15話 好きな子いるの?

「なんか、ゆーきの小説、感じ変わったよね」


 学食で昼を食べながら、伊織が不意にそう呟いた。


「……そう、かもな。少し大人の読者の目線も意識してみたんだ」


「ふーん。……もしかしてゆーき、好きな人できた?」


 口に入れたカレーを吹き出しそうになって、俺は慌てて紙ナプキンで口を押さえる。米粒が変なところに入って涙が出るほどむせた。水を飲んでようやく咳が収まると、俺は恐る恐る尋ねる。


「なんで、そんなこと」


「……だって今までの話だと、主人公は他人に興味なさそうだったし」


「そういうつもりはなかったけど……」


 客観的に見ると、そうだったのかも知れない。俺は目からウロコが落ちるような気分だった。ことさらに恋愛を書いていたわけではないし、今回のものも恋愛がテーマではない。それでも無意識の内に自分の心理が影響するのだろうか。


「もしかして、彩夏ちゃんとなんかあった、とか?」


「え? いやなんで、……何もないよ」


「ほんとに?」


「嘘つく必要ないだろ」


「ゆーきが興味ないなら、俺が彩夏ちゃんと付き合おっかな」


「伊織、お前彼女のことが好きなのか」


「うん、嫌いじゃない」


 嫌いじゃない、それは好きってことなのか? 俺は内心そう思ったが口には出さない。高校の頃から伊織は交際相手が途切れない。――来る者拒まずというのか節操なしというのか、そのせいで何度かトラブルを起こしたこともあった。年上の彼女で、その元彼氏が学校まで乗り込んできたこともある。


 そのくせどの相手にも執着しないので、ある日気がつくと伊織の隣には知らない子がいたりする。それでも誰も傷つけていないようなので俺はそのことについて伊織に何か言ったこともない。


「ゆーきは彩夏ちゃんみたいな子、どう思うの?」


「なんだよいきなり」


「ゆーきっていつもそういうの興味なさそうにしてるじゃん。……彼女ほしいとか思わないの」


 いつになく伊織が踏み込んでくるのに、俺は少し戸惑った。右手のスプーンを皿に置いて、コップの水を一口飲み込む。


「思わない訳じゃないさ。けどそれは俺にとって最優先ではないってだけだ」


「彩夏ちゃん、ゆーきのこと狙ってると思う」


「……」


 こういうことには驚くほど目敏いのが伊織だ。人の気持ちの動きを見逃さない。本人は何も言わないが、高校に入ったばかりの頃、伊織は少し浮いていた。正確に言えば、男連中に馴染めずにいた。伊織が何かしたわけじゃない。ただいつも女子に囲まれている伊織は嫉妬の対象になりやすかった。本人も多分それを分かっていて、あえて近づかないようにしているようだった。それが伊織の処世術であるかのように、一歩離れたところから冷めた目で周りを見ていた。


 もしも彩夏さんに付き合ってくれと言われたら——少し前の俺ならきっと受け入れる思う。彼女は魅力的だったし、理想的な相手だ。だが俺は断るだろう。理由はうまく説明できないが、いま、俺が思う相手が彼女ではないことだけをはっきり自覚していたからだ。


「……わない」


 俺は水のグラスに口を付けながら呟いた。


「え?」


 伊織がラーメンを啜る手を止めて聞き返す。


「彼女とは付き合わないよ」


「いい感じだったじゃん。彼女と」


「いい子だと思うよ」


「じゃあなんで」


「なんでって言われても……」


「他に好きな子いんの?」


 手に持ったグラスが中途半端な位置で止まる。


「……別にそういうわけじゃ」


 グラスをテーブルに置いて言葉に詰まる。小さな振動音がしてテーブルの上の俺のスマホの画面が点灯した。通知を確認しようとスマホに手を伸ばす。メッセージが来ている。タップして開くと、それは都筑さんからのメッセージだった。驚いて俺はもう一度その名前を確認する。


「じゃあ、彩夏ちゃんと付き合ってもいい?」


 スマホに気を取られた俺は、今までになく低い口調で真剣にそう言う伊織に少し気圧されて返事に詰まった。伊織がこんなにひとりの女の子にこだわるのを、俺は初めて見たような気がする。


「いいも何も、それは彼女の気持ち次第だろ」


「ふーん」


 そう言った伊織の視線は俺の腹の中を探るようで、どこか居心地の悪さを感じた俺は、逃げるようにスマホの画面に視線を落とす。原稿を渡したあと、しばらくして都筑さんにLINEのアカウントを聞かれ、俺は緊張しながら連絡先の交換をしていた。途中で何度も何度もメッセージを送りたくなるのを我慢して、今日まで一度もやり取りをしていない。


 今届いたのが都筑さんからの初めてのメッセージだ。俺は手に汗をかきながらアプリを開いてメッセージを読む。


 都筑です

 原稿読ませてもらいました。

 宮原くんも目を通して感想をまとめてくれてます。

 原稿にも簡単な校正を入れたので今度返します。

 13日か、17日の夜に都合つきますか?


 吹き出しに囲まれたその短い連絡を、俺は少なくとも三回頭の中で読み返した。そして慌ててスケジュールを確認する。十三日はバイトが入っていた。なんなら休んでもいいかなどと、俺は若干冷静さを欠きながら十七日を見る。――空いてる。早い日にちじゃないのが少し残念だが、一週間の辛抱だ。


 俺はたった一言の返信を、何度も何度も同じ誤字につまづきながら入力する。送信ボタンを押してからも、都筑さんのメッセージをもう一度読み返した。


「珍しいじゃん、ゆーきが即レスなんて。……誰から?」


「ん? ああ、小説関係の人」


「……へー」


 伊織に生返事をして、もう一度スマホを見る。リュックに入れると着信に気づかないかも知れない。俺はスマホを尻のポケットにしまう。伊織が横目でそれを眺めていた。


 午後、俺の返信に都筑さんからの返事が来て、十七日に会うことになった。

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