114 素直になれる場所
メアリーとキューシーは部屋に消えた。
残されたアミとカラリアは、思わず目をあわせる。
「連れて行かれちゃったね」
「ふ、メアリーがいるならもう大丈夫だろう」
「そうだね。私はちょっと寂しいけど」
「私じゃ不満か?」
「カラリアモダイスキダヨー」
「心がこもっていない」
「あはは、本気だよぉ」
キューシーがようやく手を取ってくれた安心感もあってか、アミの表情がほころぶ。
しかしその笑顔はすぐに曇った。
「……でもさ、ちょっと怖いよね」
「ノーテッドのことか?」
「うん。だってあれって、私たちにとってもショックなことだもん。なのに今、私、笑っちゃった。空気を明るくしようと思って、騒いだりもできちゃう。すっごく今さらかもしれないけど、色々麻痺してきてるのかなって」
「一番苦しいのはキューシーだ。嘆くよりも先に、彼女を慰めなければ、と思っただけの話だろう。そう深く考えることはない」
「だけど、悲しむことに慣れてるのは確かだよ」
最初に味わった苦しみが一番大きかったから、次の痛みが小さく感じる。
あるいは、痛みだと認識することすらない。
アミが痛みに泣き叫ぶには、もうメアリーを失う以外方法など無いのかもしれない。
「あ、でもこれって悪いことじゃないのか。みんなも慣れて、私が死ぬときに感じる悲しみが少しでも減ってくれるなら」
ぽん、と手を叩いて『ひらめいた!』とでも言いたげなアミ。
するとカラリアの手が伸びて、人差し指で強めに額をつついた。
「あいたっ」
「やめてくれ。私だって泣くときは泣くからな。私がこうなんだ、メアリーは死ぬほど悔やむだろうさ」
「そっか……うん、そうだよね。てへへ、ごめんなさーい」
アミは赤くなった額をさすりながら、照れくさそうにはにかむ。
その笑顔を前に、カラリアは彼女に見えない場所で強く拳を握りしめた。
◇◇◇
部屋に戻ったキューシーは、メアリーの手を引くと、ベッドの前までやってきた。
「メアリー、早く寝なさい」
枕を指差し、ぶっきらぼうに言い放つ。
言うまでもなく、照れ隠しである。
メアリーは素直にしたがって、先にベッドに入った。
キューシーは少し時間を置いてからゆっくりと布団に体を滑り込ませた。
しかし、二人の間には微妙に隙間があいている。
そのせいでキューシーは窮屈そうだ。
見かねたメアリーが足を絡めると、キューシーは「ひゃんっ!」と鳴いた。
「あ、あんたねぇ……」
「キューシーさんが逃げるからですよ。こっちに来てください」
優しい笑みでいざなうメアリー。
キューシーはむくれ面で、しぶしぶ距離を縮めた。
薄暗い部屋の中で、いつになく近い距離で見つめ合いながら、キューシーは口を開く。
「少し前も言ったけど、嫌なのよ、メアリーに寄りかかるの」
なぜ慰めを拒むのか、その理由を伝えるために。
「自分の心の体温が下がっていく。死体みたいに凍えている。寒い、寒い、苦しい。逃れたい――それってきっと、誰かの体温を感じていれば、楽になれるんだと思う。それはわかってるんだけど――」
そう、メアリーもそれを知っているから、慰めたいと思ったのだ。
「でも、他人で救われちゃったらさ、それって失った穴を他人で埋めてるってことになるじゃない」
対するキューシーは、痛みに価値を求める。
喪失により生じた空白は、空白だからこそ価値があるのだと。
「失ったことで生まれた傷を、失ったばかりの今、埋めたくないの。苦しみを噛み締めていたいの。だってわたくし――お父様のこと、大好きだったから」
その痛みは、愛情の反動だ。
どれだけ父が自分のことを可愛がってくれたのか、それを証明するものだ。
辛く苦しくても、誰かがその痛みを感じなければ、ノーテッドの存在はこの世から完全に消えてしまう。
人が死んだあと、その人物の存在を証明できるのは、共に過ごした他者だけなのだから。
メアリーにだってそれはわかる。
復讐もまた、その証明手段の一つだ。
しかし、だからといって一人で痛みを抱え続ければ、人の心はいつか砕ける。
「他の何かで埋めても、傷が消滅するわけじゃありません。それは所詮、違うものですから」
「……かもしれないけど。わたくしにはそう思えないだけという話よ」
「思ってくれませんか?」
「無茶言わないでよ」
「困りましたね……寄りかかれるうちに寄りかかってほしいのですが」
「まるで今じゃないと無理みたいな言い方ね」
「私……誰かを失った悲しみが、本当の意味で自分を苦しめるのは、“本当ならその人がいたはずの場面”に遭遇したときだと思うんです」
メアリーは、人それぞれ死生観が違うことを承知の上で、自分の考えを語る。
「おはよう、いただきます、いってきます、ただいま、おかえり、おやすみ――そんな当たり前のやり取りが無くなったことに気づいたとき、喪失の実感が心を握り潰すんです」
胸に手を当て、拳を握りしめる。
思い浮かぶのは愛しいフランシスの笑顔だ。
それが失われたと思うと、今にも涙がこぼれそうになる。
「それは日常の中にあるものです。そのとき、たぶん私は、キューシーさんの隣にいないと思います」
「近くにいてくれればいいじゃない」
「非日常じゃないですか、今の私たちがいる場所って。本当は交わらない道で、お互いに、近くにいないのが日常なんです」
戦いが終われば、メアリーとキューシーはそれぞれの道を進むことになるだろう。
メアリーは王女として。
キューシーはマジョラームの幹部として。
時折顔をあわせることはあっても、今のように毎日一緒にいる未来は、おそらく来ない。
「それに、たぶん私も、まだ本当の意味でお姉様を失った苦しみに直面していないんだと思います」
メアリーもまた、いずれ日常の中に回帰していく。
フランシスのいない日々に。
空虚と向き合わなければならない場所に。
そのとき、キューシーの身を案じることができるだろうか。
「だから……今のうちなんです。できるうちに、キューシーさんを支えておきたいんです。その日が来たとき、味わう苦しみが少しでも小さくなるように」
「理にかなってるように思えるけど――」
キューシーは納得した。
しかし、だからこそ生じる問題を、メアリーは無視している。
「あんまり近づきすぎると、離れるときが苦しいですわ」
メアリーが自らの胸に当てた手に、その手を重ねて。
上目遣いに、目を潤ませながらキューシーは言った。
内心、『もうとっくに手遅れじゃない』と自分で自分を笑いながら。
「それは、えっと……そのときに考えましょう」
とくんと、メアリーの胸が高鳴る。
見とれてしまうようなその表情は、自分よりもよほど女神の名にふさわしい――と彼女は思った。
「行きあたりばったりね」
言葉だけは愚痴っぽく、しかし声は優しく温かく――
「あはは……」
メアリーは誤魔化すようにそう笑って、キューシーの頭を撫でた。
キューシーは気持ちよさそうに目を細める。
そこに拒絶の意思は一切感じられない。
そして彼女はメアリーの胸に顔をうずめて、背中に腕を回した。
相手から見えないように顔を押し付け、ぬくもりに包まれながら、人知れず瞳を濡らす。
「ああ……いい匂い……何でメアリーって、こんないい匂いするのよ……」
「同じ石鹸を使ってるはずですよね」
「そういう話はしてないわ。ほんと、卑怯よ。温かくて……甘くて……落ち着いて……一度甘えると、もう逃げ出せない……」
「食虫植物みたいな感じでしょうか」
「言い得て妙だわ。まさにそうね」
自分で言い出したことだが、肯定されて落ち込むメアリー。
だが、そんな会話を交わしながらも、キューシーの声は震えている。
「……わたくし、今から少し泣くから」
「はい」
「何も言わないで、そのまま抱きしめていて」
キューシーがさらに顔を強く押し付ける。
メアリーはドレス越しに、染み込む涙の冷たさを感じた。
「ううぅ……お父様ぁ……お父様ああぁ……っ」
湧き上がるのは、父との思い出の数々。
失われた日々。
二度と戻れない日常。
肩を震わせ、小さく嗚咽を漏らしながら――キューシーは己の傷を、メアリーの優しさで埋めていった。
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