24話 ちゃんと伝えたい 

 大成功のうちに文芸フェスが終わって、SNSでもかなり話題になった。用意した本は完売、次の開催を期待する声も多い。俺はそんな一大イベントに参加できたことを光栄に思う。ビジネスの枠から外れているからこその、独特で自由な創作に学ぶことも多かった。俺もまた新しい話を書きたい、そんな意欲が湧いてくる。


 ようやく興奮と熱が冷め、いつも通りの学生生活を取り戻した頃、俺は都筑さんに食事に招かれた。都筑さんのマンションに来るのはこれで二度目だ。俺は初めて都筑さんの部屋に来たときのことを思い出す。あのときはどうにも歯止めが効かなくて、暴発するような形で都筑さんへの気持ちを打ち明けた。と同時に下も暴発してしまって、都筑さんを怯えさせた。


 今度こそ、きちんと気持ちを伝えたい。都筑さんが好きだと言っていたワインを買った。花は、花言葉を気にし始めたら決められなくて、代わりにチョコレートにした。


 エントランスで都筑さんの部屋の番号を押すと、しばらくしてからはい、と都筑さんの声がした。


「あ、川瀬です」


「どうぞ、上がってきて」


「はい、お邪魔します」


 緊張しすぎて最初の声がうまく出なかったし、エントランスのドアに向かって頭を下げてしまった。汗をかいて湿った手のひらをデニムにこすり付け、エレベーターのボタンを押す。五階までの時間がやたらと長く感じられた。


 エレベーターのドアが開いて廊下を歩く間に、俺はもう一度持ってきたワインとチョコレートの紙袋を確認し、深呼吸をする。インターホンを押して、ドアの向こうに都筑さんの顔が覗いた時、俺はホッとして頬が緩むのがわかった。


 前回と同じようにリビングのソファに案内され、俺は持ってきた紙袋を都筑さんに渡す。中のワインとチョコレートを見て、都筑さんは意外そうな顔をしてから微笑む。


「よく覚えてたね、これ」


 ワインのボトルを取り出して、都筑さんはそう言った。


「今日は和食にしたから、この赤ワインはまた今度にしよう。辛口の日本酒が冷えてるから、今日はそれを試してみて欲しいんだ」


 俺は慌てて首を縦に振りながら答える。


「もちろんです。都筑さんのために買ってきたんで、好きな時に飲んでください」


 ダイニングテーブルには、小皿に美しく盛り付けられた料理が並べられている。俺は大した料理はできないけど、これだけの種類の料理を用意するのは時間がかかっただろうということは分かる。


 テレビ番組の歓声も音楽もない、静かな部屋に都筑さんと俺が向かい合い、食卓に着く。テーブルの上には旨い料理。このゆったりとした時間は、家族や友人とする食事とは違う何かで俺を満たしてくれる。沈黙の時間が長くても、それに甘えていられる心地よさが嬉しい。


 ひとつひとつの料理をゆっくり味わい、都筑さんが勧めてくれる日本酒で少し気持ちが大きくなった俺は、日本酒のガラスの器に伸ばされた都筑さんの右手をそっと掴んだ。


 都筑さんは、ピクリと弾かれるように右手を引こうとするが、俺は掴んだ手に力を込めて逃さなかった。


「酔う前に、どうしても伝えたいんです」


 俺は都筑さんの手を握ったまま、その目を真っ直ぐに見つめる。都筑さんに俺の顔が赤いのがバレていないことを願う。


「俺は、都筑さんが好きです。憧れているとか、それだけじゃないです。触りたいし、触って欲しい……そういう好き、です」


 俺の手の中の都筑さんの指先が、ほんの少し強張ったような気がして、俺は心臓がギュっと縮むような感覚に怯えた。それは今まで感じたことのない恐怖だった。不安と緊張で血の気が引きそうになったその時、都筑さんの左手が重なった。


「……僕はね、恋愛を諦めていたんだ」


 そう呟くように話す都筑さんを、俺は顔を上げて見つめる。


「若い頃は仕事一筋だったし、目がこうなってからはますます他の誰かの事を思う余裕もなくて、毎日を必死に乗り越えてきた。誰かを支えたり、労ったりするなんて今の自分には無理だって思ってたからね。……川瀬くんに会って、僕はたくさん救われたよ。初めて、僕は誰かを支えるだけじゃなくて、支えられてもいいんだって思えた」


 少し照れたように俯きながら、そう言って微笑む都筑さん。俺は、思わず椅子を蹴って立ち上がり、都筑さんの手を握ったままテーブルを乗り越えるような勢いで詰め寄ってしまう。急に俺の影になった都筑さんが驚いたように俺を見上げている。


 また勢い任せに都筑さんを怯えさせてしまうところだった。俺は、ゆっくり深呼吸をして震える息を吐き出し、椅子に座る都筑さんの前に膝を突いた。


「俺と、付き合ってください。俺にあなたを支えさせてください」


 高まる気持ちを抑えながら俺は努めて冷静に言う。都筑さんは、一呼吸置いてから体の力を抜き、小さく微笑んでその唇を開く。


「……前にも言ったけど、その、僕は同性と付き合ったことはないんだ。今までそういう気持ちになったことはない」


 俺は握りしめた都筑さんの手を離すこともできずに、ただ祈るような気持ちで、都筑さんを見上げる。


「だけど、君には特別な安心を感じるんだ。きみの声を聞いていると、不安や恐怖が消えていくようなね。人混みの中で、はっきりしない視界でも君の姿はすぐに分かる。……どうやら君は僕の初めてになりそうだ」


 俺は、自分の頭の中で都筑さんの言葉を何度も繰り返し、なんとか望みを繋ぐ。


「それって……」


「僕も、君が好きだよ」


 俺はそれを聞いた瞬間、椅子ごと都筑さんを抱きしめた。この人が、俺を好きだと言ってくれた。このちょっと神経質そうな細い指も、遠くを見るようなその瞳も、俺のものだ。そう思うと叫び出したい衝動に駆られる。椅子ごと押し倒す勢いの俺をなだめるように、都筑さんが俺の頭をポンと撫でる。


「ちょっと川瀬くん、落ち着いて」


「宥生って呼んでください」


「え、あ……ゆ、宥生、くん……?」


 薄く開いた都筑さんの唇が、戸惑いながら俺の名前を呼ぶ。俺は深呼吸をして、その爆発的な歓喜をなんとか自分の中に押し留めた。


「都筑さん、あの、だ、抱きしめてもいいですか」


 そう言ってから俺は、自分がもうしっかり都筑さんに抱きついていることを思い出した。


「……ふふ」


 都筑さんは優しく笑うと、俺を促して椅子から立ち上がった。


「はい」


 そう言って、向かい合った俺に両手を広げる。俺はそんな都筑さんの体を抱えるように腕を回す。すっぽりと俺の腕の中に収まる都筑さんの髪の匂いに鼻をくすぐられ、思いっきり息を吸い込んだ。腕の中の体をもっともっと引き寄せたくて、つい力が籠もる。


「……う、川瀬くん」


「宥生です」


「……宥生くん、苦しい」


 俺は渋々力を緩め、改めて腕の中の都筑さんをまじまじと見つめる。居心地悪そうに俺を睨む都筑さんの頭をそっと両手で包んで、彼が俯こうとするのを許さない。親指で、そっと唇をなぞると、都筑さんは微かに体を震わせた。


「キス、してもいいですか」


「……いちいち確認するなよ。……恥ずかしいだろ」


 瞳を伏せ、口の中で呟くようにそう言う都筑さんに、俺は自分の腰が疼いて跳ねそうになる。都筑さんに触れる前に俺がどうにかなりそうだ。都筑さんの顎を持ち上げると、唇が僅かに開く。瞳は揺れるように潤んで俺を見上げている。


 俺はそっと確かめるように唇を重ね、腕の中の体が力を抜いて俺にもたれるのを感じると、唇を割って都筑さんの舌を探る。ためらう舌を逃さずに絡め取り、味わうように吸い付く。都筑さんの腰が揺れて離れようとするのを、もう一度抱え直して引き寄せる。


 俺に口を塞がれて、都筑さんは苦しそうに鼻で息をしながらも、その舌は俺の舌を追いかけて来る。直接触りたい。俺は都筑さんのパンツのフロントボタンに手を掛ける。



☆☆☆☆☆



 しばらくうとうと微睡んだあと、目が覚めた俺は不安になって、恐る恐る隣を確かめる。寝息を立てる都筑さんの顔を眺めて、夢じゃないことにホッとした。起こさないようにそっと腰を抱き寄せてその黒髪に鼻を埋めると、ようやく安心して俺は再び眠りに落ちた。


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