147 壊世人話Ⅱ『少女は神話に手を伸ばす』
メアリーが向かう先にあるものは、無数の人の気配。
生きて動く、人の匂い。
洞窟から出てディジーと別れた彼女は、先にあるはずの村へ歩みを進める。
気分はさながら、人の味を覚えた肉食獣だった。
――いっそ狂ってしまえたらと、何度願ったことだろう。
フランシスを失ったばかりの頃は、もっと壊れていたはずなのに。
気づけば、心は少しずつ落ち着きを取り戻していって――
たぶんアミと出会ったあたりがターニングポイントだ。
カラリアやキューシーと一緒に戦うようになって、心の寄る辺を見つけて。
血まみれの戦いの中で、少しずつメアリーは落ち着きを取り戻してしまった。
今になって思えば、それもミティスの脚本通りだったのだろう。
木の幹に姿を隠し、様子を伺う。
そこには今までと変わらずに暮らす人々の姿があった。
ひょっとすると『
そんな希望を、村人たちはすぐに打ち砕いてくれた。
――だが仮に、全ての出会いがミティスの思惑だったとすれば、不可解なことがある。
カラリアだ。
メアリーが彼女を殺そうとしたとき、フランシスが現れてそれを止めた。
正確に言えばフランシスの意志を継いだ『
いくら『星』といえど、『世界』に抗うことはできなかった?
はたまた、現状ですら数ある未来の中ではマシなほうだとでもいうのだろうか。
泣き叫ぶ男。
彼は村人たちに両手両足を掴まれて、広場まで連れてこられた。
そして命じられる。
“あの言葉”を言え、と。
男は首を振って拒絶した。
彼は気づいているのだ、その単語を発した人間がおかしくなっていることを。
傍から見れば滑稽な光景だ。
しかし知る者がみれば、なんとおぞましいことか――いわばそれは、『自ら死を選べ』と命じられたに等しいのだから。
男はどんなに脅しても、どんなに殴られても首を横に振り続けた。
村人たちは根負けし、諦めることにした。
どうあっても拒むのなら仕方がない。
殺してしまおう、と――各々が家から斧やナイフを持ってくる。
恐怖に歪む男の表情。
対する村人たちは、悪びれる様子もなく、一斉に武器を振り上げた。
――メアリーは心から思うのだ。
繰り返し、繰り返し。
こんな――
こんな狂った所業を、正気のまま行うぐらいなら。
いっそ、自分など消えてなくなったほうがよかった、と。
「
鎌を握った少女は、スカートをはためかせ影から飛び出した。
そして一瞬で村人たちと男の間に割り込むと、躊躇なく刃を滑らせる。
一撃で二人の首が落ちた。
三人は体が真っ二つになった。
さらに二人は半端に上半身と下半身が繋がっていたので、かわいそうに思い背中から伸ばした腕で握りつぶした。
「ひ、あ……!?」
男の顔が恐怖に歪む。
救われた安堵などそこに一切ない。
メアリーも彼と目を合わせることすらなかった。
静かに次の
『世界』が正体を隠さなくなった今、彼らはもはや人の形をしただけのまがい物だ。
なにせ、男があれだけの仕打ちを受けているのに、表情一つ動かさなかったのだから。
「いやぁっ、助けてぇ!」
「お母さああぁぁああんっ!」
今さら人のフリをしたって無駄だった。
メアリーは鎌を振り下ろす。
演技の末に、抵抗すらしない彼らを容赦なく斬り落としていく。
倒れた死体は、背中から伸ばした獣の頭部で捕食した。
(まどろっこしい――!)
わざわざ斬ってから喰らうという二つの手順が必要になること。
内臓の匂いがそこらに漂うこと。
視界に何の罪もない人々の死体が転がること。
すべてが鬱陶しかった。
そんな意志に呼応するように、メアリーの鎌が形を変えていく。
刃そのものが口のように開き、鋭い牙が並ぶ。
「
その鎌を一度振るえば、斬撃に巻き込まれた肉塊たちはその流れで呑み込まれていく。
捕食と殺戮を同時に行うための武器。
それが喰葬鎌。
メアリーは生まれ変わったその鎌を手に、村人たちを次々と手にかけていく。
「あれは死体。人じゃない。死体、死体、死体――!」
自分にそう言い聞かせながら、まるで人間のように断末魔をあげる彼らを取り込んでいく。
小さな村から瞬く間に人が消えていき、残るは捕らわれていた男だけになった。
彼はメアリーに尋ねる。
「な、なあ……一体、何が起きたんだ? 王国はどうなってるんだ!?」
「特定の単語を言わせるだけで、人間を操るアルカナの能力によるものです」
「言うだけでそんなになるのかよ……じゃあ、他の村も同じようになってるってことか?」
「はい、そうなります」
男は膝をついて崩れ落ちた。
メアリーは静かに彼を見下ろす。
「逃げ場所もないんだろ。だったら、俺だけ生きてても意味ねえよ」
「死にますか?」
「頼めるか、王女様」
「わかりました」
それが救いだと誰よりも知っているから。
メアリーは彼が迷う前に、優しく首を落とし、自らの糧とした。
そして誰もいなくなった村の中心に立ち尽くす。
すると、ふいに背後に気配を感じ振り返った。
そこには、家の壁にもたれるように座る、脚も腕もないディジーの姿があった。
「まだ何か用ですか」
「ここまで徹底して皆殺しなんて。ひょっとすると『世界』が死ねば支配だって解けるかもしれないのに」
「ミティスはそんなに甘くありません。お父様の口を使って世界を滅ぼすと言っていたようですから、その準備も完璧に完了しているはずです」
「世界を滅ぼすなんて、本当にできると思ってる?」
「ええ、当然です。きっと私が暴れたところで、もう止まるような状況ではないのでしょう」
それは冗談などではなく、今までの傾向からして、ミティスは『全てが終わったからこそ動き出した』可能性が高い。
彼女が世界を滅ぼすつもりなら、その準備が完全に済んでから事を始めるはずなのだから。
「だから余裕を見せて、こんな悪趣味な遊びに興じているんじゃないですか」
「……ワールド・デストラクション」
ディジーはなぜか、その単語を口にする。
確かにドゥーガンは、あの計画を世界を壊すものだと思いこんでいたが――
「十六年前の実験が何か関係あるんですか?」
「あの実験の失敗が全ての引き金なんだよね。ミティス……まあガワはステラだけど、あいつは真のワールド・デストラクションをやり直すって言ってたよ」
「真の……?」
「『世界』の力を抽出して、この世界にぶつけることで滅ぼす装置。それをピューパの本社で作ってたみたい」
「今度こそ文字通りに世界が消滅するわけですか。そしてピューパの本社ということは」
「うん、あのイカれたユーリィも計画に乗ってたんだ」
ミティスがなぜピューパの研究者と手を組んだのか疑問だったが、その装置を作るためだというのなら辻褄が合う。
「つまり、本社に行けばミティスと戦えると」
「勝てやしないよ」
「そうでしょうか」
「奇跡的に勝てたところで止まらないし」
「かもしれませんね」
「意味なんてないってわかってるのに、戦う必要なんてある?」
「あります」
メアリーははっきりと言い切った。
「それが生者である私にできる弔いです」
「あたし今、自分が『
「生き残らせたくせに、他人事のように言うんですね」
彼女は踵を返し、ディジーに背中を向ける。
そのまま村を出て、離れていった。
その後、ディジーがメアリーを追うことはなかった。
◇◇◇
――ルティスは王都南部にある小さな農村だ。
自然に囲まれた穏やかな土地だが、一方で若い人にとっては退屈なようで、人口は減少の一途をたどっている。
そのせいか税も高めで、統治する貴族も貧乏なので、あまり将来性はない。
数十年後には消えると言われている村だが、それでも住民は懸命に生きている。
人口284人。
メアリーは、そのうち280人を捕食。
現在の魔術評価25893。
到着時点で原型も留めない死体が数体見つかったため、
ラルキリアは、王都キャプティスと商業で栄えたルヴァナを結ぶ街道の途中にある町である。
元々ルティスとそう変わらぬ規模の農村だった。
しかし、魔導車を持たない商人は、ルヴァナを出発した後にラルキリアで一泊することが多く、彼ら向けの商売により町は発展。
中央通り付近には多くの宿が立ち並ぶようになった。
人口1892人。
うち1890人を捕食。
現在の魔術評価27119。
住民の一部は地下シェルターに逃げ込んでいた。
彼らはメアリーから外は無事だと聞かされたあと、自ら「殺してくれ」と懇願。
メアリーはそれを快諾し、できるだけ恐怖を感じず、痛みもないように全員をほぼ同時に殺害した。
商業街ルヴァナ。
王都オルヴィリアに近い街の中では特に人口も多い街だ。
そのせいだろうか、メアリーが到着した時点ですでに街には異臭が漂っていた。
街の中央広場では、『世界』の支配を逃れた人々が見世物のように惨殺されており、シンボルたる噴水の周辺には屍肉と血が溜まっていた。
支配を逃れた人に“例の言葉”を言わせようとせず問答無用で殺していたのは、人口の多さゆえに
人口35221人。
うち34119人を捕食。
現在の魔術評価52718。
途中から建物もろとも噛み砕くことが可能となったため、捕食効率は大幅に向上。
混乱がいち早く広まった影響か、逃れた人も多く、街の外にも大量の死体が転がっていた。
どの街の出身者かわからないため、それらの死体は捕食数にカウントしていない。
海岸沿いにある町、レイングス。
かつてメアリーたちは、ユークム海岸で豪華なホテルに宿泊したが、そこから東に位置する港町である。
美しい海でクルージングを楽しむため、ここでバカンスを楽しむ貴族も多い。
その海には現在、無数の死体が浮かんでいる。
青い海は赤黒く、潮の香りに混ざって生くさい臓物の臭いが漂っている。
レストランの水槽にはパーツとパーツを繋げて魚のような形にされた人間が沈んでいる。
そんな死臭漂う町中で、人々はごく普通の生活を送っていた。
きっと彼らにとっては
だから血まみれの鎌を握ったメアリーが現れれば、まるで化物でも見たように泣き叫ぶ。
それは『お前こそが悪だ』というミティスからのメッセージに違いない。
――何を今さら。
人口12593人。
うち12561人を捕食。
現在の魔術評価59262。
ミゼルマ教の本拠地フィーダム。
熱心な信者が多いせいか、この町は特に支配されていない人間が多かった。
千人を超える
しかし数の利は敵の側にあった。
メアリーが来なければ、あと数時間でバリケードは破壊されていただろう。
無事に救出された生存者たちは、死体すら無く、血痕だけが残された町の惨状を見て呆然と立ち尽くしていた。
すると以前、教会で会ったことのある女性が前に出て、「ありがとうございます」とメアリーに頭を下げた。
どんな罵倒よりも吐き気がした。
人口9572人。
うち8144人を捕食。
現在の魔術評価64811。
◇◇◇
ミティスはピューパ本社の社長室で、チェアに腰掛けくるくると回っていた。
「んふふふふっ、あはははははっ」
そうして、遊具にはしゃぐ子供のように笑っている。
よほど楽しいことが起きているのだろう。
彼女の瞳は天井に向けられていたが、実際に見ているものは違った。
血まみれのメアリーだ。
彼女はその手に禍々しい鎌を持ち、逃げ惑うキャプティスの住民たちを皆殺しにしている。
「すごいなあメアリーは。理性を持ったまま罪なき人々を殺すなんてそうそうできることじゃない! いくら私に勝つためだとしてもね。やっぱり才能あるよ、壊しがいがある」
ミティスの魔術評価は300万を超える。
彼女に挑もうというのなら、同等、あるいはそれ以上の力が必要だ。
普通のアルカナならそんな方法見つかりっこない。
しかしメアリーは違うのだ。
なまじ勝てる可能性があるから、実行してしまう。
「私に勝ったところで何も戻ってこないのにね。今までの
メアリーは殺して、殺して、殺し続ける。
血や涙、悲鳴や罵声を浴びながら。
心が死んだフリをしても、しっかり傷ついて。
「わかっていても、止まれない。やっぱり自分の人格の形成に最も大きな影響を与えたフランシスの死が
◇◇◇
キャプティスの人口63949人。
全てを喰らい尽くすのに要した時間、およそ一時間。
メアリーの魔術評価は十一万を突破。
なおも彼女は止まらない。
なぜなら、背中を押す者がいたから。
「なあ、あたしら、何か悪いことしたのか? 団長もみんなも、こんなになるまで不幸にならなくちゃならないのか?」
リヴェルタ解放戦線の面々は、メアリーがキャプティスに到着する頃にはほぼ全滅していた。
生存していた女性も、ジェイサムの死体の隣に横たわり、辛うじて生きているだけだった。
「いっそぶっ壊してくれよ。どうせなら『世界』じゃなくて、あんたの手がいい。そんでさ、夢でもあの世でもいいから、まともな世界に行かしてくれ……」
その他スラヴァー領の残り人口42251人を同じく一時間で
もはや彼女は生きる災害である。
しかし、誰もメアリーを責めることはできまい。
訪れる村や街は、どいつもこいつも色とりどりの地獄を彼女に見せてくれたから。
共食いの村。
首吊りの街。
花壇に笑顔が並ぶ町。
色鮮やかな血しぶきが咲いて、しかし凄惨なだけならまだマシだ。
サバトを見た。
欲望の権化と化した人がこうも醜いのかと見せつけられた。
もう何も見たくないと思った。
見る前に潰してしまうべきなのだと。
この期に及んで、『助けられる命があるかもしれない』などと普通の人間ぶる必要もないのだと。
どうせこの世界は滅びる。
滅びる前に死ぬか、滅びる前に復讐を果たすか、その違いでしかない。
だから区別をやめた。
全てを喰らうことにした。
メアリーの魔力は膨張を続ける。
腕を振るえば人が消え、鎌を振るえば村が消える。
手をかざせば地中より現れた顎が街を呑み込む。
骨の獣を操れば、町全体を踏み潰すことも可能なほどだ。
なおもメアリーは止まらず。
ヘリアス王国、およびガナディア帝国へも侵攻。
同じく『世界』による支配の影響下にあった人々を食い荒らす。
メアリーの暴食は夜が明けるまで、半日以上続いた。
その間に彼女が食らった
魔術評価の上昇は、食らった死体の数が増えるほど緩やかになったが、それでも四十万を突破した。
◇◇◇
天に上った陽が王都を照らす。
昨日の騒がしさはすっかり鳴りを潜め、変わらぬ日常を謳歌していた。
しかし、メアリーが大通りを堂々と歩いても誰も反応しないのは、逆に異様だ。
まるで世界から取り残されたような感覚を覚える。
決戦の地であるピューパ本社は、王都の外にある。
その前にここに立ち寄ったのは、最後に故郷を惜しみ、そして“餌”を喰らうためだった。
そう、それだけのつもりだったのだが――雑踏の向こうに見慣れた姿を見つけて、足を止める。
人のフリをした人形たちが歩く中、メアリーと彼女だけが浮いて見えたのは、おそらく二人が、もはや人のフリすら辞めた化物同士だからだろう。
「キューシーさん、最初はあなたなんですね」
メアリーは目を細め、悲しげにそう言った。
「……ぅ、あ、あー」
キューシーは口を半開きにして、意味のない声を垂れ流す。
彼女の体は小刻みに、不規則に痙攣していた。
かつてのような知性を感じさせぬその表情に、悲しみを覚える。
そして同時に、メアリーは自分の都合のよさを自嘲した。
そんな個人的な悲しみや怒りで、百万もの命を食らってきた自分の心が揺らいでいるなんて、と。
「私、『世界』とあなたたちを殺すために、たくさん強くなりました。だから――受け取ってください」
ここにキューシーがいることがメアリーに対する嫌がらせだというのなら、ミティスはキューシーを冒涜するに違いない。
心を、体を、ぐちゃぐちゃに醜く見せようとするだろう。
だからこその先手必勝。
秘神武装により『
手のひらから引き抜かれる柄を握ると同時に、魔術評価は『吊られた男』の能力が十分に発揮していない状態でも、百五十万まで跳ね上がる。
柄の形状が変化する。
刃が生まれ、三日月のような曲線を描く。
それは骨で作られているにもかかわらず、限界まで凝縮されたことで、金剛石のように輝いていた。
柄も同様に強度を高める。
サイズこそこれまでの鎌と同じだが、そこに使用された死体の数は比べ物にならない。
「――
握った鎌で、メアリーは空間を薙いだ。
フォンッ、と斬撃が風を切る。
瞬間、王都全体の空気が流れた。
優しいそよ風が頬を撫でる。
少し遅れて、ズズズと大地を鳴らす音がした。
建物が滑り
一つや二つではない。
王都のほぼ全ての建物が軽く振った鎌に引き裂かれたのだ。
無論、建物だけではない。
そこに暮らす人もどきも、そして当然、目の前に立つキューシーも――
「うー……う、あぁー……あ――あ」
ずるりとずれて、べちゃりと落ちる。
九万人を超える全ての命が、瞬間的に刈り取られる。
「ひどいわ、メアリー」
“人格を模した何か”が起動する。
それが、『
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