155 vs悪魔Ⅵ『死神のお仕事』




 地面にアンカーを突き刺してもなお、反動は止められなかった。


 アンカーがガリガリと石畳を削りながら、メアリーは後退していく。


 全身の骨は折れ、内臓はぐちゃぐちゃに潰れているだろう。


 口から吐いた血はどろりとして生臭さが混じっていたが、まあそれは、痛みも含めていつものことだ。


 問題は砲撃が成功したか。


 砲弾は――『悪魔デビル』の力場と衝突し、激しく競合っていた。


 だが少しずつ、本当に少しずつだが、メアリーのほうが押している。


 ステラはまばゆい光に目を細めながらも、両手を握って応援した。




「いけ……いけえぇっ!」




 しかし、砲弾が推進力を得るのは一度のみ。


 次第に力を失っていく。




「あぁっ、そんな……このままじゃ飲み込まれる!」


「問題ありません」




 メアリーは落ち着いた様子でそう言った。


 そして以前キューシーがそうしたように、血まみれの腕を前にかざす。




「『女帝エンプレス』の下僕よ、その翼で『悪魔』を引き裂きなさいッ!」




 砲弾が――鳥へと姿を変える。




「また動き出した!」




 一度は止まりかけた勢いは復活し、『悪魔』の力場を翼とくちばしで引き裂きながら、前へと進んでいく。




「来ないでぇぇっ! いやぁっ、いやあぁぁぁああああああっ!」




 なおもアンジェは全てを拒む。


 『女帝』の力を得た砲弾も、少しずつその力に呑み込まれ、削られていく。




「届いて……お願い、アンジェまでの道を切り開いて!」


「届かないはずがありません。だって、私たちの力を合わせたんですからッ!」




 メアリーには確信があった。


 その翼は――キューシーから受け継いだいは、必ずや立ちはだかる壁を貫くと。


 そしてそれは現実となる。


 翼は確かにアンジェへの道を作った。


 そこで役目を終えたのだ。




「あぁっ、どうして……どうして来るのおおぉおっ! 何も聞きたくない、見たくないのにいいぃぃぃ!」




 遮るものがなくなり、アンジェの叫びがダイレクトに聞こえるようになる。




「アンジェえぇぇぇぇえええっ!」




 ステラは叫びながら、無謀にも力場の中に生まれた道へ突っ込んでいく。




「やだ、やだっ、やだあぁっ! もう誰にも裏切られたくない。誰も傷つけたくない! 私は、私はあぁっ!」


「アンジェ、もういいの! アンジェは何も悪くない! アンジェが苦しむ必要なんてないんだ!」




 なおも、耳を塞ぐアンジェに声は届かない。


 だからステラは道を突き進み、直に彼女の手を取った。




「アンジェッ!」


「あ……ステラ、なの?」


「そうだよアンジェ。助けに来たんだ。もう、終わっていいんだよ。アンジェはアンジェとして――私と一緒に逝こう」


「ステラ……」




 一瞬、安堵の表情を浮かべるアンジェ。


 だが直後に彼女の目は見開かれ、顔から血の気が引いた。




「ステラ……いやあぁぁぁあああっ」


「アンジェ!? どうしてっ!」


「また裏切られるっ! 私からっ、私が奪われる!」




 ミティスに乗っ取られた、という事情があろうとも、アンジェから“自分”という概念を奪ったのはステラの肉体だ。


 その記憶がフラッシュバックしたのだろう。




「お前はステラじゃない! ステラはもういない! いや、いやだぁっ! もう、何もかも、消えてしまええぇぇぇぇええええっ!」




 彼女は再び心を閉ざす。


 力場を再展開せずとも――直接触れていたステラは、反理現象の直撃を受けた。




「アンジェ――」




 最後にそう言い残して、彼女は消えた。


 跡形もなく。




「ステラさん……」




 うつむくメアリー。


 すぐさまアンジェもそれに気づいた。




「あ……あ……私、私……っ」




 反射的な行動だったのだろう。


 アンジェの人生を思えば、それは間違った判断ではないし、仕方のないことだ。


 だが、いかなる理由があろうとも、消したという事実は変わらず。


 否が応でも罪悪感は生じる。




「ステラを……殺しちゃっ、た。私が、ステラを。私を、助けに来て、くれたかも……しれない、のに。あ、ああぁ、うわああああぁぁっ!」




 悲痛な叫び声が轟き、彼女の体から放たれる魔力が膨張する。


 開いた道は閉じ、力場の内側にはより強烈な“消滅の概念”が渦巻くようになっていた。


 体の再生を終えたメアリーは、右手を強く握り、血を滴らせながらつぶやく。




「あれだけの力を使えば、肉体の限界はすぐにやって来るでしょう。待つ時間が短くて済んだと……前向きに考えないと頭がどうかなりそうです」




 悲劇には慣れた。


 どうせこんなオチだろうと思っていた。


 今頃ミティスはどこかでゲラゲラと笑っているのだろう――そんなことを考えながら、メアリーは大きくため息をついた。




 ◇◇◇




 一方そのころ、ミティスは王都での戦いを見ながら、つまらなそうな顔をしていた。




「そっか、そうなるかぁ……完全に詰めすぎるのも考えものね」




 少なくともあの場にいた人間の感情に、ミティスは干渉していなかった。


 邪魔をするつもりもなかった。


 どうせ死ぬという結論は変わらないのだから、どんな結果になろうがミティスの筋書きは揺るがない。


 だから――




「……最後ぐらいうまくいってほしかったんだけど。まあ、そんな甘い話があるんなら、私がここにいることはない、か」




 この世界の有様は、都合の悪いことばかりが積み重なってきた結果だ。


 今さら、大いなる意思は気分を変えたりしないということだろう。


 ミティスはチェアに深く腰掛ける。


 部屋の床には、彼女を取り囲むように無数のケーブルが這っていた。


 真なるワールド・デストラクション――この世界を滅ぼすための方法。


 それが、このケーブルだ。


 繋げばステラの肉体から『世界ワールド』のアルカナ、そのエネルギーが抽出される。


 それをこの星のど真ん中に向けて放てば、全て砕けて世界は滅びるというわけだ。




「そろそろ準備を始めたほうがいいのかな、そろそろメアリーもこのビルに向かってくる頃だろうし」




 そう言って立ち上がった彼女は、その場で「ん?」と首をかしげた。


 そして右手を見つめる。


 内側から、わずかだが力が抜けるような感触があった。




「外部からの干渉――いや、内部から、外に送り出そうとしてるの?」




 軽く意識すれば潰せる程度の、微弱な流出。


 ミティスは気づく。




「あなたの後悔は、そこまで強かったのね。ふふ、いいわ。誤差程度の量だもの、これぐらい持っていきなさい」




 それはステラの意志によるもの。


 肉体が消滅してもなお続く意志は、魂と呼ぶべきなのか。


 それとも、『世界』たるミティスの肉の一部に封じ込められた人格が、魔力に染み付いたのか。


 それは、正当な神ではないミティスの知らない現象だった。




 ◇◇◇




「ステラぁ……私が殺した。私のせいだ。やっぱり、全部、私が――っ!」




 魔力の嵐の中心で、苦しみ続けるアンジェ。


 反理現象が巻き起こす激しいエネルギーの渦は、使用者である彼女の肉体も削っていく。




「うううぅ、ステラぁ、みんなあぁ……帰りたいよぉ。あの日に、帰りたいよぉお……!」




 目から血の涙が流れた。


 腕の皮が剥がれて筋肉がむき出しになった。


 顔も肉がえぐれ、口が裂けていく。


 もはや自壊は時間の問題だった。


 メアリーはその様子を、静かに力場の外から眺める。


 すると破滅の奔流――その中心近くで、わずかに何かが輝いた。


 光は次第に人の腕を作り、アンジェの頬に触れる。




「あ……ステラ?」




 その温もりだけで、それが誰の手なのかすぐにわかった。




「ステラ、そこにいるの?」




 涙声で呼びかけると、視界にステラの表情が浮かび上がる。


 薄っぺらい、仮面じみた顔だが――確かにそれはステラだった。


 その優しい微笑みを見た瞬間、アンジェはこう願う。


 ステラを元の姿に戻してくれ、と。


 次の瞬間、その望みはかなった。


 『悪魔』の反理現象により消滅した肉体が復活したのだ。




「ステラああぁっ!」


「アンジェ……」




 固く抱き合う二人。


 メアリーは驚いた様子でその光景を眺めていた。




「消滅したはずのステラさんが、元に戻るだなんて……」




 奇跡の一言で片付けるのは簡単だ。


 だが理屈をつけようと思えば不可能ではない。


 アンジェは他者を拒絶し、一定範囲内に入る生物を全て消滅させていた。


 そしてステラの肉体は、その能力を受け消えた。


 しかし、今の彼女は『世界』によって“肉体から人格を分離させられた”というイレギュラーな状態だ。


 仮にその人格が魔力によって維持されるものなら、体を失ったあとも、わずかな時間ではあるが魔力としてその場に留まっていてもおかしくはない。


 そのとき同時に、アンジェの体は能力発動の反動により崩壊を始めていた。


 魔力の嵐の中に、天使化した人間の血肉が飛散していたわけだ。


 意志を持った魔力は、直前まで自分の肉体を構成していた天使の一部を使って、ステラという形を作ろうとした。


 そして最後は、アンジェがステラの蘇生を望み、今の結果に至る、というロジックである。


 互いに人外の体ゆえに起きた現象と言えよう。


 だが偶然の要素は大きい。


 奇跡と呼んでしまっても、あながち間違いではないのかもしれない。


 とはいえ、さすがに無茶が過ぎるのか、ステラの体もいつ崩れるかわからない不安定さが見て取れた。




「ごめんねアンジェ。ホムンクルスを守るべき私が、みんなを傷つけてしまった……」


「わかってるよ、ステラのせいじゃないって。このステラが、本物のステラだってことも、こうやって触れてるとわかる……今さらだけど」


「そんなことないさ。私のほうこそ――みんなを裏切った罪が許されてるとは思ってない。でも……せめて、一緒に死ぬことぐらいは許してもらえないかな」


「そんなの、私のほうからお願いしたいぐらいだよ。一緒に死のう? 二人で死んで、幸せな夢を見ようよ」


「そうだね。みんなが生きてて、みんなが笑っていたあの頃の夢を見よう……」




 胸にアンジェを抱きしめながら、ステラはメアリーのほうを見た。


 言葉はないが、メアリーは察し、鎌を握る。




「お別れは済みましたか」


「メアリーちゃんとのお別れが済んでない」


「私としては、話すと辛くなるだけなのですが」


「ごめんね……それでも、お願いしたいことがあるんだ」


「ホムンクルスの後処理ですか?」




 メアリーの言葉に、ステラはうなずく。




「ディジーは生きてるんだよね」


「あの傷では、放っておいても死ぬとは思いますが」


「それでも生きていて……彼女が死んではいけないと思いこんでるのなら、殺してあげてくれないかな」


「……それがステラさんの望みなら」




 少し迷ってから、メアリーは承諾した。




「本当にごめん。身勝手なお願いで先に逝くのに」


「構いませんよ。身近な人が、少しでも良い死に方ができるように私はここにいるんですから」




 メアリーがそう言うと、アンジェは穏やかな表情で口を開く。




「本物の死神みたいだね」




 褒め言葉と受け取っていいのか、メアリーは答えに詰まる。


 何より、誰よりもその死神が来てくれることを願っているのは彼女自身だから。


 そして返すべき言葉が思いつかないまま、鎌を振り上げた。




「いきます」


「うん、お願い」




 最後の別れは簡潔に。




「それでは、よい夢を」




 メアリーの刃は、幸せそうに抱き合う二人を両断する――




 ◇◇◇




 亡骸を取り込んだメアリーは、今度こそ王都を出た。


 目指すはピューパ本社。


 そこにはおそらく、アミやカラリアが待ち受けているのだろう。




「私にも一度ぐらい、あんな奇跡が起きてくれたらよかったのに」




 あるいは、もっと前に起きていれば。


 せめて一人ぐらいは、今のメアリーの隣にいてくれたのだろうか。


 そんなことを考えてしまうと、急激に気持ちが落ち込んでいく。


 キューシーを手にかけた感触や、その肉の味が蘇り、胸が強く締め付けられる。


 恋とは似て非なる痛みに唇を噛むと、少女は次なる殺戮の舞台に向かって歩きだした。




 『悪魔』の捕食、完了。


 現在のメアリーの所有アルカナ数13。


 残りのアルカナ――8。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る