095 運命の輪vs女帝

 



 まるで一つの巨大な生物のように振る舞う虫の群れが、大きく口を開いてアミに迫る。




「やるしかない……やるしかないんだ……っ!」




 声を震わせながら、アミは自分に言い聞かせた。


 そして彼女は大きな車輪を自分の前に生み出すと、それを高速で回転させる。




「虫なんて吹き飛んじゃえぇっ!」




 それはいわば扇風機のようなもの。


 吹き荒れる風が、虫の群れを吹き飛ばし、切り刻んでいく。


 だが同時に足元、そして頭上からも蟲は迫る。


 アミは風を吹かせながらも、足裏の車輪で後ろへ移動、キューシーと距離を取った。


 だがなおも群れはアミを追い続ける。


 風の弱い足元から虫が接近、アミはさらに後退し、そのまま木の幹を駆け上がる。


 虫たちは少女を追わず、木に食らいついた。


 一匹一匹の力は弱くとも、数千匹が群がれば――またたく間に幹は削り取られ、傾きはじめる。


 アミは折れる前に宙に飛んだ。


 だが待ってましたと言わんばかりに、羽虫どもが殺到する。




「そこよっ、仕留めなさい!」


「そうはいくもんかあぁぁっ!」




 両足から複数の車輪がせり出し、高速回転を始める。


 脚部から放たれる風、そして空間を歪める“力場”が、アミに迫る虫たちを粉々に砕いた。


 そして柔らかな腐葉土の上に着地。


 わずかに足を取られそうになると、間髪をいれずに地を這う虫が取り囲む。




(キューシー相手なら、パワーで攻めれば勝てる。けど傷つけたくない! 攻撃せずに、この大量の虫を突破するには――)




 キューシーは嫌がっていた虫を、ためらわずに使っている。


 それだけアミに向ける憎しみが強いということか。


 結果として、彼女は空間そのものを制圧する能力を得た。


 霧のように視界を遮るのは、一定間隔で配置された虫の軍隊。


 アミに襲いかかったのはそのうち半分ほどで、残りは彼女が公園に向かうのを阻止するように展開されている。


 抜けるには、かなりの負傷を覚悟する必要がある。


 車輪を纏うことで強引に突破することもできないが――何より怖いのは、体内に侵入されることだ。


 あのサイズなら、内側から体を食い破ることも可能だろう。


 そうなれば、治癒能力のないアミが長時間活動することは難しい。


 万が一、今の体のおかげで、内臓を食い破られたまま活動できたとしても、その先にはカラリアとメアリーが待っている。


 結局、このキューシーとの対峙を無傷で乗り越えることこそが、最低限満たすべき条件なのだ。




「あの風、あの機動性……鬱陶しいわね。けど問題ないわ、ここには“素材”なんていくらでもあるもの」




 キューシーが地面を踏みしめるたびに、触れた土が虫へと変わっていく。


 アミがどれだけ吹き飛ばしたところで、まだまだキューシーには魔力の余裕があるようだった。




「そっちが数で来るなら、こっちだって数の暴力で!」




 アミは体内から生み出した車輪を合計八個、指の間に挟んで掴む。


 そしてそれをキューシーめがけて投擲した。


 車輪はまっすぐは飛ばずに、回転し、浮き上がって曲線を描きながらターゲットに接近。


 そしてその周辺でさらに回転速度を増し、竜巻を巻き起こした。




「あいつめ、小癪なことをしてくれるじゃない……!」




 巻き起こる風にバランスを崩しかけ、両足に力を込めるキューシー。


 ゆらぐ体、生じる隙――




(今なら突破できるっ!)




 “道”を見出したアミは、急加速して虫の包囲網を強引に突破しようとした。


 すると、前方から猛スピードで光が迫る。




「っ――カラリアの銃撃!?」




 視界が悪いこの森の中で、遠距離からの狙撃。


 アミは不意を突かれた形で、とっさに横に飛んで回避する。


 地面に手を付く。


 そこにはキューシーの放った虫の姿があった。


 地面に触れた手のひらから車輪を生成、高速回転、ゴオォッ! と風を巻き上げ体ごと持ち上げる。


 そして空中から車輪投擲、渦巻く風で地面と空中の虫たちを薙ぎ払った。


 そのまま空中の木の枝に足を引っ掛けると、脚の力だけで木から木へと飛び移り、まずはキューシーから距離を取ろうと試みる。




「行ける、木登りは得意だもんっ」




 背後をカラリアの弾丸が掠めた。


 どこから狙っているのか、アミからは見当もつかない。




「まるで猿ね」


「むぅ、普段もそう思われてるのかなぁ」




 冷たいキューシーの言葉に内心で傷つきながら、三本目の木へと飛び移ろうとしたとき――前方で動物の瞳が光る。


 口が大きく開き、鋭い牙がアミに襲いかかる。




「動物――ううん、木だ! キューシーの能力っ!」




 いつの間に触れていたというのか、その樹木はキューシーの『女帝エンプレス』の能力を受け、大きな口を開いたワニに変わっていた。


 もっとも、彼女は木の幹にわざわざ触れたわけではない。


 ただ、足元にある木の根に魔力を注いでいただけだ。


 アミは迫りくる鋭利な歯を前に、逃げようとはしなかった。


 背中からにゅるっと二本の車輪が生まれる。


 それは彼女の両方の肩甲骨の前に浮かび、例のごとく回転――そこから生まれるエネルギーで、アミの体を押し出した。




「ぶった切れろぉぉぉぉッ!」




 勇ましく叫びながら、開いた口に自ら突っ込んでいく。


 突き出した右足には複数の車輪。


 見た目の上では変わらないが、それが持つ役割は、移動ではなく切断・・だ。


 回転鋸を取り付けたアミは、ただ地面に向かって加速するだけで、キューシーの生み出したワニを二枚におろす。


 その開いた顎は閉じることなく、上下に引き裂かれて事切れた。


 アミの足は、勢い余って地面に突き刺さる。




「だから、どうしてそうも小賢しいのよあなたはっ!」




 キューシーはキレ気味に虫をけしかけた。


 さらにカラリアの放った銃弾も飛んでくる。


 アミは「よいしょっ!」という掛け声とともに足をずぼっと引き抜くと、その勢いで回し蹴りを放った。




「弾き返すよぉ! ふんぬぅぁぁぁぁああっ!」




 その一蹴りに、ありったけの力を込めて。


 衝撃が弾け、地面がえぐれ大量の土が舞う。


 巻き起こる風に虫たちが吹き飛ばされるだけでなく、そのキックはカラリアの放つ弾丸を捉えた。


 魔力の球を、まるでサッカーボールのように蹴飛ばし弾き返すアミ。


 そんな芸当ができるほどの威力だ。


 当然、近くにあった岩なども、風で弾丸のように飛ぶ。


 その一部がキューシーの脇腹に命中。


 不意打ちゆえに防御も間に合わず、肉をえぐりとった。




「あ――」




 アミの表情が絶望に染まる。


 顔を見せる臓物と、流れ出る血液。


 次の瞬間、キューシーは苦痛に顔を歪め、しゃがみこんだ。




「キューシーっ! ごめん、違うの、そんなつもりじゃっ!」




 思わずアミは彼女に駆け寄る。


 だが当然、キューシーは敵意を宿した瞳でアミを睨みつけた。


 そしてアミの視界が何かに遮られる。


 ――蜘蛛だ。


 頭上より落ちてきた蜘蛛が、右目に張り付いたのである。


 反射的にまばたきをしたが、それより先に触れた手足が眼球を握りつぶす。




「づっ、ああぁぁああああっ!」




 透明な飛沫が弾け、アミは手で目を押さえて悲痛な叫び声をあげた。


 すかさずカラリアの狙撃――接近する光球を前に、彼女は左手を前に突き出す。


 手のひらや腕から車輪が現れ、回転して力場を生み出す。


 一発目――アミの力が勝り、僅かな衝撃を残して銃弾は逸れていく。


 だがすぐに次の弾が迫った。


 二発目、三発目と受け止める間に『運命の輪ホイールオブフォーチュン』の力は削がれ、四発目で腕が弾かれる。


 そして五発目。


 左肩に直撃し、腕の付け根をごっそり持っていかれる。


 アミの左腕が、回転しながら放物線を描く――




「ぐうぅぅぅっ、あっ、があぁぁああああっ!」




 目を見開いて叫ぶアミ。


 しかしカラリアはまだ攻撃の手を緩めない。


 もちろんキューシーだって。


 与えられた痛みは憎しみをさらに強め、寒気がするほどの殺意をもって力を行使する。


 彼女が操る虫たちが頭上を覆う帳となり、滝のように降り注いでくるのだ。




「あ……あっ、やだ……いやあぁぁあああああっ!」




 アミは半ば錯乱しながら、足裏の車輪を使って急いでその場から離脱した。


 あまりに力を入れすぎて、車輪がスリップするほどだ。


 カラリアの狙撃はなおも的確に彼女を狙い、真横の樹木や、足元の地面を吹き飛ばす。


 キューシーの虫による追尾もなお健在。




「いやだ……いやだ……やだ、やだ、やだあぁあっ!」




 アミは血走った目を見開き、涙をこぼしながらひたすらに前に進んだ。


 とうに迷っていたというのに、森はなおも深くなっていく。


 カラリアとキューシーも、さすがにスピードでアミに叶うはずもなく、いつの間にか攻撃は止んでいた。


 それでもアミは進むのをやめず、木々を避けながら奥へ、奥へ。


 やがて開けた場所に出た。


 木造の家屋がいくつか並ぶ――おそらく集落なのだろう。


 緊張の糸が切れ、アミはその場で膝をつく。




「あ……あぁ……う、あぁぁあ……っ。痛いよぉ……痛いぃ……っ」




 気持ちが落ち着くと、途端に腕の切断面の痛みが強くなる。


 傷口を手で押さえる。


 かなりの出血量だ。


 体温の低下を感じる。


 寒い。寒い。体も、心も。


 しかしその痛みのおかげで、少しずつ冷静さを取り戻してきた。


 傷口に車輪が浮かび、血が止まる。




「はぁ……はあぁ……そうだ、私の体……普通の人間じゃないから……」




 そういう芸当も可能な体。


 もっとも、メアリーのように失った腕を再生することはできない。


 キューシーに抱きしめてもらい、治癒する以外に方法はないのだ。




「腕……持っていかれちゃった。どうしよう。あの二人を片手で相手にするなんて無理だよ。両腕があっても、キューシーのこと傷つけちゃったのに……」




 アミは強く唇を噛んだ。


 それほどまでに、キューシーを傷つけた後悔は強かった。


 戦いの中で傷を負ったりすることは、当然のようにある。


 だが今回は、敵対して、攻撃して、その結果生じた傷だ。


 能動的か。


 自分の意思は介在しているのか。


 その有無の差はあまりに大きい。




「スピードでは私のほうが上。迂回して公園を目指す? でも、そうしたって、お姉ちゃんがいる。たぶん今の感じだと、お姉ちゃんがエラスティスを守ってるんだ」




 メアリーなら傷つけてもどうせ再生する――と言われても、やはりアミはためらうだろう。


 その命はメアリーのためにある。


 その体はメアリーのためにある。


 だというのに、そのメアリーを傷つけたのでは意味がない。


 こんな半端な気持ちで彼女を出し抜き、エラスティスを殺せるはずがないし、仮に覚悟が決まっていたとしても、勝てる気はしなかった。




「こんなの無理だよ。私、一体どうしたら……」




 頭を抱えるアミ。


 すると近くの民家から、年配の男性が現れた。




「お嬢ちゃん、あんた……」




 彼はアミに近づくと、心配そうに声をかける。


 彼女は顔をあげた。


 目が合う。


 瞬間、男の表情が憎悪に染まるのを見た。




「あんたは……一体、どの面を下げてこの村に来たんだああぁぁあああっ!」




 別人のように顔を歪め、叫びながら彼はアミに襲いかかる。


 両手で首を絞め、押し倒そうとしてくる男を、彼女は振り払い、転がりながら距離を取った。




「何っ! 何なの!? 何で急にっ!」




 首を手で押さえながら困惑するアミ。


 すると、男の声に反応したのか、他の村人たちも家から出てくる。


 そして近くにあった鍬や斧を手に取ると、




「あいつを許すなああぁっ!」


「殺せ! 殺せえぇっ! 絶対に逃がすなよぉおお!」




 むき出しの殺意と共に、襲いかかってくる。


 彼らはただの一般人だ、アミが力勝負で負けるはずがない。


 だが、あまりに純粋な――憎悪以外の感情が介在していない殺意を向けられ、寒気を感じた彼女は、逃げるように再び森の中へと駆け込んだ。



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