180 vs世界Ⅷ『物語の終わり』
メアリーとて、話の途中でそのアルカナ使いの正体をわかってはいた。
だが、いざこうしてはっきりと告げられると、戸惑いを感じずにはいられない。
「カラリアさんが……アルカナ使い……」
もはや、“夢だから”という理屈では、リュノの言葉を否定できなかった。
なぜなら『
「実を言うと、私が覚えてるのはアンジェと二人で死んだ瞬間までなんだ」
ステラは、どうやら他の人たちとは違い、戦いの記憶を持っているようだ。
メアリーが無意識下でそう望んだからか、あるいは『世界』の宿主であったことが要因なのか。
リュノも同様に――彼女はずっとメアリーの中にいたのだから、当然かもしれないが。
「その先の出来事は想像になるけれど……ミティスは、メアリーちゃんから大切なものを全て奪おうとしたんじゃないかな。だから、カラリアさんのことも、戦いの途中で取り込んだと思ってるんだけど、どうだろう」
「……正解です。私は、カラリアさんを殺して、食べました」
「その時点でメアリーさんは『愚者』を取り込んでいたはずです」
「確かに、そうだったんでしょう。でも、『愚者』を取り込んだから何なんですか? この世界が夢でない証拠になるとでも?」
「なるよ」
ステラは真っ直ぐに、淀みなく言い放った。
その自信に満ちた言葉に、メアリーは反論できない。
いや――そもそも反論の必要もないのだ。
ステラたちが言っている言葉が、本当に、真実だというのなら。
むしろ願っている。
ここは夢ではないのだと。
そう信じられる、確固たる証拠を見せてくれ、と。
「まず前提として、私たちがここにいて、メアリーちゃんもいるってことは、『世界』は――ミティスは倒せたんだよね。けれど彼女は周到に準備していたから、倒すと同時に、世界は滅びたはず」
「知ってたんですか、そうなるって」
「伝えられなかったんだよ、私には自由がなかったから」
「……それは、仕方ないですけど」
ステラの言動が著しく制限されていたことは、メアリーも知っている。
アンジェとの戦いのとき、もしステラがミティスの計画を邪魔するような発言をしていたら、その前に消されていただろう。
「そして世界が滅びれば、メアリーちゃんだって死ぬはずだ。でもそれだと、“夢を見ている”という言葉と辻褄が合わない。つまりメアリーちゃんは滅びた世界で生きていて、そして、この世界を夢だと思いこんでいる。違うかな」
「その通りですよ。完全なる不老不死は、ミティスの残した最後の呪いですから」
リュノは唇を噛みうつむいた。
別にメアリーに彼女を傷つける意図はなかったが、ミティスの話題になれば、一つ一つの事実がリュノの心をえぐるのは必然だ。
「それが間違いなんだよ」
「どう間違ってると?」
「メアリーちゃんは死んでる」
「だったらいいですね。どうやって『世界』を消すんです? 全力で戦ったって、まっとうに倒すことはできなかったのに」
反射的にそう言ってしまうメアリー。
だが彼女の疑問の答えは、すでに提示されていた。
「『愚者』だよ」
今までの話は、そのための
「メアリーちゃんが望めば、『愚者』は『世界』の能力すら打ち消すことができる」
『愚者』と『世界』は同レベルの存在である。
しかも、すでに一度、リュノとミティスが対峙した時に『世界』の機能を削除することに成功している。
であれば、今回だって可能なはずだ。
「そ、それで……それで死ねたとしてもっ!」
「これでメアリーちゃんは死ぬことができた。そして――」
「まさか、
「そう、メアリーちゃんが死んだ結果、反転した『
死を司る能力を持つアルカナ。
それがひっくり返れば、何が起きるのか――本人であるリュノが最も詳しい。
「『死神』の逆位置が意味する言葉は“再生”」
彼女は十三番目、『死神』のタロットに手を伸ばすと、その上下をくるりと入れ替えた。
「アルカナが破壊された反動ともなれば、相当な規模で“再生の意志”を持った魔力が解き放たれたはずです」
その言葉を聞いたメアリーは――
「それで、この世界が再生したっていうんですか? ふふっ、つまらないことを言うんですね」
――心から失望した。
「そんなことありえないですよ、リュノさんだってわかってますよね?」
リュノ同様に、メアリーも『死神』のことをよく知っている。
だからわかってしまう。
「世界は広くて、複雑で、それに失われた命はあまりに大きくて! ただの神に過ぎない『死神』の力だけで取り戻すなんて、できるはずないじゃないですかっ!」
もしそれが真実だというのなら、とうにメアリーだって到達している。
だって、誰よりも彼女こそが間近で地獄を見て、だからこそ最も“都合のいい結末”を探し続けてきたのだから。
それでも見つからないから、夢と思うしかないのだ。
期待を喪失したメアリー。
彼女に対し、リュノは言った。
「理由はもう一つあります」
むしろ、こちらのほうが本命だと言わんばかりに。
メアリーは顔を上げる。
疑いながらも、その瞳にわずかに期待の光を宿して。
「メアリーさんはミティスを取り込んだ時点で、『愚者』を含めた全てのアルカナを手にしました」
「全部集めたら何かプレゼントでも貰えるんですか? 願いが叶うとか」
「願いは叶いません」
乾いた否定に、目を伏せるメアリー。
だがリュノはこう続けた。
「ですが、世界は創れます」
「世界を、創る?」
「この世界が生み出された状況を思い出してみてください」
先程、リュノから過去に何が起きて、どうやってこの世界が創られたのか、説明を受けたはずだ。
そこに存在したのは、二十人の神と、『世界』、そして『愚者』。
「あ……」
それはつまり――
「そう、メアリーさんとまったく同じなんですよ」
『世界』を取り込んだ時点で、メアリーの中に“世界創造を行える環境”が完成したことを意味している。
もちろん、
“力”だけでなく、零から全ての世界を組み上げるだけの、途方も無い作業が必要になるから。
メアリーはそんなことしていない。
あれから何億年もかけて、いつ完成するかもわからないパズルを組み立てる気力などなかった。
だが、それでも――彼女には世界を創る方法が残されていた。
「世界創造を行えるあなたが、『死神』の逆位置の能力を発動させた。その結果、世界は急速に再生していったんです」
ぞわりと、メアリーの肌が粟立った。
納得、できてしまったのだ。
『死神』の反理現象だけでは足りない。
全てのアルカナを集め、世界創造を最初から行ったとしても、できあがるのは全く違う世界だ。
だが――その二つが揃えば?
「メアリーさん、あなたがこの世界を作り直してくれたんですよ。あらゆる悲劇を、無かったことにして」
可能ではないか。
それは決して、馬鹿げた夢物語では無い。
「世界を……再生させる……私が、そんなことを?」
自分で言いながらも、まだ半信半疑だった。
確かにおかしいとは思っていた。
夢なのに痛みがある。
夢なのに温もりがある。
夢なのに眠ることができて、夢なのに目を覚ます。
限りなく現実に近い夢。
だが、あの虚無の世界を見たメアリーは、“そういうものだってある”と思ったのだ。
空気すらないあの場所で、メアリーは常に死と同等の苦痛を味わい続けながら、生きていたのだから。
それが有るなら、こんな夢だってあったっていい、と。
「この世界は……夢では、ない」
自らの疑念を、自らの言葉で解いていく。
体温が上がっていく。
心臓が高鳴る。
この身に宿る命が――急速に、生々しさを強めていく。
「私は、もう、一人じゃないんですか?」
目を見開き、こてんと首を傾けて、誰に対してでもなく、
その問いに、ステラが微笑みとともに答える。
「メアリーちゃんも、みんなも生きてる。夢でもなければ、孤独でもない」
頑なにこの世界を疑い続けていた心が、氷解していく。
流れた雫が涙になって、視界をぼかす。
「私は、もう、戦わなくていいんですか?」
メアリーの声と、開いた口がわずかに震える。
「あんな戦いはもう起きない。メアリーちゃんがこの世界から消してくれたから」
一滴――雫が頬を流れ落ちる。
「私はっ……幸せになって、いいん、ですか?」
生まれたときから、メアリーは咎を背負わされていた。
それは本人には何も責任のない、理不尽な咎だ。
いつか不幸になることを決定づけられた、彼女を縛る鎖は――もう、どこにも無い。
「もちろんです。今日まで頑張ったあなたが報われることを、誰が止められるでしょうか」
溢れ出した感情の雫は、もう止まらなかった。
悪夢は終わった。
地獄は終わった。
そう歓喜する涙を、堪える必要などない。
「あ、あぁ……私、は……」
次々と涙がこぼれて、頬を濡らす。
「私はあぁっ……!」
両手で顔を覆おうとして、触れる前にその手を止めた。
涙を遮りたくなかったから。
あの日々に別れを告げるその涙は、止めてはならない。
だから顔の前で止めて、けれど力がこもっているのでその手は震えている。
さらに歯を食いしばり、彼女は喜びを噛み締めた。
「ふ、く、ううぅぅうう……う、ぐぅ、うああぁ……っ!」
その姿を見つめていたステラ。
彼女には、その発端に関わった者として、果たすべき責任があった。
「メアリーちゃん、君は――」
この世界を救った英雄に、心からの謝罪と、心からの感謝を込めて――物語の幕を引く。
「『世界』に勝ったんだ」
ずっと――メアリーは、この戦いは何のためにあるのか、と自分に問うてきた。
守りたい人を守れなかった。
帰るべき場所も失った。
復讐しても気持ちは晴れなかった。
勝ちたくてもこの戦いには勝利すら存在せず。
何のために、何のために、何のためにと繰り返し問うて、しかし答えは見つからなかった。
最後のミティスとの戦いで彼女を支えていたのは、もはや呪いと意地だけだ。
そんな戦いだから、たとえミティスを倒しても、手元には何も残らない。
あったのは虚無だけ。
だが、どうすれば自分は報われるのか――それを探す旅の果ては、その先にあったのだ。
そう、勝利条件はただ一つ。
皆殺し。
血にまみれ、敵も味方も、全てのアルカナ使いを殺した上で、世界の終焉へとたどり着くこと。
それこそが、フランシスの死から始まった悲劇の物語を、ハッピーエンドに終わらせる、たった一つの方法だった――
「うああぁああっ、うわあぁぁあああっ!」
メアリーは、子供のように泣いた。
いや、それが本当の彼女の姿なのかもしれない。
まだ十六の少女だ。
戦いはおろか、ロミオとの婚姻だって、どれだけの無茶を重ねていたことか。
「ああぁっ、っく、ううぅぅっ、ああぁああああっ!」
ようやく、全ての仮面を捨てられた。
ありのままのメアリー・プルシェリマとして、泣くことを許されたのだ。
だから彼女は、恥じらうことなく、ただただ泣き続ける。
それは祝福であり、禊であり、産声でもある。
「うああぁあぁぁあああああああっ!」
泣き声を聞いて、隠れて覗いていたフランシスが我慢できずに飛び出してきた。
彼女はメアリーを抱きしめると、その頭を胸に抱え込む。
メアリーも姉の背中に腕を回し、さらに声をあげて泣いた。
温もりに包まれて、その心は人間のものへと戻っていく。
それは、最後の“再生”だった。
世界が元に戻っても、メアリーだけがあの虚無の世界に置き去りのままだったから――彼女はようやく、帰ってこれたのだ。
それは戦いの終わりを意味する。
少女は勝利を掴み、その未来は愛すべき日常へと続く。
あらゆる選択が“死”に繋がる、その理不尽な物語は――
ここに、幕を下ろす。
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