159 vs運命の輪Ⅰ『悲恋と介入者』
メアリーは王都から離れると、能力で作ったバイクに乗ってピューパの本社に向かった。
わざわざ『
そう、誰とも。
メアリー自身がやったことだが、命の気配がない世界というのは、なかなかに寂しいものだ。
刻一刻と迫る終末の匂いを感じつつ、彼女はピューパ本社の前に到着する。
敷地を区切る門は開かれていた。
通り過ぎると、大きなビルがそびえ立っている。
その手前に――人の姿があった。
メアリーより小さな少女。
彼女は白いドレスを身にまとい、微動だにせずにそこに立ち尽くしている。
まるで、動力の切れたねじ巻き人形のように。
それは死体だ。
メアリーが観測するまでは、ただの物体に過ぎない。
しかし歩み寄ると、命に類似した何かが吹き込まれる。
「お姉ちゃん」
そして生前を模倣する。
同じ声で、同じ口調で、まるで生きているかのように。
メアリーとて考えたくはないが、声を聞くと、どうしても生前の記憶が蘇る。
「アミ」
反射的に名前を呼んだ。
そしてその名が自分の胸を締め付ける。
出会いは悲劇。
始まりは同情。
けれど一緒に旅をするうちに、その感情は紛れもなく本物になっていった。
「あなたにはせめて、穏やかな最期を迎えてほしかった」
無慈悲なタイムリミット。
だがそれすらも、こんな死に様に比べれば優しいものだ。
「私はハッピーだよ。私から人生を奪ったお姉ちゃんを、この手で殺せるんだから」
そんな心に微塵もないような、三流作家の書いたセリフを吐きながら、アミの腕が変形した。
両手が弾ける。
直径1メートルほどの車輪が現れ、その表面に弾けた肉が張り付いた。
肉は尖り、刃となる。
アミが装備したのは、血がしたたる肉のチェンソーだ。
少し遅れて、足からもぶちゅっという音がした。
高速移動のための車輪を装着したらしい。
そして彼女は腰を落とす。
「お姉ちゃん――私のために死んで!」
「ええ、あなたのために殺してあげます」
ギュアッ、と車輪の急速回転で空気が圧縮され、弾ける。
それはアミの体を撃ち出し、一瞬でメアリーに肉薄させた。
右のチェンソーがメアリーの顔面を狙う。
彼女はそれを、腕から突き出した骨のブレードで受け止めた。
しかし刃同士が接触するより前に、バチッと雷光が弾ける。
(『運命の輪』の力場、久々に見た気がします)
回転する物体の周囲で発生する超常現象。
それがアミのチェンソー周辺でも発生しているようだ。
つまり直接的な接触なしに、相手の殺傷が可能。
しかし――
「こんなものに苦戦するの? 本体はもっと強いのにぃ?」
「これは様子見です。力場ごと切り裂きます! はあぁぁぁあッ!」
気合の入った声とともに、メアリーは腕に力を込めた。
すると言葉通りに力場は引き裂かれ、ブレードはチェンソーと接触。
鍔迫り合い――に至ることすらなく、刃が車輪を引き裂く。
「うわあ、さすがお姉ちゃん!」
無邪気に驚くアミ。
これは当然の結果だった。
アミは自らの右腕が破壊されても、痛がる素振りすら見せずに、今度は左手を突き出した。
「今度はこっちもぉっ!」
「ふッ!」
二撃目も、メアリーに軽く破壊される。
なおもアミは笑顔。
すぐさま破壊されたチェンソーを再度生み出し、今度は両手を同時に突き出した。
メアリーは生身の右手で体をかばう。
そのまま、回転刃はギュアアァァァッ! と過激に音をあげながら、彼女の手の肉をえぐった。
するとメアリーは自らその手を弾けさせ、内側から化物サイズの巨大な手を作り出す。
その手を握ると、アミのチェンソーもろとも、両腕が引きちぎられた。
「お姉ちゃん、躊躇わないんだねぇ!」
その問答すらもはや不要だった。
メアリーは異形の腕の爪を尖らせ、振り上げる。
だがそれをアミに向ける直前、彼女は周囲から殺気を感じた。
「極小の車輪――なるほど、破片から新たな車輪を!」
振り上げた爪は防御に使用。
四方より殺到する車輪を一振りで薙ぎ払う。
その隙にアミは後ろに飛んで距離を取った。
彼女はひときわ大きな車輪を自分の目の前に生み出すと、両手のひらを軽く閉じたり開いたりしている。
そして軽やかにファイティングポーズを取ると、鋭く素早いパンチを車輪に当てた。
『運命の輪』により増幅された打撃がメアリーを襲う。
彼女は小さく「シッ」を息を吐き出すと、横に転がり回避した。
なおもアミは遠距離打撃により彼女を追跡。
防戦一方のメアリー。
しかし彼女は、その攻撃のタイミングを読んだのか、うち一撃を『
狙うはアミの目の前にある車輪だ。
「見えない砲撃――でも、そうはいかないよ!」
彼女も狙いに続き、防御すべく車輪を高速回転させた。
さらに力の差も把握しているのか、真正面から受け止めるのではなく、受け流すために車輪を傾ける。
メアリーの放った砲弾は、発生した力場の表面を滑るように後ろへと流されていく。
「残念。また私の番だね!」
「いえ――まだ私の手番です」
「えっ?」
メアリーの言葉の直後、背後から砲弾がアミの心臓を
「う……あ……鳥……?」
『
胸にぽっかりと穴を空けられたアミは、大量の血を吐き出すと膝をつく。
大きな車輪も力を失い、ごとりと地面に落ちて砕けた。
その間に、メアリーは鎌を握り、一気に距離を縮める。
「これ以上、アミへの冒涜は許しません!」
怒りの刃が、地面に倒れ込むアミに向けられる。
迷いはなかった。
最短、最速での一撃――だがそこでメアリーは気づいた。
(アミの頬に……タトゥー?)
それは明らかに、先ほどまでは存在しなかったもの。
そして『運命の輪』の能力とも異なる現象だった。
しかしここまで来たらもう止められない。
刃がアミに触れる。
瞬間――メアリーは自分の体に、こそばゆさに似た違和感を覚えた。
この時点で彼女は見えていなかったが、その手のひらにはアミの顔に浮かんだものとは異なる絵が現れていた。
そして――
「……え?」
メアリーの見ている景色が変わった。
いつの間にか、彼女の上半身と下半身は綺麗に真っ二つに分かたれ、地面に転がっていたのだ。
いや、それどころか、両腕まで綺麗に切り落とされている。
そしてアミの放った車輪が眼前にまで迫っていた。
(まるで、夢でも見ていたように世界が入れ替わった――一体何がッ!)
戸惑う暇すらなかった。
車輪をまともに喰らえば頭を吹き飛ばされてしまう。
死にはしないが復帰まで時間がかかる、それまでに全身を潰されたらゲームオーバーだ。
メアリーはやむなく、自らの頭部に『死神』の力を行使する。
口がありえないほど大きく裂けて開いた。
並んだ歯は、もはや牙と呼ぶべき鋭さで、彼女はそのサメのような口で車輪を噛んで受け止める。
「ぎいいぃぃぃぃぃッ!」
なおも回転は止まらず、車輪はメアリーの歯を削っていた。
「お姉ちゃん、その顔怖いよぉ。まるで化物みたい」
挑発の言葉には耳を貸さず、口で受け止めつつ両腕の切断部から骨の腕を生やし、それで車輪を握り砕いた。
そうしている間に、下半身が再生する。
腕を消せば、両腕の再生もあっと言う間だった。
飛ぶように起き上がったメアリーは、再びアミと向き合った。
「あんなにこっぴどくやられたのに、すぐに立つんだ。でも戸惑ってるみたいだね」
アミは無傷だ。
先ほどメアリーが砕いたはずの車輪の破片は、確かに地面に落ちている。
つまり、メアリーがアミを追い詰めたあの瞬間は、確かに実在したのだ。
(アミの顔に浮かび上がったあの絵……『運命の輪』の攻撃とは思えません。別のアルカナ使いが近くにいる可能性が高い……)
キューシーとシャイティでの戦いで、一人ずつぶつけるのは非効率的だと気づいたのか。
それを言い出したら、もっと前の時点で複数人を差し向けていれば、とも思ったが――ミティスはこの終わった世界をメアリーに見せつけたかったのだから、手段としては正しいのだろう。
何にせよ、ここには少なくとも二人のアルカナ使いがいる。
幸い、アミ一人だけなら相手は可能だ。
(能力発動タイミングは触れた瞬間。そしてアミの肉体自身に罠を仕掛けている)
じりじりと、彼女から距離を取るメアリー。
「お姉ちゃん、ここまで来て逃げるの?」
「待ち伏せの罠に飛び込めるほど無謀ではないので」
「残念だけど、もうそんな相手しか残ってないよ。ここは『
「何を言っているのやら。私は罠に飛び込まないと言っただけです」
メアリーはアミに向かって右手を伸ばした。
砲撃の準備だ。
「触れずに戦うことだってできます」
「そっか、なら――死んじゃえ」
転移。
いや――その一瞬の間にアミの手にはナイフが握られ、メアリーの体に沈んでいた。
本当に瞬間的な出来事で、メアリーには認識すらできない。
感覚としては、“時間を切り取られた”と言ったほうが正しいだろう。
彼女が腕を振り払うと、アミは自ら距離を取った。
(攻撃はナイフを突き刺すだけ。ですが、それで終わるはずがない!)
経験上、それは何か良くないことの前触れだ。
そう言われても、回避できるような攻撃ではなかったのだが。
答え合わせはすぐに行われた。
気づけば、彼女は胴体だけになって地面に転がっていたからだ。
四肢は切断され、近くに投げ捨てられた状態で。
切断面はあまりに鮮やかで、動きのある戦闘中に斬り落とされたものとは思えなかった。
「あ……がっ……!? やはり、攻撃された感触などなかった……!」
さすがのメアリーも戸惑いが隠せなかった。
ナイフで刺されたことが原因なのか。
だがなぜこうなったのか。
記憶にない。
時間の流れが認知から抜け落ちている。
これは、発生した時点で絶対に回避も防御も不可能な現象だ。
「ぐ……これ以上っ、触れられるわけには!」
「あーあ、お姉ちゃんそっちに行ったら危ないよー」
アミから距離を取ろうとするメアリー。
彼女が地面の石畳、そのとある部分を踏んだ瞬間、わずかに手の甲に違和感を覚える。
視線を向けると、そこには見慣れぬ模様が浮かび上がっていた。
(人の中から、何かが飛び出す絵――)
そう認識した次の瞬間、過程を無視して、メアリーの体は大胆に
「がっ、あああぁぁぁああっ!」
そして強烈な苦痛とともに、またしても体がバラバラにはじけ、さらに胴体から内臓をぶちまける。
メアリーの体が苦痛に悶えるたびに、管で繋がった臓物がずるりと地面を這った。
「だから言ったのに」
アミはそう言って妖しく笑った。
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