151 vs悪魔Ⅱ『君を愛した焼死体』




 ステラ・グラーントという女性の人生は、恵まれたものではなかった。


 彼女の父は、強盗の濡れ衣を着せられ処刑された。


 母はその一件で心を病み、ほどなくして自ら命を断った。


 幼い少女は天涯孤独の身となったが、村の人々は彼女を救うどころか、汚れた血を引いていると言って迫害した。


 だがそんなステラは――同じく迫害され、村で暮らすことすら許されなかったリュノという女性と出会う。


 ステラは彼女を見た瞬間に『女神』だと思った。


 しかし彼女は村の人間に『化物』と呼ばれていた。


 なぜなら、何百年も昔からまったく年を取っていないからだ。


 リュノ自身、そのような体質ゆえか、他者と関わりを持とうとしない。


 だがお近づきになりたいステラは、何度も、足繁くリュノが暮らす小屋に通った。


 そして根負けした彼女は、少しずつ――本当に少しずつ心を開き、人間らしい表情を見せるようになっていった。


 二人が一緒に生活を始めたのは、それからさらに時間が経ってからのことだ。


 互いに天涯孤独だったステラとリュノは、まるで姉妹のように関係を深めていった。


 もっとも、ステラは恋愛対象としてリュノを見ていたし、リュノもまた、そんなステラの気持ちに気づいていたようだが。




 ◇◇◇




 二人で暮らす日々は、ステラの人生において最も幸せな時間だった。


 リュノにとっても、久しく失っていた“感情”というものを取り戻すきっかけになった。


 当時のステラは知るよしもないが、リュノは半端な神様だ。


 肉体も精神も、完全な神になりそこねた不良品。


 ゆえに何千万、何億という悠久の時を過ごすために、心を凍らせるしかなかったそうだ。


 だが、それだけの罪を犯したと彼女は言う。


 本当はステラと過ごす時間すら、自分には許されるべきではないのだと。


 しかし――そんな自分の心を溶かしてくれたステラに、リュノは心から感謝していると言った。


 そして同時に、あまりに大きな寿命の差を嘆いていた。




 ◇◇◇




 そんなある日のこと、リュノの元をヘンリー国王が訪ねてきた。


 ステラが驚愕したのは言うまでもない。


 こんな田舎町の、しかも森の中にあるみすぼらしい小屋に、天下の国王様が急にやってきたのだから。




(リュノ姉ぇは本当に女神様なのかも……)




 王と対等に話すリュノを見て、ステラは本気でそんなことを思った。


 もっとも、会話の内容はさっぱりわからなかった。


 聞こえてないわけではなく、聞いた上で理解できなかったのだ。


 それから何年にも渡って、ヘンリーは小屋を訪れた。


 時にはステラと言葉を交わすこともあった。


 迫力のある風貌とは裏腹に、彼はとても優しいおじさんだった。


 やがて国王だけでなく、ピューパ・インダストリーの関係者までやってきて、さすがにステラも『何か大きな計画が動いているのでは』と気付きはじめた。




 ◇◇◇




 結局、ステラに計画の内容が語られることが無いまま時間は過ぎていく。


 そんなある日のこと。


 夕食を終えたリュノは、くつろぐステラに、真剣な表情で語った。




『私、死のうと思うんです』




 突然のカミングアウトに、ステラはもちろん猛反対する。




『そ、そんなの絶対にダメだよ! 私、リュノとずっと一緒にいたいんだから!』


『あ……ごめんなさい、誤解を招く言い方でしたね。そういう意味ではないんです』


『それ以外にあるの!?』


『今の私は不老不死です。いかなる災いも、病も、時の流れですらも私を殺すことはできません』




 そしてリュノは、自分の中に封じられた『世界ワールド』――そして自分の親友であるミティスについて語りだした。


 それが自分の中にある限り、呪いのような不老不死は消えない。


 しかしヘンリー国王の計画に参加すれば消せるそうだ。


 もちろん危険性はある。


 だが、今のまま一緒に暮らして、ステラだけが老いていくのには耐えられない――




『ステラは、女神としての私に憧れているんですよね。もし私が年をとって、おばあちゃんになってしまったら……』




 不安げなリュノの言葉を遮って、ステラは言い切った。




『私は一生、リュノ姉ぇのこと大好きだから! おばあちゃんになったってずっと一緒だから!』




 リュノは救われたように、目に涙を浮かべて微笑んだ。


 その日――二人は、初めてのキスを交わした。


 共に歩み、共に朽ちる。


 そんな希望の未来に胸を躍らせて。




 『世界』の器足りうる赤子が生まれたのは、それから数日後のことだった。


 リュノは神だ。


 彼女の強い意志が器の誕生を後押ししたのは、言うまでもなかった。




 ◇◇◇




 そして運命の日はやってくる。


 ワールド・デストラクションと呼ばれる実験は、ピューパの研究所で行われた。


 その場にはステラも同席していた。


 強化ガラスで隔てられた部屋の向こうに、装置が置かれている。


 リュノは椅子に腰掛け、無数のケーブルを体に付けられていた。


 隣には金属のゆりかご。


 その中には、リュノと同じ髪の色をした赤子の姿があった。


 あの子が今から犠牲になると思うと、ステラの胸が痛む。


 だが――それでも、とリュノが望んだのだ。


 きっとヘンリーも同じだろう。


 だが、赤子の犠牲で世界の平和が保たれるのなら、それは必要な犠牲であると割り切ったのだ。


 ステラには計り知れぬほどに苦悩と決断のドラマがそこにはあったに違いない。


 彼女が口を出せるようなことではなかった。


 実験に参加する研究者たちは、誰も彼もが余裕のない表情をしていた。


 張り詰めた空気の中、何もできないステラは、部屋の隅からじっとリュノ姿を見ていた。


 ふと、目が合う。


 リュノは優しく微笑んだ。


 ステラも微笑み返した。


 それが――二人の最後のやり取りだった。




 実験が始まった直後、装置は爆発した。


 目の前で、大好きな家族が、バラバラに飛び散っていく。


 自分の頭を撫でてくれた腕がパイプに引っかかり、優しく見つめてくれた瞳はガラスに叩きつけられ潰れた。


 ステラは立ち尽くし、ただ無言でその光景を見ていた。


 いびつな肢体が脳に焼き付けられていく。


 愛おしい顔は半分も残っていない。


 かわりに、えぐれむき出しになった脳がそこにあった。


 何度も触れ合った体は、焼け焦げて、昨日付けたキスマークなんてどこにも残っていなかった。




 リュノから『世界』が取り除かれた直後だったため、すでに不老不死は失われていた。


 いや、それでも『死神デス』のアルカナだというのなら、四肢が失われ、頭部の半分がえぐれ、体が焼け焦げてもなお、生き延びることはできたはずだ。


 だがおそらく、彼女はそれを望まなかったのだろう。


 なぜなら、消えるはずの『世界』――つまりミティスが解き放たれ、その時点ですでに、ステラに宿ってしまったから。


 彼女は、もはやこの世に希望など存在しないと気づいていたのかもしれない。




 現場は大混乱だった。


 近くにいたヘンリー国王は保護された。


 幸いにも怪我はなかったが、その顔は絶望に青ざめている。


 “何が起きたのか”、リュノの次に理解していたからだろう。


 奇跡的に無傷だった赤子も部屋から連れ出される。


 悲嘆と怒号が響き、激しい感情が渦巻いている。


 そんな中、ステラはようやく現実を理解して、膝から崩れ落ちた。




『リュノ姉ぇ……?』




 声に出すと、喪失はさらにはっきりとした形を得た。


 もういない。


 死んでしまった。


 あの優しい日々は、二度と戻ってこない――




『やだ……やだああぁっ、リュノ姉ぇ……リュノ姉えぇぇぇええええええっ!』




 そう叫んで、四つん這いで部屋に入ろうとすると、研究員に止められた。


 見えているのに。


 リュノの死体が。




『リュノ姉ぇっ、私っ、私と一緒にいてくれるってぇっ!』




 目の前にあるのに。


 飛び散った腕が。




『おばあちゃんになっても二人でいようってっ!』




 せめて、せめて最後に触らせてほしい。


 そんな少女の儚い願いすら叶わず。




『約束したじゃんっ! リュノ姉ぇえっ! うわあぁぁぁぁああああああっ!』




 彼女は羽交い締めにされて、部屋から連れ出されていく。


 閉ざされる扉。


 隔たれる世界。


 アルカナであるリュノの肉体は、貴重な研究材料だ。


 ステラは二度と、その死体と対面することはなかった。



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