154 vs悪魔Ⅴ『砲塔』




 戦いを終えたメアリーは、ため息混じりの息を吐き出した。




「ふぅ……あとは肉片を取り込んで、ピューパの本社に向かわなければ」




 反理リバース現象も起こさずに、完封勝利できたことに安堵するメアリー。


 だが念の為、彼女は警戒して自分は接近しない。


 骨の巨人の眼窩に、ぎょろりと眼球が生えてくる。


 メアリーと視覚を共有するためだ。


 巨人が拳を持ち上げると、血と肉がにちゃりと糸を引いた。


 そこを覗き込んで、メアリーは息を呑んだ。




(こんな都合の悪い偶然が――)




 地面に生まれた小型のクレーター。


 その中心に――潰れたシャイティの頭部が、めり込んでいたからだ。


 半ばひしゃげた瞳が巨人を見上げる。


 肉が蠢き、急速に再生を始める。


 同時に魔力が爆発的に高まるのを感じた。


 あの拳を食らって無事でいられるはずがない。


 つまり彼女は偶然・・、最初からその場にあったくぼみに頭部の一部をめり込ませ、完全なる死を回避したのだ。


 そもそも、あれだけ念入りに潰したのに、そんなくぼみが存在することがおかしいのだが。


 メアリーは直感する。




「『悪魔』の能力だというのですかッ!」




 期待はずれミスフォーチュン――シャイティはそう呼んでいた。


 相手にとって都合の悪い・・・・・現象を引き起こす能力だ。


 メアリーが確実に殺そうとしたからこそ、攻撃は失敗した。


 再度の使用にかなり時間が必要になるため、ここぞという時にしか使えないが、それはまさに今のような状況のこと。




(反理現象が発動する――!)




 アルカナによって微妙な差はあるものの、反理現象の発動条件は概ね、感情や能力が高まった状態での“死”と考えていいだろう。


 それを理解しているからこそ、シャイティはこの行動を取ったのだ。


 メアリーは十分に離れた場所にいたが、それでも全力で後ろに飛んだ。


 念の為、体を骨の盾で覆う。


 だが物理的な防御がどこまで意味を持つだろうか。


 『恋人ラヴァー』然り、キューシー然り、反理現象は概念的にこちらを攻撃する能力が多い。


 仮にこの場所が能力の範囲内だとしたら、回避は難しい。




「どうして私、こんなこと。誰も見ないで……何も言わないで……」




 わずかに、女性の声が聞こえた。


 瞬間、メアリーの視界が暗闇に包まれる。息も苦しくなる。


 反射的に顔に手で触れると、あるべきものが、あるべき場所になかった。




(眼球が消滅・・した!? 喉にも違和感があります。触れていないのに、攻撃された感触すらないというのに! 離れなければ、この距離でもまだ危険です!)




 全速力でシャイティから離れる。


 だが先ほど聞こえた声は、明らかに今までの彼女とは異なる声だった。


 一体、何が起きたというのか。


 メアリーは何ら情報を得られぬまま、再び声が聞こえてくる。




「私の近くに……来ないでえぇぇぇぇええええッ!」




 今度ははっきりと耳まで届いて――そしてメアリーは、自らの右脚が消失するのを感じた。


 悪寒が走る。


 これはダメージではない、概念としての“消滅”だ。


 メアリーの全身が対象となれば、再生の余地もなく一瞬で消える。


 だが肉体の消失はそれ以上進行しなかった。


 それどころか、消えた眼球が再生し、視界が復活する。


 メアリーは着地すると、前を見据えた。


 女が立っている。


 ウェーブのかかった、白いロングヘア。


 シャイティとは違う、棘のない柔らかな顔つき。


 それを苦しそうに歪めながら、彼女は頭をかきむしった。




「来ないでえぇっ! 見ないでえぇっ! お願いだから私を一人にしてえぇぇええっ!」




 それは人間らしい感情の発露のように感じられた。


 つまり、『世界』に支配された天使とは異なる。


 また、女は周囲数十メートルに半透明の力場を展開していた。




「目と脚が再生したのは、範囲から出たおかげだったんですね。少し離れただけで警戒したつもりになるだなんて、力量差があるからって油断しすぎです」




 少し離れた場所から死体の確認を行っていなければ、今ごろメアリーの肉体は消えていただろう。




「『悪魔』の能力は裏切りや、不運。あの能力がその真逆だとすれば、願望の成就――ですか」




 その正体は単純明快だ。




「あの空間の中では、彼女の望みが具現化する……いっそ放置して逃げたほうがよさそうな厄介さです」




 それも一つの手だと、メアリーは本気で考える。


 別に全てのアルカナを集めなければミティスと戦えないわけではないのだ。


 それに、無視して離れても、じきに反理現象の反動でシャイティは死ぬだろう。


 顎に手を当て、軽く思案するメアリー。


 するとこちらに近づくエンジン音を聞いて、彼女は目を見開き振り向いた。


 キイィィッ、と滑りながら減速し、停まる魔導車。


 メアリーはいつでも砲撃をお見舞いできるよう、すぐさま手のひらを向けた。


 扉が開く。


 中から出てきたのは――両手をあげたステラだった。




「っ……ミティス!」


「待って、私はステラだよ! ミティスじゃない!」




 メアリーはすぐさま腕に力を込めた。


 だが発射はしない。


 違和感を覚えたからだ。


 明らかにメアリーに撃たせよう・・・・・とするシチュエーション――思惑に乗っても徒労で終わる可能性は高い。


 その判断に命を救われたステラは、ほっと胸をなでおろした。




「証明はできますか」


「無理だよ。私とミティスは今でも繋がってる、完全には別人になれない」


「でしたらこの距離での対話を要求します」


「寂しいけど、私もそれがいいと思う」


「不審な動きを見せたら撃ちます」


「構わない、躊躇なく撃って欲しい。私もメアリーちゃんを傷つけたくないから」


「あなたが本当にステラさんだと仮定して、目的は? なぜミティスはあなたをここに向かわせたんです?」




 あくまで、メアリーはステラの存在がミティスの罠だというスタンスを崩さなかった。


 だがステラ自身もその可能性があると思っているため、納得するしかない。


 そして彼女は力場に包まれる女性を見た。




「あの子、アンジェっていうんだ。アルファタイプのホムンクルスでね、私に一番懐いてた子だった」


「シャイティという名前は?」


「ミティスが役を与えるために付けたもの。あの外見も、人格も、全て『世界』の能力で作られたもので――今の姿が本来の彼女だね」




 改めて、メアリーはアンジェの姿を見た。


 やはり真っ先に目につくのは、その白い髪だった。




「貴族に買われた彼女は、長い間、家畜のような扱いを受けていた。髪の色が白くなったのは、当時のストレスからだよ」


「……困った話です。ホムンクルスと会う度に不幸自慢を聞かされるんですから」


「だから、こんなことにならないよう、私が……守らなくちゃいけなかったんだよ。同じホムンクルスであるメアリーと殺し合うなんて悲しすぎる」




 声に強い後悔の念が宿る。


 明らかに、今までの彼女――つまりミティスとは違うと感じられた。




「話を聞いていると、あなたが本当にステラさんなのかもしれないと思ってしまいそうです」


「だからそうだって言ってるんだけどな」


「でしたら、今さらながらお久しぶりと挨拶しておくべきでしょうか」


「割と最近会ってるよ」


「あれはミティスだったんでしょう?」


「リュノと暮らしてた小屋で。今みたいにまともな人間の姿ではなかったけど」


「あの化物……なるほど、未来がこうなるとわかっていたから、私を殺すだなんて言ってたんですね。でしたら例の――」


「だけど、伝えた言葉は今でも間違ってはいないと思っているよ」




 ステラはメアリーの発言を遮る。


 例の暗号の存在を、よほどミティスに知られたくないのだと判断した。


 だとしたらますます、どういう意味だったのかを聞きたいところだが――今は諦めるしかあるまい。




「ええ……同感です。あの場で殺されたほうが楽でした」




 もっとも、あの時点のメアリーはそう思わなかっただろうが。


 全ては過ぎたことだ。


 無知なまま死ねる時間はもう終わった。




「ですが生き延びたからには、切り抜けるしかない。アンジェという女性、ステラさんの知り合いなんですよね。何か能力を無効化する方法とか思いつきませんか?」


「ごめん、ミティスの中にいたならともかく、今がどういう状況なのか私には把握できてないんだ」


「彼女を仕留めそこねて、『悪魔』の反理現象が発生しました。ああ、反理現象ってわかりますか?」


「大体ね。タロットカードの逆位置にあたる能力だよね」


「タロット……? その単語、前も聞いたことがあります」


「アルカナの名付け元になった、占いのカードだってさ。正しい向きと逆の向きでそれぞれ違う意味を持つんだ」


「そんなものが由来だったんですか。なら、あのドームの中で発生する『自分の願望を実現させる能力』も、それが元になってるんでしょうか」


「願望の実現……かぁ。彼女の『悪魔』のアルカナだけど、あれは肉体や精神が傷つくほどに力を増すアルカナってのは知ってるかな」


「自分でそう言ってましたね」


「つまり、アンジェは残酷な光景を見て、傷つき続けていた。表には操られた人格が出ている一方で、本来の正常な人格は内側に封じられていたんだ」


「キューシーさんもそれで……」




 正気のまま化物になった自分を、そしてメアリーとの殺し合いを見せつけられたがゆえの、心の傷。


 やはりこの世から解放することこそが自分の役目なのだと、改めて痛感する。




「アンジェは優しい子だから、きっと耐えられなかったんだよ」


「それで近づくな、見るな……ですか」


「完全に心を閉ざしてる。だから、解決法は二つしかない。時間切れを待つか、私の声を届かせて、あの子の心を変えるか」


「そんな平和なやり方、ミティスが許しますかね」


「そこに関しては心配しなくていい。どうやら私は、他の人間ほど彼女に憎まれていないらしいから」


「それは意外です」


「私も同感だよ、てっきり誰よりも憎まれてると思ってた」


「そうなると、一番憎まれてるのは私になるわけですね。わかってましたが」


「メアリーちゃんは何も悪くないよ」


「そうですね、私を生み出すことを決めた人たちは、みなあの世に逝くか、この世界に留まっていても頭のネジが外れているかのどちらかですから。私だって私が悪いとはこれっぽっちも思っていません」


「アルカナは人には過ぎる力なんだ。沢山の人を翻弄して、人生を壊していく。リュノは以前、私にこう話したことがある。『死神の役目は、死ねないものを殺すことだ』ってね」




 メアリーは露骨に顔をしかめた。


 まさに今の状況そのものだからだ。




「案外、『死神』も私に何か恨みでもあるのかもしれませんね」


「リュノは託したんだと思いたいな」


「いくら何でも無責任が過ぎます。それで、アンジェのことは具体的にどうするつもりですか?」


「呼びかける。ここで待ってて」




 そう言って、ステラはドームのギリギリまで近づいて、スゥ――と大きく息を吸った。




「アンジェッ! 私、ステラだよ! 話を聞いてほしいんだッ!」




 メアリーが記憶している限り、ステラは声があまり大きくない。


 そんな彼女が王都に響くほどの大きさで発声しているのだ。


 必死さはひしひしと伝わってきた。




「アンジェッ! お願いだから話を聞いて! 君は悪くないっ! 悪いのは全部私なんだっ!」




 だが、それでもアンジェには届かない。




「来ないで、見ないで、言わないで、聞かないで、近づかないで、お願いだから私のことは放っておいてぇ!」




 声も、気持ちも、何もかもを閉ざしきったアンジェは拒絶するだけ。


 おそらくこのまま誰も近づけずに、ここで朽ち果てることを望んでいるのだろう。


 メアリーはステラに尋ねる。




「ところでステラさん、仮に彼女が心を開いたとして、どうするつもりなんですか? その体だって、どういう理由かは知りませんが、ミティスから与えられたものなんですよね」




 ステラは少し間を空けて、振り向くこと無く答えた。




「……死ぬよ」


「どうやって?」


「図々しいお願いだとは思ってる。でも……メアリーちゃんにお願いしてもいいかな」


「『死神』の役目というやつですか。ステラさんと、正気に戻ったアンジェさんを一緒に殺せばいいんですね。わかりました」


「……あっさり承諾してくれるんだね」




 意外そうにステラが振り向く。




「私が生きている意味なんて、それぐらいしかありませんから」




 メアリーは自虐でもなく、正直にそう答えた。


 ステラは少し表情を曇らせる。


 しかしすぐにアンジェのほうを向いて、再び声を響かせた。


 何度も何度も、無人の廃墟と化した王都に、ステラの叫びだけがこだまする。




「駄目だ……全然届かない」


「声の大きさの問題でもなさそうですね。何も言わないでと繰り返していますから、音が遮断されているのかもしれません」


「中に入るしかないのかな」


「入った瞬間に塵ですよ」




 言いながら、メアリーは軽く手のひらから小さな銃弾を放った。


 当然、能力の範囲内に入った瞬間に消滅する。


 だがその直前、わずかにパチッという音が鳴った。




「ですが……弾けた音に、わずかな光。限りなく“消滅”という概念に近い現象ではありますが、抵抗はゼロではないようですね」


「大出力の魔力を使えば、引き裂けるかもしれないってこと?」


「一時的なものでしょうが、試す価値はあります」


「やってくれる?」


「やるだけやってみます、それぐらいしか方法が思いつきません」




 気乗りはしない。


 無防備になったときに、ミティスが顔を出して殺される可能性もある。


 常にステラへの警戒を怠らずに、メアリーはあの力場を切り開くだけの大出力を実現する方法を考えた。


 その結論を出し、アンジェから距離を取る。




「一応、威力は収束させて周囲に影響がないように配慮するつもりです。ですが巻き込まれないと断言することはできませんから、ステラさん自身で身を守れるようにはしておいてください」


「わ、わかった。声が届く範囲で、少し離れるね」




 メアリーの忠告に、ステラは緊張した様子で返事をした。


 力場の中心で苦しみ続けるアンジェ。


 その様子を唇を噛んで見つめるステラ。


 そして、軽く100メートルは離れた場所に立つメアリー。


 彼女は両手を重ねて前に突き出す。


 その腕は、すぐに内側から突き出した骨で弾け飛んだ。


 生み出されるのは砲身。


 それは今までメアリーが作ったどの砲身よりも長い。


 ふくらはぎや太もも、背中からも鋭い骨が伸び、アンカーのように地面に突き刺さる。


 肉体の破壊によって『吊られた男ハングドマン』の効果が上昇する。


 もちろん『パワー』も発動。限界まで魔術評価を引き上げた。




「なんて長くて大きな砲身……!」




 驚くステラ。


 彼女の言葉に反応したわけではないが、ほぼ同じタイミングでメアリーは言った。




「これだけの長さなら、塔と名乗っても構わないでしょう。そう、これは砲身ではなく、塔を砲身として代用したもの」




 そう定義してしまえば、その砲身は『タワー』の影響下となる。


 ここで『死神デス』が塔の内部に骨の砲弾を装填する。


 発射準備は完了した。


 メアリーは息を吐き出し、細めた瞳でアンジェを見つめる。




「『悪魔』程度を貫けなければ、『世界』に届くはずがない」




 これは、軽く打ちのめさなければならない試練だ。


 目を伏せる。


 心を整える。


 静かな集中――




死者百万人分のミリオンコープス――」




 ――そして、瞳を開く。


 魔力が満ち、トリガーは引かれる。




超重埋葬砲オーバーロード・ベリアルカノン!」




 その砲弾が放たれた瞬間、メアリーは自分の体が消し飛ぶほどの反動を感じた。



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