158 創世神話Ⅳ『運命の輪、廻る』
リュノは特別教室と揺り籠の往復。
ミティスとセレスは予備要員として、神に必要な知識を叩き込まれる。
放課後は二人で迎えに行って、部屋に三人で帰る。
表面上は変わらぬ毎日を演じ続ける。
けれど誰もが気づいていた、少しずつ歯車が狂っていることに。
◇◇◇
ある日のこと。寮の部屋でリュノは本を読んでいた。
ミティスは背後から近づくと、「はい、どうぞ」と用意したお茶を置いた。
リュノは反応しない。
さすがに無視は嫌だったので、ミティスはむにっと優しく頬をつまんだ。
リュノの顔がこちらを向く。
「冷めないうちに飲んでね、リュノ」
ミティスがそう言うと、彼女はこう返した。
「誰ですか?」
――寒気がした。
しかしすぐにリュノの瞳に光が戻る。
彼女は取り繕うように、慌てて笑顔を作った。
「ふふ、冗談ですよ。ありがとうございます」
「……もう、笑えないからね、その冗談は」
ミティスも見て見ぬふりをした。
だって、今日は昨日と変わらぬ、いつもどおりの一日だから。
◇◇◇
ある日の夜。
夕食を終えて部屋に戻ってきたミティスたち三人。
セレスは「食った食ったーっ」と言いながらリュノのベッドに飛び込んだ。
「寝転がるなら自分のベッドにしなさいよ」
「リュノの匂いが酷使された胃袋に優しいんだよぅー! くんかくんか」
「それ完全に変態だから」
ふざけて枕に顔をうずめるセレスに、呆れるミティス。
一方でリュノは、部屋の入り口に突っ立って、セレスをじっと見つめていた。
「リュノー? どうしたのよ、お腹でも痛いの?」
ミティスが心配そうに尋ねる。
するとリュノは、彼女にしか聞こえないぐらい小さな声で言った。
「汚らわしい」
それがセレスに向けて言われたのは明らかだった。
まあ、単純に嫌だったのかもしれない――そう解釈することもできなくはなかった。
しかし、リュノは直後に、そんな自らの言葉に驚き、青ざめた顔で口元に手を当てた。
ミティスは、その仕草が何よりも恐ろしかった。
◇◇◇
そんな出来事が、日に日に増えていった。
リュノが、いつかのニクスと同じような目でミティスたちを見たり。
無視して通り過ぎようとしたので肩に手を置くと、鬱陶しそうに振り払われたり。
前に立って話しかけても、それがミティスやセレスと気づかないことがあった。
誰もが変わらぬ毎日を演じ続けている。
けれど理想と現実がかけ離れていくほどに、三人の心は摩耗していく。
取り返しがつかなくなる瞬間が、刻一刻と迫っているという実感があった。
焦りと、焦っても何もできない自分の不甲斐なさが、ミティスをさらに追い詰めていく。
そんな彼女を一番近くで見つめるセレスも、自らの無力さに苛まれていく。
「ねえセレス、タロットカードって何枚あるか知ってる?」
授業と授業の間、わずかな休み時間だけ、この教室はミティスとセレスだけのものになる。
そんな状況で、ミティスは何気なくそんなことを問いかけた。
「二十二枚、だよね」
「そう、でも神様候補に選ばれたのは二十人。二枚余ってるんだって」
「何と何が?」
「『
「あー……確かに選びにくそうな名前だよね。番号も最初と最後なんだっけ」
「ええ。けど余らせるのももったいないから、管理用のシステムにその名前を付けているらしいわ」
「ああ、世界創造の制御に使われるやつ。すごいよね、一つの世界を自由に操れるんだから」
「それが『世界』」
「なら『愚者』は?」
「
「へー……」
チャイムが鳴り、会話はそこで打ち切られる。
結局、ミティスがセレスに何を伝えたいのかはわからないまま、授業が始まった。
◇◇◇
それからまた数日が経った。
夜、ミティスが所用で部屋を出る。
残ったのはリュノとセレスの二人だけ。
最近、三人の会話は減りつつあった。
言葉を交わす度にリュノに違和感が生じて、ごまかせなくなるから。
気づくぐらいなら、何も見えないほうがマシだと、そう判断したのだろう。
しかし、そんな誤魔化しすら通用しなくなりつつある。
セレスは意を決して言った。
「ねえリュノ。正直に言うとさ、あたしたちには何もできないんだよね」
「……何の話でしょうか」
「あたしたちはただの人間で、無力だから。それでも、気持ちだけは誰にも負けないって思ってる。当然、神様にだって」
「知っていますよ、私だって……」
「選択権はあたしたちに無いんだよ。けどさ、リュノになら……選べるんじゃないかな」
リュノは息を呑んだ。
セレスが何を望んでいるのか、言わずともわかってしまったからだ。
「こんなこと頼むの、おかしいってわかってる。だって、夢だもんね。あたしたちがへっぽこだっただけで、リュノはちゃんと夢を叶えたんだもん。だけど……だけどっ……!」
「私が辞退すればいいと、そう言うんですか」
「っ……そう、だよ。だってそうじゃないと、リュノがいないとっ、みんなおかしくなっちゃう! このままじゃ、取り残されたあたしやミティスがどうなるかわからないのぉ!」
立ち上がり、涙ながらに声を荒らげるセレス。
対するリュノは、椅子に腰掛け、机に置かれた本を見つめたまま、視線すら彼女のほうには向けない。
「あたしたちは、三人揃ってはじめて意味があるの。リュノだってそうだよね?」
「意味……」
「そう、生きる意味!」
「……」
沈黙するリュノ。
そして彼女は、苦しげにこう言った。
「世界は……とても美しいんです」
「どういう、こと?」
「何も存在しない真っ暗な空間に、私たち神々が手をのばすと、物質が生まれる。生命が生まれる。そうして広がっていく世界は、とても、とても美しくて……私たちの心を引き込んでいく」
「だから、それが何なの!?」
「この美しい世界のために、命を賭けられる――こんなに幸せなことって、他にあるんでしょうか」
セレスは目を見開く。
親しい間柄だからこそ、やはり彼女も、リュノが何を言いたいのか察してしまうから。
そしてリュノはゆっくりとセレスのほうを見た。
彼女は――綺麗で、均一で、けれどどこか薄ら寒さを感じる笑みを浮かべていた。
瞳には、涙を浮かべながら。
「それは多幸感であり、快楽であり、この世に存在するいかなる感覚をも超越したものです」
「やめてよ……お願いだから」
「どれだけ人を愛そうとも、その感覚を得るためには、人を捨てるしか――」
「あたし、リュノの口からそんなこと聞きたくないよぉッ!」
再び大きな声をあげ、セレスはリュノに掴みかかった。
彼女はもうなりふり構わず、ぐしゃぐしゃに涙を流しながらまくしたてる。
「リュノはっ、『神様なんてやめる』って言ってくれればいいの! 『ミティスやセレスと一緒にいたいから』って、理由なんてそれだけで十分じゃん! あたしはそれでいいよっ、ミティスだってそれを望んでる! 子供作ろうって約束だってした! 約束だよ!? 破っちゃいけないの! なのに! なのになんでリュノがそれを望んでくれないのぉっ! あたしたち一緒にいるより幸せなことなんて見つけちゃってるのぉっ! そんなもの! そんなものこの世に存在するはずないのにいぃいいいいいッ!」
ガラガラに声を涸らしながら、セレスは悲痛に叫ぶ。
そんな感情を至近距離で浴びても、リュノの心は動かなかった。
彼女は穏やかな声で告げる。
「セレス、私はリュノじゃありません」
「あ……」
「世界創造のために生み出された神、『死神』です」
それが決別の言葉であると、セレスにはすぐにわかった。
「ああ……あ……うあああぁっ……」
いつも明るい彼女の涙は、本来、リュノの心を突き刺して苦しめるはずだ。
だから微笑む今のリュノは、本当に『死神』になってしまったのだろう。
彼女は立ち上がり、部屋から出ようとする。
するとセレスがその足にしがみついた。
「行かないでええぇぇ……! リュノ、リュノぉ、あたしを置いてかないでよぉ……!」
床に這いつくばってでも止めようとする彼女の手を、リュノは振り払う。
そして泣き叫ぶセレスの声を背に、部屋を出た。
バタンと扉が閉じる。
声が、また一段と遠くなる。
リュノは目を閉じて、大きくため息をついた。
「約束、破るんだ」
「っ――!?」
ミティスの声が聞こえて、リュノは驚愕した。
見開いた瞳で、壁にもたれる彼女を凝視する。
おそらく、室内での会話を聞いていたのだろう。
「私、自分がやるべきこと、少しずつ見えてきた気がする」
あまりに強い決意をその瞳に宿して、ミティスは宣言する。
神すら殺しかねないその意志に慄きながらも、リュノは頭を人から神へと切り替えて対応した。
「そのようなことをしても、誰も幸せになりません」
「どんなことだと思ったの? まあ、してもしなくても、だけど」
「私が神になれば、パパやママにはたくさんのお金が入ります。ミティスの生活も裕福になるでしょう。セレスと一緒に幸せになるには十分ではないでしょうか」
「娘が死んで、その保険金で両親と一緒に幸せになれって? 私はどんな薬をキメたらそんなイカれた人間になれるの? お母さんから薬をもらっとくべきだった?」
「私の両親は優しいので、いなくなった分の愛情をミティスに注いでくれるはずです」
「そうなったら私、たぶんあの人たちのこと殺すと思う」
ミティスの生の感情に、リュノは言葉に詰まる。
冗談などではない。
顔を見れば、ミティスが本気なのは明らかだった。
「そのあとでセレスと二人で死ぬわ、リュノを追って」
「そんなことをしても誰も幸せには」
「幸せよ、リュノのいない世界で生きるよりは」
そう言い残し、ミティスは部屋に入っていった。
優しい彼女のことだ、今ごろは泣き崩れたセレスを抱きしめて慰めていることだろう。
現に、彼女の泣き声はさらに遠く小さくなった。
しかしリュノは一人だ。
その場で膝から崩れ落ちて、声を殺しながら涙を流しても、誰も慰めてはくれなかった。
◇◇◇
――どうしたらいいんだろう。
ミティスはそんなことを考えはじめた。
――どうしたら、リュノを人間に引き戻すことができるだろう。
本来、それはありえないことだし、あってはならないことだ。
神様候補をぶん殴るだけでも一発退学の後に刑務所に入れられる重罪なのに、世界創造をぶち壊して人間に戻したりしたら、きっと死刑まっしぐらだろう。
(そうならずに、リュノを戻す方法かぁ……)
授業中も、それ以外の時間も、ミティスはそのことばかり考えた。
もちろん昼休みだって。
中庭のベンチでセレスと並んでお弁当を突きながら、思考する。
そんなミティスを、セレスはぼんやりとした表情で見つめると、やはりぼんやりとした口調で言った。
「リュノのことを考えてるの?」
「うん……」
「もう無理だよ、全部終わっちゃったんだよ」
「うん……」
「あたしは……ミティスさえいてくれれば、頑張れるよ」
こてん、と寄りかかるセレス。
ミティスはそんな彼女の顔をちらりと見ると、フォークをタコさんウインナーに突き刺して話す。
「セレスがそんな顔をしてる以上、このままでいいはずがないわ」
「物憂げな美少女も悪くないよ」
「あんたにはアホでいてほしいの。じゃなきゃ、三人で並んだときのバランスが悪いじゃない」
「……バカにされてる気がする」
「褒めてるわよ。私、そんなセレスが大好きなんだから」
ミティスの温かい言葉に涙ぐむセレス。
すると、そんな二人の前に人影が近づいてきた。
突如現れた見慣れぬ少女は、ミティスたちの前に立つと、「ども」と軽く頭を下げた。
二人は一旦体を離し、少女と向き合う。
「ミティスの知り合い?」
「いーや、私も知らない」
「えっと、私の情報が正しければ、予備候補ですよね。ミティスさんと、セレスさん」
「あたしたち有名人になっちゃったかー」
「一般生徒よりは、でしょうね。それで私たちに何か?」
少女は少し迷うような仕草を見せたが、すぐに自己紹介を始めた。
「私、アウラ・テンペスターズっていいます」
「テンペスターズって……どっかで聞いたことあるよね、ミティス」
「同じクラスのウェントと同じ姓よ」
「ああ、それだそれ!」
「そのウェントの妹です。うっす」
体育会系の部活にでも所属しているのか、アウラの口調は、嫌な先輩と遭遇したときのセレスに似ていた。
「まあ、今は『運命の輪』とかわけわかんない名前、名乗ってるらしいですけど」
「確かにわけわかんないわね」
「でも不思議だねー、神様候補の妹だったら、もっと学園で話題になってそうだけど。あたしたち知らないよね、この子」
「あなた、年齢は?」
「十四歳です」
「ありゃ?」
「高かったでしょ、その制服」
「っすね……神導学園の制服ってだけで、すげえボられるんで。でも、どうしても会いたかったんです、お二人に」
そしてアウラは、ミティスたちに向かって深々と頭を下げた。
「お願いします、お兄ちゃんを元に戻すの手伝ってください!」
元に戻す――その言葉に、ミティスとセレスの心はざわついた。
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