152 vs悪魔Ⅲ『何も知らない』
ステラは一人、ミーティスの村に戻った。
二人で暮らした小屋で、死体のように過ごした。
数日後、ようやく国王の使いがやってきて、今後の生活を補助する旨を伝えてくれたが、話なんて耳に入ってこなかった。
二人で使っていたベッドに横たわって、倍以上に広くなった気がする部屋を見ながら、一日を過ごす。
食事はおろか、水すら口にしない。
眠ることもできない。
だって、目を閉じればあの光景が浮かんでくるから。
だって、夢を見たら幸せな頃を思い出してしまうから。
このまま腐って消えてしまいたいと思った。
実際、ステラは意識を失うまでそのままで居続けた。
けれど死ねなかった。
目を覚ますと、彼女は王都まで運ばれていて――貴族しか使えないような豪華な病室で、治療を受けていたから。
◇◇◇
それから数ヶ月――死体のように過ごしたステラは、ようやく死ぬことを諦めた。
リュノはもういない。
それでも、生きていくしかないのだ。
きっとリュノだって、ステラが不幸になることは望んでいないだろうから。
王都で入院していると、ヘンリーも病室を訪れた。
彼は深く頭を下げた。
リュノを失ってしまい申し訳ないと、心の底から謝罪していた。
『王様のせいじゃありません。何か、事故が起きてしまったんですよね』
ステラがそう尋ねると、ヘンリーは辛そうにこう答えた。
『私と敵対する貴族の介入があった』
聞けば、ドゥーガン・スラヴァーと呼ばれる有力貴族が、工作員を介して研究員と接触していたとのことだ。
過酷な労働環境で心を病んでいた研究員は、復讐心を利用され、実験開始と同時に爆発するように仕向けたらしい。
『私の詰めの甘さが招いた事態だ。本当に……本当に申し訳ない……ッ!』
ヘンリーは土下座までしてみせた。
ステラは困るばかりだ。
彼が悪いだなんて思っていない。
しかし――ヘンリーには、そういう形の救いが必要だったのだろう。
だから相手が止めても止まらないのだ。
誰だって罰してほしいときはある。
そう、ステラだって。
自分がリュノと出会わなければ、彼女を死なせることはなかったのだから。
しかしステラにはそういう相手がもういない。
悲劇の引き金を引いたのはお前だ、と――誰一人罵ってはくれないのだ。
◇◇◇
ステラはヘンリーの支援で、王都で暮らし始めた。
仕事も斡旋してくれた。
あの村で暮らしていた頃に比べると、かなり恵まれた生活だ。
そんな日々の中で、ステラは何度かメアリーとも交流を持った。
メアリーは成長するたびに、どんどんリュノそっくりに育っていく。
(ああ、彼女はリュノ姉ぇが残した命なんだ……)
確かにそう思えたから、ステラは会う度に、彼女を妹のようにかわいがった。
あまりかわいがりすぎると本物の姉に嫉妬されるので、そのあたりの節度は保っていたが。
王都では友達もできた。
職場でもそれなりにうまくやれている。
悲しみも少しずつ遠ざかっていく。
その事実に寂しさを覚えたステラは、リュノとの日々を思い出しては、日記のようにノートにしたためるようになっていた。
◇◇◇
そんな彼女の平穏が崩れたのは、“現在”から見てほんの2、3年前のことだ。
食堂で働いていた彼女は、うっかり食器を落としそうになった。
そして慌てて手を伸ばした。
明らかに届く距離ではない。
だが――彼女の手は食器を掴んでいた。
『今、私の腕……伸びたの……?』
幸い、誰にも見られてはいなかった。
彼女はすぐに誰も居ない場所に移動すると、再度それを試す。
すると、自分が望むように、ぐにゃりと腕が変形した。
『な、何……これ。私、なんでこんな力が……?』
すぐさま誰かに相談すべきことだと思った。
真っ先に浮かんだのは、アルカナという言葉。
ワールド・デストラクションの現場に居合わせたことで、何らかの影響が出たのかもしれない。
ゆえに相談する相手は当然、ヘンリーであった。
しかし――当時の彼は非常に忙しかった。
会う約束を取り付けることすら困難だった。
なので仕方なく、ピューパ・インダストリーを尋ねることにした。
◇◇◇
ステラに対応したのは、ワールド・デストラクションとも関わりの深いユーリィだった。
すぐに検査が行われ、ステラに宿っているアルカナが『世界』だと判明する。
さらに、ピューパでの調査と解析により、彼女は能力の扱い方も身に付けていった。
ステラは不安で仕方なかったが、『ヘンリー国王も許可している』というユーリィの言葉を信じるしかなかった。
王都で働く傍ら、アルカナ使いとなり圧倒的な力を得たステラ。
彼女はその力を恐れた。
自らの体を変えるだけではない。
一滴の血で他の生物の形を変えることができる。
ほんの一言で相手の心を支配することができる。
何より、年を取ることもなければ、いかなる傷や病でも命を落とすことがない。
あまりにこの力は危険だ。
ヘンリーが消したがった理由もよくわかる。
再度ワールド・デストラクションを行えないかと聞いたこともあったが、メアリーの代わりとなる器が存在しないため難しいと返された。
だから誰にも気づかれないよう、ひっそりと生きようと考え――そして気づく。
自分がリュノと同じ立場になっていることに。
なぜ出会ったばかりの彼女が、心を凍らせていたのか、今のステラにならよくわかった。
しかし、同時にこうも思うのだ。
力があるのなら、何かできることはないか。
確かに危険な力だ。
だが、使い方によっては、誰かを救うこともできるかもしれない。
そんなとき、ステラはユーリィからとある噂を聞かされた。
ワールド・デストラクションのために生み出された、ホムンクルスたち。
そんな少年少女たちが、用無しになった途端に貴族に売られ、虐げられているという噂だ。
ステラの正義心は沸き立った。
◇◇◇
ステラはすぐさま情報を集めた。
ユーリィの協力もあって、ホムンクルスたちの所在地はすぐに見つかった。
声と感情を失った少女、アンジェ。
痛めつけるためだけに使われた少年、カリンガ。
顔を焼かれた少女、アオイ。
薬漬けにされた少女、ヘムロック。
歪な主従関係を強制された双子、エリニとエリオ。
異形に変えられた姉妹、カームとディジー。
他にも、何人ものホムンクルスたちが、貴族のおもちゃにされ、虐げられていた。
ステラが救出に動いた時点でその大半は死んでおり、生き残った者たちも心と体に二度と消えない傷を負っていた。
実際の現場は目を覆うような凄惨さで、実をいうと、ステラは救出時のことをあまり覚えていなかった。
無我夢中というやつだろう。
人も殺めることもあった。
自分が怖くなった。
しかしその恐怖は、“誰かを救えた”という達成感の中で薄れていった。
本当にそのせいなのか。
『世界』の介入は無かったのか。
あの頃は、そう考えることすらしなかった。
ステラは、ホムンクルスたちが少しでもその傷を癒せるように、そして幸せになれるよう力を尽くした。
幸い、
ホムンクルスたちはステラに心から感謝する。
彼女もまた、自らの行いを誇らしく思っていた。
かつてリュノが自分にそうしてくれたように、自分もまた、誰かを救うことができたからだ。
当然、ホムンクルスはみなステラを慕っており、中でも特にアンジェは常に彼女にべったりとくっついていた。
喋ることができないので、抱きついたり、手を握ったり、頬ずりをすることで思いの丈を伝えてくる。
そんなふれあいを続ける中で、少しずつ感情を取り戻していき、わずかながら笑みを浮かべることも増えてきた。
他のホムンクルスたちも、消えない傷を負いながらも、少しずつ人間らしい幸せを取り戻していく。
ステラが夢見た“理想”がそこにはあった。
◇◇◇
そんなある日のこと。
朝起きると、アンジェが隣に寝ていた。
昨晩、半ば強引にベッドに潜り込んできたのだ。
先に起きたステラは、まだ時間も早いので、アンジェを起こさないようにベッドから抜け出す。
しかししっかりと抱きついたアンジェは、動くステラに反応し、目を覚ましてしまった。
起き上がった彼女は、ウェーブのかかった白いロングヘアをぼさぼさにしながら、寝ぼけ眼で口を開いた。
『おはよ』
瞬間、時が止まる。
言葉を失っていたアンジェが喋ったのだ。
ステラが驚かないはずもなかった。
◇◇◇
それからというものの、アンジェは普通に喋るようになった。
彼女自身、自由に言葉を発せるようになったのが嬉しかったのか、事あるごとに、
『ステラ。ステラ。ステラっ。ステラっ!』
と名前を呼んでくる。
ちなみに意味はない、ただ呼んでいるだけだ。
けれどステラも呼ばれるのが嬉しくて、そのたびに『アンジェ』と呼んで頭を撫でた。
本当に天使のようなかわいさだった。
喋られるようになった理由は不明。
ピューパで検査をしても、やはりわからない。
だがアンジェが喋れるようになったその奇跡は、他のホムンクルスたちにも少なからず影響を与え――以前に増して、ステラは尊敬の眼差しを向けられるようになった。
『アタシ……マジでステラには感謝してっから。全力で薬抜いて、恩返しするからさぁ、覚悟しといてネ?☆』
ホムンクルスたちは、くすぐったいほど真っ直ぐな言葉をステラに向けてくれて、
『俺に熱い心を取り戻してくれたのはステラだ。だからステラみたいに、沢山の人を助けられる人間になってやる!』
『ステラ。私、みんなと、カリンガと一緒にいられて、幸せ。必ず恩返しする』
本当は自分の力じゃなくて、アルカナのおかげなんだけどな――と思いつつも、
『あたしさ、あの屋敷でカームと二人で死ねるならそれでいいと思ってた。でもやっぱ、生きてたほうがずっとハッピーだよね』
『当たり前だよディジー。私たちはずっと一緒。そして私たちの溢れるぐらいのハッピーを、ステラにおそすわけするの!』
そう言ってもらえて嬉しくないはずもなく、
『私とエリオ、一緒に生まれてこなければいいと思ってた。エリオだけ生まれていればって』
『でも今は、エリニと双子でよかったと思えるから。私たちをまともにしてくれて、ありがとう』
ステラは人生で二番目に幸せな日々を過ごしていた。
『ステラ。ステラ。大好きだよぉ、ステラ』
それはひょっとすると、このまま続けば“一番”を更新してしまうかもしれないほどの満たされた日々で。
『私を救ってくれたステラ』
碌でもない人生で、ここはどうしようもない世界だと思っていたけど、
『私に心をくれたステラさま』
ちゃんと取り戻せるようにできていて、捨てたもんじゃないな、なんて――
『私に声を取り戻してくださったステラ様』
――そんなふうに、感じられるようになったのに。
『次は誰を殺せばいいですか?』
どうして。
どうして、気づいたときにはもう、手遅れになっていたんだろう。
『次はアタシが殺す番だろ?』
『まだヘンリーはぶっ殺さねえのかよ』
『それよりドゥーガンが先』
『ダメだよアオイ、ドゥーガンはたっぷり苦しめて殺さないと。まだ早いよ。ね、ディジー』
『うん……あたしもそう思う』
思えば、ステラには少し前から意識が途切れることがあった。
アルカナ使いになったことによる弊害だと思っていた。
けれど後から確認してみると、確かにその間も、ステラは動き続けているのだ。
(私、もしかして……『世界』に乗っ取られようとしてる……?)
そう気づいたときにはもう遅かった。
ホムンクルスたちは、すでに後戻りができないほど“駒”になっていて、ヘンリーは支配下に置かれていたのだ。
もはや、ステラは恐怖に震えることしかできなかった。
日に日に乗っ取られる時間は増えていく。
あれほど懐いていたアンジェは、ステラの人格が表に出ている間は、露骨に軽蔑したような視線を向けるようになった。
他のホムンクルスたちも、それがステラだと知ると失望した。
ユーリィも、ヘンリーも、誰も彼もが。
もはや期待されているのはステラではなく『世界』だった。
そういう世界になっていた。
怖くて、怖くて、一人の時間を使って必死にリュノとの思い出をノートに書き続けた。
知らないうちに、三日が経っていた。
知らないうちに、日記の文章が微妙に変わっていた。
知らないうちに、目の前に死体が転がっていた。
知らないうちに、ホムンクルスが化物になっていた。
知らないうちに、思い出が少しだけ形を変えて世間に広まっていた。
知らないうちに、思い出が世界を冒す毒になっていた。
知らないうちに、ホムンクルスが何人も死んでいた。
知らないうちに、何もかもが壊れていった。
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