113 天使の軍勢について

 



 メアリーが宿に戻ると、廊下で何かを待つカラリアとアミの姿を見つけた。


 二人はメアリーを見るなり微笑み、『おかえり』と声を揃える。




「ただいまです……何をしてるんですか?」


「キューシーが心配だから」


「せめて何かできないかと思ってな」




 自嘲っぽく笑いながらカラリアが言う。


 キューシーを気遣ってか、その声は小さい。




「結局、その方法は見つからなかったんだが」


「でもやっぱり何かしたいなーと思って」


「それで、ここに立ってたんですか」




 いてもたってもいられない、というやつだろう。


 同じ痛みを知っているがゆえに、キューシーを放っておけない。


 メアリーも気持ちは同じだった。


 だからアミの隣に並んで、壁に背中を預けて廊下に立つ。


 第三者から見れば異様な光景に違いない。


 幸い、宿には他の宿泊客はいないようだが。




「フィリアスはどうだったんだ?」


「それはもう驚いていました。ただ、彼女から見れば状況は変わっていないとも言っていましたが」




 驚いたと言っても、フィリアスは割と落ち着いていた。


 驚き慣れた、と言ったところだろうか。




「こんなにピンチなのに?」


「最初からマジョラームはあてにしていなかったとでも言うのか」


「というより、仮に武器供給があってクライヴさんたちが戦闘に参加しても、戦力にはならないと考えているのかもしれません」


「そういうことか。リヴェルタ解放戦線の連中は役に立っていたがな」


「今回は相手の戦力が違いすぎます。最初からアルカナ使いだけを勘定に入れていたのでしょう」




 前回は、一体の天使に対して大勢が抗った。


 それでも多数の犠牲を出したのだ。


 次の戦いが、あれよりも大規模なものになるのなら――アルカナ使い以外の人間は、一部の例外を除いて付いてこれないだろう。




「お父様は軍の中から五百名を選抜し、直属の部隊を結成したそうです」


「また急な話だな。昨日の今日で五百人も集まるのか?」


「集めたんでしょう、強引に。隊長はヨハンナ・アングリス」


「その名前は……」


「『女教皇ハイプリーステス』のアルカナ使いだよねっ」




 メアリーたちは、ヨハンナの存在に気づいたばかりだ。


 フィリアスすら知らなかったのだ、軍の中にも知る人間はほぼいなかったはず。


 その人物を、軍の幹部としていきなり抜擢されたのだ――兵士たちとて納得しないはずだ。




「はい、彼女をトップとした王都防衛のための部隊が結成されました。私たちとの戦いに備えていると考えられます」


「でも五百人ってただの兵士でしょ? キューシーに任せたら一瞬で倒せそうだけどなー」


「……それが天使ということだろう」




 異論が出ない時点で、もはやまともな人間ではない。


 身も心も、すでに自我を奪われた肉の人形たち――それが新たな部隊の正体だ。




「うえぇ……あれが五百もいるの?」


「鍛えられた兵士が天使になるわけですから、研究員たちよりも戦闘能力は上でしょう」


「血の濃度にもよるんだろう? わざわざ五百という数にしたということは、一定以上の力を持たせるのはその数が限界なんだろうな」


「その上に『女教皇』までいるのかぁ……」




 数十体の天使に囲まれるだけで精一杯だ。


 その数を同時に相手にすることなどできるはずがない。


 だが、そんな国王の異様な動きを、国民が見過ごすはずもなく――




「その部隊の結成を巡って、王都ではかなり大規模な反王政デモが起きています。というより、暴動に近いものとフィリアスさんは言っていましたが。クライヴさんたちは、その扇動を行っているんだとか」


「デモが起きることは納得するが……王都に暮らす人間は富裕層が多いはずだ。部隊結成だけでそこまで騒ぎになるのか?」


「ヨハンナ・アングリスの協力を得るためには、グリム教団からの承諾が必要です」


「出た、危ない宗教の人たち!」




 アミが軽蔑まじりの声で言った。


 極端な終末思想を広め、過激な手段で救いを求めるカルト教団――それがヨハンナの所属するグリム教団だ。




「そのためにお父様は、王国軍から兵士百名を生贄・・として捧げたと、新聞が報じているそうです」


「そんな馬鹿な!」


「みんな怒るに決まってるよぉ!」




 王とグリム教団が繋がっているというだけで一大スキャンダルだというのに。


 さらに生贄を自ら差し出すなど、ギロチンで首を落としてくださいと言っているようなものだ。




「滅ぼすつもりだからこそできる愚行か……軍は従ったのか?」


「すでに主力部隊は王都の外だそうです」


「そうか、演習の準備のために移動を……まさかそれをヘンリー自身が利用するとは」


「操られていない軍人さんたちと戦わずに済むのは幸いですが――」


「数は減ったけど、天使がいるから、実際には前より強くなってるんだね」




 もはや、軍もどこまで国王に従うか怪しいものである。


 このまま大規模訓練も行わず、逃げてもおかしくはない。


 民衆とて、誰も彼らを責めないだろう。


 見え透いた泥舟から脱出する者を叩く人間などいない。




「フィリアスは今後どう動くつもりだ?」


「王の動きが不明瞭な以上、もう少し待つと言っていました」


「同じ王城にいるんだし、ヨハンナってやつをこっそり殺せないの?」


「隊長就任が発表されたあと、身を隠したそうです」


「むー、フィリアスって王様に一番近い場所にいるのに、それもわかんないんだ」


「信用されていないということか」


「あの人のことです、国王に感づかれたら、命を守るためにすぐに逃げ出すと思います。『世界』は、自分の支配下にいない人間を信用しないのでしょう」


「寂しいやつだね」


「万能の力を持つが故に、他者を信用できなくなる……か」




 他者の心は見えない。


 信用は100%にはなりえない。


 支配するという、人智を超えた反則行為でも使わない限り。




「フィリアスさんは、国王の動きが見えるまで少し待つと言っていました」


「悠長だな」


「やってることの意味わかんないから仕方ないよ」


「私たちも、数日はここに滞在することになるでしょう」


「王都には戻らないの?」


「今の王都に滞在するのは危険すぎます」


「暴動の混乱に乗じて――とも行かないか。見つかれば民衆はメアリーを担ぎ上げるだろうからな」


「ですので侵入するのは、暗殺決行日です」


「ルートはどうするんだ」


「解放戦線の手引きで隠し通路を使います。そのまま居場所を悟られないよう、一気に城に侵入する手はずです」


「その時にヨハンナがどう動くかだな」


「二つの柱を使ってせーいきを作る能力、だっけ?」


「間違いなく王城は守られるでしょう。干渉不可能ということは、彼女を殺さなければ、お父様たちに触れることすらできない可能性が高い」


「そのせーいきの中にアルカナ使いが隠れたらどうしようもないんじゃない?」


「絶対に崩せない能力は存在しない。術者本人、あるいは“柱”とやらを狙うべきだろう」


「細かいことは実際に見なければわかりませんが、むやみに聖域自体を攻撃せずに、能力を成立させるための“条件”を崩すことを考えましょう」


「発動される前にお城に忍び込んじゃえば?」


「それが理想的ですね。うまくいけば……」


「問題は『女教皇』より『世界』のほうだからな」




 部屋の前で、小声で話し込む三人。


 フィリアスとの通信の話題が終わると、言葉数は少なくなる。


 カラリアとメアリーは立って、アミは床に座り込んで、ひたすらにキューシーの身を案じた。


 そのまま一時間以上がすぎると、見かねた店主が椅子を持ってきてくれた。




「あのぉ……よろしかったらこれ、使ってください」


「あ、すいません。ありがとうございます」




 恥じらいながら頭を下げるメアリー。


 三人は並んで椅子に座った。


 もちろんメアリーの位置は中心だ。


 カラリアは肩が触れる程度の距離で、アミはべったりと体を預けて座っている。


 そのまま二時間、三時間――と過ぎていく。


 雲に覆われた空が夕日に照らされ、紫色に変わっていく。


 風で木々が揺れる音と、遠くから聞こえる子供の声だけをBGMに、静かに時は過ぎ――夜に差し掛かろうかというとき、




「……むぅ」




 部屋の扉がわずかに開き、隙間から髪をおろしたキューシーが顔を出した。




「あ、キューシーさん!」


「あんたら何やってんのよ……」




 泣きはらした赤い目で、じとっとメアリーたちを睨むキューシー。




「すまん、うるさかったか?」


「声はあんま聞こえなかったけど、気配でわかるわよ。放っておけって言ったじゃない」




 部屋に入る前よりは、感情のこもった声で彼女は文句をこぼす。




「だから声はかけなかったの」


「そりゃそうでしょうけど……!」




 不満たらたらのキューシー。


 何が不満なのかわからないメアリーたち。


 埒が明かないと思ったキューシーは、大きなため息を挟んで言った。




「はぁ……わたくしたち、いつの間にこんな仲良しグループになってんのよ」


「割と最初からそのつもりでしたが」


「あんたのせいだわ。メアリーがそんなつもりだからこうなったのよ!」




 ビシッ、とキューシーはメアリーを指差す。


 その勢いに、メアリーは思わず軽くのけぞった。




「そもそもっ、二人だって落ち込むところじゃないの!? わたくしに構ってる場合なんかじゃないのよ!」


「落ち込むどころじゃないんだ、お前を見ているとな」


「っ……ああもうっ、面倒くさいわねえ! 要するに、わたくしは誰かに慰められないといけないわけ? そうしないと不安で眠れないってわけね! 過保護がすぎるわよそんなの!」




 おそらくキューシーが言いたいのは、『わたくしになんて構ってないで、自分の身を案じろ』ということだろう。


 だがその理屈が通用しないと痛感した彼女は、再びため息をつくと、キレ気味にメアリーを呼ぶ。




「メアリー、こっち来なさい!」


「へ?」


「へ、じゃない! こっちに来る!」


「は、はあ……きゃあっ!?」




 近づいたメアリーは強く腕を捕まれ、部屋に引きずり込まれた。




「このままメアリーは借りるから、あんたたちも休みなさい。じゃあね……ありがと」




 最後に恥ずかしそうに言うと、部屋の扉は閉じた。



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