148 vs女帝Ⅰ『冒涜的に愛し合う』
キューシーの体は両断された。
地面に落ちた上半身、その切断面はメアリーの傷口のようにうごめく。
その肉体が天使化しているのなら、すぐに再生するはずだ。
メアリーは鎌を振り上げ次の斬撃を放とうとした。
するとキューシーが口を開く。
「痛い」
一瞬、メアリーの動きが止まった。
「痛いよぉ、メアリー……」
こちらに手を伸ばしながらそう訴えるキューシー。
フラッシュバックする思い出。
こみ上げる罪悪感と嫌悪感。
メアリーは歯を食いしばり、構えた鎌を振り下ろす。
その射線上に――巨大な狼が割り込んだ。
「邪魔をしないでッ!」
もろとも斬り落とす――そう意気込んで放った斬撃は、しかしキューシーまで届かなかった。
(硬い……以前までの獣とは違う!)
明らかな魔力の向上。
真っ二つになった獣の間にわずかに見えたキューシーに向かってアナライズを発動。
魔術評価が数値化して視界に映し出される。
(キューシーさんの魔術評価が五十万を超えている……『
今までの天使は到達しても十万程度。
しかも、それは時間をかけて準備したヘンリーだからこそ到達できた境地。
キューシーの場合は他にカラクリがあるのではないか――すぐにでもそれを探りたいメアリー。
「待ってくれるなんて優しいね、メアリーは」
だが相手がそれを許してくれない。
キューシーの傷口から肉が触手のように伸び、結び、上半身と下半身を繋ぐ。
そして彼女が手を天にかざすと、王都中の瓦礫や死体が一斉に姿を変えた。
広げた翼が十メートルを超える巨大な猛禽類が空を覆う。
鋭い牙と爪を兼ね備えた、見上げるほど大きな狼がメアリーを囲む。
そして無数の死体たちは、一メートルサイズの昆虫となって、キチキチと不快な鳴き声をあげながら飛びかかった。
「私はキューシーさんが有利な場所にまんまと飛び込んだ――ということでしょうか」
ここには
そしてメアリーがこの街を残していた以上、最後に戻ってくるだろうことも予測できただろう。
これはキューシーとメアリーの戦いというよりは、もはや王都とメアリーの戦いと呼んだほうが相応しい。
鎌を払う。
虫たちは生じた風圧で消し飛ぶ。
時間差で遅い来る狼に向けて、メアリーは鎌を投擲。
刃は高速回転しながら弧を描き、斬撃と生じる風で無数の敵を切り刻んでいく。
さらに頭上からは、巨鳥が鋭いくちばしでこちらを狙っていた。
メアリーの両腕が弾け、中から異形の腕が現れる。
彼女はその拳でくちばしを叩き潰した。
続けて二体目、三体目と拳で迎撃するメアリー。
同時に地上より迫る狼や虫たちは、背中の腕で迎撃する。
しかし数の有利は相手側にあった。
するとメアリーは軽く腰を落とし、高く空に飛び上がる。
そして右腕をさらに巨大化させる。
鋭い爪が、陽の光を反射し輝く――
「
大きな揺れと地鳴りが王都を襲った。
王都の北城壁から南城壁までを縦断する、深い深い爪痕が数本刻まれる。
巻き込まれた、あるいは近くにいた獣たちは跡形もなく消滅する。
メアリーが着地すると、頭上からパラパラと獣の成れの果て――粉塵が落ちてきた。
どうやらキューシーはどこかに逃げたようで、爪撃には巻き込まれてはいないようだ。
しかし警戒しているのか、残る下僕たちはメアリーに襲いかかってこない。
(『
オックスが使っていた時も、それがネックとなっていた。
一時的とはいえ魔術評価をおよそ三倍にまで引き上げるのはかなり優秀だが、慣れるまで使い所には悩みそうだ。
少なくとも、今のように戦況が滞っている状況下では
(内側に隠れられるような建物はほぼ破壊されました。隠れられるとすれば瓦礫の影。今の私なら、王都程度の広さなら全体を同時に監視することも可能です)
地面に骨で作られた根を張り巡らせ、その先端に死体より拝借した眼球を生やす。
現在位置から見えない全ての影を視界に入れると、現在位置からそう離れていない場所に、しゃがむキューシーの姿が見えた。
そちらに手のひらを向ける。
『
瞬間、“何か”が飛んできていることを察したキューシーは物陰から飛び出した。
追撃をかけようとするメアリーだが、そこで自らの体の異変に気づく。
(動きが鈍い、何かに阻害されているような……)
その直後――
「げほっ、ごほっ……う、ぷっ……」
メアリーは大量の血を吐き出した。
「こ、これは……『女帝』の攻撃……!?」
そこで彼女は、あたりを覆う砂埃――時間が経てば地面に落ちるはずだが、それがいつまでも一定位置に漂っていることにも気づいた。
「消し飛ばした獣の残骸。目に見えないほど微小な粒子――」
キューシーはメアリーに歩み寄りながら言った。
同時に、獣や虫たちもジリジリと距離を詰める。
「始末した獣の粒子を虫に変えて……ごふっ……私の、体を……ッ!」
「そう、内側から破壊しましたわ」
姿を現したキューシーは得意げに語る。
「虫たちはメアリーの血管に乗って全身をめぐり、脳や心臓、筋肉に至るまでを破壊しつくすの」
「再生は排除じゃない……傷が癒えても、虫は残る……ぐうぅぅ……ッ!」
苦しさというよりは、血の気が引くような“気持ち悪さ”。
ぞわぞわとした、強烈なくすぐったささが
「裏切り者のわたくしの前で躊躇なんて見せるからこうなるのよ」
キューシーはそう言って、手を前にかざした。
獣たちが殺到する。
メアリーは歯を食いしばり、地面に手をついた。
「私の肉体が動かないのなら、こちらも
まるで埋まった死体が動き出すように、地面が何箇所かぼこっと盛り上がる。
そこから白い骨の腕が突き出し、巨人どもが這い出してきた。
彼らは主たるメアリーに襲いかかろうとする獣や虫を踏みつけ、殴り潰す。
その間に彼女はキューシーから距離を取ろうと後退した。
「逃しませんわ!」
すると今度はキューシー自身がメアリーに飛びかかろうと動き出す。
元から肉体の変質も可能だったが、今の彼女は人ではなく天使だ。
それゆえに無茶がきく。
両脚を赤い筋肉むき出しの姿に変えて地面を蹴ると、二人の距離は一瞬で近づいた。
キューシーはさらに腕も変化させ、鋭い獣の爪でメアリーの体を刺し貫く。
「あ、ぐっ……!」
「お命いただきますわ」
背中から胸部まで貫通した爪。
キューシーはその手を握り、心臓を引きずり出した。
「メアリー……愛してるわよ」
その血まみれの臓器にキスをすると、ぶちゅりと握りつぶす。
生命の源たる心臓を奪われたメアリーは――静かに振り返ると、口を開いた。
「残念ですが……今の私、
本当に、心底残念そうにそう言うと、手刀をキューシーの胸に突き刺した。
そこには彼女の心臓がある。
握りつぶす。
ぐちゃりとした感触を手のひらに感じる。
「なら、わたくしとおそろいね」
キューシーもまた、悲しげにそう言った。
そして自らの手でメアリーの腹部を突き刺す。
二人は見つめ合いながら、その手で互いの体内のぬくもりを味わっていた。
「こうして貴女の中に入るのは二度目ね」
「ええ、キューシーさんの体内を感じるのは二度目です」
「包み込まれるような温もりと愛を感じますわ」
「大切な人の一部が自分の中にある感覚って……ああ、たとえ痛みだとしても、こんなに幸せなんですね」
メアリーはキューシーの肺を撫でながら。
キューシーはメアリーの大腸を愛でながら。
もう殺し合うしか無い二人だからこそ、そんなふれあいにすら幸せを感じるのだ。
「わたくし……とても怖いわ。今のわたくしは、限りなく以前の自分に近い人格なのに、けど、こんな交わりを受け入れている時点でわたくしじゃない」
「キューシーさんはキューシーさんですよ」
「違うわ。だって……あはっ、ははっ……あー……うん、だって――たまに気まぐれにノイズが走って、思い出させるの……の、の……の? ふふっ、ああ、そうノイズが。こうして、きっとそれはわたくしが『世界』に支配されている証明なんだわ」
メアリーの目の前で、キューシーの表情がコロコロと変わる。
それは百面相なんて可愛いものではなく、人格の消失と再生を繰り返したり、別の人格に入れ替わったり、今の自分を微妙に書き換えられたりするものだ。
いわば、よりメアリーを苦しめたい『世界』の戯れである。
「でも、わたくしって、いつからわたくしだったのかしら。わたくしはお父様を殺した。わたくしはアミやカラリアも殺した。だったら、メアリーを愛したわたくしも、もしかしたら――」
「変わりませんよ。どんな貴女でも、私はキューシーさんのことが好きですから」
「メアリー……」
「愛しています。あなたにはじめてを捧げたことは、私の永遠の誇りです」
「メアリー……メアリーいぃぃぃ……っ!」
キューシーは感極まって、メアリーの腸を握り、ずるぅっと引きずり出した。
「嬉しいわ、嬉しいのよ心から! でもわたくしっ、今はこんな風にしか喜べないのよぉッ!」
さらにもう一方の手を胸に突き出すと、その肉を引きちぎって口に運んだ。
「おいちいぃ……好きな人のお肉っ、おいしいよぉお……」
「キューシーさん……キューシーさあぁあんっ!」
メアリーは感極まって、キューシーの頭を握りつぶす。
脳が弾ける。
顔のうち、顎から下だけが残る。
だがキューシーの活動は止まらない。
その手が伸びて、今度は腕を引きちぎる。
「えあいいぃぃぃいい……っ!」
再生途中の口が、不気味な声を響かせた。
「キューシーさんっ、愛してます! 私も、あなたのことをぉっ!」
メアリーも負けじと腕をちぎった。
もう二人は止まらなかった。
刺して、斬って、食らって、千切って、潰して。
折って、ねじって、砕いて、開いて、浴びて。
“好き”の気持ちが止まらない。
“好き”の嘆きが終わらない。
どうせもう愛し合えないのだから、殺し合うしかないのだから、だったら殺戮の中で愛を探そうと、互いの体の奥へ奥へと目指し突き進む。
限りなく恋人同士の交わりに近く、しかし限りなく遠いその行為を、周囲の巨人と獣の闘争が彩る。
永遠に続く悪夢のように思えた。
事実、二人の
メアリーが何もしなければ、何日でもその
だが彼女には『吊られた男』のアルカナがあった。
傷つけば傷つくほど消耗するキューシーと異なり、傷つくほどに向上していく魔力。
戦いが進むほどに残酷な実力差が生じ、明らかにキューシーの欠損部位が増えていく。
それを補うべく、無数の小さく細い腕が彼女の体を抱きしめ、治癒能力を発動させる。
だがそんなものは時間稼ぎに過ぎない。
“終わり”が見えてくる。
(ううん――これでいいんです。そう、終わらせるために私は戦っているんですから)
名残惜しいなどと思ってはいけない。
わかってはいたのだ、いざその時が来れば名残惜しくなるだろう、と。
たとえ殺し合いでもいいから、そこに愛があるのなら永遠に続けたくなるだろう、と。
しかしそれは許されないことだ。
もし死後の世界が存在するのなら、この世に留め続けることは、キューシーに不幸を押し付けるも同じ。
「うがあぁぁぁあああああッ!」
キューシーの頭部は欠け、両腕は千切れ、脚も片方しか残っていない。
体は穴だらけで、異様な形をした心臓が体内で脈打っているのが見える。
そんな状態でケダモノのように叫びながら、頬まで裂けた口でメアリーに食らいつこうとする。
メアリーはそんな彼女に差し出すように腕を前に突き出した。
尖った歯が肉を貫き骨を削る。
「こんな弔いしかできなくて、ごめんなさい」
メアリーはそのまま、
反動で腕そのものが吹き飛ぶほどの威力だ。
それをゼロ距離で受ければ、人体が原型など留めるはずもない。
ドォンッ! とキューシーの体が内側から爆ぜ、周囲の瓦礫も衝撃で吹き飛ぶ。
彼女の
ここまで徹底して消滅すると、『
最後まで一緒に戦いたい。
そんなささやかすぎる願望すら叶わない、どこまでも都合の悪い現実に、メアリーは目を閉じる。
まぶたが視界を閉ざしたのなら、世界は黒に染まるはずだ。
しかしその瞬間、メアリーが見たものは、光に包まれた“真っ白”な世界だった――
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