179 vs世界Ⅶ『零』

 



 メアリーが拘束された部屋に、ステラとリュノが現れる。


 いくら夢の世界とはいえ、その二人が来たのはメアリーにとっても想定外だった。


 特にリュノ。


 アルカナである彼女が、アルカナが無いはずのこの世界で、なぜ生きているのか。


 そしてなぜ人間と同じように、歳をとっているのか。




「久しぶりだね、メアリーちゃん。といっても、それはこの世界での話だけれど。メアリーちゃんにとっては、私との別れはせいぜい二週間前のことだろう?」




 ステラはそう話しかけながら、そしてリュノは無言でメアリーの拘束を解いていく。


 メアリーが体を起こすと、ステラが部屋の外から車椅子を運んでくる。




「自力で座れる?」


「……」


「睨むのも当然だよね。信じられないかもしれないけど、私はミティスじゃない。ちゃんと、ステラ・グラーントだよ」


「では、彼女は?」




 メアリーは睨むようにリュノのほうを見た。




「リュノ姉ぇ。私の恩人。もっとも、今は神様の部分が消えて、ただの人間だけど」


「そんなことが――」


「起きるのか、って? 私には起きた・・・としか言えないかな。なんたって、そうしたのはメアリーちゃんなんだから」


「私が……?」




 ステラは何を知っているというのか。


 いや、それも全て、メアリーの脳が作り出した幻想に過ぎない。


 どれだけ具体性があろうが、与太話だ。


 だから彼女は、この場で舌を噛んで死んでしまおうと思った。


 こんな都合の悪い夢は捨てて、次に行くに限る。


 しかし――こちらをじっと見つめるリュノの視線に気づいた。


 その目を見て、メアリーは『夢なのだから無駄だ』と自覚しながら、怒りを抑えきれなかった。




「そんな目で私を見ないでください! あなたに、その資格は無いでしょう!」


「……ごめんなさい。メアリーさんの言う通りです、全ては私が引き起こした悲劇ですから」


「だったら……どうしてここにいるんですか。消えたはずでしょう? だってそう願ったんです、せめて夢の中ぐらいアルカナの無い世界であれと!」


「人として、ステラと共に過ごした時間が私を作りました。神としてのリュノを切り離して、残った残骸が私です」


「そんな理屈っ!」


「メアリーちゃんが残してくれたんだよ」


「私は……そんなことを望んだ覚えはありません! これは夢なんですよ!? だったら何で私の都合よく変わらないんですか!?」




 激情のままにステラに掴みかかるメアリー。


 ステラはそんな彼女に優しく、諭すように告げた。




「ここが現実だから」




 一番ありえない言葉を聞いて、メアリーは――




「……はは」




 思わず笑った。


 夢が自分のことを現実だと自己紹介している。


 こんな滑稽なこと、他にない――と。




「ははっ、あははははっ! そっか、私……そこまで望んでいたんですね。この夢の現実感を向上させるために、ついに夢に『現実』だと言わせはじめたんですよ! 私の脳は私を馬鹿にしてます! こんな子供騙しで私が信じるはずもないのに! 早く死んだほうがいい!」




 彼女の笑い声には、嘲笑と怒りが混ざっていた。




「ステラさん、ナイフをください。剣でもいいですよ。早く死にましょう! 早く、早くッ! こんな現実感のない夢はおしまいです。私は次に行きます! もしかしたら次の世界には二人はいないかもしれませんが安心してください、またその次ぐらいには復活しますから。大丈夫、これは夢です。私の自由な世界なんです! 白い紙に書き直せば何度だってやり直せる。だって、世界はもう消えてしまったんですから!」




 声を嗄らし、まくしたてるメアリー。


 対するステラは、決して彼女を見放さず、馬鹿にもせずに、いたって真剣に向かい合う。




「メアリーちゃん、外の空気を吸おうか」


「私は冷静です!」


「わかってる」


「私は正気ですッ!」


「それもわかってる。だから……ちゃんと話さないといけないんだよ。メアリーちゃんとミティスの戦い、その結末を」


「そんなもの――世界が壊れて、あの真っ白な空間に私だけが取り残されて終わりでしょう! それ以外に終わりなんてッ! そう、今だって終わりは、終わりは続いてるっ! 私はここじゃない別の場所で膝を抱えてっ、死にながら生き続けてるんですっ! 苦しくて寂しくて悲しくて叫んでも叫んでも誰も答えてくれないあの場所に! 私はずっと! ずっとっ!」


「死んだらみんな悲しむよ」


「消えるだけでしょう!? お姉様も、みんなも! そしてまた夢が始まれば生まれるだけです!」


「違う。フランシス様だけじゃない。カラリアさんやキューシーさん、それにアミちゃんだって悲しむよ」


「悲しむわけないじゃないですか。三人は私のことなんて知らないんですからッ! どうせアルカナの無い世界じゃ、私たちは接点なんてない他人なんですよ!」


「そんなことないよ。何も覚えていなくたって、みんなメアリーちゃんのことを見てる」


「そんな都合のいい妄想をどう信じろって言うんですか!? ああ、そっか。また・・なんですね。あなたは本当はミティスで、また期待させて、私を叩き落とそうとしてるんですね!? ふざけるなっ! 死ね! お前なんか死んでしまええぇええっ!」


「メアリーちゃん……仕方ないな。リュノ姉ぇ、手伝って」




 半ば強引に、メアリーを車椅子に乗せるステラとリュノ。




「離してくださいっ! 聞くことなんて何もありませんっ!」




 メアリーは抵抗したが、今の彼女に振り解けるだけの力はない。




「中庭に移動して話すよ。メアリーちゃんが納得できるように」


「だったらっ! だったら……条件があります」




 座らされた彼女は、ステラを睨みつけながら言った。




「何でもいいよ」


「下らない話だったらすぐに死にたいので、刃物を用意しておいてください」


「わかった」




 ステラはあっさりと条件を飲み、『メアリーを説得するのに必要』と告げて調理場からナイフを受け取った。


 リュノは不安げだったが、ステラがうなずいたので、その感情をぐっと飲み込む。


 そして今度こそ、三人で中庭に向かう。


 車椅子に座るメアリーの膝の上では、銀色の刃が鈍く輝いていた。




 ◇◇◇




 中庭の中央には、花に囲まれたテーブルがある。


 エドワードとの対話でも使用した場所だが、明るい時間だとその景色から受ける印象はまったく異なる。




「相変わらず綺麗な庭園だね」




 ステラがそうつぶやくが、メアリーは反応しなかった。


 何事にも興味が無いかのように、虚ろな瞳でじっとステラを見ている。




「まずメアリーちゃんには、リュノ姉ぇの話を聞いてほしいんだ」


「今さら何を話すって言うんですか」




 メアリーのリュノへの反応には、若干の棘があった。


 当然だ、リュノもまた“元凶”の一部なのだから。


 彼女は緊張した様子で胸に手を当てると、軽く深呼吸を挟み、語りはじめた。




「私が人間だった頃の話です――」




 リュノは、自分が人間から神へと変わるまでの経緯を語った。


 ミティスが将来を誓いあった幼馴染だったことや、自分たちが暮らしていた世界にあった神に関する制度のこと。


 そしてリュノだけが候補に選ばれたことで起きた軋轢。


 結果として、ミティスが世界創造を止めようと考え、実行に移すまでを、できるだけ簡潔に。




「そして最後は、不具合を起こし『世界ワールド』の能力が使えなくなったミティスを、私は自分の手で殺しました。人ではなく、『死神デス』という神として」




 リュノの語りが一段落すると、メアリーはため息で一拍空け、苛立ちを隠しもせずに言い放った。




「それを話して、どうしたいんですか? 今さらミティスを憎むなと? なら代わりに私はあなたを憎めばいいんですか?」


「私は憎まれるべきです。ですが……言いたいことは、そうではありません。私自身、つい最近までそれが事実・・だと思っていたんです。しかし十六年前、あなたが生まれてアルカナが消えた日、私は大切なことを思い出しました」




 なぜ忘れていたのか、それだけ自分を殺したくなるほど後悔した。


 だが――人は神に抗えない。


 その法則が存在する以上、リュノやミティスが、自力で思い出すことは不可能だったのだ。




「将来を誓い合った幼馴染は、もう一人・・・・いたんです。彼女の名前は、セレス・サンクトゥス。ミティスと同じように予備候補として選ばれた、同い年の女の子でした」




 セレスのことを思い出すたび、リュノの心は深く沈んでいく。


 いつもならステラに支えてもらうところだが、メアリーの前ではそうもいかない。


 一人で、向き合わなければならない。




「ミティスが『世界』を乗っ取ったあのとき、私はかすかに、セレスの声を聞いていたはずなんです。あのときは認識できなかった。けど、記憶には残っていて――そう、つまり、セレスはあの場にいたんですよ。神しか入ることのできない空間に」


「その人が何をしたって言うんです? 将来を誓い合ったのに、忘れられたような人が」


「殺し合う私とミティスを見て、止めようとしたんだと思います。そして神としてあの場にセレスがいた以上、彼女も神としての名前や力を得ていたはずです」


「それは……アルカナになったと言いたいんですか?」




 こくん、とうなずくリュノ。


 すると隣にいたステラが、持っていたカバンから紙箱を取り出した。


 中に入っていたのは絵と数字が書かれた縦長のカードだ。


 彼女はそれをテーブルの上に、順番に並べていく。




「ステラさん、これは?」


「タロットカードだよ。リュノから聞いて再現してみたの」




 一番目の『魔術師マジシャン』から始まり、二十一番目の『世界ワールド』で終わる。


 タロットは、時に占いに、時にゲームにも使われる、リュノたちの世界ではポピュラーなカードだ。


 メアリーは、それぞれ異なる数字と絵柄が描かれたそれを見て言った。




「カードの数は二十一枚。そして私はすでに、二十一体全てのアルカナを手に入れました。その他が存在するなんて聞いたことありません」


「私も、この世界に存在するはずがないと思っていました。神に選ばれた二十人の人間たちは、タロットのうち一番から二十番までを選んで名前を得たんです。そして世界創造に使用される重要な二つ・・のシステムに、敬意を込めて最初・・最後・・の名前を与えました。つまり、二十一番目のアルカナ『世界』と――」




 リュノの言葉に合わせるように、ステラは箱に残った最後の一枚をテーブルに出した。




「“零番目のアルカナ”、『愚者フール』」




 そのカードは、魔術師よりも手前に置かれる。


 どこか道化師を思わせるような絵だった。




「『愚者』は、消去や初期化の機能を持つシステムでした。つまり、魔力を断絶させ、拒絶する力です。セレスは、その力を得てしまっていたんです」


「では……『世界』を止めたのは、不具合ではなくそのセレスさんだった、と?」


「ミティスがセキュリティを緩めたことで、予備候補も神として誤認されてしまう状態の中、セレスは彼女を追ってきたのでしょう。おそらく彼女に悪気なんて無かったはずです。ただ、私とミティスの殺し合いを止めたかった、それだけで……」




 リュノの瞳に涙が浮かぶ。


 もし、セレスがミティスを止めなければ、少なくとも二人だけは元の世界に戻れただろう。


 だがセレスの介入によって、三人はそれぞれ、数億年の孤独を味わうことになった。




「『愚者』は魔力を拒む特性を持つため、潜行ダイヴし、神という一種の“魔力の塊”になった私たちには認識できない存在になりました。それが、記憶から消えていた原因だったようです」


「つまり、『愚者』のアルカナ使いも存在した?」


「ええ、その特性ゆえに歴史に名を残すことはありませんが、他のアルカナ同様、『愚者』のアルカナも脈々と受け継がれていました」


「では……ミティスとの戦いにも」


「居ましたよ。あなたのすぐ近くに」


「私の?」




 メアリーはこの時点で、リュノが言おうとしているのが誰なのか気づいていた。


 言葉にならない。


 驚きというよりは――疑問が氷解したことへの、感動とでも言うべきか。


 ミティスとのあの果てしない戦いを経て、ついぞわからなかった大きな疑問の、明確な答えだった。




「『愚者』のアルカナ使い。彼女の名は――」




 そして、それは終幕の最後のピースでもある。




「カラリア・テュルクワーズ」



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