本編:【邂逅】

 「商人」の娘、エミリア・チャップマンがここ「王都学院」に入学してはや2ケ月が過ぎようとしていた。


 王都学院は旧名を「王都貴族院高等学校」といい、この国の将来の政を担う王族・貴族が帝王学を学ぶため、建国とほぼ同時に開設された。開校以来、数多くの王族・貴族を送り出した、この国で最も古く、有名かつ最高の教育を施し続けてきた学校である。

 しかし、長い歴史と伝統ある学校ではあるものの、その歴史と伝統は決して良いものばかりではなかった。開校から時が経つにつれて閉鎖性、過度な家柄重視、選民思想の傾向が強くなり、更には学校関係者内での権力争いや生徒の親との癒着がはびこっていったのだ。

 そんな環境・思想の下で価値観が歪んだ貴族を国政に携わせ、彼ら・彼女らに子が生まれたらその子らをまた同じ環境で学ばせて家庭と学校両方で価値観を歪ませ…という悪循環により、家柄ばかりがご立派でわいろをまき散らしながらでかい顔でのさばる一部の宮廷貴族が絶えることがなく、宮廷内部の者たちは頭を抱えていたのも、また事実だった。

 そこで現国王自らが立ち上がり、学校名と共に教育体制を一新したのは、国民達の記憶に新しい。まずはじめに現王は多くの教師を一斉に解雇。そして裏口入学・賄賂を防止する厳しい監視体制を立ち上げ、新しい教師には王自らと宮廷お抱えの学者が指定した教師のみを新しく採用した。

 そして何より、貴族以外のいわゆる平民であっても入学試験を合格さえすれば入学を許可すること。更に好成績で入学試験を突破した者には学費の免除を行うこと。その二つは広く門戸を開くべく、学校の、次いでは宮廷そのものの風通しを良くすべく行われた最大の改革であった。

 とはいえ、「貴族様」の学校と長いこと知られていた王都学院は「平民風情」にとって敷居の高すぎる場所であり、初めて貴族以外の生徒が入学したのは現王の改革後3年も経ってようやくのことであり、入学したのはエミリアただ一人であった。


 エミリアの吐き出した小さな嘆息は、王都学院の図書館に吸い込まれて消えた。

 ここに来て、こっそりと溜息をつくのはこれで何度目だろう、と彼女は思う。

 貴族の中に、平民一人が入り込む今の状況は、決して彼女にとって楽しいものではなかった。

 別にいじめがあるわけではないし、無視も差別もない。

 家柄重視の思想を撤廃するためにこの国の最も高貴な王自らが平民の入学を許可したのだ。家柄が大好きな貴族のボンボン達でさえ、エミリアの入学には何も言うことは出来なかった。

 学校の授業や、周りとの教養に引けを取っているわけではない。入試の成績も良く、学費免除で入学したエミリアは、授業が始まってわずか数か月で教員も同級生達も舌を巻くほどの才女の頭角を表し始めていた。また、「商人」の娘とはいえ、その商いは元々貴族相手のものも多く、一人娘のエミリアは両親から貴族への立ち振る舞いを幼いころから叩き込まれていたため、他の生徒たちを不快にさせることもなかった。

 

 しかし、それでも。

 

 同級生達から感じられる、隔たり。

 おそらく、未知のものへと感じる恐れと戸惑い。

 どう接していいのかわからないのだ。「商人」の娘に対して。

 失礼のない振る舞いを幼いころから身に着けてきた貴族様の子供達は、エミリアと話すときは物腰柔らかで丁寧だ。しかし、それでも彼女と必要以上に語らうこともなく、踏み入った話をすることもない。

 だから、未だにエミリアには友人と呼べる者は一人もいなかった。


 『いいわ、お友達作りに入ったんじゃあないんだから』

 エミリアは心の中で強がる。

 『お父様とお母様の言う通り、お客様の伝手でも新規開拓出来れば御の字よ』

 『それに』

 強がりを続けながら、エミリアは図書館のとある一角に向かった。

 『ここの図書館で本を借りられるだけで、この学校に入学した価値があるわ』


 王都学院の図書館は、ありとあらゆる本が並ぶ。

 国で出版された本は全てここの図書館に最低でも1冊は購入され、そして厳密に保管・修繕・維持がなされる。本の保全を行うのは王国お抱えの修繕士と、守護の魔法を得意とする魔術師達で、どの本もほとんど新品同様な状態を保ち続けているのだ。

 そして一度図書館に保存された本は、決して破棄されない。時代が流れ、人々の価値観が変わろうとも、常識が変わろうとも、決して。 

 ほぼ建国以来存在し続ける学校には、建国以来発売されてきたほぼ全ての本が並んでいる。まさに、最高教育の学校にふさわしい「知識の宝庫」だった。

 

 すっかり慣れた足取りでエミリアは巨大な本棚の間を進んでいく。

 膨大な量の本は、実はいつもは王宮の地下の保管庫に保管されており、図書館を利用する生徒が時代やジャンルにカテゴリ分けされた本棚へ向かって歩き、目当ての本棚の前に立つことで空間魔法を駆使して本棚へ該当カテゴリの本が呼び出されて陳列されるのだ。

 更には、本は本棚へ戻すか返却期限を過ぎれば自動的に王宮の保管庫へ空間魔法で帰る。

これによるメリットは、本の紛失を防ぐことや、貸出のための書類処理を省略出来るだけではない。


 誰が、何を借りても、第三者は分からないのだ。


 時代と共に価値観は変わる。

 子供向けのおとぎ話だって、今見れば眉をひそめるような無慈悲で残酷な話だってある。

 時代と共にデリカシーという概念、上品下品の定義、品行方正や下劣の捉え方はどうとも変わっていくものだ。流行り廃れも。しかるに、それに伴った本の発行、販売、改訂、廃版は世の常である。

 だがしかし、当時の世俗を含め歴史を正しく知る事は国政を行うものの最低限の教養である。

 そして当時の人たちの価値観を正しく理解する為には、現代は発行されていない本でも、現代の価値観で受け入れる事の出来ない内容でも「求めるものには与える、それも誰にも眉をひそめられることなく」というのがこの図書館の信条である。


 そのため、借りた本には意識遮断の魔法もかけられている。

 本人が手に取った瞬間から返却が行われるまで、本のタイトルも中身も借りた本人しか見ることが出来ないのだ。


 例えば、このように二人が同時に同じ本の背表紙を触れたりしない限り。

 

 エミリアはその時初めて気が付いた。

 自分以外が同じ本を求めてこの本棚に向かっていたこと。

 そして今自分と手を重ねあっているのがこの国の第一王子にして次期国王スティーブン・フィッツパトリックであるということを。


 スティーブンの碧眼は大きく見開かれて、エミリアを見つめていた。恐らく、エミリアも同じ顔をしていたことであろう。

 触れ合う手もそのままに、始めに口を開いたのはスティーブンの方だった。

「あ、あの…これは、その、歴史を、知るために」

 エミリアは彼と同クラスではあるものの、口をきくどころか、目を合わせるのも初めての事だった。日の当たらぬ本棚のコーナーでも尚明るい彼の金の髪が、眩しく彼女の目に焼き付かれる。

「ええ…私も、その、当時の貴族の方々の心を知ろうとして…」

 

 次代の王と貴族の振る舞いを叩き込まれた娘、そんな二人も、一つの本を前に手を重ねた瞬間から今まで積み上げてきたものは儚く霧散した。

 互いの手が汗ばむのを感じる。

 呂律も回らず、しかし何か話さねば、としどろもどろの言葉ばかりが口から出てくるのみだった。

「あ…これは…正しき市井を、あの、当時の一般の嗜好を…」

「あ…あ…そう、古書、あの、価値、古書として、あのちがくて」

 ああ、意味をなさない。相手の言葉も、自分の言葉も。

 今、同じ本に手を重ねているこの事実のせいで。


 壊れたゼンマイ人形のように、二人の顔と視線が、同時に動く。

 互いが欲した本に。


 二人が同時に求めてやまなかった本。

」に。


「あ、あの。ち。ちが、違くて」

「そう、そう、り、理解を、そう」

「りりりりりり理解。そ。それ。それでひゅ」

「おおおおお王として」

「わか、わかってまふ、もちろんで、あの、わたしも、にょ!あ、」


 しかし!

 ここで!

 いきなりながら!

 二人の言語能力、思考能力はここから更に著しく後退する!

 そう!エミリアの同級生であり、スティーブンの婚約者、そして、本作悪役令嬢であるリリアン・セイラムによって!


 カタリ、と物音が聞こえ、二人は同時に手を離した。そして物音のする方に、素早く振り向きながら、分厚い本棚に身を隠す。危機を感じた野生動物のごとく。

 図書室の、本棚とは反対側の、陽のあたる場所。そこに並べられた読書用のテーブル席。

 そこに、彼女はいた。

 

 彼女の珍しい銀の髪が、エミリア達からは逆光なのにそれでも陽の光を通して鮮やかにエミリアとスティーブンの目を射貫いた。銀の毛髪一本一本が光を放っているように。

 片耳にだけ髪をかけられた彼女の顔。つややかな肌に紺碧の瞳。スラリと通った鼻筋に、桃色の薄い唇。

 本に真摯に目を向ける彼女は、エミリアの一族がこの国の貴族達の為に仕入れる、精巧な陶器人形を思わせた。遠目からでも見えるほど長いまつ毛がたまに上下されて、それだけがまるで彼女が作り物ではないという証明のようだった。


 すると、読書に没頭するリリアンの後ろに、そうっと近寄る者がいた。

 足音を忍ばせてリリアンの座る椅子の真後ろに立ち、いたずらそうに目を細めた彼女、2学年生のクロエ・ラッセルは、いきなりリリアンを椅子ごと後ろから抱擁した。

 

 リリアンがビクリと肩を震わせる。が、一拍後肩の力を抜いて、軽く嘆息する。


「図書館ではお静かに。いつも言ってるわよ」

「あら、大きい音なんか出してないわ。あなたももうビックリしたり本を落としたりしなくなったじゃない」

 全く悪びれる様子もなく、クロエがうそぶく。

 彼女の言う通りこのやりとりはいつものことらしく、リリアンも口では咎めるもののすっかり慣れているようだ。

 事実、クロエは中腰のままリリアンへの抱擁を止めず、リリアンも自身の肩に乗せられたクロエの顔にほおずりするように頭を軽く傾けた。

「それに、この時間はほとんど人がいないじゃないの。だからここで読書してるんでしょ?」

 体勢を変えずに、二人は軽口の応酬を繰り返す。


 この国の第一王子、スティーブン・フィッツパトリック。

 彼の婚約者である、リリアン・セイラム。

 この二人は当然のことながら、学校どころかこの国で知らぬ者はいない程有名である。有名であるということは、彼らの近辺、人間関係なども有名、悪く言えば筒抜けなのである。


 クロエ・ラッセルは、そんなリリアン・セイラムの幼馴染だった。

 公爵であるセイラム家と侯爵であるラッセル家は、爵位こそ異なるものの、双方ともに正しい意味で古く伝統ある家柄であり、互いの領地も近く付き合いも長い。そんな家に生まれた年の近い娘同士である二人は幼いころからの親しい友人同士だと知られていた。


 振る舞いは淑女そのものであるものの、表情が常に固く、自他ともに厳しい言動をしがちのリリアンは、その美貌と家柄も相まって周囲から遠巻きにされやすい。しかし実際そうでないのは、天真爛漫なクロエが幼い頃から学び舎を共にし、彼女の表情を和らげているからだった。

 親友の前であどけない表情を見せ軽口を叩くリリアンに、新しく出来たクラスメイト達も緊張を若干ほぐして接することが出来ていた。

 クロエもクロエで、年下ながらしっかり者のリリアンに手綱を握られているから、じゃじゃ馬娘にならずに済んでいるらしい。

 彼女が1学年生の時には王都学院中の教師がリリアンの入学を心待ちにしながらクロエに手を焼いていたと聞く。

 お互いを支えあう親友同士。それが学校の、そして世間の二人に対する評判だった。


「…。ローガンが私との結婚を急かしているの。もしかしたら、私、王都学院を途中でやめないといけないかも」

 そんなクロエから唐突に紡がれたその声は、本棚の後ろに隠れたエミリア達にもはっきりと聞こえた。周囲に人がいないと判断したのであろう二人は、声を潜めることもなく会話をしていた。


 ローガン・エヴァンスは、クロエの婚約者だ。クロエよりも2回りも年上で、これまで2度結婚を破綻させている。しかし侯爵家の中でも指折りの広大な領地をもち、その領地のワインでローガンの先代が一大資産を築き上げたという。

 一方クロエの方、ラッセル家の領地では不作が続き、厳しい局面を強いられていた。その話を聞きつけたローガンが、クロエとの結婚及び経済的な支援を申し出たのだ。

 リリアンとは系統が異なるものの、クロエも人目を惹きつける美少女だったため、女好きのローガン卿のお眼鏡にかなったという訳なのだろう、というのが学校及び世間の見解だった。


「…そう」

「そんな悲しそうな顔しないで」

 明らかに落胆した声を絞りだしたリリアンに、クロエがほおずりした。

 銀の髪とウェーブがかった赤毛が、白く透き通った頬にバラ色の頬が、ぺたりとくっつく。

「貴方だって王子との結婚が控えてるのよ。私も同じ。貴族の娘の務めを果たすわ」

 頬を寄せ合ったまま、クロエが話す。

 少しでもどちらかが身じろぎすれば、互いの唇が触れ合うその位置で。

 

 エミリアはそんな二人をじっと見つめていた。

 声すら出なかった。

 しかし、心の中では、あまりにも強い感情がせめぎあっていた。


 はあ~~~~~~なんやこの二人尊いいいいい!!!!

 あ、いや、違うのあの、違うの、現実とね、お話の世界をごっちゃにしちゃいけないの。

 でもねあのね、美少女二人が、系統の違う美少女で!幼馴染の!!!←ここ重要ね、二人が!!!こんなに距離を近くしてね、あのね、お互いの別れをね、寂しがっちゃっててね、しかもね、子猫ちゃんみたいにね、じゃれあっててね。

 しかも、しかもですよ、かたいっぽはあの、お堅い美人の!銀髪の!!リリアン嬢ですよおおお!?あのお方があんなにあどけない顔したり、クロエ嬢のご結婚による離別を悲しんでいらっしゃってえええ!?あああしょんぼりしたお顔、きれいというよりは可愛いいいいねえええええ!!!

 ああ、、っていうかね、近い、近いよ。二人とも近いよ。美少女が二人で仲良くぺったりくっついているよおおおおお!!!

 ちゅーしちゃいそう。え?すんの?まさかすんの?何それ見たい。ねえ、しないのおお???しないんですうううううう!!??????

 

 はあー---尊い!!てえてえ!てえてえよおおおお!!!


 先ほどスティーブンと同時に手に取った本のタイトルからお察しの通り、このエミリア、百合が、GLが、女性同士の恋愛が大好物なのである。

 別に本人が、女性と恋をしたいわけではない。それどころか、異性と自分との恋愛にも興味がないくらいである。

 しかし、女性同士の恋物語、これがたまらなく好きなのだ。

 純愛も好きだし、恋愛のない女の子の友情物語も好きだ。

 でもエッチなお話だと、なお良いよね???


 エミリアがこっそり二人を嘗め回すように見つめる中、クロエがリリアンから離れた。

 触れ合っていた赤髪と銀髪の一束が、ゆるくからんで、そこだけ離れないでいる。

「ねえ、だからね」

 クロエが、その名残惜しそうな髪を優しく梳いてほどく。


そして、リリアンの銀の髪にそっと口づけた。

「ここの生徒でいる間は、せめてその間だけは、貴方を好きなままでいさせてね」

 

 今まで通り、ね?と言い残し、クロエはリリアンに背を向け、図書室を足早に去っていった。

 リリアンはその背を無言で見送り、完全に見えなくなってから、はじめて口を開いた。

「全く…いつもそう。言うだけ言って、そのくせ私の言葉を聞かないで、おびえて逃げて」

 言葉とは裏腹に、それを紡ぐ声音はひどく穏やかだった。

 クロエに口づけられた自らの髪のひと房をすくいあげる。そして、それにリリアンも愛おしむように口づけた。

「貴方だけが好きだなんて、おもわないでよ…」

 そこには、クラスメイトが知る、ましてや噂話で語られるリリアンの姿はなかった。

 彼女の頬は赤らみ、図書室の優しい日差しに照らされた深海色の瞳は悲哀と思慕がないまぜになっている。困惑と悲しみを帯びてもなお、好いた相手に好意を寄せられた事への嬉しさがあふれていた。

 

 年相応の、恋をしている少女が、そこにはいた。


 しばらく後、リリアンも図書室を去った更にその後、エミリアは呆然自失の状態からやっと我に返った。

 そして、今目の前で起こったことを反芻し、胸部、心臓の上のあたりをわしづかみ、床に崩れ落ちた。

「------------っっっっっっっっ!!!!!!!」


 過剰供給である。

 尊い成分の、過剰供給である。

 だが、この、幸福感。胸のときめき。ああ、探していたものがここにあった。

 初々しい。瑞々しい。しかしいつか訪れる別れ、ああ、ほろ苦い。


 余韻を堪能して床でビッタンビッタンひとしきり転げまわって、エミリアはやっと横にいたスティーブンを思い出した。

「あ…ああ…」

 彼は床にうずくまり、うめき声をあげていた。

 そうじゃん、この人、リリアン嬢の婚約者じゃん。エミリアはそれもやっと思い出した。

 さっきの光景は、スティーブン王子から見たら、浮気現場では?婚約者が他の人に心を奪われているのだから。

「あ…あのう…」

 なんと声をかけていいのか思いあぐねているところ、スティーブンがバッと顔を上げた。

 

 スティーブンの顔はもう、すごかった。

 いつも侍女達に整えられていた髪はぐちょぐちょに乱れ、顔は涙と鼻水とよだれにまみれていた。ついでに鼻血も出ており、顔から出せる液体をいっぺんに出していた。

 モザイク処理必須レベルである。

 口をあけながら呆然とする彼は、近くにエミリアがいた事を思い出したようだ。エミリアを視認したあと、またうずくまり、震えながら、心の内を叫んだ。


「二人を邪魔する僕、解釈違いでず!!!!!!」

 

 スティーブン第一王子は激高していた。

 リリアンがクロエに思慕していることではなく、自分が彼女の恋路を阻む存在になっていたことにである。


「ずぁっ…ふぁ…ね"あっ…!お"ああ"…あ"あ…ゔぁっ…ぼぐ…ぼぐが…あどふだり"の…さばだげに…こんだでぃ…どうどゔぁっ!!」

 ※訳:僕の存在がこの尊い愛を紡ぐ二人の妨げになってしまい、とても心が痛いです。

 

 エミリアは、彼の気持ちを慮り、泣いた。

 スティーブンは自分と同じく女性同士の恋愛をこよなく愛するしているにも関わらず、自分が両片思いの甘酸っぱい二人の妨げになってしまっているのだ。

 しかもこの国の第一王子と、その婚約者で侯爵家の娘という身分。二人の結婚は国の行く末さえも左右する。簡単に覆すことの出来ない婚約である。

 自分がもしもスティーブンだったら、その辛苦たるや推して知るべしである。


 エミリアの目からは涙と共に血涙があふれ、鼻からは鼻水があふれ、口を強くかみしめたために、唇からも血が流れていた。スティーブンが出し損ねた液体を顔面から垂れ流していた。

 こちらもモザイク必須レベルでやっばい顔をしながらも、エミリアはスティーブンを励ます。


「ぢが…わるぐない…ぢがぅ…。わだぢだぢで…ハビエンゔぉ…づぐるのでず…!!」

※訳:例え貴方が婚約者でなくても、他の縁談を強要されたでしょう。ですので貴方様に非はございません。むしろ、今の立場を使って、幸せな未来を作り上げましょう。平民である私も微力ながら協力させて頂きます。


 スティーブンがうずくまりながらも、こくり、と頷く。 

 かくして、リリアン嬢が意図することなく、図書館の一角にてこの国の第一王子と「商人」の娘が、顔面と精神力と語彙力を崩壊させるという悲劇が起こった。

 液体をべちゃべちゃとしたたらせながらも、まだ止まらないときめきを胸に抱き、恍惚とした表情で、エミリアは呟いた。


「リリアン嬢…罪なお方」



結論:百合が出来た。

感想:食べたことも見たこともないのに「ビーフシチューを作れ」と言われてやけを起こして肉じゃがを作った人の気持ちが分かった。あと、図書室ではお静かに。

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実験小説:悪役令嬢を3センチ位しか知らないおばさんが悪役令嬢ものを書いてみる ゲコさん。 @geko0320

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