23話 更なるトラブル

 ようやく迎えた文芸フェス当日の朝、スマホのアラームよりずいぶん早く目が覚めた。カーテンの向こうに透ける太陽は力強い。よく晴れて気持ちのいい朝だ。この時期にしては気温も高めで、乾燥した空気が秋の匂いを運んでくる。俺は朝から気分が良くて、普段は飲まないインスタントコーヒーを入れ、朝のニュース番組を見て、少し大人の気分になる。


 都筑さんの文芸フェスは昼過ぎに一般客が入場する。俺達は十時に会場入りだ。今はまだ朝の六時。昨日ようやく眠りについたのが午前二時だから、四時間ほどで目が覚めたことになる。まるで遠足の日の子供と同じだ。都筑さんの隣で、都筑さんと同じ仕事に携わる。そう考えるだけで、まるで自分が都筑さんの「有能な部下」になった気分だった。

 

 トーストを齧ってコーヒーを飲み干し、シャワーを浴びながら念入りに髭を剃る。少ない手持ちの中から、新しめのTシャツに袖を通し、それでもまだ八時前。時間を持て余して、二度寝してしまいそうになった時、スマホが鳴った。


「おはようございます!」


 宮原さんからの着信に、俺は上機嫌で応答する。おはよう、と答える宮原さんの声がいつになく低いのは気のせいだろうか。


「……なにかあったんですか?」


 俺は恐る恐る尋ねる。都筑さんに何かあったのだろうか、嫌な予感がする。


「本の納品が、遅れそうなんだ。今日会場での納品を予定してたんだけど……手違いで違う営業所に行ってしまったらしくて。僕が直接取りに行くから、会場の都筑さんを手伝って欲しいんだ。こういうイベントは僕らも初めてだからね。少し早く行ってあげてくれるかな」


「分かりました。すぐ出られるんで、九時頃着くと思います」


「助かるよ、ありがとう。また何かあったら連絡するからよろしく頼む」


「はい、分かりました。じゃあ会場で」


 俺は、スマホと財布をポケットに突っ込み、ジャケットを掴むとすぐに玄関を出た。スマホの地図に住所を入力し、ナビを始める。特に混雑もないようだしバイクで飛ばせば一時間もかからないだろう。すぐにアパートを出発して、二十分ほど走り、会場まではスマホのナビ表示であと三十分というところまで来た。信号待ちをしていると、不意にスマホの画面が着信を知らせる。再び宮原さんからだ。俺は路肩にバイクを止め、電話を取った。


「はい川瀬です」


「川瀬くん、ニュース見た? 首都高でかなり大きな事故があって、全然動けないんだ。……もしかしたら間に合わないかもしれない。都筑さんにも連絡したけど、かなり動揺してたよ。フォローしてあげて欲しいんだ。僕には詳しく話してくれないけど、ここまで漕ぎ着けるのにかなり苦労したはずだから……」


「分かりました。急いで向かいます」


 通話を切ったあと、俺はスマホで検索する。「首都高 事故」。トップに出てきたニュース動画ではタンクローリーが横転して、火が出ている。黒煙が上がって、上下線とも通行止めだと言っている。この分だと動き出すのに数時間はかかるだろう……俺はたったいま切れたばかりの通話を、もう一度宮原さんに繋ぐ。


「川瀬くん? どうした? 何かあった?」


「いえ、俺は大丈夫です。……宮原さん、もう首都高の上にいるんですよね?」


「そう。さっきからもう二十分以上全く動いてないよ」


「何号線ですか? 俺、今バイクなんで宮原さんのとこまで行きます。そのほうがきっと早い」


「え?」


「タクシーのナンバー教えて下さい」


 俺にだって確証はなかった。だがこのまま足止めされているより俺が向かったほうが早いはずだ。賭けるしかない。無茶な提案に戸惑う宮原さんから車のナンバーと現在地を聞き出し、マップで共有した。


 絶対に間に合わせてみせる。都筑さんの大切な仕事だ。どれほど苦労したかを目の当たりにしてきた。このまま何もせずにただ失敗を眺めているなんて出来ない。


 きっと都筑さんは一人で不安がっているだろう。……そして誰にもその不安を気取けどられないように振る舞っているだろう。俺はすぐに都筑さんの名前をタップする。電話の向こうの都筑さんの声は小さく震えていたような気がする。俺はただ、絶対に間に合う、そう言うことしかできないのがもどかしかった。側にいて、その肩を抱きしめることができないなんて。


 都筑さんが俺の言葉を信じてくれたかどうかはわからない。だが俺は自分の言葉を信じるしかない。もう一度メットを被り直して、Uターンする。はやる気持ちで、開けすぎたスロットルが前輪をわずかに浮かせた。

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