177 vs世界Ⅴ『最後に殺すべきは』

 



 人は眠らなければ生きていけない。


 五日も経てば、否が応でも問題は表面化する。




「おはよう、メアリー……その……大丈夫なのか?」




 食堂で顔を合わせるなり、ヘンリーは心配そうに言った。


 一緒に連れ添ったフランシスも不安げである。




「はい、何も問題ありません。おはようございます、お父様、お母様」




 そう返事をされた側も戸惑うぐらい、元気な声だった。


 実際、メアリーは体調に問題がありそうな言動を見せることはなかった。


 ただ、顔色が悪く、目元にくっきりとくまができている、というだけで。




 ◇◇◇




 その日、フランシスは仕事を休んだ。


 メアリーは大丈夫だとしきりに繰り返したが、過保護な姉がそれで納得するはずもない。


 医者を呼び、メアリーを診察してもらうことにした。


 現れた女医は、マジョラーム・テクノロジーにて医療用品開発のアドバイザーも務める、有名な人物だった。


 とはいえ、呼ばれてやってきたその姿が、白衣を羽織りながらも胸元を露出した大胆な姿だったことには、ヘンリーもフランシスも驚いたが。


 相手が国王だろうと、自然体は崩さない――そんなポリシーなのだとしたら、大した度胸の持ち主である。


 彼女はさばさばとした態度で診察を終え、その結果を別室でヘンリーとフランシスに伝えた。




「回復魔術で治療できる病は見つからなかった。ストレスから来る睡眠障害の可能性が最も高いわ」


「静養するしか無い、ということか?」




 ヘンリーが尋ねると、医者は「ええ」と相づちをうち首を縦に振った。


 続けてフランシスが問いかける。




「他にわかったことはないかな? ストレスの原因とか」


「それに関して、メアリー様は何も言ってなかったけどー……」




 彼は回復魔術の使い手であると同時に、患者へのカウンセリングも行っている。


 メアリーの精神面に問題があれば、即座に見抜いてみせるだろう。




「でもねぇ」


「何か気づいたんだね?」


「メアリー様は、睡眠に対して強い恐怖を感じてるみたいなの。本人は前向きな理由で起きてるって思い込んでるようだけど」


「恐怖?」


「夢って単語が繰り返し出てきたのも気になるわね。夢を見たくない理由、心当たりない?」




 父も姉も、その問いに答えられなかった。


 説明を終えて部屋を出たフランシスは、「くそっ!」と荒ぶる感情を隠しもせず、拳を壁に叩きつけた。




「落ち着きなさいフランシス」


「ですが、私は不甲斐ないのですっ! あれだけ近くにいるのに、メアリーのすべてを理解できないなんて……」


「急なことだろう。誰にも対応はできんよ」


「それでも、私はあの子の力になりたい!」




 フランシスは額をぐりぐりと壁に押し付け、悔しさを顕にする。




「お前は本当に、メアリーのことになると性格が変わるな」


「私の熱は、すべてあの子のものですから」


「親としてはたまに不安になる」


「申し訳ありませんが、その不安は現実になりますよ」


「……だろうと思っていた。だが、私も止めはせんよ。あの子が幸せになれるなら、それでも構わん」


「お父様……」




 二人はメアリーの出生の秘密を知っている。


 ヘンリーにとっては、自分のエゴで生み出してしまった命。


 そしてフランシスにとっては、妹であり、娘でもある存在。


 形は違えど、強くメアリーのことを想っていることに変わりはなかった。




 ◇◇◇




 ヘンリーとフランシスが医者から説明を受けていた間、メアリーは自室でベッドに横たわっていた。


 その傍らには、キャサリンの姿がある。




「薬、飲まないのね」




 部屋のテーブルの上には、水の入ったコップと錠剤が置かれていた。


 女医が処方した入眠剤の一種だ。


 だがメアリーはなかなかそれに手を付けようとはしなかった。




「必要だと感じませんから」


「困ったわ、こんなに強情なメアリーを見るのは初めてかもしれないわね」


「そうでしょうか」


「見ているこっちが不安になるぐらい、か弱くて聞き分けのいい子だったから。けど今のあなたは、何だか少し違う気がするの」


「……ふふっ」


「私、おかしなこと言った?」


「お母様は関係ありません。私にとって、この状況がおかしくて」




 夢は始まったばかりだ。


 その前の世界は存在しない。


 なのにキャサリンは、以前のメアリーを語っている。


 しかし――確かにそれは、興味深い考察だ。


 世界はいつから始まったのか。


 例えばこの夢の場合は、数日前、メアリーが虚無の世界で眠った瞬間から。


 だが過去の記憶さえあれば、それ以前の世界だって“あったこと”になる。


 それを言えば、メアリー自身もそうだ。


 実はこの世界は、今、この瞬間に生まれたのかもしれない。


 そしてメアリーには“夢の中で数日を過ごした”という記憶が植え付けられているのかも。


 “確かなもの”と思っている自分の存在すら、曖昧になっていく。




「たまにあなたたちは、私に理解できないことを言うわね」


「それはお姉様とお父様も含んでいますか?」


「まさにその二人のことを言ってるのよ。私はあなたの母親になって結構経つし、お互いに家族としてうまくやれていると思うわ。でも……」


「何かを隠している気がする、ですね」


「……ええ、そうよ」




 キャサリンは小さくため息をついた。


 いくら妻になった女性とはいえ、メアリーの出生のことはなかなか話せないだろう。


 というより、話す必要がない。


 ヘンリーとフランシスの血から生み出されたホムンクルス――その事実が知れれば、家族関係ならず、王家の権威にひびが入るだろう。


 メアリーの存在は、プルシェリマ家にとって生きた地雷とでも呼ぶべきものなのだ。




「あなたはそのことを知っているの?」


「知らないことになっています」


「つまり……メアリーが知っていることを、あの二人は知らないと?」


「そのはずです」


「メアリーは、その隠し事についてどう思ってる?」


「お父様はお母様のことを愛しています。お姉様も、母親として尊敬していると思いますよ。ただそれだけです」


「だからこそ……話せないってことかしら」


「はい、話さないのは優しさです。私に伝えないのも、二人なりの」


「そう言われると何も言えないわ。元々、王家なんて隠し事だらけだって覚悟して嫁いだんですもの」


「理解はしても納得はしてないって顔をしてます」


「一人の人間としてはともかく、家族としては“隠し事がある”ってやっぱり悲しいものよ。もしメアリーが薬を飲んでくれるなら、少しは落ち込んだ気持ちも持ち直すでしょうけど」




 うまい具合に話題を変えられ、メアリーは「う」とうめいた。


 キャサリンはその反応を見て、穏やかに微笑む。




「無理強いはしないわ。けど、そのままだと近いうちに倒れてしまうわよ。フランシスのこと泣かせたくないでしょう?」


「お姉様、泣くでしょうか」


「泣くわよ、間違いなく」




 メアリーはうつむいて黙り込む。


 これで薬を飲んでくれるだろう――キャサリンはそう思っていた。


 だが、メアリーの口元を見て戦慄する。


 彼女は口角を吊り上げ、冷たく嗤っていたからだ。




「っ……」




 ぞくりと、背筋に寒気が走った。


 次の瞬間には元の表情に戻っていたので、キャサリンはそれを気のせいだと思うことにした。


 その後、メアリーはあっさりと薬を飲み、目を閉じた。


 本当に眠っているのかはわからない。


 キャサリンは彼女に小声で「おやすみなさい」と告げて、部屋を出た。




 ◇◇◇




 メアリーが目を覚ましたのは、それから二十時間ほど経ってからだった。


 体を起こした彼女は、外の暗さと、時計の指し示す時間、そして――目覚めた・・・・という事実に驚いた。




「夢の中で眠り、そして起きるなんて、変な感覚です」




 寝る前よりは体調が良くなっていると実感できる。


 もっとも、眠っていない状態でも、多少の頭痛と体の重さを感じるだけで、大した症状は出ていなかったのだが。


 メアリーはベッドから抜け出し、スリッパを履いて部屋を出ようとした。


 もう皆が静まった時間だ、誰もいないうちに、外の空気でも吸おう――そう思いドアを開くと、




「メアリーっ!」




 部屋の真横に立っていたフランシスに見つかった。


 メアリーの前での彼女は本当に表情豊かで、ただ見ているだけで心が満たされていく。




「お姉様……まだ起きていたんですか?」


「本当は一緒に寝たかったんだけど、体調が悪いからそれはよくないと思って」


「だから、ここでずっと立って?」




 彼女はこくん、とうなずく。




「朝まで私が起きてこなかったら、どうするつもりだったんです」


「待つだけだよ。全然苦痛じゃない」


「お姉様……気持ちは嬉しいです。でも無理をしないでください」




 メアリーがそう忠告すると、フランシスは彼女の頬をむにっと軽くつまんだ。




「メアリーがそれを言うの?」




 そう言って、ぷくっと頬を膨らます。


 さらに指で挟んだ頬肉をふにふにと揉む。


 少し子供っぽいその仕草に、思わずメアリーの頬が緩んだ。




「ふふっ、ごめんなさい。今後は気をつけます」


「本当に気をつけてね。睡眠はちゃんと取らないと危ないんだから」


「ではお姉様はもう寝てください、私は大丈夫です」


「どこに行くの?」


「外の空気を吸おうと思って」


「わかった、ついていく」


「お姉様は先に寝ててください。目元が眠そうですよ? 仕事も忙しいんですから」




 メアリーがやんわりと同行を拒むと、フランシスは表情こそ変えなかったものの、負のオーラを纏う。


 有り体に言うと、めちゃくちゃ落ち込んでいた。




「そっか……メアリーも、そういう年頃だもんね……」


「お姉様、何もそこまで落ち込まなくても」


「いつか私から巣立つときが来るとは思ってたよ。もう十六歳だから、姉離れするときが来たんだ……」


「違いますから! 私は永遠に姉離れなんてしませんっ!」


「……本当に?」


「本当です!」


「なら付いていっていい?」


「今は……一人になりたい気分なんです」


「やっぱり姉離れするんだ……」




 フランシスはがっくりと肩を落とす。


 完全にめんどくさいスイッチが入ってしまっていた。


 世間にはクールでクレバーな女性と思われている彼女。


 だがメアリーに対しては甘い。


 それは同時に、メアリーの前では自分も甘えた姿を見せるという意味でもあった。




「その、もちろん私だって、私と一緒にいたいと思ってくれてることは嬉しいです!」


「……ふふ、わかってるよ。そういう日もあるよね」


「理解していただけて何よりです」


「じゃあ先にベッドに入って待ってるから、私を寝かせたかったら、早めに戻ってきてね?」




 最後の最後まで未練がましいフランシスであった。


 まあ、今までメアリーがフランシスを優先しない選択をしたことがなかったのだから、その反応も当たり前なのだが。




 ◇◇◇




 メアリーはその場から離れ、城内の中庭に向かった。


 そして庭園の中央に設置された椅子に腰掛け、空を見上げる。


 街すらも寝静まった夜は、星がよく見える。


 彼女は天に向かって手を伸ばし、掴んだ星を――握りつぶすような仕草を見せた。




「夢が終われば、あの星さえも消えてなくなってしまう……」




 ミティスとの戦いの中で、この美しい夜空も消えてしまった。


 今や、この光景を見ることができるのは、メアリーの記憶から生み出された夢の中だけ。


 そう、全ては彼女の記憶なのだ。


 その事実だけで、あらゆる感情、あらゆる行為の価値は半減する。


 残り半分は、虚しさという形でメアリーの中に溜まっていく。




「そこにいるのは、メアリーか?」




 ふいに、男性の声がした。


 視線をそちらに向けると、こそこそと庭園の隅を歩くエドワードの姿があった。




「お兄様、こんな時間に何をなさっているんです?」


「それはこっちのセリフだよ。体調を崩して寝込んでたんだろう? 起きても大丈夫なのかい」




 話しながら、彼はメアリーの向かいの椅子に腰掛ける。




「ぐっすり眠りましたから。それよりお兄様、酒臭いですよ」


「う……」


「夜遅くに帰ってきて、気づかれないようこっそり部屋に戻ろうとしていたんですね」


「お母様が口うるさいんだ」


「それは夜遊びが過ぎるからでしょう」


「どうせ早く帰っても文句を言われるんだ。だったら、お母様が寝るまで遊んだほうが賢いだろう?」




 だらしないことに変わりはないが、ロジックとしては理解できた。


 それは別にして、メアリーも彼の夜遊びが過ぎることをあまり良くは思わない。




「次期国王ですから、国民にどんな目で見られることやら」


「僕には荷が重い。姉様だっているんだ、彼女がやればいいだろう」




 その考えに関しては、現実でも夢でもエドワードのスタンスは変わらないようだ。


 むしろ、アルカナが無いことでフランシスの立場が向上しているため、悪化しているかもしれない。




「お姉様は忙しいんです」


「そりゃ女王になれば研究は続けられないかもしれないけどさ」


「いえ、私を愛でるので」


「一瞬ジョークかと思ったけど、理由として本当にありそうだ。だから王位継承を拒んでるのか?」


「なので私は、お兄様にちゃんとした国王になってもらわないと困るんです」


「……しかし珍しいな、メアリーがはっきりと僕に物を言うなんて」


「そうですか?」


「ああ、何日か前から違和感はあったけどさ。やっぱり変わったよ、メアリー」




 彼は初日からそう指摘していた。


 最初はただ寝ぼけているだけだと思ったが、どうやら本当に見抜いているらしい。


 いや――実際は、フランシスやヘンリーも違和感の存在に気づいているのだろう。


 それを面と向かって言うには、距離が近すぎるというだけで。




「面倒ですね」


「ん?」


「夢の中なら、もっと思い通りになればいいのに」


「メ、メアリー?」




 急に低い声でつぶやく妹に、エドワードは困惑する。




「何でもありません、お兄様」


「そう、か? ならいいんだが……」


「ところで、お兄様にしか聞けないことがあるんです。いくつか質問してもいいでしょうか?」


「藪から棒だな。酔った僕でも答えられる質問ならいいけど」


「十六年前の話なんですが」




 おそらく最も詳細を知っているのはヘンリーだろう。


 だが、メアリーは何も知らないことになっているのだから、直に聞くのは避けたい。


 かといってフランシスにも聞きにくく、キャサリンはヘンリーとの距離が近すぎる。


 持つ情報は少なくとも、後腐れが無さそうな人物として、エドワードが最も適当だった。




「メアリーが生まれたときのこと?」


「アルカナが消えた日について、お兄様なら知っているのではないかと」


「さすがにまだ小さいから覚えてないよ。僕が知ってるのは、歴史として教わる範疇のことだけだ」


「それで構いません」


「メアリーも習ったと思うけどな……消えたんだ、急に。アルカナ使いの能力が全てね。ああ、そう言えばあの日ってメアリーの誕生日と同じ月だったっけな」


「アルカナの消失は、私が生まれたのと同時……確かにそれなら、ホムンクルスが生まれていても矛盾は起きませんね」


「ホムン……?」


「ただの独り言です。他に十六年前について情報はありますか?」


「ああ……教科書に載ってるのは、国際情勢が大きく動いたって話かな。特にフェルース教国は宗教国家だからね、神の加護が消えたっていう噂が広がって大混乱したらしいよ」




 フェルース教国と言えば、『教皇ハイエロファント』のアルカナ使い、アンデレがいた国だ。




「その間に、ガナディア帝国がフェルースに攻め込んだり。それをお父様が糾弾して、オルヴィスとガナディアの戦争が始まったり――」




 ガナディアはかつて『悪魔デビル』を所有し、軍事力に物を言わせて他国への侵略を繰り返していた大国である。


 エドワードの話によれば、どうやらオルヴィス王国と戦争になったのだという。


 その際に、マジョラーム・テクノロジーが王国の勝利に大きく寄与し、ノーテッドに爵位を与えるという話になったそうだ。


 だが彼はそれを拒んだ。


 親友であるドゥーガンに華を持たせるために。


 そんなノーテッドがいなければ、今ごろスラヴァー家は取り潰しになっていた可能性すらあった。




「国の動きとしてはそんなものかな。あと忘れちゃいけないのは、ドゥーガン・スラヴァーによる国王暗殺疑惑だ」


「ピューパ・インダストリーの研究施設に爆弾が仕掛けられたんですよね」


「そこは知ってるんだ。詳しい話は教科書には乗ってないから、お父様から聞いたのか」


「そんなところです」


「お父様はドゥーガンの話になるとすぐにヒートアップするから、すぐに教えてくれるからね。むしろ聞くと止まらないというか。でも、謎が多い話だよ。時期からして、アルカナ消失が絡んでるのは間違いないと思うんだけど。お父様はピューパの研究所を秘密裏・・・に視察する予定だった。だけど数日前に中止になってしまった。その事実を知らなかったドゥーガンは、そこにお父様がいると思いこんで、工作兵に爆弾を仕掛けさせた――つまりドゥーガンは、お父様が行おうとしてた何かを阻止した可能性が高いんだ」




 メアリーは顎に手を当て、考え込む。


 メアリー誕生と同時にアルカナは消えた、そう仮定すると――ワールド・デストラクションの実行を直前に、現場は非常に混乱していただろう。


 なにせ、そのターゲットたる『世界ワールド』までもが消滅したのだから。


 決行直前での日程変更もやむなし。


 そして、元の世界でもドゥーガンはワールド・デストラクションの趣旨を勘違いしていたぐらい、入手している情報の精度が低かった。


 ゆえに実験中止を知らずに、妨害だけが行われた――




「しかしピューパの名前も、今となっては懐かしいなあ」




 エドワードがしみじみと言う。


 メアリーは首を傾げた。




「今も王都の外にビルがあるんじゃないんですか?」


「へ? いやいや、あれはマジョラームのビルじゃないか。本社はキャプティスだけど」


「あれがマジョラームの……」




 かつてピューパ本社ビルがあった場所には、形と高さが微妙に異なるビルが建っていた。


 誰にも聞いていなかったので、てっきりピューパのものだと思っていたのだが――どうやら夢の世界では、マジョラームの存在感が増しているらしい。


 メアリーのキューシーへの思い入れが引き起こしたのかもしれない。




「さっきも言ったけど、ガナディア帝国との戦争ではマジョラーム製の兵器が大活躍だったからね。そこでお株を奪われたピューパは徐々に業績が悪化し、五年前に倒産したんだよ」


「そんなことが……」




 エドワードは不思議そうにメアリーを見ていた。


 その反応から察するに、それは王国では誰もが知る常識なのだろう。




「そっか、そんな変化が生じるんですね……ふふ……ふふふっ……」




 すると、メアリーは急に笑い出す。




「夢って面白いですね。色んな事象が絡まって、違う世界が紡がれる。掘り進めれば、自分ですら知らなかった世界の側面を見せてくれる」


「……えっと、ポエム?」


「真実です」


「はあ……」




 エドワードは、『やっぱり調子が悪いんだな』と思ったに違いない。


 メアリー自身は、至極真面目に言ったつもりだったが。




「きっと、ほんの少し条件を変えるだけで、夢はまったく違う姿を見せてくれるでしょう。けれどお姉様と私の関係は変わらない、そんな予感がします」


「よくわかんないけど……確かに、メアリーとフランシスはどこへ行ってもそのままだろうね」


「だからこそ、もっと色んな側面を見たいと思います。一番近い場所で、真正面から見ているのも幸せですが、それだけでは見えない姿がありますから」


「まあ、近すぎると見えない顔があるっていうのはよくわかる。今日だってそうかもね、メアリーがそういう表情するのを僕は初めて見る」


「そんなにおかしな顔をしていました?」




 ぐにぐにと自分の頬をこねるメアリー。




「普段のメアリーに比べるとね。何ていうか……浮世離れしているような雰囲気だ」


「お兄様って、案外鋭いですね」


「正解と言われても反応に困るな」


「ではそんな鋭いお兄様に第二の質問です」


「まだ続くのか……」




 さすがにエドワードは眠そうだ。


 しかしメアリーとしては、聞けるうちに聞き出したかった。


 この夢の設定を。


 もうじき終わる世界だから。




「お姉様は、私の前で色んな表情を見せてくれますが、本気で怒った顔を見たことがありません」


「さっきの話の続きだね。色んな側面がみたいっていう」


「はい、ですのでお姉様をそういう顔にするためには、どうしたらいいでしょうか」




 眉をひそめるエドワード。




「……姉様を怒らせたいのか?」




 到底、メアリーの口から出た言葉とは思えなかった。


 彼女は無邪気に笑って答える。




「見たい、というだけです」


「歪んだ愛情ってやつ?」


「まっとうな好奇心ですよ」


「それなら簡単だよ」


「教えて下さい!」




 身を乗り出して食いつく妹に、エドワードは若干引き気味だった。




「メアリーが傷けばフランシスは泣く。他人に傷つけられたなら、そいつに対して怒る。これは絶対だ」


「なるほど……」




 確かにそれは真理である。


 フランシスにとって最も大事な存在は、メアリーだ。


 だからかつてドゥーガンに捕らえられた彼女を、命をかけてまで救ってくれたのだから。




「ただし、”自分が怒られたい”と思ってるんなら、そんな方法は思いつかないけどね。姉様がメアリーを全力で叱るところなんて想像できない。あと、これはたとえ話だから。くれぐれも実際に試そうとか思わないでくれよ?」


「大丈夫です、他人に迷惑はかけませんから」


「ならいいんだけど。もう僕は寝るよ、あまり長居するとお母様にも見つかるからね。おやすみ、メアリー」




 軽く手を振って、エドワードは中庭を後にした。




 ◇◇◇




 メアリーが部屋に戻ると、宣言通り、フランシスは起きて妹の帰りを待っていた。




「遅いぞ。早くおいで」




 彼女は布団を持ち上げて、メアリーをそこに誘う。


 そして妹が入ってくると、両手でぎゅっと抱きしめた。




「捕まえた」


「食べられちゃいますか?」


「一生かけてね」




 メアリーもフランシスの背中に腕を回す。


 二人は体を密着させて、その体温を感じあった。




「メアリーが眠れなくなったって聞いてね、少しネガティブなことも考えてしまうんだ。一人のほうがいいんじゃないかって」


「実はお姉様の心音がうるさくて眠れませんでした」


「……それ本気で言ってる?」


「ふふ、冗談です。むしろ心地良いですよ」


「なら、いいんだ」


「あまりに幸せすぎて、さっきまで寝ていたのに、今も眠れそうです」


「まだ体力が戻ってないんだよ。ゆっくり休もうね、私はいつだってメアリーの傍にいるから」


「はい……大好きです、お姉様」


「私も愛してる」




 おやすみの代わりに愛を囁き、二人は眠る。


 睡眠で夢が終わらない確証が得られたから、メアリーにはもう躊躇う理由がない。


 だが、そうなると、どうやってこの夢を終わればいいのか。


 どうすれば次の夢を見られるのか。


 その方法を見つけるために、試す必要があった。




 ◇◇◇




 翌朝、メアリーは早めに起きて、フランシスより先にベッドを抜け出した。


 向かった先は食堂だ。


 この部屋の壁には、ヘンリーの趣味で剣が飾ってあることを彼女は知っていた。


 椅子を足場にして、宝石があしらわれた装飾用の武器を手に取る。


 わくわくする。


 買ってもらったおもちゃを、早く家に帰って開けたくてしょうがない――そんな子供のような気分。


 メアリーが駆け足で部屋に戻ると、すでにフランシスは起きていた。


 どうやら抱いていた妹がいない寂しさに、目を覚ましてしまったようだ。


 メアリーが帰ってくると、フランシスは微笑む。


 だが、その手に持った剣を見て、彼女は首を傾げた。




「メアリー、それって――」




 尋ねようとしたところで、鞘から刃が抜かれる。


 メアリーは両手でそれを握ると、喜色で輝く表情のまま、それを自らの腹に突き立てた。


 ぐちゅっ、と半固体をかき混ぜるような音がして、彼女は「あ、ぐ」とわずかに呻く。




「ぇ……」




 フランシスは、声すらあげられなかった。


 頭脳明晰な彼女を持ってしても、それは理解が間に合わない情景だった。


 その間にも、メアリーはにちゃりと血の糸を引かせ、剣を引き抜く。


 そしてもう一度――




「あ、はっ。お姉様ぁ、見てくださ……い゛っ」




 笑い声すらあげながら、自らに突き刺した。


 痛みは大したことはない。


 慣れたものだ。


 けれど肉体はそうもいかないようで、腕が震え、全身の筋肉がこわばっている。


 メアリーは人間の持つ元来の“脆さ”を自らの身で味わい、それに感動すら覚えていた。


 死ねるって幸せだ。


 そう心から思いながら。


 そして再び引き抜き――突き刺す。




「く、ふ……ぐぶっ、は……夢が、終わる……次へっ、あぐっ、次へぇっ、その前に――」




 ぐちゅんっ、ぶちゅんっ、と姉妹のいる空間で鳴ってはならない音が鳴る。




「お姉様の怒る顔をっ、見せてくださいぃっ!」


「だ……め……」




 数秒のフリーズを終えて、ようやくフランシスは再起動した。




「や、やぁっ、いやあぁぁぁあああああああっ!」




 彼女は絶叫し、メアリーに飛びかかった。


 そして血まみれの手を掴み、自傷行為をやめさせる。


 その勢いで二人は体勢を崩し、もつれながら床に倒れ込んだ。


 剣がメアリーの手を離れて落ちる。


 フランシスが魔術を使えば簡単に止められただろうが、今の冷静さを失った彼女はそんな方法すら思い浮かばなかった。




「なんでっ!? なんでなのメアリーっ! 血が止まらないっ、やだぁっ、メアリー死んじゃやだあぁっ!」


「お姉様……今の顔も、素敵……ごふっ」




 メアリーは口から大量の血を吐き出した。


 フランシスの顔色がさらに真っ青になる。




「わかんないよっ。メアリいぃっ、ずっと一緒って言ったのに! なんでこんなことするのぉっ! メアリーっ、メアリイィィっ!」




 彼女は必死で傷口を手で塞いだ。


 そこでようやく魔術を使うことに思い至ったのか、生み出した水の塊で出血を止める。


 だが、おそらくメアリーの内臓はかなり傷ついており、これでは応急処置にすらならなかった。




「でも……怒る顔、見た、かった……次の……夢……は……うま、く……」




 メアリーの意識が遠ざかっていく。


 痛みはもはや彼女にとって無意味な感覚だったので、あるのは心地よい倦怠感だけだった。


 ちょうど眠りに落ちるような。


 きっとこれが“浮上”なのだろう。


 次に目を覚ませば、あの真っ白な、なにもない空間がまた戻ってくる。


 そこで寂しさを補充して、また次の夢に旅立とう。




「誰かぁっ! 誰か来てえぇえっ! メアリーが大変なのっ! 私だけじゃどうにもできないのぉっ!」




 大丈夫、今度はちゃんと怒らせてみせるから。


 見たことのないフランシスの表情を見て、満足したらまた次へ行こう。


 夢から夢へと渡り歩き、たまには――カラリアやキューシー、アミとも愛し合ってみてもいい。


 アルカナの無い世界では他人だから、邪魔になるだけかもしれないけれど。


 『世界』の介入のない世界で結ばれるかはわからないけれど。


 失敗したらまた死ねばいい。




「誰でもいいからぁ……メアリーを、助けてえぇぇええええっ!」




 叫び声が遠ざかっていく。


 最後に見た悲壮感に溢れるその表情は、メアリーの記憶のどこにも無いものだ。




(悲しむお姉様も……きれい……)




 彼女は満足しながら、心の痛みと共に、意識を深い闇の底へと沈めた。



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