173 vs世界Ⅰ『神無き星の断末魔』




 メアリーは、ついにビルの最上階に到達した。


 手にした鎌で社長室の扉を引き裂き、決戦の地へと足を踏み入れる。


 偉そうにチェアに腰掛けた、ステラの顔をした女と目が合った。


 彼女はメアリーの到着を歓迎するように口角を吊り上げると、ぐにゃりと体を変形させる。


 本物のステラが死んだ今、もはやその姿を続けても無意味だから。


 そして現れたのは、制服姿の黒髪の女。


 正真正銘、本物のミティス・アプリクスだった。




「余興は楽しめたかしら?」




 初めて聞く声だ。


 メアリーは心の底から不快に感じた。


 鎌を握る手に力を込めて、瞬時にミティスに迫る。




「死ね」




 短く、単純な言葉にながら、込められた怨嗟の密度は、他のどんな言葉よりも濃い。


 繰り出される斬撃。


 部屋に金属音が鳴り響く。


 刃を受け止めたのは、赤い肉の刃だった。




生者百万人分のミリオンソウル断罪鎌ネメシスサイズ。素敵でしょう?」




 ミティスは片手で軽く握った鎌で、メアリーの攻撃を受け止めた。


 刃の表面では、常に人面らしき模様がうごめいている。


 それは見掛け倒しではない。


 本当に、そこに百万人分の命が使われているのだ。




「『世界』の力があれば、無から生命を生み出すことも可能なの」


「それが生命だというのなら――」




 メアリーの刃が開き、相手の刃に食らいつく。




「食い尽くすまでッ!」




 『死神』は生命を噛み殺し、それを己の力として取り込む。


 死者と生者が鍔迫り合えば、生じるのは火花だけではない。


 血が飛び散り、そのたびに生者のオォォォォ――という怨念めいた声が鳴り響いた。




「わからないのメアリー。私は――」


「お前の話など聞くものか! 殺す! 殺す! 殺してやるッ!」


「王女様がそんな言葉遣いするなんて。親御さんの代わりにお仕置きしないと」




 握った鎌に、ミティスは軽く力を込めた。




「づぅっ!?」




 するとメアリーは簡単に吹き飛ばされ、壁に背中から激突する。


 ここで、ようやくミティスは立ち上がった。




「少しぐらい落ち着いて話しましょうよ、満を持して出会えたんだから」


「あなたは私が憎い。私はあなたが憎い。それ以外に……必要なものなどありません」




 ゆらりと立ち上がり、再び鎌を握るメアリー。




「そう……私はいざこうして対面すると、寂しさを感じているわ」


「はあぁぁぁああッ!」




 メアリーは瞬時にミティスに迫る。


 ミティスは――ガードすらしなかった。


 斬撃がその体を上下に分断する。


 切り離された下半身は倒れる。


 だが上半身は微動だにせずそこに残り、浮かんでいた。




「なにせリュノに封じられてから数億年、ずっとこの世界が滅びる日を待っていたのだから。ここ最近は、あなたをいかに苦しめて殺すかばかり考えていたわ」


「消し飛びなさいッ!」




 メアリーはゼロ距離からの埋葬砲ベリアルカノンで、残ったミティスの体を吹き飛ばす。


 跡形もなく消え去った彼女は、次の瞬間、メアリーの背後に現れ、何事もなかったように話を続けた。




「私もね、本当は何も言わずに殺すつもりだったの。だって憎くて醜いから。メアリー、私はどうあってもあなたの存在を許せない――」


「『女帝エンプレス』よ食いちぎれ!」




 机が狼に姿を変え、ミティスを噛み殺す。


 潰され千切れる女の体。


 そして再び彼女はメアリーの背後に現れた。




「だけど思えば、その憎しみは、私の中に残った貴重な“生の感情”なのかもね」


「押し潰せ、『タワー』!」




 メアリーは骨で作り出した巨大な柱を両手で抱え、振り回す。


 壁や窓ガラスを薙ぎ払って破壊しながら、ミティスも一緒に押しつぶした。


 再び新たな体が生み出される。




「残りは神でも人でもない、ぐちゃぐちゃで、無価値な肉塊だもの」


「切り刻め、『運命の輪ホイールオブフォーチュン』!」




 高速回転する車輪が、新たに生まれたミティスを切り刻む。


 だが――何度繰り返しても、彼女は新品・・になってまた現れる。




「今日まで十分に余興・・を楽しませてもらったわ。けどせっかくだし、もっと咀嚼そしゃくして味わいたいと思うの。無に還る前に」


「ならばっ、『審判ジャッジメント』で巨大化させたこの刃で――切り潰すッ!」




 自分よりも何倍も大きな鎌を振り下ろし、何度殺しても蘇るミティスを圧潰させる。


 放たれた斬撃は、ビルの最上階から地下まで一本の線で結んだ。


 巻き込まれたミティスの体は、文字通り跡形もなく消えた。


 そして――何事も無かったかのように、彼女はメアリーの横に現れ、肩にぽんと手を置く。




「今の状況もそう。全てのアルカナを揃えることで、最強のアルカナに挑む……私が書いた脚本で、一番王道な筋書きだと思わない? 私ね、今すごく楽しいわ」


「殺してやるうぅぅぅぅ!」




 メアリーが腕を振り払えば、それだけで人体は消し飛ぶ。


 だが肉体を破壊しても、ミティスにはダメージが与えられていないように思えた。


 彼女はまたしても再生し、瓦礫を椅子代わりにして腰掛ける。




「でも残念ね。どれだけ神様の力を集めても、あなたに私は殺せない。だって私の力は、この世界を生み出したシステムそのものなんだもの。この世に存在する命が抗えるはずもないのよ」


「それでも、私はっ!」




 止まるわけにはいかなかった。


 死にものぐるいで鎌を振るう。


 相手が命を生み出し、それを力として振るうのならば、それらを殺せば殺すほど、数万単位でメアリーの力は向上していく。




「殺してみせるッ! たとえ私がどうなろうとも! 身も心も化物になったとしても! お前だけはぁっ!」


「怖い顔。死にものぐるいって、こういうことを言うんでしょうね」




 切りかかってくるメアリーに、ミティスは鎌を片手で操り応戦した。


 二人の刃がぶつかるたびに、キィンと音が弾け、空気が爆ぜる。


 数秒の間に、幾百度の殺意の応酬――


 その末に、ついにメアリーの刃がミティスのそれを弾く。


 力で押しはじめたのだ。


 この時点で、メアリーの魔術評価は、素の状態で八十万に達していた。


 ここに『パワー』、『吊られた男ハングドマン』、『悪魔デビル』を合わせればたやすく五百万を突破する。


 現在のミティスの魔術評価はおよそ三百万――力負けするのは当然であった。




「もらったあぁぁあっ!」




 気品など投げ捨てた、殺意むき出しの刃がミティスを引き裂く。


 それを防ごうとした肉の鎌もろとも断ち切られ、彼女はメアリーに返り血を浴びせながら力尽きた。




「はぁ……はぁ……」




 残った死体を見下ろし、肩を上下させるメアリー。


 死体は残る。


 傷の再生は行われない。


 天使を生み出した張本人なのだから、やろうと思えばできるはずだ。


 だが使わない。


 彼女は“新たな自分”を生み出せるから。


 再生能力を使ったほうが、よっぽど魔力を節約できるはずだ。


 だがそうしないということは――それだけ、ミティスの魔力には余裕があるということ。




「レベルを上げましょう」




 背後で声が聞こえた。


 振り向くと、ミティスがメアリーに向かって腕を伸ばしていた。


 強烈なプレッシャーを感じた。


 先程とは比べ物にならない魔力を持つ存在が、そこにいる。


 メアリーは反射的にアナライズを使用する。


 魔術評価は――51042283。


 今のメアリーの十倍以上であった。




断罪砲ネメシスカノン、発射」




 命を束ねた紅い砲弾が、メアリーを襲う。


 避けようとした。


 だが、弾丸から発せられる強烈な引力がそれを許さなかった。


 防御しようした。


 だが強烈な威力がそれを許さなかった。


 あらゆる抵抗が無意味だと瞬時に悟れるほどの、そのパワー。


 砲弾はメアリーに直撃すると、炸裂した。


 そして轟音が――世界・・に響き渡る。


 それは空気の振動だけで、ピューパ本社ビルが粒子となって分解されるほどの威力。


 まるで太陽が地上に落ちてきたかのような爆炎が、あたりを焼き尽くす。


 メアリーは跡形もなく吹き飛んだ。


 本社ビル跡地・・には、巨大なクレーターだけが残った。




「私の血は本来、他者ではなく自分を変質させるために使うものだから。自分が対象なら好きに・・・変えられるのよ。身体能力も、魔術評価もね」




 直撃を受け、メアリーは消えたかのように思われた。


 しかし完全に無くなったわけではない。


 そこには彼女の細胞が残っていた。


 わずかにでも残っていたら、そこから再生が始まる。


 さらに、先程の断罪砲を防御する際に、そこに込められた命を喰らえるだけ喰らった。


 結果、メアリーの魔術評価は素で八百万にまで上昇しているのだ。


 この域まで達すると、もはや彼女の再生能力は、限りなく不老不死に近いものとなり――




「いいわね、そのしぶとさ。私を殺すという心が折れない限りは、きっとあなたは、永遠に再生し続けるでしょう」




 メアリーの肉体は、まず“口”から再生した。




「殺してやる……殺してやる……」




 そしてそこから、呪いを吐き出すのだ。


 それは相手に向けるためだけものではない。


 自分を鼓舞するためのものだった。


 ミティスは最上階があった・・・場所と同じ高さで浮遊しながら、その様をじっくりと眺めている。


 二人を見下ろす空は、皮肉なほどに青く美しい。




「けれど耐えるほどに、自分が苦しむ時間が長引くだけよ。ほら、みんながあなたに言ってきたでしょう? 早く死んだほうがいいって」


「だったら、今すぐに殺せばいいだけのことッ! それで終わりです!」




 再生したメアリーは、当然のように“空”を蹴り敵に飛びかかる。




断罪剣ネメシスソード




 対するミティスは、手の甲から伸ばした肉の剣を、軽く振り払った。


 斬撃が飛翔する。


 メアリーはそれを受け止めながら、『死神』で食らう・・・


 防ぎきれず、肉体は再び消滅。


 だが一秒も経たずに再生した。




「さあ成長なさいメアリー。待ちに待った終末を、私たちの戦いで彩りましょう!」




 剣に引き裂かれ、殺されるたびにメアリーの再生速度は上がっていく。


 蘇るたびに前に進み、ミティスとの距離は縮まる。


 そしてメアリーはついに、たどり着いた。




「おぉぉおおおおおおッ!」




 雄叫びをあげながら、血まみれの拳を握るメアリー。


 消滅と再生の末、もはや武器を生み出すことすらせずに、ただ本能のまま襲いかかった。


 対するミティスは、狂喜と憎悪をむき出しにした邪悪な笑みを浮かべ、拳に拳で応戦する。




「愉しいわね、メアリー!」


「死ぃねえぇぇえええッ!」




 互いの殺意が衝突する。


 二つの拳に込められたエネルギーにより、一瞬だけドーム状の空間を作り出した。


 それはすぐに弾け、衝撃波となって周囲に拡散していく。


 空が割れる。


 大地が砕ける。


 巻き起こった暴風は、あたりの木々や民家を根こそぎ吹き飛ばす。


 無論、爆心地にいた二人の肉体も耐えられない。


 消し飛び、次の瞬間にメアリーは再生する。


 同様に、ミティスは新たな肉体を生み出した。


 結果、両者ともに無傷である。




「もう一段階レベルを上げるわ」




 ミティスは軽い口調でそう言った。


 魔力が膨らむ。


 メアリーが見たその数値は、魔術が壊れてしまったのではないかと思うような、冗談めいた桁数だった。




「魔術評価……5億……」


「数値を切り替えるだけでこうなるの。だから私にとって、この世界なんて無価値なのよ」




 見下しているわけではない。


 ただ単純に――歴然とした事実として、ミティスから見たこの世界は玩具めいた幼稚さなのだ。


 そして彼女は再び、あの赤い鎌を握った。


 見た目は変わらない。


 だがメアリーにはわかる。


 そこに込められた魔力は――この世界を壊すのに十分すぎる量であると。




生者十億人分のビリオンソウル断罪鎌ネメシスサイズ




 その刃が振り下ろされた。


 が割れた。


 これは比喩ではない。


 文字通り、メアリーたちの暮らしていたその星が、真っ二つに両断されたのだ。


 眼下に生じた裂け目に底などない。


 バランスを崩した星は傾きはじめ、人類の築いた文明もろとも、宇宙の藻屑になろうとしていた。



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