163 vs月と太陽Ⅰ『無意味な贖罪』
『
すると、『
だがその絵柄は、『
つまりは転写だ。
そしてその瞬間、『運命の輪』の運命が書き換わる――
「ガラクタの神様なんて」
「壊れちゃえ」
能力がうまく発動すれば、彼の腕は千切れるはずだった。
だが『運命の輪』が強く拳を握ると、フレームの内側で回る歯車が速度を早め、バチッと火花を散らす。
直後、パリィンとガラスが割れるような音が鳴り響いた。
それきり、もう何も起きなかった。
双子は目を見開き驚く。
「私たちの運命書き換えを」
「力ずくで壊したの?」
「アルカナ使いは、あくまで我ら神の力の一部を行使しているに過ぎん。神そのものに力が通用するはずもなかろう」
ましてや相手は、同じく運命を司る『運命の輪』。
普通に戦って、能力が通用するはずもないのは当然であった。
「しかし――なるほどな。未来を司る『太陽』のアルカナは、描いた絵に触れたことで発動し、過去を司る『月』のアルカナは対象に直接絵を描くことで発動する。二つを併用することで、確実に相手の過去を書き換える……『
『太陽』が描いた絵に触れた相手には、指定された時間が訪れた瞬間、絵と同じ未来が訪れる。
指定された“未来”のタイミングは任意で決められるが、エリニは“直後”を指定することで、接触と同時に相手の未来を決定させていた。
その結果として、対象の体には『月』の絵が浮かび上がる。
そして『月』の能力により、“数秒前に体をバラバラにされていた”という過去改変が成され、防御すらできずに解体されてしまうというわけだ。
「『太陽』の能力が強力ならば、そんな回りくどいことをする必要なかっただろう。だが“触れるだけ”という発動条件の緩さゆえに、相手に直接の危害を加えるような未来を決定することはできなかった。一方で『月』は“相手に直接書き込む”必要があるため、理不尽な過去の書き換えすら可能だった」
仕方のないこととはいえ、一瞬で見破られたエリニとエリオは悔しげに唇を噛む。
「気づかれたところで、攻撃が当たらなくなるわけじゃない」
「そうだねエリニ、狙いを狭めて強度を上げれば、いくら神様でも止められない!」
今までエリニは、一撃で相手を仕留めようとしていた。
しかし今度は違う。
狙うは体のごく一部の破壊。
それを繰り返せば、神であろうと殺せる――
「無駄だ、我とお前たちでは生命としての格が違う」
そんな浅はかな考えを、『運命の輪』は一蹴する。
そして体の周囲を回る小さな歯車を、小手調べ程度に放った。
「これは驕りなどではなく――ただの事実だ」
エリニは背中の血管で“絵”を描き、自らの数秒前の過去を書き換える。
つまり数秒前に別の場所にいたことにするのだ。
これにより、まるで転移したかのように見える。
そしてエリオと合流すると、歯車が命中する直前に再び過去改変、座標移動。
だが歯車はなおも追尾してきた。
まるで、書き換えた過去を読み取って、それを狙うように。
座標移動では逃げられない――そう判断したエリオは、足元の石を蹴り上げると、その表面に背中の血管を伸ばし、絵を刻み込む。
歯車はそれに命中し、『太陽』の能力、つまり“未来”を決定する力が発動する。
歯車に絵が浮かび上がる。
その絵は『月』が刻んだものと定義され――
「過去は変わる」
「本体は無理でも、歯車相手なら!」
過去が改変され、“歯車が放たれた”という事実は消滅した。
そう、消えたのだ、確かに。
だが消失した歯車が、薄っすらと、少しずつ“存在”を取り戻していく――
「と、止まらないよ、エリニ」
「どうしよう、エリオっ!」
二人の少女に、もはや止める術はなかった。
車輪は彼女たちの体内に沈み、その体の中で高速回転をはじめる。
肉体を内側から、ずたずたに切り刻むのだ。
「ぎゃあぁぁああっ!」
「がっ、あっ、ぐあぁぁ……!」
「哀れな傀儡よ、その生に我が幕を下ろそう」
そして『運命の輪』は頭上に手を伸ばすと、今度は大きな歯車を生み出した。
当たれば人体程度の大きさなら一瞬で消滅する。
そんな、神の力の結晶体を、手を前に振り下ろすと同時に放ち――
「そこまでよ、ウェント」
その瞬間、彼の前に女が立ちはだかった。
「『世界』ッ!?」
ミティスは片手でその歯車を受け止めると、握りつぶし、砕く。
「ふふ、ご機嫌じゃない、そんな醜い姿まで晒して誰かのために戦うなんて」
「これは神として正しき姿だ。間違っているのは貴様のほうだろう」
「間違ってる? 私が? ははっ、人殺しが正しい世界なんて存在するの?」
挑発する彼女に、『運命の輪』は無数の歯車を飛ばした。
それはミティスに近づくほどに巨大化し、命中する頃には軽く潰せそうなほどにまで成長した。
だが、それすらも彼女が軽く腕を振るうだけで粉々に砕け散る。
「おっかないわねぇ」
「……本気で運命を捻じ曲げようとしても通用せんか」
「ええ、だって私、あなたとは生命としての格が違うもの」
皮肉っぽくミティスは言った。
「世界創造管理システム『世界』……あれを乗っ取った貴様は、神ですらない。いや、生命と呼べるのかも怪しいものだ」
『運命の輪』も言い返すが、わかりきった事実を言われたところで彼女は動じない。
「何だっていいわ、全部ぶち壊しにできるなら」
「貴様には理解できんか、神の役目が。その重要性が」
「この世界が美しいから守るべきってやつ? わかると思う? 神様じゃなくて、人間として考えてみたら?」
「人としての記憶など、もはや意味を成さん」
「そうね、捨てたんだから。残された人間を傷つけながら、自己中心的に」
そう言われ、沈黙する『運命の輪』。
すると笑っていたミティスは、今度は彼を睨みつけながら話し始める。
「その反応……不思議に思ってたのよ。どうして『運命の輪』だけが、自らの意思で使役者を選んだりしたのか。しかも、アルカナ使いとしての素養すらない少女を選んで。加えて、自らの姿を現してまでこの世界の流れに介入する……それって、神様としてやってはいけないことよね。ニクスとかすっごい怒ってそう」
「何が言いたい」
「ウェントと呼んで、あなたは反応した。そう、ウェント・テンペスターズ――その名前を覚えているのね。人としての記憶は捨てたとか言いながら」
「貴様のせいで残ってしまったノイズだ。しかし安心したぞ、我の名は貴様にとってもノイズになったようだな」
「ノイズねえ……心の傷って言ってくれない? 悲しいかな、憎しみって愛情より残りやすいものなのよ。そう、あのとき……妹さん……えっと、名前なんだったっけ?」
「アウラだ」
「ふふ、即答できるのね」
その反応に、ミティスは妙に嬉しそうだった。
『運命の輪』は気味の悪さを感じる。
「確か……アウラが自殺したって話をあなたに伝えたときのことよね。あれを私のせいだって言うの? 原因に私があると? 私さえいなければ、彼女は傷つかずに済んだと?」
「それは……」
「気まずくなって口ごもる。まるで人間みたいな反応ね」
「……アミとの会話で、“断片”が残っていることに気がついた。我はそれをかき集めた。最初はただの“興味”だった。だが、想定を遥かに越える数が残されていてな。つなぎ合わせると、アウラ・テンペスターズの輪郭と、やがてはウェント・テンペスターズという人間が完成してしまうほどに」
「神になりきれなかった神様。しかも、自分が不完全だってことに何億年も気づいてなかったなんて、とんだお笑い草ね。いい気味だわ」
人から神へと変わる途中、強いショックを受けると、完全な神になれない可能性がある――そんな論文が、ミティスたちの世界には存在した。
それは
ここに、それを証明できる存在が二人もいるのだから。
「笑うなら笑えばいい。我も――いや、
その言葉は、『運命の輪』としてでなく、ウェント・テンペスターズとしての感情の吐露だった。
「だから、これ以上堕ちるわけにはいかないんだよ。神ではなく、人として!」
「ふっ、あははっ、あははははははっ! それこそ笑わせないでって話よね。すべてが失われたあとで頑張るの? 関係のない少女の命を担保にして? 神になったときだって、その暑苦しい使命感で周囲を傷つけておいて、今さら手遅れなのよ!」
ミティスはエリニとエリオに近づいた。
血まみれの傷口をぐじゅぐじゅと再生させながら、ゆらりと立ち上がる二人に手を当てる。
「ミティス、何をするつもりだ!?」
彼女は何も答えない。
その手は双子の体に沈み、心臓を握る。
そして二人の体を近づけていった。
双子たちはぶつかることなく、互いの体に溶けていく。
「あっ、あがっ、あ、エリ、ニ……」
「エリオ……あはっ、私たち、やっと……一つ、に……」
一緒に生きながらも、一方がもう一方を虐げるように命じられてきた人生だった。
双子なのに。
愛しているのに。
どうしてバラバラに生まれてしまったのだろう。
そう思ったことは、一度や二度ではなかった。
その願望が叶うのだ。
どんな異形に変えられようとも、その表情が幸福感に満ちているのは、当然の道理であった。
「『月』と『太陽』はね、近ければ近いほど力を増すアルカナなのよ。でも一つにしちゃうと、二人が満足しすぎて逆位置の力は発動しないみたいなのが残念ね」
「少女たちの体を一体化させようってのか。なんておぞましいことを!」
「何を言ってるの。あなただって、女の子の体をそんなに醜い姿に変えたじゃない」
ウェントを嘲笑しながら、ミティスはその場から溶けるように姿を消した。
残されたのは、心臓と心臓を結合され、一つになったエリオとエリニ。
頭部は半分ずつ繋がった――ように見えた。
だが実際は、半分で切り取られ、それぞれに動いているだけだ。
体も半分ずつ繋がったかのように見えて、腕の途中から別の腕が生えていたり、脚から分岐して脚があったり、あまりにちぐはぐすぎる見た目をしていた。
「『太陽』……光輝く未来を描く……」
半分に断たれた口から、不思議と二人分の声が聞こえてくる。
「強い魔力を感じる――ミティスめ、力も分け与えたのか。だが触れなければ『太陽』は発動しないはずだ」
双子の背中から伸びる血管は健在。
それが、絵の形に変わる。
すると、ウェントの体に、それとは異なる柄の絵が浮かび上がった。
「何……触れていないのに発動した? 進化したのか――同じ空間に存在するだけで発動する能力へとッ!」
浮かび上がるのは、当然『月』の絵。
それはウェントの“過去”を破壊と破滅へと書き換える――
「いくら『世界』の力を得ようとも、『運命の輪』に運命の書き換えなど通用するものか! おぉぉおおおおおおッ!」
彼の体内の歯車が激しく回転する。
すると、またしてもガラスが割れるような音が鳴り、『月』は不発に終わる。
かと思われたが、ウェントの胴体のフレームにわずかだがヒビが入る。
(貫いた――神の力を!?)
神をもってしても、防ぎきれなかったのだ。
ウェントは焦りを感じ、全力で巨大な歯車を生み出した。
「今度こそお前たちに与えよう、廻る車輪の導きで、消滅という救いの運命を!」
長期戦は危険だ。
神ですらそう感じたのである。
そして歯車を投擲する――そのスピードはすさまじく、双子は回避はおろか、防ぐ暇すらなかった。
歯車は彼女たちをすりつぶすように貫通する。
その体は完全に消滅し、跡形も残らなかった。
「合流する前に終わったか。あとは最後の願いを叶えるだけ……」
ウェントは双子に背を向けた。
直後、二人の声が聞こえた。
「エリニ、私わかっちゃった。うんエリオ、私もわかるよ」
振り返るウェント。
そこには、体の一部を失いながらも、生き延びた双子の姿があった。
あれを受けて消えないはずがないのに、なぜ存在できているのか。
「生きて――いるのか!?」
『直に書き込めば、私たちの力のほうが強い』
双子は歪な脚で前進するど、驚くほどの速度で接近してきた。
彼女たちは歯車に過去を書き込んだ。
結果、消滅の運命は歪み、完全なる滅びとは程遠いものになってしまったのだ。
天使の再生能力で肉体を取り戻せる程度に。
「近づかせるものか!」
歯車を乱射するウェント。
「未来は決まってる」
その全てに血管で絵を描き、いなす双子。
彼は苦肉の策で、直接自らの腕で殴りかかった。
歯車の拳の運命歪曲で、過去改変を対策しつつ。
すると双子は左右
すかさず歯車を飛ばし対応するウェントだが、双子たちは座標改変を繰り返し撹乱する。
そして分断したその断面から伸びた血管が、彼の体に絵を刻んだ。
「消滅の運命は、あなたにこそ相応しい」
「ぐ……ぐおぉぉおおおッ!」
『太陽』を経由した場合に比べ、直接書き込まれた『月』の過去改変は強度が高い。
ミシミシと、ウェントの体を構成するフレームが歪みはじめる。
「馬鹿な、こんな馬鹿なことがッ! 神の力を、アルカナ使いが上回るだとおぉッ! 消えてたまるものか、俺の、俺の存在は俺だけのものではあぁッ!」
歯車をフル回転させ、彼は抵抗する。
周囲に莫大な魔力が渦巻き、巻き込まれるのを嫌がった双子は距離を取った。
二つに分断した体も元に戻る。
「エリニ、あいつ抵抗してる。エリオ、もう一度やらないと。エリニ、わかってる。エリオ、やろう」
一つの体で会話しながら、またしても同じ攻撃を仕掛ける。
(また来るのか。まずい……まだ一度目の過去改変を破壊できていないというのに、二度目は防ぎきれんぞッ!)
余裕のないウェントを捉えるのは簡単だった。
「さよなら、神様」
双子の声が重なり、触手のような血管が伸びる。
万事休すか――彼が諦めかけた瞬間、
「させるものですかッ!」
メアリーの声が響いた。
彼女の腕から放たれた砲弾は、『隠者』によって見えないため、絵を描くことが難しい。
双子はとっさにウェントから離れる。
その隙に、メアリーは両者の間に割って入った。
「メアリーか! 助かった、礼を言う」
「アミの命を賭けたのでしょう、敗北で終わりなど許されませんから」
「ああ、そうだな。まったくもってそのとおりだ。俺という男は、どこまでも不甲斐ない……」
心からの後悔がそこにはあった。
あまりに人間的すぎるその言葉に、首をかしげるメアリー。
「『
ウェントはそう言って、自らの神としての権限を放棄した。
それはミティスの指摘通り、神としては絶対にあってはいけない選択であった。
歯車の体が縮み、変形し、徐々に人の肌を取り戻していく。
そしてあっという間に、失われたはずのアミの体が、そこに立っていた。
「え? あ、アミ……?」
「あ、お姉ちゃんだっ! わーいっ!」
メアリーを見るなり、無邪気に抱きつくアミ。
抱き返すと、そこには確かに人のぬくもりがある。
「アミ……本当にアミなんですかっ!?」
「そだよ。あれ、そういや私、なんか死んじゃった気が……いやそれは前からか」
「ああ……アミだ……アミが、生きてるうぅっ……!」
抱きしめる両腕に力を込める。
「んへへ、お姉ちゃん、泣くぐらい嬉しかったんだ。私も嬉しいよ、お姉ちゃんが喜んでくれて。たぶん、そのために神様が私に命を譲ってくれたんだねっ」
「『運命の輪』が、そこまでしてくれるなんて……もっとお話したいことはありますが、まだ敵がいるんですよね」
メアリーとアミは、双子のほうを見た。
彼女たちは、二人のやり取りをなぜかじっと見ている。
「『世界』が言ってるの、ねえエリニ。うん、どうせ死ぬんだから今ぐらいは花を持たせてあげなさいってね、エリオ」
「そうですか、相変わらず気持ち悪い気遣いですね」
「世界をめちゃくちゃにしておいて勝手だよね。お姉ちゃん、一緒に倒しちゃおうよ!」
「ええ――行けますか?」
「もちろん! 私いま、すっごく調子がいいの。負ける気がしないっ!」
力こぶを作ってみせるアミは、本当に力が有り余っているようだ。
その肉体は人のもののように見えるが、外見が変わっただけで神そのものなのだから、当然である。
「私の最後の戦い、全力でいっくよーっ!」
やる気に満ちたアミの体から、あたりを覆うほどの大量の歯車が展開された。
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