178 vs世界Ⅵ『終幕を告げる使者』

 



 病院の廊下に、女性の嗚咽が響いていた。




「うっ、ううぅ……ひっく……メアリー……どうしてぇ……っ」




 フランシスはぼろぼろと涙を流し、処置室前のベンチでうなだれる。


 隣にはキャサリンが座り、彼女の背中をさすっている。


 ヘンリーはその向かいの壁際に立ち、深刻な表情で涙を流す娘を見つめ、エドワードは近くの壁にもたれながら、腕を組み、処置室のランプを眺めていた。


 その扉の向こうにいるのは当然、メアリーである。




「私がもっと早く止めていたらぁっ……うああぁっ……」




 突如として自らの腹部に剣を突き刺した彼女は、応急処置を済ませた後、ただちに病院に運ばれた。


 傷は深く、内臓も傷ついていた。


 いくら回復魔術があるとはいえ、簡単には癒せない重傷である。


 だが、その痛々しい傷以上にフランシスを苦しめたのは、メアリーの言動であった。




(どうしてメアリーはあんなことをしたの? どうしてメアリーは笑っていたの……? 私のせい? 私が何かを見落としていたから?)




 延々と、頭の中でメアリーが笑いながら自分の腹を突き刺す光景が再生される。


 そんな状況を生み出してしまったという自責の念が、さらにフランシスを苦しめる。




「気づいておくべきだった……っく……眠れなく、なった時点で……もっと親身に接していれば……」


「あなたは悪くないわ。急なことだったんでしょう? 誰にも止められないわよ」


「ああ……あまり自分を責めるな」




 重苦しい空気が流れる廊下。


 当然、院長は応接室で待つことを勧めたのだが、フランシスはどうしてもここを離れなかった。


 なので彼は気まずそうに、少し離れた場所で様子を見ている。


 一家は沈黙し、再びフランシスの嗚咽だけが聞こえる中、エドワードが口を開いた。




「僕のせいだ……」


「エドワードまで。あなたたちのせいでは――」




 キャサリンが口を挟むが、彼はかぶせるようにそれを否定した。




「違う、僕が言ったんだ。姉様を怒らせるには、メアリーを傷つければいいって!」


「どういうことだ?」




 ヘンリーが訝しむ。


 その迫力――とエドワードが勝手に思い込んだものに気圧され、わずかに彼は次の言葉をためらった。


 だがぐっと拳を握り、懺悔を続行する。




「メアリーが急に聞いてきたんです。姉様の色んな表情が見たいから、怒らせる方法を教えてくれって。もちろん僕だって変だと思いましたよ! だけど、ただの好奇心だって言うから……」


「……メアリー、確かに言ってた。私が、怒る姿を、見たいって」




 血に沈むメアリーは、意識を失うまで何度かそう告げていた。


 その時のフランシスにはまったく理解できなかったが――




「そんなことのために自分を傷つけたっていうの?」


「頼んでくれれば……私、何でもしたのに。メアリーのお願いなら……何だって……!」


「演技じゃなくて、本気で怒られたかった、のかもしれない」


「エドワード、メアリーは他に何か聞いていなかったか?」


「他に? ああ、十六年前とか、アルカナがどうと言ってましたけど……」


「アルカナだと!?」




 ヘンリーは絶句する。


 その反応に、エドワードは首をかしげた。




「何か心当たりがあるんですか?」


「いや……だが、まさか……」




 明らかに困惑しながらも、それが何に対してなのか、ヘンリーは言おうとしない。


 キャサリンはそんな夫を悲しげに見つめた。


 すると、処置室のランプが消える。


 扉が開き、中から昨日の女医が出てきた。




「あら、みなさんお揃いなのね」


「先生っ!」




 フランシスは彼女に縋り付く。




「メアリーはっ! メアリーは無事なの!? 死んでないよね!?」


「すごい勢いね……一命はとりとめたわ。今は意識を失ってるけど、じきに目を覚ますでしょう」


「よかったあぁ……」




 膝を付き、崩れ落ちるフランシス。


 キャサリンは彼女に駆け寄り、その体を支えた。




「しばらくは入院することになるでしょうけど……そこで陛下、相談があるんだけどぉ」




 女医はヘンリーに歩み寄ると、メアリーの今後の処遇について話し始めた。




 ◇◇◇




 ――メアリーは、夢の中で目を覚ます。


 最初に見えた天井は、何度か見たことのあるものだった。




(病院……でしょうか)




 彼女は幼い頃に、何度か入院したことがあった。


 ひとまず起きて状況を確認しようとしたが、思うように動かない。




「んぐっ……もごっ……」




 メアリーの手足は縛られ、口にも猿ぐつわをはめられていた。


 ふいに彼女の頭に浮かんだのは、監禁という言葉。


 ひょっとすると、あの夢の世界で死んで別の世界に来れたのかもしれない。


 全てが消えた虚無の世界を経由しなくて済むのなら、それに越したことはないため、都合がいい。




(さて、この夢はどんなお姉様の姿を私に見せてくれるんでしょうか)




 期待していると、部屋の扉が勢いよく開いた。


 フランシスが駆け込んできて、涙目でメアリーの顔を覗き込む。




「メアリーっ! 目が覚めたの!?」




 その反応を見て、彼女は気づく。




(ああ、私、死に損ねたんですね)




 人の体は脆いと思っていたが、想定よりは頑丈だったらしい。


 王族だけあって、腕の良い回復魔術の使い手が近くに待機していたことも大きいのだろう。




「ごめんね、喋れないよね。許可は取ったから、すぐに外すよ」




 口に噛まされたベルトが外れる。




「メアリー、本当に生きててくれてよかっ――」




 姉を見つめて――いや、そう見えるが、まったく別の“何か”を見ながらメアリーは言った。




「心臓か首を刺しておけばよかったですね」


「え……?」


「誰よりも人殺しに詳しい私が死に損ねるなんて。あの世のみんなに笑われてしまいます」




 彼女は苦笑いしてそう告げると、自らの舌を歯で挟み――




「やめてええぇえっ!」




 フランシスはそう叫びながら、手で妹の口を塞いだ。


 そして別室で状況を見ていたらしい医者が部屋になだれ込み、再びメアリーの口にベルトを噛ませる。


 その間、フランシスは床にへたり込んで、ぐしぐしと涙で濡れた目をこすっていた。




 ◇◇◇




 病院の応接室には、ヘンリーとエドワード、そしてキャサリンの姿があった。


 改めて、ヘンリーは息子に問いかける。




「二度目になるが、お前とメアリーの会話内容を確認させてほしい」


「昨日話した通りですよ。十六年前のことを聞かれました」


「他に、何でもいいんだ。何か、妙なことを言っていなかったか?」


「うーん……確かにぶつぶつ独り言は呟いてましたけど。ホムンなんとか……だったっけなぁ」


「ホムンクルス、か?」


「あ、それです!」




 ヘンリーは自らの顔を手で覆い、大きくため息をついた。




「やはり……そういうことか……」


「あなた、一体何を隠しているの? そろそろ私たちにも教えてほしいわ」


「メアリーが知ってしまった以上、もはや隠し通せるものではないな。フランシスが戻ってきたら話そう」




 それから少しして、フランシスは応接室に戻ってきた。


 彼女は泣きはらした顔をして、扉の前で警備をしていたフィリアスに支えらながら入ってくる。


 そしてソファに座ると、死体のように背もたれに体を預け、ぐったりと虚空を見つめた。




「姉様、大丈夫?」


「……うん」


「メアリーのこと、聞かないほうがいいやつかな?」


「変わってなかっただけ……自殺しようとしたあのときと……」




 メアリーは相変わらず、自傷行為を繰り返そうとしている。


 その事実に、家族たちは一様に暗い表情を浮かべた。


 すると、ヘンリーが先程の続きを語りだした。




「フランシス。どうやらメアリーは、自分の出生について知ってしまったようだ」


「っ……そ、そんな、どこでっ! どうやって!?」




 目をひん剥き、飛び起きるフランシス。




「それはわからん。だがあの子の様子がおかしくなったのは、そのせいとしか思えない」




 それは、メアリーの現状を知るよしもない彼らが導き出せる、最も“近い”解だった。




「じゃあ、私との関係も……知ってしまったんだね……」


「だろうな」


「あなた、教えて。メアリーの秘密を」


「……ああ」




 キャサリンの問いかけに対し、ヘンリーは隠し通してきた十六年前の出来事を語った。


 ユスティアというアルカナ使いの少女によって、ホムンクルス理論が作られたこと。


 その目的は、『死神デス』が封じている『世界ワールド』と呼ばれる危険なアルカナを消滅させるためであること――




「元より無茶なプロジェクトだった。いくらアルカナ使いの天才少女とはいえ、まだ十代前半のユスティアと、その妹であるユーリィにプロジェクトの進行を任せていたのだからな。加えて、当時のピューパの経営状況も芳しくなかったようだ。現場の疲弊は容易に想像できたはずだった。私の目は、『世界を救わねば』という青臭い正義感によって濁っていたんだろう」




 過酷な労働環境は、研究員たちの焦りを誘発させた。


 そして間の悪いことに、ちょうどそういった状況のときに、『親等が近い血ほど、生まれてくるホムンクルスの魔術評価は高まりやすい』という法則を隠していたことに気づかれてしまった。




「早く研究を終わらせたい……そう思った研究員は、私とブレアではなく、フランシスの血を混ぜ合わせ、ホムンクルスを作ったのだ」


「では……メアリーはあなたとフランシスの子供、ということなの……?」


「……そうなるね。私はメアリーの姉であり、母親でもあるんだ」




 ヘンリーとフランシスの告白に、キャサリンの顔は青ざめ、体がふらりと傾いた。


 隣に座っていたエドワードが、「お母様っ!」と慌てて支える。




「ありがとう、エドワード」


「外で休むかい?」


「いえ……大丈夫よ」


「今まで言えずにすまなかった。心から、申し訳なく思っている」


「仕方ないですよ、お父様。そんな事情があったんじゃ、話せないのは当然です」


「ええ……それに、やったのはあなたの意志ではないのよね」


「そう言ってもらえると救われるよ。ありがとう、キャサリン、エドワード」




 キャサリンたちがこの事実を受け止めてくれたことに、ヘンリーは心から感謝した。


 だが、この話にはまだ続きがあるのだ。




「しかし皮肉なことに、メアリーはアルカナの器として完璧だったんだ」




 ヘンリーに続けて、フランシスが話す。




「あの子は生まれたときから、私にもお父様にも似ていなかったそうだから……おそらく、リュノ・アプリクスの意志がそうさせたんだろうね」


「リュノって、お父様の説明でちらっと出てきた『死神』っていう神様のことだろう? 本当に神様だったってこと?」


「それは間違いないよ。彼女の『世界』から解放されたいという願いが、メアリーに宿ったんじゃないかと考えられてる」


「だが結局、研究はメアリーの誕生がきっかけで打ち切られることになった」


「どうしてなの? 成功したのなら、進めるはずじゃない」


「その日、全てのアルカナが消滅したからだ」




 それこそが、歴史に記されたアルカナ消失の真実である。


 各国の発表が遅れたため、公式での日付はそれより遅くなっているが、実際はメアリーの誕生とまったく同時であった。




「本当に……何の前触れもなかった。『世界』すら消滅したのだ。メアリー誕生の戸惑いも相まって、現場はひどい混乱だったよ」


「そしてメアリーは、ブレアさんとの間にできた子供としてプルシェリマ家に引き取られたのね」


「ああ。残りのホムンクルスは、王国とピューパが共同で作った、王都郊外の施設で暮らしている。ユスティアやユーリィも一緒にな」


「僕、その建物を見たことがあるかもしれません。あの学校みたいな施設ですよね? 何の建物なのかずっと疑問だったんですよ……って、あれ? じゃあそこに住んでる子たちって、プルシェリマの血縁者になるってことになるのか?」


「お父様の血を使った後期型のホムンクルスはそうなるね」


「それが知られたら、王位継承争いがぐちゃぐちゃになるんじゃ……」


「だから伏せられている。王国でも知る者は一握りだ。どうやってメアリーが知ったのか、皆目見当も付かん」




 強く拳を握り、悔しさをあらわにするヘンリー。


 メアリーがそれを知ってしまったことを、自分のミスだと考えているのだろう。




「あなた、情報が漏れた経緯を探るのは後回しにしましょう。まずはメアリーの心を癒やすことを考えないと」


「だが、どうしたらいいんだ」


「できるだけ一緒にいてあげるしかないよ。私が……メアリーを守らないと……!」




 フランシスは強く拳を握る。


 そして弱った自分の心を叱咤し、覚悟を新たにした。


 真相はまったく異なるとも知らずに。




 ◇◇◇




 家族の奮闘虚しく、その後もメアリーの精神状態が元に戻ることはなかった。


 退院して、城での静養に戻っても、拘束を解くことはできない。


 まともに会話すら成立しない。


 また、彼女は自分の意志で食事も睡眠も拒んでいたため、常に点滴による投薬が行われていた。




 そんな生活の中で、最も疲弊していったのがフランシスだ。


 彼女にとって、メアリーの存在はあまりに大きい。


 もし彼女が敵に襲われたのなら、その命を使って守ることはできるが――しかしメアリーを殺そうとしているのは敵ではない、メアリー自身だ。


 どうすれば妹を守れるのか。


 考えても、考えても、何もいい案が浮かばない。




「どんな頭脳があろうと……メアリーを守れなければ意味がない……」




 夜遅くまで医学書と向き合いながら、己の無力さを嘆く日々が続く。




 ◇◇◇




 メアリーの自殺未遂から二週間が経った日のこと。


 王城に来客があった。


 アポイントメントも無しに訪れた二人・・は、どうやらかなり急いでいるらしい。


 偶然にも空き時間だったため、ヘンリーが応接室で対応していた。


 まあ、フランシスには関係のない話である。


 彼女も来客の存在自体には気づいていたが、メアリーを救う方法を探すのに必死で、興味を向けようとも思わなかった。


 だが、誰かが扉をノックして彼女を呼ぶ。


 少し不機嫌に「どうぞ」と返事すると、現れたフィリアスが言った。




「お客様が王女様をお呼びですよぉ」


「お父様の対応だけで十分でしょう」


「ご指名なんですよ」




 フランシスはため息をつきながら立ち上がると、少し苛立った様子で部屋を出た。


 そして早足気味に応接室に向かう。


 部屋に入ると――そこにいたのは、予想外の来客だった。




「ステラさん……」




 一人目は、ステラ・グラーント。


 そして――




「リュノ・アプリクス」




 かつて神だった存在が、ステラと並んで座っていた。


 ステラはともかく、リュノは滅多に王都に来ることは無いはずだ。


 なぜなら、あまりにメアリーと似すぎているから。


 フランシスも、その姿を見るたびに複雑な心境になる。


 父と姉の血を引き、同時に『死神』の姿を与えられる――メアリーにどれだけの咎を背負わせるのか、と。


 もっとも、今やリュノは肉体年齢三十代前半の大人。


 以前のようにメアリーと見間違うということもなくなってきた。




「忙しいところ、お呼び立てして申しわけありません。どうしても話したいことがありまして」




 まずステラがフランシスに向かって頭を下げた。


 リュノは人形のように、じっとフランシスを見つめている。


 フランシスは父の隣に座ると、二人の来訪者と向き合う。




「お父様はもう話を聞いたの?」


「いや、まだだ。だが私たち二人に話したいということは――」


「メアリーが関連してる、ってこと?」




 その疑問に答えたのは、リュノだった。


 メアリーと似た、しかし大人びた声で、彼女は告げる。




「私たちは、メアリーさんの戦いを終わらせるために来ました」


「……戦い?」




 不可解な言葉に、首をかしげるフランシス。


 アルカナの無い世界。


 そこに残された、リュノという名の神の残骸。


 “生ける矛盾”による答え合わせ・・・・・が――少女の物語に、終わりを告げようとしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る