130 君を裁ける地獄は何処に
「それを止めろおぉおおっ!」
間違いない。
あの杯は、カラリアの体から血を
しかも、かなりのスピードで。
即座に発砲しながら距離を詰めるカラリア。
「やだよぉ、もっとカラリアが苦しむとこ見たいもーん!」
ディジーはそんな彼女に背を向けると、今度は全力で逃走を始めた。
(いつだ、いつやられた! 触れる必要すらなく発動できるのか? あんなものが!?)
無条件で発動できるのか。
いや、あるいは距離かもしれない。
しかしそれにしたって、能力が凶悪すぎやしないか。
ディジーの性格がここまで悪くなければ、秘密裏にカラリアを殺すことだってできる力だ。
(いや――私はすでに、ディジーに攻撃を受けている)
今回ではない。
前回の戦いで――カラリアはディジーに、手痛い一撃を食らったはずだ。
「思い出したって顔してる。そうだよ、
どうやら、やはりキャプティスで食らったあの刃が原因のようだ。
全力で逃げるディジー。
最初こそ、少しずつ距離を詰めていたカラリアだが、次第に動きが鈍っていく。
(クソッ、血が……まだ死に至るほどではないが、体温が落ちている。体が重い!)
青ざめてていくカラリアの顔色。
それを見てディジーは勝利を確信したか、転移を繰り返しながらも、わざわざ彼女のほうを向いて解説をはじめた。
「あたしには五つの能力がある。対象を建造物内に閉じ込める
「お前にそんなことを話す余裕などぉッ!」
「あっはははははは! 焦ってる焦ってるぅ! ほらほら急げ急げぇっ、じゃなきゃお前の血液ぜーんぶ引っこ抜いちゃうぞぉ!」
ディジーは実に楽しそうだ。
だが事実として、このままではカラリアが追いつくことはできない。
(あの能力、ディジーは私のことをいつでも殺せたということか? 本当にそうなのか? わざわざ、私の目の前で発動させたということは――対象の視認が必要、あるいは射程範囲があるとしたら――)
同じことを続けても、距離は縮まらない。
確かに、予測が外れていれば勝利は遠のくが――その一か八かにカラリアは賭けた。
彼女はディジーに背中を向け、逆方向へと走りだす。
「あれ、逃げるの? なるほど、範囲から出たら助かると思ったのかなぁ?」
「現に止まっているようだが」
カラリアは足を止める。
ディジーは手にした杯が空になっていることに気づくと、「ありゃりゃ」とふざけた調子で言った。
「
「そちらから近づけばいいだろう」
カラリアは両手の銃を強く握りしめ、ディジーを睨みつけた。
「怖いなぁ」
「ああ、怖いだろうな。お前の中には今、『動きが読まれているのではないか』という不安があるはずだ。下手に近づけば、今度こそ死ぬだろう」
「強気だね、何かあった?」
「勝てる自信があるだけだ。一度目はともかく、二度目だからな」
「あたしの動きを読んだとでも?」
「読んださ。お前は素人で、私は傭兵だ。加えて、お前がオックスを救出したとき――私が付けた傷もまだ治っていないな? 無意識だろうが、右腕を気にするような動きをしている。些細なことだろうが、心の余裕が消えるとな、人間というのは動きがパターン化されるものだ」
「あっはは、プロの実力ってやつぅ? だったら――試してみなよっ!」
ディジーは自ら、杯の射程圏内に足を踏み入れた。
金の器から血が流れ落ちる。
そこを狙って銃弾が放たれた。
転移により回避。
先ほどのように、まるで未来予知したような発砲はなし。
やっぱり偶然じゃないか――ディジーはほくそ笑む。
少し遅れて放たれた銃弾は、体をひねって受け流す。
そして次は転移で――
「ぐああぁぁあっ!」
魔力の弾が、再び右肩を撃ち抜いた。
肉はほぼ削れ、だらんと腕に力が入らなくなる。
「かっこ悪いな、ディジー」
「は……あ、ぐ……」
「偶然と言いたいのか? 生憎だな、次も当てる」
「そうはいくもんかぁっ!」
ディジーは武器を持ち替えた。
杯による失血死を諦めたか。
攻撃に転じ、カラリアによる”先読み”を封じる意図であった。
しかし彼女は鼻で笑う。
「だからお前は素人なんだ」
攻撃直後の隙を狙えば、ディジーは転移を使用する以外の回避方法がない。
そして、攻撃により回避行動に向ける意識が散漫になる。
結果、さらに転移先を読むのが容易となる――
「づっ、あ、ああぁぁああああああっ!」
ディジーの腕が舞った。
三度目の、同じ部位への銃撃に肉体は耐えきれず、千切れ飛んだのだ。
「は……は……あ……う……っ。えへっ、へへへっ……」
大量の血が流れ、今度は彼女の顔が青ざめる番だ。
額に浮かび上がる冷や汗。
痛みに震える体。
それでもなお、ディジーは笑う。
そしてカラリアは淡々と銃を向け続ける。
「足を止めるな、狙いやすくなるぞ?」
「ぐうぅぅうっ!」
今度は、回避すら間に合わず足を撃ち抜かれる有様。
次の発砲は転移でやり過ごしたが、やはり転移先を狙われ、もう一方の足も使えなくなる。
ディジーは崩れ落ち、地面に横たわり体を痙攣させた。
「へへへ……ひひっ……さすがに、すごいや……ははっ、さすがカラリア……有言、実行だねぇ……」
カラリアは彼女に歩み寄りながら、刀を抜いた。
せっかく殺すのだから、自分の手で、その感触を味わいたいと思った。
一方でディジーは、まだ無事な左手を動かすと、そこに杯を握った。
「ねえカラリアぁ、同じホムンクルスのよしみじゃないかぁ。今から、あたしのこと、許してくんないかなぁ……」
傾いた杯から流れ落ちるのは、血ではない。
透明の――液体のように見えるが、地面を濡らさずにどこかへ消える、実態のない”なにか”だ。
カラリアは冷静に、その腕に刃を突き刺した。
「あぐぅっ!」
「私から何を奪おうとした?」
「へへっ、あたしへの
刀を握った手をひねる。
グチュッ、と血が飛び散り、手の甲を貫く傷が広がった。
「感情まで奪えるとはな」
「実はさっき気づいたんだ。いや、見つけたって言うべきかな。掴んだら引っこ抜けたの。意外とやれるもんだねぇ……」
「最後まで小賢しいやつだ」
「ああ……でも……はは、そっかぁ、負けるのかぁ」
「その腕の有様でよく勝てると思ったな」
「参考までに……何で転移先がわかるのか、聞いていいい?」
「転移直前に、わずかだが視線がそちらに動く」
「最初は目なんて見えてなかったハズだけどなァ」
「視線の動きぐらい仮面越しでもわかるだろう。観察さえできれば予測は簡単だ」
「あははははっ……知らなかったぁ。うわ、恥ずかしいなあ、それ……」
もうディジーに抵抗する気力は残っていなかった。
ぐったりと、体から力を抜いて、ただ笑うだけ。
カラリアが刀を引き抜くと、ディジーはわずかに「あうっ」とあえぐ。
「にしても、『
「この期に及んで上司の自慢か?」
「だって、あたし……ここで、死んでこいって言われたんだよ? 勝つの、余裕だと思ったのに。カラリアに負けて、死ぬとか、あたしは想像も、してなかったのに……」
「哀れだな、その程度の駒に過ぎなかったということだろう」
「別に、それは、わかってたよ。あたしは道化さ……半端に自我を残されて、そのくせ、悲しむことすらできない哀れな哀れな道化なんだよ」
「自我がある……か。いちいち被害者面が癪に障るな」
「いいじゃん。だってカラリアは、ユスティアが死んだとき――悲しかったでしょ? おぶっ……!」
あまりにデリカシーのない問いに、カラリアはディジーの顔を踏みつけた。
「当たり前だ。大切な人が死んだんだぞ!?」
どすのきいた声で言うと、ディジーは口元に下卑た笑みを浮かべる。
「そう、死んだ。死んだのに、あたしは……笑ってた。『
彼女の瞳がうつろになっていく。
そして人生最大の後悔を語る。
しかしそれを後悔することすら許されず、やはり口には笑みを貼り付けて。
「大切な人が死んで悲しいはずなのに、笑ってんの。心の底から、幸せがこみ上げてくるの。おかしいじゃん? 泣いて、泣いて……いや、ほんとは止めてさぁ、そこから逃げ出すべきなのに、何で幸せになってんの? カームもカームで、『世界』に命を捧げられて嬉しいなんてこと言ってるしさあ! そんな……そんなくだらないことに命を使うために……あの地獄を二人で生き延びたわけじゃないのに……こんなみじめな存在、他にないよ。死んだほうが何倍もマシだ」
「それで死にたがっているから、負けても怯えないのか」
「違う。死にたいからこそ、死んじゃいけないんだ。だから、あたしは道化になった。みじめな存在にふさわしい、クズでゲスでどうしようもない道化になりきれば、きっと罰を受けられると思ったから。全部めちゃくちゃにして、地獄に堕ちて苦しむの。ふふっ、えへへへっ」
「地獄で大切な人が待っているとでも?」
「違うよ、違う。あの子は天国にいる! カームを勝手に地獄に堕とすなあぁ!」
まだそんな力が残っていたのか――カラリアが驚くほどの生命力で、ディジーは声を荒らげた。
「悲嘆は、罰だ! 涙は、立ち直るために必要なんだ! あたしはそれをしなかった! 笑った! 幸せになった! 最大の罪を犯したあぁ! 何も精算できないあたしは、地獄に堕ちるしかないじゃあないかッ! 再会なんて許されるものか! そう、悪人になって死ねば、あたしはカームと違って地獄に堕ちる。あの世でも許されずに責め苦を受けることができる!」
彼女にとって死は救いなどではない。
生も死も等しく無価値なだけだ。
だから、殺されようとしても、一片の恐怖すら感じることはなかったのだ。
「生きていても地獄、死んでも地獄! それがあの子の死を笑ったあたしに相応しい罰なんだよ! 救いようのないあたしを最高の苦痛で罰してくれないと! あの世で再会だなんて甘いことは考えてない! 考えたくもないッ! 天国で幸せになるのは、カームだけで十分だあぁぁっ!」
心の底から、大切な人を失ったことを悔やんでいるのだろう。
あまりに多くのものを『世界』に奪われたのだろう。
ああ、なんて悲しいのだろう。
なんてどうしようもない結末なのだろう。
だが――それはそれとして。
ディジーは悪事を働いた。
ユスティアは彼女に殺された。
だから、カラリアは復讐する。
それは変わらない。
「そうか。ならば安心して地獄に堕ちて、もがき苦しめ。ユスティアを殺した罪を後悔しながらな」
彼女は手にした刀を高く掲げると――その刃を、ディジーに振り下ろした。
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