162 vs節制Ⅱ『私は天使になりたかった』




「頭よ潰れろ」




 パァンッ、と風船が割れるような音と共に、メアリーの頭が弾ける。


 血の花が地面に咲いた。




「体よねじれろ」




 残った体はビクビクと痙攣していたが、それが雑巾を絞られるようにねじれていく。


 全身からバキッ、グチュッ、と音が鳴り、裂けた皮膚の隙間から大量の血が滴り落ちた。




(一体、どんな……どんな制約で、この能力を……!)




 わずかに再生した脳で必死にメアリーは考える。


 だが答えは出なかった。




「さすがに私もアルカナを封じるのは無理ねぇ。肉体を一瞬で消滅させることもできないしぃ、跡形もなく焼き尽くすしかないわぁ」


「がぁぁぁぁああうっ!」


「おぉっと、噛みつかれるところだったわ。結局、『死神』で反撃されるのが面倒ねぇ。近づくのは危ないから、ひたすら『節制』で潰し続けるしかないのかしらぁ」




 そうすれば、いつかメアリーの心は折れる。


 そうでなくとも、数日も続ければ自然とタイムリミットが訪れ、ミティスの手により世界は滅びる。


 しかしフィリアスとしても、ミティスとしても、そしてメアリーだって、そんなつまらない決着は望んじゃいない。




「ぐうぅぅ、ぐぎ、が、おぉおぉおおッ!」




 作りかけの喉から、到底少女とは思えないうめき声をあげながら、メアリーは立ち上がる。




「うわお、さっきもだったけど、『節制』に縛られてるのに力ずくで動くなんて。執念ねぇ」


「こんな、ところで……! こんな相手に、負けるわけにはあぁぁッ!」


「ふふふ、必死。可愛そうだからもう一度痛めつけてあげるわぁ」




 フィリアスは、先ほどの拷問を繰り返すべく、口を開く。


 だがそれを遮るように、視界に黒い影が割り込んだ。




「これは、鳥の群れ――さっき破壊した地面の瓦礫っ!? ぐうぅっ、あらかじめ『女帝エンプレス』を使っていたのね!」




 完全に動きが封じられることを恐れ、メアリーが仕込んでおいたものだ。


 鳥の群れがフィリアスに殺到する。


 急造品なのでさほど強度は高くなく、炎の剣で薙ぎ払われるだけで落ちる程度である。


 だが、不意打ちを受けた時点で『節制』は解除された。




「くっ……逃げられちゃったわぁ。意外と賢しい真似するのね、王女様って」




 ほんの数秒で全てを焼き尽くしたフィリアスは、姿の見えなくなったメアリーを探しはじめた。




 ◇◇◇




「ふぅ……範囲外に出れば、『節制』は使えないようですね」




 物陰に隠れ、『隠者』を発動させて息を吐き出すメアリー。




(それにしても……言うだけで発動するなんて厄介すぎます。これだけの魔力を得ても抗えないなんて、どんな制約があったら使えるというのでしょう。何か、単純な話のはずなんです。だってお父様には効かないんですから。そして意志の無い相手にも効かない。ちょっとした認識を変えるだけで、あの能力は無効化される……)




 ヒントは散りばめられているはずだ。


 まず最も不自然な点が一つ――




「どうしてフィリアスさんは、『天使の名の下に』なんて言っていたんでしょうか。言わなくても、能力は発動できるのに」




 そう、先ほどはその部分を省いていた。


 だが威力が落ちることもない。


 つまり――本来、あの文言は必要ないものなのである。




「私が聞いていなくても発動するのだから、暗示能力の線も薄い。聞かせる必要すら無いなら、本当に、かっこつける以外に意味なんて無いんじゃ……」




 フィリアスならありえることだ。


 だが一方で、彼女はそういうところに、何か罠を仕込むタイプではないかとも思う。




「天使……そういえば、フィリアスさんって天使のような見た目をしながら、悪魔みたいに腹黒い人でしたよね」




 ふと、そんなことを思い出してメアリーは少し笑った。


 あの腹黒さも、今となっては懐かしい。


 そんなノスタルジーに浸りながら、ふと、彼女の脳裏に一つの考えが浮かんだ。




「……天使じゃなくて、悪魔?」




 なぜフィリアスがわざわざ『天使』と言っていたのか。


 その理由は――




「もう隠れられる場所、そこぐらいしか無いのよねぇ」




 そのとき、フィリアスの声が近づいてきた。




「『隠者ハーミット』って厄介だわ、気配で探れなくなるんだからぁ。けどもう逃さないわよ。天使となり、膨大な魔力を得た私の『節制』は、何をしようと防ぐことなんてできないんだから」




 彼女の言葉を聞きながら、メアリーは確信する。




(そっか……なんて単純な話なんだろう。フィリアスさんがどうして“天使”と言うことにこだわったのか。それは――)




 フィリアスは角の目前で足を止め、言い放った。




「天使の名の下に命じる」


(――相手に『天使』であることを否定された時点で、能力が発動しなくなるから)


「そこを動くな」




 そして、『節制』の能力が発動する。


 だがそれが、二度とメアリーに効果を発揮することはなかった。




 天使の名の下に――と言われれば、誰だって『天使にまつわる能力』だと思ってしまう。


 思わずとも、わざわざ否定する必要性など感じない。


 頭の片隅に、『ああ、天使にこだわりがあるのだろう』という認識だけが残る。


 それが少しでも相手にあれば、『節制』は発動するのである。


 それを拒絶するには、明確に『天使は関係ない』、『むしろ悪魔だ』――と、その本性を知る必要がある。


 ヘンリーは近衛騎士であるフィリアスの本性を知っていた。


 だから、『節制』が通用しなかったのだ。


 制約としては簡素。


 だが一方で、知られた時点で全ての能力が効かなくなる、という制限はあまりにリスクが高い。


 ゆえに、フィリアスの能力は強力であった。




 『隠者』を纏ったメアリーは物陰から飛び出し、フィリアスの背後に回る。


 そして鎌を薙ぎ払った。




「……はっ!?」




 刃が触れる直前、その殺気に気づいてフィリアスは慌てて反応する。


 とっさに剣で斬撃を受け止めるも、十分な準備ができなかったためか体勢を崩し、背後の壁に押し付けられた。




「もう効きませんよ」


「王女様――気づいたっていうの、私の力に!」


「天使のような顔をした悪魔。まさにフィリアスさんのことですね。ですが私は、あなたのこと、そこそこ優しい人だと思ってますよ」


「能力が使えなくても、私にはこの剣と、騎士団長として磨いてきた剣術があるわぁ」




 フィリアスは完全に追い詰められていたはずだ。


 だが刃を滑らせ、舞うような動きでするりと拘束を抜け出すと、目にも留まらぬ速さでメアリーに斬りかかる。


 身体能力はともかく、“技”の面でメアリーがフィリアスに勝てないのは当然であった。


 メアリーの体は無数の斬撃を受け、さらに傷口を燃やされてしまう。


 一見して、形勢逆転とも思える。


 だがそれは、彼女にとって無傷に等しいものだった。




「確かにあなたの剣筋は鋭く美しい。ですが――切り刻むだけでは、私は殺せません」




 それで死ねるのなら、とうに死ねている。


 一瞬でメアリーを消滅させられる手段がない以上、もはやフィリアスに勝機はなかった。


 メアリーは反動で腕を吹き飛ばしながら、ゼロ距離で砲撃を放つ。


 ズドンッ、と大きな音が空気を震わせ、砲弾は建物の壁を貫通する。


 フィリアスは胸から下を失い、上半身の一部だけを残し、壁に叩きつけられていた。




「おっ……ご、ぶっ……」




 大量の血が口から溢れ出す。


 メアリーはすぐさま、次の攻撃を放とうとしたが――その悲惨な姿とは裏腹に落ち着いている表情を見て、手を止めた。


 傷口を見れば、再生の兆候すらない。


 天使の肉体は、あくまで『世界』に与えられたもの。


 ミティスがもはや勝負ありと判断し、フィリアスを見捨てたのかもしれない。




「あぁ……最低の気分だわぁ……」


「正気、なんですね」


「もう足止めもできないからでしょうねぇ……げほっ……むしろ、言葉を交わすほうが……ふふっ、時間が、稼げると思われてるのよ……」


「『節制』の能力、フィリアスさんらしくて手強かったですよ」


「ふふ……そーでしょぉ。私も、結構気に入ってたのよぉ……国王陛下に効かなかったのが残念だけどぉ」




 口調は先ほどまでと一緒だが、その雰囲気はまったく異なる。


 今際の際の、この瞬間。


 それはメアリーにとっても、死神ではなく、一人の人間として誰かと話せる、貴重な時間だった。




「あー……王女様、ありがとねぇ」


「どういたしまして」


「んふ……人を操るのは好きでもぉ、操られるの大っ嫌いだからぁ。しかも、理由が流行りの本を読んだせいだなんて……あんま面白くなかったのに……ほんと……やっと、解放されて……清々してるわ……」


「面白くなかったという話、今ごろ『世界』が聞いて悔しがってると思いますよ」


「ふふ、読者の素直な感想ってやつぅ。あーあ……傀儡政権を作れなかったとかぁ、心残りは……あるけどぉ……まあ、元凶をぶっ飛ばすのは、王女様がやってくれるだろうからぁ……今度は、地獄の閻魔様にでも取り入ろうかしらぁ」




 その声は徐々に小さくなり、力を失っていく。




「私の『節制』、せいぜい役に立ててくれたら……嬉しいわ……」




 そして瞳からも光が失せ、フィリアスは絶命した。


 メアリーは彼女の遺体を食らうと、足早に本社ビルの前に戻っていく。




「あなたのような食わせ物の力ですから、必ず役に立ちますよ」




 そんな餞の言葉を残して。



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