177 vs世界Ⅴ『最後に殺すべきは』
人は眠らなければ生きていけない。
五日も経てば、否が応でも問題は表面化する。
「おはよう、メアリー……その……大丈夫なのか?」
食堂で顔を合わせるなり、ヘンリーは心配そうに言った。
一緒に連れ添ったフランシスも不安げである。
「はい、何も問題ありません。おはようございます、お父様、お母様」
そう返事をされた側も戸惑うぐらい、元気な声だった。
実際、メアリーは体調に問題がありそうな言動を見せることはなかった。
ただ、顔色が悪く、目元にくっきりとくまができている、というだけで。
◇◇◇
その日、フランシスは仕事を休んだ。
メアリーは大丈夫だとしきりに繰り返したが、過保護な姉がそれで納得するはずもない。
医者を呼び、メアリーを診察してもらうことにした。
現れた女医は、マジョラーム・テクノロジーにて医療用品開発のアドバイザーも務める、有名な人物だった。
とはいえ、呼ばれてやってきたその姿が、白衣を羽織りながらも胸元を露出した大胆な姿だったことには、ヘンリーもフランシスも驚いたが。
相手が国王だろうと、自然体は崩さない――そんなポリシーなのだとしたら、大した度胸の持ち主である。
彼女はさばさばとした態度で診察を終え、その結果を別室でヘンリーとフランシスに伝えた。
「回復魔術で治療できる病は見つからなかった。ストレスから来る睡眠障害の可能性が最も高いわ」
「静養するしか無い、ということか?」
ヘンリーが尋ねると、医者は「ええ」と相づちをうち首を縦に振った。
続けてフランシスが問いかける。
「他にわかったことはないかな? ストレスの原因とか」
「それに関して、メアリー様は何も言ってなかったけどー……」
彼は回復魔術の使い手であると同時に、患者へのカウンセリングも行っている。
メアリーの精神面に問題があれば、即座に見抜いてみせるだろう。
「でもねぇ」
「何か気づいたんだね?」
「メアリー様は、睡眠に対して強い恐怖を感じてるみたいなの。本人は前向きな理由で起きてるって思い込んでるようだけど」
「恐怖?」
「夢って単語が繰り返し出てきたのも気になるわね。夢を見たくない理由、心当たりない?」
父も姉も、その問いに答えられなかった。
説明を終えて部屋を出たフランシスは、「くそっ!」と荒ぶる感情を隠しもせず、拳を壁に叩きつけた。
「落ち着きなさいフランシス」
「ですが、私は不甲斐ないのですっ! あれだけ近くにいるのに、メアリーのすべてを理解できないなんて……」
「急なことだろう。誰にも対応はできんよ」
「それでも、私はあの子の力になりたい!」
フランシスは額をぐりぐりと壁に押し付け、悔しさを顕にする。
「お前は本当に、メアリーのことになると性格が変わるな」
「私の熱は、すべてあの子のものですから」
「親としてはたまに不安になる」
「申し訳ありませんが、その不安は現実になりますよ」
「……だろうと思っていた。だが、私も止めはせんよ。あの子が幸せになれるなら、それでも構わん」
「お父様……」
二人はメアリーの出生の秘密を知っている。
ヘンリーにとっては、自分のエゴで生み出してしまった命。
そしてフランシスにとっては、妹であり、娘でもある存在。
形は違えど、強くメアリーのことを想っていることに変わりはなかった。
◇◇◇
ヘンリーとフランシスが医者から説明を受けていた間、メアリーは自室でベッドに横たわっていた。
その傍らには、キャサリンの姿がある。
「薬、飲まないのね」
部屋のテーブルの上には、水の入ったコップと錠剤が置かれていた。
女医が処方した入眠剤の一種だ。
だがメアリーはなかなかそれに手を付けようとはしなかった。
「必要だと感じませんから」
「困ったわ、こんなに強情なメアリーを見るのは初めてかもしれないわね」
「そうでしょうか」
「見ているこっちが不安になるぐらい、か弱くて聞き分けのいい子だったから。けど今のあなたは、何だか少し違う気がするの」
「……ふふっ」
「私、おかしなこと言った?」
「お母様は関係ありません。私にとって、この状況がおかしくて」
夢は始まったばかりだ。
その前の世界は存在しない。
なのにキャサリンは、以前のメアリーを語っている。
しかし――確かにそれは、興味深い考察だ。
世界はいつから始まったのか。
例えばこの夢の場合は、数日前、メアリーが虚無の世界で眠った瞬間から。
だが過去の記憶さえあれば、それ以前の世界だって“あったこと”になる。
それを言えば、メアリー自身もそうだ。
実はこの世界は、今、この瞬間に生まれたのかもしれない。
そしてメアリーには“夢の中で数日を過ごした”という記憶が植え付けられているのかも。
“確かなもの”と思っている自分の存在すら、曖昧になっていく。
「たまにあなたたちは、私に理解できないことを言うわね」
「それはお姉様とお父様も含んでいますか?」
「まさにその二人のことを言ってるのよ。私はあなたの母親になって結構経つし、お互いに家族としてうまくやれていると思うわ。でも……」
「何かを隠している気がする、ですね」
「……ええ、そうよ」
キャサリンは小さくため息をついた。
いくら妻になった女性とはいえ、メアリーの出生のことはなかなか話せないだろう。
というより、話す必要がない。
ヘンリーとフランシスの血から生み出されたホムンクルス――その事実が知れれば、家族関係ならず、王家の権威にひびが入るだろう。
メアリーの存在は、プルシェリマ家にとって生きた地雷とでも呼ぶべきものなのだ。
「あなたはそのことを知っているの?」
「知らないことになっています」
「つまり……メアリーが知っていることを、あの二人は知らないと?」
「そのはずです」
「メアリーは、その隠し事についてどう思ってる?」
「お父様はお母様のことを愛しています。お姉様も、母親として尊敬していると思いますよ。ただそれだけです」
「だからこそ……話せないってことかしら」
「はい、話さないのは優しさです。私に伝えないのも、二人なりの」
「そう言われると何も言えないわ。元々、王家なんて隠し事だらけだって覚悟して嫁いだんですもの」
「理解はしても納得はしてないって顔をしてます」
「一人の人間としてはともかく、家族としては“隠し事がある”ってやっぱり悲しいものよ。もしメアリーが薬を飲んでくれるなら、少しは落ち込んだ気持ちも持ち直すでしょうけど」
うまい具合に話題を変えられ、メアリーは「う」とうめいた。
キャサリンはその反応を見て、穏やかに微笑む。
「無理強いはしないわ。けど、そのままだと近いうちに倒れてしまうわよ。フランシスのこと泣かせたくないでしょう?」
「お姉様、泣くでしょうか」
「泣くわよ、間違いなく」
メアリーはうつむいて黙り込む。
これで薬を飲んでくれるだろう――キャサリンはそう思っていた。
だが、メアリーの口元を見て戦慄する。
彼女は口角を吊り上げ、冷たく嗤っていたからだ。
「っ……」
ぞくりと、背筋に寒気が走った。
次の瞬間には元の表情に戻っていたので、キャサリンはそれを気のせいだと思うことにした。
その後、メアリーはあっさりと薬を飲み、目を閉じた。
本当に眠っているのかはわからない。
キャサリンは彼女に小声で「おやすみなさい」と告げて、部屋を出た。
◇◇◇
メアリーが目を覚ましたのは、それから二十時間ほど経ってからだった。
体を起こした彼女は、外の暗さと、時計の指し示す時間、そして――
「夢の中で眠り、そして起きるなんて、変な感覚です」
寝る前よりは体調が良くなっていると実感できる。
もっとも、眠っていない状態でも、多少の頭痛と体の重さを感じるだけで、大した症状は出ていなかったのだが。
メアリーはベッドから抜け出し、スリッパを履いて部屋を出ようとした。
もう皆が静まった時間だ、誰もいないうちに、外の空気でも吸おう――そう思いドアを開くと、
「メアリーっ!」
部屋の真横に立っていたフランシスに見つかった。
メアリーの前での彼女は本当に表情豊かで、ただ見ているだけで心が満たされていく。
「お姉様……まだ起きていたんですか?」
「本当は一緒に寝たかったんだけど、体調が悪いからそれはよくないと思って」
「だから、ここでずっと立って?」
彼女はこくん、とうなずく。
「朝まで私が起きてこなかったら、どうするつもりだったんです」
「待つだけだよ。全然苦痛じゃない」
「お姉様……気持ちは嬉しいです。でも無理をしないでください」
メアリーがそう忠告すると、フランシスは彼女の頬をむにっと軽くつまんだ。
「メアリーがそれを言うの?」
そう言って、ぷくっと頬を膨らます。
さらに指で挟んだ頬肉をふにふにと揉む。
少し子供っぽいその仕草に、思わずメアリーの頬が緩んだ。
「ふふっ、ごめんなさい。今後は気をつけます」
「本当に気をつけてね。睡眠はちゃんと取らないと危ないんだから」
「ではお姉様はもう寝てください、私は大丈夫です」
「どこに行くの?」
「外の空気を吸おうと思って」
「わかった、ついていく」
「お姉様は先に寝ててください。目元が眠そうですよ? 仕事も忙しいんですから」
メアリーがやんわりと同行を拒むと、フランシスは表情こそ変えなかったものの、負のオーラを纏う。
有り体に言うと、めちゃくちゃ落ち込んでいた。
「そっか……メアリーも、そういう年頃だもんね……」
「お姉様、何もそこまで落ち込まなくても」
「いつか私から巣立つときが来るとは思ってたよ。もう十六歳だから、姉離れするときが来たんだ……」
「違いますから! 私は永遠に姉離れなんてしませんっ!」
「……本当に?」
「本当です!」
「なら付いていっていい?」
「今は……一人になりたい気分なんです」
「やっぱり姉離れするんだ……」
フランシスはがっくりと肩を落とす。
完全にめんどくさいスイッチが入ってしまっていた。
世間にはクールでクレバーな女性と思われている彼女。
だがメアリーに対しては甘い。
それは同時に、メアリーの前では自分も甘えた姿を見せるという意味でもあった。
「その、もちろん私だって、私と一緒にいたいと思ってくれてることは嬉しいです!」
「……ふふ、わかってるよ。そういう日もあるよね」
「理解していただけて何よりです」
「じゃあ先にベッドに入って待ってるから、私を寝かせたかったら、早めに戻ってきてね?」
最後の最後まで未練がましいフランシスであった。
まあ、今までメアリーがフランシスを優先しない選択をしたことがなかったのだから、その反応も当たり前なのだが。
◇◇◇
メアリーはその場から離れ、城内の中庭に向かった。
そして庭園の中央に設置された椅子に腰掛け、空を見上げる。
街すらも寝静まった夜は、星がよく見える。
彼女は天に向かって手を伸ばし、掴んだ星を――握りつぶすような仕草を見せた。
「夢が終われば、あの星さえも消えてなくなってしまう……」
ミティスとの戦いの中で、この美しい夜空も消えてしまった。
今や、この光景を見ることができるのは、メアリーの記憶から生み出された夢の中だけ。
そう、全ては彼女の記憶なのだ。
その事実だけで、あらゆる感情、あらゆる行為の価値は半減する。
残り半分は、虚しさという形でメアリーの中に溜まっていく。
「そこにいるのは、メアリーか?」
ふいに、男性の声がした。
視線をそちらに向けると、こそこそと庭園の隅を歩くエドワードの姿があった。
「お兄様、こんな時間に何をなさっているんです?」
「それはこっちのセリフだよ。体調を崩して寝込んでたんだろう? 起きても大丈夫なのかい」
話しながら、彼はメアリーの向かいの椅子に腰掛ける。
「ぐっすり眠りましたから。それよりお兄様、酒臭いですよ」
「う……」
「夜遅くに帰ってきて、気づかれないようこっそり部屋に戻ろうとしていたんですね」
「お母様が口うるさいんだ」
「それは夜遊びが過ぎるからでしょう」
「どうせ早く帰っても文句を言われるんだ。だったら、お母様が寝るまで遊んだほうが賢いだろう?」
だらしないことに変わりはないが、ロジックとしては理解できた。
それは別にして、メアリーも彼の夜遊びが過ぎることをあまり良くは思わない。
「次期国王ですから、国民にどんな目で見られることやら」
「僕には荷が重い。姉様だっているんだ、彼女がやればいいだろう」
その考えに関しては、現実でも夢でもエドワードのスタンスは変わらないようだ。
むしろ、アルカナが無いことでフランシスの立場が向上しているため、悪化しているかもしれない。
「お姉様は忙しいんです」
「そりゃ女王になれば研究は続けられないかもしれないけどさ」
「いえ、私を愛でるので」
「一瞬ジョークかと思ったけど、理由として本当にありそうだ。だから王位継承を拒んでるのか?」
「なので私は、お兄様にちゃんとした国王になってもらわないと困るんです」
「……しかし珍しいな、メアリーがはっきりと僕に物を言うなんて」
「そうですか?」
「ああ、何日か前から違和感はあったけどさ。やっぱり変わったよ、メアリー」
彼は初日からそう指摘していた。
最初はただ寝ぼけているだけだと思ったが、どうやら本当に見抜いているらしい。
いや――実際は、フランシスやヘンリーも違和感の存在に気づいているのだろう。
それを面と向かって言うには、距離が近すぎるというだけで。
「面倒ですね」
「ん?」
「夢の中なら、もっと思い通りになればいいのに」
「メ、メアリー?」
急に低い声でつぶやく妹に、エドワードは困惑する。
「何でもありません、お兄様」
「そう、か? ならいいんだが……」
「ところで、お兄様にしか聞けないことがあるんです。いくつか質問してもいいでしょうか?」
「藪から棒だな。酔った僕でも答えられる質問ならいいけど」
「十六年前の話なんですが」
おそらく最も詳細を知っているのはヘンリーだろう。
だが、メアリーは何も知らないことになっているのだから、直に聞くのは避けたい。
かといってフランシスにも聞きにくく、キャサリンはヘンリーとの距離が近すぎる。
持つ情報は少なくとも、後腐れが無さそうな人物として、エドワードが最も適当だった。
「メアリーが生まれたときのこと?」
「アルカナが消えた日について、お兄様なら知っているのではないかと」
「さすがにまだ小さいから覚えてないよ。僕が知ってるのは、歴史として教わる範疇のことだけだ」
「それで構いません」
「メアリーも習ったと思うけどな……消えたんだ、急に。アルカナ使いの能力が全てね。ああ、そう言えばあの日ってメアリーの誕生日と同じ月だったっけな」
「アルカナの消失は、私が生まれたのと同時……確かにそれなら、ホムンクルスが生まれていても矛盾は起きませんね」
「ホムン……?」
「ただの独り言です。他に十六年前について情報はありますか?」
「ああ……教科書に載ってるのは、国際情勢が大きく動いたって話かな。特にフェルース教国は宗教国家だからね、神の加護が消えたっていう噂が広がって大混乱したらしいよ」
フェルース教国と言えば、『
「その間に、ガナディア帝国がフェルースに攻め込んだり。それをお父様が糾弾して、オルヴィスとガナディアの戦争が始まったり――」
ガナディアはかつて『
エドワードの話によれば、どうやらオルヴィス王国と戦争になったのだという。
その際に、マジョラーム・テクノロジーが王国の勝利に大きく寄与し、ノーテッドに爵位を与えるという話になったそうだ。
だが彼はそれを拒んだ。
親友であるドゥーガンに華を持たせるために。
そんなノーテッドがいなければ、今ごろスラヴァー家は取り潰しになっていた可能性すらあった。
「国の動きとしてはそんなものかな。あと忘れちゃいけないのは、ドゥーガン・スラヴァーによる国王暗殺疑惑だ」
「ピューパ・インダストリーの研究施設に爆弾が仕掛けられたんですよね」
「そこは知ってるんだ。詳しい話は教科書には乗ってないから、お父様から聞いたのか」
「そんなところです」
「お父様はドゥーガンの話になるとすぐにヒートアップするから、すぐに教えてくれるからね。むしろ聞くと止まらないというか。でも、謎が多い話だよ。時期からして、アルカナ消失が絡んでるのは間違いないと思うんだけど。お父様はピューパの研究所を
メアリーは顎に手を当て、考え込む。
メアリー誕生と同時にアルカナは消えた、そう仮定すると――ワールド・デストラクションの実行を直前に、現場は非常に混乱していただろう。
なにせ、そのターゲットたる『
決行直前での日程変更もやむなし。
そして、元の世界でもドゥーガンはワールド・デストラクションの趣旨を勘違いしていたぐらい、入手している情報の精度が低かった。
ゆえに実験中止を知らずに、妨害だけが行われた――
「しかしピューパの名前も、今となっては懐かしいなあ」
エドワードがしみじみと言う。
メアリーは首を傾げた。
「今も王都の外にビルがあるんじゃないんですか?」
「へ? いやいや、あれはマジョラームのビルじゃないか。本社はキャプティスだけど」
「あれがマジョラームの……」
かつてピューパ本社ビルがあった場所には、形と高さが微妙に異なるビルが建っていた。
誰にも聞いていなかったので、てっきりピューパのものだと思っていたのだが――どうやら夢の世界では、マジョラームの存在感が増しているらしい。
メアリーのキューシーへの思い入れが引き起こしたのかもしれない。
「さっきも言ったけど、ガナディア帝国との戦争ではマジョラーム製の兵器が大活躍だったからね。そこでお株を奪われたピューパは徐々に業績が悪化し、五年前に倒産したんだよ」
「そんなことが……」
エドワードは不思議そうにメアリーを見ていた。
その反応から察するに、それは王国では誰もが知る常識なのだろう。
「そっか、そんな変化が生じるんですね……ふふ……ふふふっ……」
すると、メアリーは急に笑い出す。
「夢って面白いですね。色んな事象が絡まって、違う世界が紡がれる。掘り進めれば、自分ですら知らなかった世界の側面を見せてくれる」
「……えっと、ポエム?」
「真実です」
「はあ……」
エドワードは、『やっぱり調子が悪いんだな』と思ったに違いない。
メアリー自身は、至極真面目に言ったつもりだったが。
「きっと、ほんの少し条件を変えるだけで、夢はまったく違う姿を見せてくれるでしょう。けれどお姉様と私の関係は変わらない、そんな予感がします」
「よくわかんないけど……確かに、メアリーとフランシスはどこへ行ってもそのままだろうね」
「だからこそ、もっと色んな側面を見たいと思います。一番近い場所で、真正面から見ているのも幸せですが、それだけでは見えない姿がありますから」
「まあ、近すぎると見えない顔があるっていうのはよくわかる。今日だってそうかもね、メアリーがそういう表情するのを僕は初めて見る」
「そんなにおかしな顔をしていました?」
ぐにぐにと自分の頬をこねるメアリー。
「普段のメアリーに比べるとね。何ていうか……浮世離れしているような雰囲気だ」
「お兄様って、案外鋭いですね」
「正解と言われても反応に困るな」
「ではそんな鋭いお兄様に第二の質問です」
「まだ続くのか……」
さすがにエドワードは眠そうだ。
しかしメアリーとしては、聞けるうちに聞き出したかった。
この夢の設定を。
もうじき終わる世界だから。
「お姉様は、私の前で色んな表情を見せてくれますが、本気で怒った顔を見たことがありません」
「さっきの話の続きだね。色んな側面がみたいっていう」
「はい、ですのでお姉様をそういう顔にするためには、どうしたらいいでしょうか」
眉をひそめるエドワード。
「……姉様を怒らせたいのか?」
到底、メアリーの口から出た言葉とは思えなかった。
彼女は無邪気に笑って答える。
「見たい、というだけです」
「歪んだ愛情ってやつ?」
「まっとうな好奇心ですよ」
「それなら簡単だよ」
「教えて下さい!」
身を乗り出して食いつく妹に、エドワードは若干引き気味だった。
「メアリーが傷けばフランシスは泣く。他人に傷つけられたなら、そいつに対して怒る。これは絶対だ」
「なるほど……」
確かにそれは真理である。
フランシスにとって最も大事な存在は、メアリーだ。
だからかつてドゥーガンに捕らえられた彼女を、命をかけてまで救ってくれたのだから。
「ただし、”自分が怒られたい”と思ってるんなら、そんな方法は思いつかないけどね。姉様がメアリーを全力で叱るところなんて想像できない。あと、これはたとえ話だから。くれぐれも実際に試そうとか思わないでくれよ?」
「大丈夫です、他人に迷惑はかけませんから」
「ならいいんだけど。もう僕は寝るよ、あまり長居するとお母様にも見つかるからね。おやすみ、メアリー」
軽く手を振って、エドワードは中庭を後にした。
◇◇◇
メアリーが部屋に戻ると、宣言通り、フランシスは起きて妹の帰りを待っていた。
「遅いぞ。早くおいで」
彼女は布団を持ち上げて、メアリーをそこに誘う。
そして妹が入ってくると、両手でぎゅっと抱きしめた。
「捕まえた」
「食べられちゃいますか?」
「一生かけてね」
メアリーもフランシスの背中に腕を回す。
二人は体を密着させて、その体温を感じあった。
「メアリーが眠れなくなったって聞いてね、少しネガティブなことも考えてしまうんだ。一人のほうがいいんじゃないかって」
「実はお姉様の心音がうるさくて眠れませんでした」
「……それ本気で言ってる?」
「ふふ、冗談です。むしろ心地良いですよ」
「なら、いいんだ」
「あまりに幸せすぎて、さっきまで寝ていたのに、今も眠れそうです」
「まだ体力が戻ってないんだよ。ゆっくり休もうね、私はいつだってメアリーの傍にいるから」
「はい……大好きです、お姉様」
「私も愛してる」
おやすみの代わりに愛を囁き、二人は眠る。
睡眠で夢が終わらない確証が得られたから、メアリーにはもう躊躇う理由がない。
だが、そうなると、どうやってこの夢を終わればいいのか。
どうすれば次の夢を見られるのか。
その方法を見つけるために、試す必要があった。
◇◇◇
翌朝、メアリーは早めに起きて、フランシスより先にベッドを抜け出した。
向かった先は食堂だ。
この部屋の壁には、ヘンリーの趣味で剣が飾ってあることを彼女は知っていた。
椅子を足場にして、宝石があしらわれた装飾用の武器を手に取る。
わくわくする。
買ってもらったおもちゃを、早く家に帰って開けたくてしょうがない――そんな子供のような気分。
メアリーが駆け足で部屋に戻ると、すでにフランシスは起きていた。
どうやら抱いていた妹がいない寂しさに、目を覚ましてしまったようだ。
メアリーが帰ってくると、フランシスは微笑む。
だが、その手に持った剣を見て、彼女は首を傾げた。
「メアリー、それって――」
尋ねようとしたところで、鞘から刃が抜かれる。
メアリーは両手でそれを握ると、喜色で輝く表情のまま、それを自らの腹に突き立てた。
ぐちゅっ、と半固体をかき混ぜるような音がして、彼女は「あ、ぐ」とわずかに呻く。
「ぇ……」
フランシスは、声すらあげられなかった。
頭脳明晰な彼女を持ってしても、それは理解が間に合わない情景だった。
その間にも、メアリーはにちゃりと血の糸を引かせ、剣を引き抜く。
そしてもう一度――
「あ、はっ。お姉様ぁ、見てくださ……い゛っ」
笑い声すらあげながら、自らに突き刺した。
痛みは大したことはない。
慣れたものだ。
けれど肉体はそうもいかないようで、腕が震え、全身の筋肉がこわばっている。
メアリーは人間の持つ元来の“脆さ”を自らの身で味わい、それに感動すら覚えていた。
死ねるって幸せだ。
そう心から思いながら。
そして再び引き抜き――突き刺す。
「く、ふ……ぐぶっ、は……夢が、終わる……次へっ、あぐっ、次へぇっ、その前に――」
ぐちゅんっ、ぶちゅんっ、と姉妹のいる空間で鳴ってはならない音が鳴る。
「お姉様の怒る顔をっ、見せてくださいぃっ!」
「だ……め……」
数秒のフリーズを終えて、ようやくフランシスは再起動した。
「や、やぁっ、いやあぁぁぁあああああああっ!」
彼女は絶叫し、メアリーに飛びかかった。
そして血まみれの手を掴み、自傷行為をやめさせる。
その勢いで二人は体勢を崩し、もつれながら床に倒れ込んだ。
剣がメアリーの手を離れて落ちる。
フランシスが魔術を使えば簡単に止められただろうが、今の冷静さを失った彼女はそんな方法すら思い浮かばなかった。
「なんでっ!? なんでなのメアリーっ! 血が止まらないっ、やだぁっ、メアリー死んじゃやだあぁっ!」
「お姉様……今の顔も、素敵……ごふっ」
メアリーは口から大量の血を吐き出した。
フランシスの顔色がさらに真っ青になる。
「わかんないよっ。メアリいぃっ、ずっと一緒って言ったのに! なんでこんなことするのぉっ! メアリーっ、メアリイィィっ!」
彼女は必死で傷口を手で塞いだ。
そこでようやく魔術を使うことに思い至ったのか、生み出した水の塊で出血を止める。
だが、おそらくメアリーの内臓はかなり傷ついており、これでは応急処置にすらならなかった。
「でも……怒る顔、見た、かった……次の……夢……は……うま、く……」
メアリーの意識が遠ざかっていく。
痛みはもはや彼女にとって無意味な感覚だったので、あるのは心地よい倦怠感だけだった。
ちょうど眠りに落ちるような。
きっとこれが“浮上”なのだろう。
次に目を覚ませば、あの真っ白な、なにもない空間がまた戻ってくる。
そこで寂しさを補充して、また次の夢に旅立とう。
「誰かぁっ! 誰か来てえぇえっ! メアリーが大変なのっ! 私だけじゃどうにもできないのぉっ!」
大丈夫、今度はちゃんと怒らせてみせるから。
見たことのないフランシスの表情を見て、満足したらまた次へ行こう。
夢から夢へと渡り歩き、たまには――カラリアやキューシー、アミとも愛し合ってみてもいい。
アルカナの無い世界では他人だから、邪魔になるだけかもしれないけれど。
『世界』の介入のない世界で結ばれるかはわからないけれど。
失敗したらまた死ねばいい。
「誰でもいいからぁ……メアリーを、助けてえぇぇええええっ!」
叫び声が遠ざかっていく。
最後に見た悲壮感に溢れるその表情は、メアリーの記憶のどこにも無いものだ。
(悲しむお姉様も……きれい……)
彼女は満足しながら、心の痛みと共に、意識を深い闇の底へと沈めた。
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