『良い気味だ』と思うのが普通でしょう?」


「嫡男である兄さんを侮辱するのは伯爵家を侮辱するのと同じ――」


「根拠はまだあります。ノエル様は本館ではなく別館ここで暮らされています」

 私は聞く耳を持たずに言葉を続けた。


「ノエル様はユリウス様の代行をするためにバートラム様から呼び戻されたのですよね? バートラム様と速やかな意思疎通を図るためにも、本館で暮らしたほうが何かと都合が良いはずです。それなのにノエル様はユリウス様がおられる別館で暮らされている。理屈に合いません」


「兄さんが伯爵家の顔に泥を塗らないか監視しているだけだよ。変身魔法は国で禁じられた魔法だ。もし猫になることが露見すれば伯爵家は破滅する。セラもレアノールの伯爵令嬢だったなら、貴族は体面が命だってことくらいわかるでしょう」

 ノエル様の理論武装は完璧といえた。


 でも、私は悲しく笑った。


「……では何故、ノエル様は笑うことを止めてしまったんですか?」


 その問いに対する答えは用意していなかったらしく、ノエル様は口をつぐんだ。


「私はバートラム様やスザンヌ様、長く伯爵家に仕えている侍女たちにも聞きました。昔のノエル様は感情豊かで、よく笑う子どもだったそうですね。ユリウス様の後をいつもついて回り、二人仲良く遊んでいたと皆、口を揃えて証言してくれました」


「昔の話なんてどうでもいいだろう」

 ほんのわずかに、ノエル様の見慣れた無表情に苛立ちという名の亀裂が入った。


「いいえ、どうでも良くなんてありません」


 バートラム様に聞いたところ、ノエル様は人前では愛想を振りまき、昔と変わらずよく笑い、社交も上手だという。


 それなのに、ユリウス様のいるこの別館では感情を固く内側に封じ込め、決して表に出そうとしない。


 まるで自分を罰するように。

 その理由は――


「ノエル様はユリウス様がドロシーの誘いに乗ったのは自分のせいだと思っているのでしょう? ユリウス様が激情のままに言ってしまった言葉をいつまでも忘れられないんでしょう?」


 ――お前がいるから俺はこんなにも辛い、大嫌いだ、お前なんかいなければ良かった。


 ユリウス様はノエル様に言った言葉を後悔している。

 そして、己の言動を後悔しているのはノエル様も同じだった。


 でも、幼かったノエル様の行動原理は『知識や技術、能力を磨いて大好きな兄に褒められたい』それだけだ。


 強いて言うなら、弟に間違いや失敗を指摘される兄の心境を想像する力が足りなかったのかもしれないけれど――誰が責めることなどできようか。


「ノエル様」

 私は立ち上がって移動し、ノエル様の隣に座った。

 俯き加減に動かないノエル様の手を右手で握る。


「ユリウス様にわざと嫌われようとするのは止めてください。ノエル様は悪くありません。自分を責める必要はないんです。ユリウス様がドロシーの誘いに乗ってしまったのは決してノエル様のせいではありません。人間誰しも心が弱ることはあります。全部自分のせいだ、自分が弱かったせいだとユリウス様は言われていました。ユリウス様は八年前の言動を深く反省し、後悔されています。もしノエル様が過去の過ちを許してくださるなら、昔のように仲良くしたいと仰っていましたよ?」


「……兄さんがそんなことを?」

 当惑したようにノエル様は私を見つめた。


「はい。私は今日、ユリウス様に聞いたんです。ノエル様のことがお嫌いですかと。そしたら、ユリウス様は好きに決まっていると答えられました。当たり前のように」


 ノエル様はテーブルに視線を落とし、考え込むように押し黙っている。


 降りしきる雨の音を聞きながら、私はノエル様の手を握る自分の右手に左手を重ねて力を込めた。


「ユリウス様はノエル様のことが大好きなんですよ。お疑いになるなら、どうか、ユリウス様とお話をしてください。ユリウス様はノエル様との対話を望まれています。八年前からずっと、ユリウス様はノエル様に許されたいと思われていたんです」


「……馬鹿みたいだ。許されたいのはぼくのほうなのに」


 兄弟で仲睦まじく遊んでいた過去を回想しているのか、ノエル様はどこか遠くを見るような眼差しで、ぽつりと呟いた。


 決断を待っていると、ややあってノエル様は私の手を握り返した。

 それから、手を離して立ち上がる。


「兄さんはサロンにいるよね?」

 私を見下ろすノエル様の表情には強い意思が宿っている。


「はい!」

 私は跳ねるように立って大きく頷いた。

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