エピローグ:アミ

 



 アミ・ヘディーラ、十二歳。


 スラヴァー領の中心であるキャプティスに近い農村で暮らす彼女は、どこにでもいる普通の学生だ。




「いってきまーすっ!」


「いってらっしゃい」


「あんまり慌てて走ると怪我するわよー!」


「平気平気ーっ!」




 制服姿の彼女は、大好きな両親に見送られながら、村にある学校へ向かう。


 子供たちは当たり前のように学校に通っているが、昔はローガンスという悪徳領主に支配された、貧しい村だった。


 だが彼の悪事が暴かれ追い出されると、村は実質的にマジョラームの持ち物となったのである。


 それからは急速に開発が進み、道路は舗装され、キャプティス中心地と繋がる線路も敷設された上、学校などの施設も増え、主産業である農業の効率化も行われた。


 だから、こうしてアミが堂々と道を走っていても、村の住民に挨拶をされることはあっても、兵士に理不尽な暴力を振るわれることは無い。




「おっはよー!」




 アミは友人の女の子を見つけると、隣に並んで大きな声で挨拶をした。




「おはよう、アミちゃん。今日も元気だね」


「うん、だって幸せだもんっ」




 貧しかった頃も、元気いっぱいに過ごしていたのだ。


 生活が楽になれば、あの頃よりもさらに明るくなるのは当然である。




「相変わらず能天気だな、アミは」




 すると別の少年が現れ、アミを小馬鹿にするように言った。


 彼はポケットに手を突っ込み、気取ったような口調で語る。




「こんな田舎のどこがいいってんだか」


「ご飯おいしいよ?」


「そんなもんキャプティスでも食える。俺はな、卒業したらマジョラームの社員になるって決めてんだ」


「へー、マジョラームかぁ」


「どうだ、すげーだろ?」


「そうだね、頑張れ!」




 興味なさげな、投げやりの応援に、少年は「ぐ……」と悔しげに奥歯を噛んだ。




「アミちゃんは、卒業したらどうするの? 畑を継ぐの?」




 友人がアミに尋ねる。


 しかし彼女は首を振り否定した。




「ううん、私は王都に行くんだっ」


「王都だぁ? ちんちくりんのアミがどうやってそんなとこ行くんだよ」


「そんなの決まってるよ」




 アミはどこかで見たような得意げな顔をして、胸を張り言い切った。




「私はメアリー王女のお嫁さんになるのっ!」




 ……沈黙が流れる。




「……ア、アミちゃん?」


「そろそろ現実を見ねえと親御さん泣くぞ」




 数秒後、ようやく返ってきたのはそんな冷たい反応だった。


 アミは必死に反論する。




「見てるよ! 私は前世でメアリー王女……ううん、お姉ちゃんと結婚したの。だから今回だって結婚できるはずなんだからっ」


「駄目だこいつ」


「アミちゃぁん……」




 言い訳をするほどに、墓穴は深くなる。


 しかしアミ本人は至って本気なのであった。




「なんでみんな信じてくれないんだろ。本当に私とお姉ちゃんは結婚したのに……」




 ◇◇◇




 その日の午後、学校が終わるとアミは駆け足で家に戻った。




「ただいまーっ!」




 そしてカバンを置くと、制服姿のまま再び外出する。




「いってきまーすっ!」


「今日もキャプティスに行くの?」


「うんっ、いつものお店に新商品が入荷するんだって!」




 心配そうな母親とは裏腹に、アミの瞳はキラキラと輝いていた。




「本当にメアリー王女が好きなのね。ご飯までには帰ってくるのよ」


「はーいっ!」




 学校でも動き回っていたというのに、アミの顔には疲れの片鱗すら見当たらない。


 無尽蔵とも思える体力を見せつけるように、家を出て走る彼女が向かうのは――村にある駅だった。


 アミは列車に乗って、キャプティスへと向かうのだ。




 ◇◇◇




 キャプティスの中心付近にある、とある雑貨店。


 アミはそこに入ると、レジで商品の整理をしていた男性に声をかけた。




「おじさん、こんにちはっ」


「おう、アミちゃん。今日も元気だねえ」


「今日も楽しい一日だったから!」


「アミちゃんぐらいの年頃だと、楽しいことでいっぱいだろうからねえ」


「違うよおじさん。幸せって、当たり前じゃないの。たっくさん頑張った人がいるから私たちはこうして幸せに暮らせてるんだよ?」


「はははっ、アミちゃん学校で哲学でも習ったのかい?」


「私の座右の銘!」




 そう言い残すと、彼女は別の売り場に向かうため走り去る。


 そこには顔の横で二つのドリルを揺らす、見知った女性の姿があった。




「あ、キューシーだ! やっほー!」




 アミはキューシーに駆け寄る。




「彼女は?」


「アミ・ヘディーラ。わたくしのメア友ですわ」


「めあ……?」


「メアリー王女好き好きフレンド!」




 そして首を傾げるティニーの疑問に答えながら、




「いえーいっ!」




 ハイテンションにキューシーとハイタッチをした。


 アミが彼女と出会ったのは、半年ほど前のこと。


 元々メアリー王女の大ファンだったので、雑貨屋にコーナーできるという噂を聞いて、真っ先に駆けつけたのである。


 そこで、メアリー王女のグッズを見ながら呼吸を荒くするキューシーを発見。


 同じ匂いを感じ取ったアミが声をかけるとすぐに意気投合し、今ではすっかり友達となったのである。


 彼女がマジョラームのご令嬢であることは後で知ったのだが、アミにとっては些細なことであった。




「ねえねえキューシー、今日は新作入ってるの?」


「わたくしもそれをチェックしにきたのよ」




 アミは、今日が発売日だとキューシーから聞いていた。


 だが売り場を見回しても、それらしきパッケージは見当たらない。


 すると、先ほどの男性が箱を持って二人の前に現れた。




「申しわけありませんキューシー様、さっき届いたばかりでまだ出してなかったんですよ」


「それが噂のっ、メアリー王女のトレーディングブロマイド第五弾!」




 そう、新商品とは――開発チームが集めてきたメアリーの写真をカードにし、中身の見えないパックに封入した商品であった。


 二十種類の写真のうち、ランダムに一枚封入されている。


 今回が第五弾なので、過去のものと合わせるとちょうど百種類だ。




「今回のシークレットには、なんと水着姿が収められているそうよ」


「み、水着っ! 駄目だよキューシー、私たちのメアリー王女の肌を他の人に見せちゃ!」


「だからわたくしたちで買い占めるんじゃない」


「なるほど。先に当ててしまえばいいんだね! おじさん、これ三パックちょうだい!」


「わたくしは三箱もらおうかしら」




 さっそく金の暴力を見せつけるキューシー。


 ちなみに三箱も買えば相当被りが出るのだが、最も封入率の低い写真は十二箱に一枚しか入っていないため、それでも当たるかは微妙なところだ。


 おもちゃを買ってもらった子供のように目を輝かせながら、お金を払い商品を受け取る二人。


 そんな彼女たちの姿を見て、ティニーは恐る恐る声をかけた。




「あのぉ、製造元はマジョラームの子会社なんですよね。お嬢様はそこから貰えばいいのでは?」




 まったくもって正論であった。


 アミはともかく、キューシーはなぜ自社で作った商品を、自らのポケットマネーで買っているのか。




「チッチッチッ、わかってないわねえティニー。買って、当てるから意味があるのよ」


「どんな意味があるんですか?」


「愛よ」


「そう、ラヴだよね、ラヴ!」


「私には全然わからない……」




 まあ、わからなくて当然である。


 前世で本当に結ばれたことがあることなど、メアリー以外知る由もないのだから。


 実際、本人たちもよくわかっていない。


 さて、なけなしのお小遣いで三パック購入したアミだったが、さっそくハサミを借りて開封しているようだ。


 まず一パック目――折り目が付かないように、慎重に取り出す――




「はっ、これは……!」


「アミ、まさかそれは……!?」




 彼女の瞳に映ったもの。


 それはフリル付きの可愛らしい水着をまとった、メアリー王女の写真だった。




「うへへへぇ……メアリー様の水着ぃ……」




 ついついだらしない笑い方をしてしまうアミ。


 一方で目の前で当たりを引かれたキューシーは、明らかにそわそわしていた。


 確かにそれらの写真を撮影してきたのは彼女の部下だ。


 だが購入する喜びを損なわないため、どういった写真があるのか、彼女は見ていないのだ。




「……見せてもらえる?」


「だめー」




 アミはそう言って、写真をぎゅっと胸に抱きしめた。




「いいじゃない、見るぐらい」


「これは私が当てたやつだもーん」


「ぐぬぅ……」


「お嬢様は会社に頼んで原本の写真を見たらいいのでは?」


「だからそれは違うのよ!」


「わからない……」




 ティニーは正常な世界に置いてけぼりにされるばかりである。


 するとそのとき、女性秘書を引き連れたプラティがそこにやってきた。




「またこんな場所で権力を濫用していたんですね」




 呆れ顔の彼女に対し、キューシーは真顔でこう言った。




「あらプラティ、あなたも新弾を買いに来たの?」


「迷いのない瞳で言われると恐怖すら覚えるんですが。お父様から頼まれて、あるものを渡しに来たんです」


「そうなの、よく場所がわかったわね」


「よく私に見抜かれないと思えましたね」


「これが姉妹の絆かしら」


「はいはい、もうそれでいいです」


「でも、よっぽど急ぎでもない限り、会社に戻ったときに渡せばいいじゃない。わざわざプラティまで使うなんて」


「私にとってはどうでもいいものですが、キューシーにとっては大事でしょうから」




 そう言ってプラティが差し出したのは、一通の手紙だった。


 封蝋の印からして、王家からキューシーに宛てたものと思われる。


 開いて中身を取り出すと、そこに記されていたのは、キューシーにとってあまりに嬉しすぎる報せだった。




「これは……メアリー王女の誕生会への、招待状っ!?」




 思わず声に出してしまう。


 もちろんアミも驚いた。




「ええぇっ!? キューシー、メアリー様の誕生日パーティに呼ばれたの!?」


「ふっ、んふふふふっ、ふははははははっ!」




 キューシーは天を仰ぎながら、高らかに笑った。




「ついに! わたくしの想いがメアリー王女まで届いたんですわーっ!」




 職権濫用してまでファンであることをアピールし続けてよかった。


 心からそう思っているようだ。


 一方で、メアリー様好き好きレースで大きくリードされたアミは焦る。




「ずるいずるいっ! 私のはないの?」


「残念だけど、これはわたくしの招待状だもの」


「えぇーっ、連れてってよぉ!」


「王家のパーティにはさすがに連れていけわよ。それに、あなたには水着の写真があるじゃない」


「ううぅぅぅ、キューシーのいじわるー!」


「んふふ、今は何を言われても喜びしか感じないわぁ!」




 涙目になるアミだったが、平民である彼女を連れていけないのは当然のこと。


 キューシーも少しは可哀想だと思っていたし、友人として何かできないかと考えてはいたが――こればっかりは、さすがに無理なようだ。




 ◇◇◇




 アミは水着写真を大事に抱えて、とぼとぼと家に返った。




「ただいま……」




 あまりに覇気のない声に、母は心配し、頭を撫でながら問いかける。




「おかえりなさい、アミ。暗い顔して、何かあったの?」


「ううん、別に何も」




 アミも、別に嘘をついているわけではない。


 彼女だってもう十二歳だ。


 さすがに、平民の自分が王家のパーティに行けるはずが無いことぐらい理解している。


 そう、頭では理解できているのだ。


 しかし心はそうもいかず、周囲に心配をかけるのはよくないと思いながらも、気持ちが沈むのを止められないでいた。




「今日のご飯はハンバーグよ。アミ、大好きでしょう?」


「え、ハンバーグ!? 私、お母さんが作るハンバーグ大好き! けど、今日って何かお祝いの日だったっけ?」




 いくら生活が豊かになったとはいえ、そうそう頻繁に出せるメニューではない。


 不思議そうにキッチンを見つめるキューシーに、リビングでくつろぐ父が声をかけた。




「こっちに来なさい、アミ」


「お父さん?」


「実はね、さっきこんなものが届いたんだ」




 父がアミに手渡したのは、白い封筒だった。


 とくん、と彼女の胸が高鳴る。




「誰からだと思う?」


「こ、これって……さっきキューシーがもらってたのと同じ! ヘンリー国王からっ!?」


「おや、見たことがあるのか。驚かせられなかったのは残念だけど、それならアミは中身もわかっているのかな?」




 アミの手は汗ばみ、心臓はバクバクと鳴り響いている。


 こんなに興奮するのは、人生で初めてかもしれない。


 指先が震えるので、封筒を開くのにも手こずってしまった。


 そして中に入っている手紙を取り出す。


 そこに記されているのは――間違いなく、キューシーが受け取ったのと同じものだ。




「招待状だ……私にも送ってきたっ、メアリー様からの招待状! やったあぁぁああっ!」




 アミは目に涙を浮かべ、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら喜んだ。


 こんな夢のような出来事が本当にありえるのだろうか。


 もしかして、自分はまだ寝ているのではないだろうか。


 そう思ってしまうほど、身に余る幸福。


 しかし――何度も手紙を見ているうちに、彼女は気づく。




「で、でもどうしようっ、私どうやって王都まで行けばいいんだろっ?」


「迎えに来るんじゃないか?」


「ドレスは!?」


「それは……さすがに用意はして……くれないかもなぁ?」


「ええ、できるだけ綺麗な服装で行くしかないんじゃないかしら」




 アミが持っている一番綺麗な服は制服だ。


 しかし、いくらなんでも王家のパーティに制服で出るのは無茶である。




「そうだ、キューシーに相談しよう! それなら行けるよねっ!」




 きっと『なぜあなたまで呼ばれたの!?』と驚くことだろう。


 だが同時に、何だかんだ言いながらも手を貸してくれるはずだ。


 キューシーはそういう人間なのである。




「やっと……メアリー様に、お姉ちゃんに会えるんだ……!」




 改めて、手紙をぎゅっと抱きしめ、目に涙を浮かべて喜ぶアミ。


 一方で、両親も幸せそうな娘を見て浮かれながらも、ただの平民に王家が直に手紙を送ってきた――その事実に、疑問を抱かないはずがなかった。




「うちに送ってきたの、誰かとの間違いではないのよねぇ」


「名指しだったからな」


「どうしてあの子なのかしら」


「アミの言う通り、本当に前世で繋がりがあった……のか?」


「そんなまさかぁ」




 にわかには信じがたい話だ。


 しかしメアリーとアミを結びつけるものは、それぐらいしか思いつかないのであった。



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