番外編

伊織:00話 親友

 俺は高校に入ってしばらく、帰宅部だった。小中とずっとサッカーをやってて、なんとなく高校でもサッカー部に入るのかな、とは思っていたものの、いざ高校生になってみるとなんだか面倒でこのまま帰宅部でもいいかと思った。


 俺は男に嫌われるタイプの典型だ。なんでかと言えば、そりゃあ女の子にモテるからだろう。小学校の中学年くらいまでは、俺にも男の友達はたくさんいた。普通に毎日つるんで誰かの家に集まってゲームをしたり、サッカーをしたり、そんな毎日だった。


 それが高学年になって、周りでちらほらと誰それが付き合ってるとか、バレンタインのチョコをいくつもらっただとか、そんな話が出始めた頃、俺は急に「女たらし」「チャラい」「軽い」と呼ばれるようになった。


 それは中学生になってからも、勉強を頑張っても、逆に学年でワーストになっても変わらなかった。要するに俺が何をやってもチャラい、ということになるらしかった。それでも、ずっと続けてたサッカーは中学でも続けた。好きだったし、自分で言うのもなんだけど、そこそこ上手かったと思う。


 サッカーの実力には女たらしだとかそんな呼び名は関係ないと思ってた。だから毎日毎日放課後に何時間でもボールを蹴って過ごした。そのおかげか、俺は一年生のうちにレギュラー入りした。俺のサッカーの実力を認めてもらえた、それが嬉しくてますますサッカーにのめり込んだ。けどある日、部室に忘れ物をして取りに戻った時、部屋の中から聞こえた声に俺はショックを受けた。


「あいつ、マネージャーとデキてんだろ?」


「俺この前一緒に帰ってるの見たよ」


「三股くらい掛けてるって聞いたわ」


「は? マジで?」


「サッカーやってるとモテるからってずっとやってるらしいよ」


「なんだそれ」


「なんかあいつ、誰にでも愛想いいじゃん。だから顧問も贔屓してんだよ」


「わざと顧問の前でボール片付けたりしてんじゃん」


「マジでムカつくわああいうやつ」


 その時俺は、頑張りすぎると面倒くさいんだなって思った。かっこいいねって言われるのが嬉しくて努力したし、偉いなって言われるともっとやろうって思った。けど結局あんまり張り切ると皆に嫌われるだけなんだなって。


 それからなんとなくサッカーも面倒になって、そしたらレギュラーなんかあっという間に落ちて、俺はただの幽霊部員みたいになった。その代わり、俺の陰口を言う奴はいなくなって、なんなら慰めてくれる奴なんかが現れた。


 だから高校でもサッカー部なんか入ったところで、どうせ隅っこで球拾いをするだけなんだろうなと思うと気が乗らなかった。そんな感じでサッカーも勉強も、やる気が出なくて、俺は半年以上クソみたいな学校生活を送っていた。


 川瀬宥生とは一年で同じクラスになった。と言っても俺はあいつの名前とか知らなかったしあいつも俺のことを知らなかったと思う。


 とにかく、一言も喋ったことがなかった。あの日まで。その日は体育の授業でサッカーの紅白戦をやることになった。俺はサッカーをやってたことを誰にも言ってなかったから、あまり当てにされてなかったと思う。だから俺も適当に走り回ったりしながら終わるまで時間を潰すつもりだった。川瀬はサッカー部だったから、当然主戦力だったし、あいつを中心に皆が動いてた。


 俺はそんなガチ勢の邪魔をしないようにピッチの隅っこで何となくもたもたと走り回っていた。このまま適当に過ごして終わるのを待つつもりで。


 そしたら川瀬宥生が突然俺にボールを回して来た。俺は驚いたけど体が咄嗟に受け止めた。ゴールの方を見ると、あいつが何をする気なのかが何となくわかった気がした。だから俺は相手チームを一人かわして、あいつに返してやった。それをあいつはノーバウンドでそのままシュートして、それはめちゃくちゃ綺麗にゴールに刺さった。お手本みたいに決まったプレーに、俺も少しだけ気分が良かった。


 あいつは俺に向かって走ってきて、俺の肩を叩いて言った。「おまえ、サッカー上手いな」あいつは小学生みたいに笑った。

 日に焼けた顔で、無邪気に笑うあいつは俺よりずっとデカくてごつい男なのに、弟みたいに可愛いと思った。それが俺と宥生の出会いだった。


 それからは宥生に何度もしつこく誘われて、ついに俺はサッカー部に入部届を出した。二年近くブランクのある俺は最初は練習メニューをこなすのが精一杯だったけど、二年になる頃には宥生と一緒にレギュラー入りした。と言っても別にサッカーの強豪校でもなんでもない普通のサッカー部で、全国高校選手権の予選で三回戦突破が最高記録という高校だったけど。


 入学当初から俺は男友達が出来なくて、教室ではクラスの派手な女子、放課後は先輩女子とばかり話している浮いた存在だった。


 だが宥生はそれをなんとも思っていないようだった。休み時間には普通に話しかけてきたし、昼飯もたいてい一緒に食った。部活帰りにラーメン屋に行くのが習慣だったし、とにかくあいつには俺の陰口も、周りにいる女子も、どうでもいいことみたいだった。


 そうしているうちに、俺に話しかけてくるやつが一人、また一人と増えていってそのうちに放課後も男ばっかりでカラオケに行くようになった。


 俺は姉貴と妹に挟まれているせいで、女に夢を見てなかった。だから女子が毎朝一時間掛けて化粧してるだとか、前髪をキープするのに命かけてるだとか、塗り直したばっかの爪を褒めて欲しがってるだとか、そんなのを知ってただけだった。それを教えてやったら、あいつら真剣な顔して聞いてたな。


 けど俺に言わせりゃ、本当にモテてたのは宥生のほうだった。もともと顔はかなり整ってるし、なんつーか大人っぽいって言うか、男前って感じの顔に、あの性格だ。寡黙で真面目でブレないっていう。そんなのモテないわけがない。あのガタイであの顔で、そんで図書室で一人で本読んでるとか、女子が食いつかないわけないよね。


 それなのに本人は全然気がついてなくて、女の子がいつだって宥生のことをグラウンドの外から、教室の窓から、こっそり見てるのを知ってるのは俺だけだった。そして俺はそんな宥生の隣にいつも俺のスペースがあるのが嬉しかった。


 宥生は一年の終わり頃からあっという間に背が伸びた。初めは俺と変わらず百七十ちょいくらいだったのが、どんどん差を付けられて二年の夏休みにはもう比べる気も無くなった。俺はあまり筋肉が付かなくて、体重も増えない。サッカー部の仲間うちでも細い方で、ずっとそれがコンプレックスだった。宥生にもそれを馬鹿にされるのかと思うと気まずくて、いつも部室の隅っこでコソコソと着替えた。


 だけどある日、宥生が遅れて部室に来たとき、俺は誰もいないと思ってシャツを脱いでパンイチになってた。ちょうどそこに入ってきた宥生が、俺を見ると慌ててすぐに顔を逸らした。その瞬間、チラッとだけ見えた横顔と耳が、赤くなってるのに気がついた。


 俺はその時初めて、宥生に見られてることを意識した。放課後一緒にファーストフード店に行った時、あいつが手に持ってるポテトを齧った。宥生の部屋でマンガを読む時はその背中に寄りかかって過ごした。


 宥生が俺を意識するのが嬉しかった。他の誰といても、宥生はあんな風に照れたりしない。俺と一緒にいるときだけ、あの困ったような顔で笑うんだ。


 そんな宥生を独り占めしたくて、俺は宥生の隣を誰にも譲りたくないと思った。それまでも俺は何人かの彼女と付き合ってきた。どの子も嫌いじゃなかったし、楽しかった。俺にも人並みの性欲はあるし。


 優しくして、一緒に買い物に行って、時々お揃いのものを買って。そうすると彼女たちは機嫌がよかったし、俺は彼女たちのすべすべの肌や、いい匂いの髪の毛が好きだった。


 WIN—WINの関係ってやつだ。けど、よく考えたらずっと隣にいたいだとか、他のやつと一緒にいるのが気に入らないだとか、そんなことを思うのはいつも宥生に対してだけだった。


 俺は来る者拒まずで女の子と付き合って来たけど、きっと彼女たちの方だって同じだったんだろう。俺はなんとなく女っぽい顔で、話しかけやすいってだけで、周りにいた女子で本気で俺に惚れてた子なんていなかったと思う。


 ほとんどの子は、宥生に話しかけたくて、でもなかなかチャンスがないから友達である俺の近くから宥生を見てたんだと思う。実際、宥生に取り次いでほしいって子は何人も居た。けど、宥生と付き合うまで行った子は一人か二人くらいだったと思う。


 宥生があまりそういうことに興味がなくて素っ気ない性格だったせいもあるけど、宥生に告るのを俺が諦めさせたケースもかなりある。だって宥生には相応しい子と付き合ってほしいと思うから。


 宥生の志望大学は、俺にはちょっと無理めの偏差値だった。まともに勉強してなくて、中の下辺りをウロウロしてた俺は、進路相談の日に宥生と同じ大学を希望した。担任は少し難しい顔で腕を組んだけど、本気でやればいけるかもしれない、と言った。


 そこから俺は今までまともに開きもしなかった教科書を睨んで勉強した。毎日のように職員室に通ってたら、先生たちが時間を作って少しずつ勉強を見てくれるようになった。


 放課後は宥生の家にも毎日のように通って、一緒に勉強した。毎日来ては食事の時間まで勉強する俺に、宥生の母ちゃんは大喜びで晩飯を食わせてくれた。俺の人生で初めて本気を出して勉強した一年半だった。その甲斐あって、俺はなんとか宥生と同じ大学に滑り込んだ。


 大学に入ってからも、特に変わらない距離感で、毎日のように俺たちは一緒に過ごした。ときどき宥生の手に触れたり頭を撫でたりすると、真っ赤になって黙り込む。俺の中の独占欲が日に日に大きくなっていくのが自分でもわかる。


 俺ってホモだったのかな? そう思ったこともあるけど、宥生以外の男にそんな気持ちになったことはなくて、自分でもよくわからなかった。


 今の、この距離感が心地よかった。手を伸ばせばそばにいて、同じ映画を見て、くだらない話をして。宥生に対して抱くこの気持ちは恋なのかな? 恋だとしたら? 宥生と話して、一緒に出かけて、キスをする? したい? セックスは? 考えてもうまく想像できなかった。



*****



 宥生を無理やり連れて行った合コンで、彩夏ちゃんは初めから宥生しか見てなかった。猛アピールしてるのが傍目にはバレバレなのに、当の宥生だけに全く響いてないのが不思議なくらいだった。きっと近いうちに彼女から宥生に告白するんだろうな。清楚系で、気配りもできそうな子だし、宥生が気に入ったんならそれでいい。


 だからあの話を聞いたのは偶然で、別に盗み聞きをするつもりなんてなかった。姉貴からの鬼LINEがうるさかったから、スマホを持ってトイレの近くの通路に行ったら、誰かが衝立ついたての向こうでボソボソと話すのが聞こえた。彩夏ちゃんとその友達が話しているみたいだった。その言葉の中に「川瀬くん」というキーワードが混ざっているのに気がついて、俺は思わず息を止めて二人の会話に聞き耳を立てていた。


「いーじゃん、アヤ、川瀬くんといい感じじゃない?」


「んー、まあねえ……」


「え、なにあんた川瀬くん狙いじゃないの?」


「悪くないとは思うけど、でもなんかパッとしなくない? 顔は悪くないけどなんか垢抜けないっていうか……陰キャっぽいっていうか」


「あー。アヤの元カレもっとチャラい系だもんね。やっぱああいうのがいいんだ? 伊織くんのほうがお似合いじゃない? 彼女と別れたばっかりみたいだし」


「知ってる。だからとりあえず川瀬くんを落としたいの。伊織くんって、人のものが欲しくなるタイプだと思うんだよね。だからとりあえず川瀬くんと一緒にいればそのうち向こうから告ってくると思う」


「うわー、腹黒いわ」


「いや駆け引きって言って」


「駆け引きww」


 キャハハハ、と下品な笑い声を響かせて、二人は自分勝手な事をほざいていた。俺は思わず声を上げそうになったけど、考え直した。ここで俺が口出ししたって、どうせコイツらは宥生の前では猫かぶって誤魔化すに違いない。もっと根本から解決しないと。俺はスマホをポケットにしまうとその場を離れ、何事もなかったようにみんなのテーブルに戻った。しばらくして二人も席に戻ってくる。


 それから俺はずっと彩夏ちゃんを注意深く観察した。みんなでバーベキューに行ったときも、彼女は抜け目なかった。ちゃっかり宥生と二人きりで話をして、なぜか宥生に背負われて戻ってきた。


 こんな百戦錬磨の女の子に迫られたら、きっと宥生はイチコロで陥落してしまう。かといってもしも宥生が彩夏ちゃんのことを好きなら、うまくいきそうな二人を邪魔する俺のことをどう思うだろう。


 今まで宥生の書いた小説は全部読んできたけど、今度のやつは何かが違う。めちゃくちゃリアルで、なんつーか切なくて、こんな報われない片想いの主人公なんて今までなかった。


 俺は思い切って宥生に彩夏ちゃんのことを聞いてみた。わかりやすく動揺する宥生に、俺は嫌な予感がした。それ以上聞くのは怖かったけど、確かめないわけにはいかない。


 宥生の返事は意外だった。彩夏ちゃんの事は特になんとも思ってないらしい。こういうことで嘘をつくタイプじゃないから、本心なんだろう。でも、それなら宥生の好きな人って……?

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君の声で聴かせてほしい 全年齢版 夜行性 @gixxer99

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